依頼人
ほんの十年ほど前、世界を二分した戦争が終わった。
長きに渡って世界を荒廃させたその戦いがいずれの側をも勝者とせずに終わったとき、生き残った戦士たちは血に染まった己の武器を手に途方に暮れた。
戦に倦み、疲れ果てたこの世界で、戦うことしか能のない自分たちは、これからどう生きていけばいいのか。
戦士たちの多くは武器を棄て、大地を耕すことを選んだ。
平和な世界に適応していくためには、そうするよりほかなかったのだ。
残りの戦士たちは、自分たちの居場所を奪った世界を恨み、時代を憎み、盗賊や山賊に身をやつした。
だがその中で、ごく一部ではあったが、世界を旅し始めた戦士たちがいた。
世界の暗がりに潜む数多の魔物は、人間が互いに争う陰で静かにその数を増していた。
人々の依頼を受けてそれらを狩り、時には古代の廃墟や魔物の洞窟に潜って一獲千金の財宝を求める。
武器を棄てず戦士であることもやめなかった彼らのことを、人々は、旅の戦士と呼んだ。
旅の戦士の中でも、ひときわ大きな体と怪力を誇る男。
彼の名は、ドライオといった。
巨大な戦斧を背に担ぎ、ドライオは今日も世界を旅している。
フィルスの街の郊外。
旅装束に身を包んだ白髪の老人と一組の若い男女が、朝日に照らされて立っていた。
「そろそろ来るはずだが」
老人が言う。
「あ、来た」
明るい声で道の先を指さしたのは、その声同様に目の覚めるような明るい赤色の髪をした若い女だった。女は歩いてくる人物を見て、声を上げて笑った。
「あはは、すごい。熊みたいなおじさんだ」
「背負ってるのは、斧か?」
黒髪の、どこか冷めた表情の若い男がつまらなそうに言った。
「荷物運びにはぴったりだな」
「そうだね。私たちはこんな重い物を持って旅するなんて絶対いやだけど」
女は自分たちの足元を見た。旅の荷物が詰め込まれた大きな背嚢の横に、金属製の黒い箱が置かれていた。女の膝上まであるその箱は、持ち手もなく紐でぐるぐる巻きにされていた。
「ここまで運んできただけで、もううんざり」
女は、のしのしと歩み寄ってくる大男を見てもう一度笑った。
「でもあのおじさんなら楽に持てそう」
「荷運びが代役の男になったと聞いて心配だったが」
しゃがれ声で老人が言った。
「これはお誂え向きの男が来たな。あの男の無駄に大きな筋肉は、お前たちのよい比較対象になるぞ」
「そのときはちょっとかわいそうかも」
女が含み笑いをして男の方を見る。
「ま、自信をなくすだろうな」
男は素っ気なく肩をすくめた。
「だが別に、俺たちの知ったことじゃない」
「だね」
女も同調するように下を向いたまま軽く笑った。
「ドライオだ」
雇い主の老人の前に立つと、ドライオと老人の体格差は大人と子供のようだった。
「ルビオの代役として来た。仕事は荷運びと聞いている」
「うむ」
老人はドライオを見上げた。
「歳はいくつになる」
「はっきりと覚えてはいねえが」
ドライオは頭を搔いた。
「四十にいくかいかねえかくらいだ、多分な」
それから、老人の後ろでくすくすと笑っている若い女に目を向けた。
「何か面白いか」
「だって」
女は笑うのをやめない。
「自分の歳もよく覚えてないなんて。まだおじいちゃんでもないのに」
「悪いな。三十を超えたあたりで数えるのをやめたんだ」
「やめないよ、普通」
女はなおも身体を折って笑う。
「やばい、このおじさん」
「その辺にしておけ、ルシア」
老人が言った。
「儂の名はアレマン。この二人は」
「ルシアだよ」
若い女が言った。
「私は十九歳。ちゃんと自分の年齢を知ってる」
「大したもんだ」
ドライオはそう答えて、若い男に顔を向ける。
「ええと、あんたは」
「スティル」
男は道の先に目を向けたまま、短く名乗った。
「ルシアとスティルか。よろしく頼む」
ドライオは手を差し出す。
「何、この手! 嘘みたいに大きい!」
はしゃいだ声を上げてルシアはドライオの手を握ったが、スティルはそれを見ようともしなかった。
「ドライオ。お前が持つ荷物はそれだ」
アレマンが二人の足元に置かれた背嚢と黒い箱を指さす。
「持てるか。持てなければこの仕事は終わりだ」
「持てるでしょ、アレマン。何のための筋肉よ」
ルシアが笑う。
ドライオは軽々と背嚢を背負うと、箱を持ち上げ、右肩の上に担ぎ上げた。箱の中で、金属がぶつかり合う音がした。
「こういう持ち方でいいのか」
「構わん」
アレマンは言った。ドライオは重さを確かめるように箱を揺らしてから、老人に問う。
「中身は何だ」
「それはお前が知らなくてよいことだ」
取り付く島もない言い方だったが、ドライオは特に気分を害することもなく尋ねる。
「いざという時には、地面に投げ出しても大丈夫か」
「何?」
老人は眉を顰める。
「いざという時とは、いつだ」
「魔物が出たりしたときだよ」
ドライオは背中の戦斧を顎で示す。
「そのときはこいつを振り回さねえといけねえから」
「ああ。そんなことか」
アレマンはつまらなそうに首を振った。
「必要ない。箱は丁寧に扱え」
「いや、だが」
「お前の仕事は荷物運びだ。魔物と戦う必要はない」
「それは分かってる。だがもしも魔物が出たら戦うしかねえだろ」
「不要だと言っている」
老人はルシアとスティルを振り向いた。
「この二人は、お前よりも強い」
「へ」
ドライオは拍子抜けした顔で、自分に遠く及ばない華奢な体格の二人を見た。
ルシアは当然のような顔をしてドライオを見ている。スティルは相変わらず興味なさそうにどこか遠くを見ていた。ドライオは何か言おうとして、思い直したように首を振った。
「じゃあ俺は戦わなくていいんだな」
そう念を押すと、アレマンは「くどい」と一蹴した。ドライオは顎だけで頷く。
「分かった。まあ、そういうことなら」
「よし。では行くぞ」
さっさと歩き出そうとしたアレマンを、ドライオは呼び止める。
「待ってくれ」
「何だ」
「俺は代理だから、荷運びをするってこと以外、ほとんど何にも聞いてねえんだ。この旅の目的は何だ。これからあんたらは何日かけてどこまで行って、何をするんだ」
「それも知らなくていい」
アレマンは言った。
「背嚢の重さで大体の日数は分かるだろう。お前は我々についてくればそれでいい」
そう言うと、話はそれで終わりだと言わんばかりに歩き出す。
「目的地の知らされない行軍ってのが一番堪えるんだがな」
ドライオはぼやいた。
「まあいいや。分かったよ」
そのときにはスティルとルシアも歩き始めていた。二人の背負う背嚢は、ドライオのものよりも二回りは小さい。
「ほら、熊おじさん。早く歩いて」
ルシアがからかうように振り返る。
「置いてくよ」
「へいへい」
ドライオは背嚢をひと揺すりすると歩き出した。




