第十三章 - 偶然
「まったく、さとる……熱だって? 今日、俺とやるって約束したんじゃなかったのかよ」
樹海は隣に座る友人に愚痴をこぼした。
「昨日はあいつ、全然元気そうだったけどな」と友人が返す。
「さあな。いつ体調を崩すかなんて誰にもわからないだろ。明日はおまえの番かもな」
ほどなく終業のチャイムが鳴り響いた。教師がいくつか最後の連絡を告げて、クラスを解散させた。
徹は机の上で荷物をまとめると、和美のもとへ向かった。一緒にバドミントン部へ行くためだ。
「先に行ってて」
和美の声はいつもと違っていた。
「どうかしたのか?」
徹は不思議そうに尋ねた。
「き、教師にちょっと用があって。あとで追いつくから!」
そうして徹は一人で廊下を歩いた。放課後の混雑した時間帯では、他の生徒たちと肩をぶつけずに体育館へたどり着くのはほとんど不可能に思えた。階段の踊り場さえ人で溢れている。体育館に着く前、自動販売機でポカリスエットを買おうと立ち寄った――が、その途中で、同じく体育館へ向かう樹海とすれ違った。
コンビニの外で会ったのと同じ人物だと気づき、徹はあの不気味で重い視線をはっきりと思い出した。
徹が何かを言うより先に、樹海が口を開いた。
「おまえ、徹だろ? バドミントン部の新入り」
やや気まずくなりながら、徹は答えた。
「は、はい……先輩もバドミントン部ですか?」
「そうだ。田中樹海。樹海でいい。2年A組だ」
徹はすぐにお辞儀をした。
「は、初めまして、樹海先輩」
徹は樹海の前でどこに視線を置けばいいのかわからなかった。再び何かを言うより先に、樹海が言った。
「先に行く。体育館でな」
片方の肩に鞄を引っかけて歩き去る樹海を見つめながら、徹は彼の態度に不安を覚えた。どことなく威圧的な物言いのように感じられたが、それがなぜかはうまく証明できなかった。
ポカリスエットを買った後、徹は待ち望んでいた練習試合の時間を始めるため、急いで体育館へ向かった。
部室で着替え、道具を掴むと、体育館へ向かう。そこにはすでに部員全員が監督の前に集まっていた。
「いつも通り、毎週の練習試合を行う。対戦相手やダブルスのパートナーがもう決まっている者は申し出なさい。決まっていない者は私のところへ来なさい。組み合わせてやる」
徹は列の一番向こうに和美を見つけた。一瞬だけ目が合ったが、彼女はすぐに顔を背け、別の部員のもとへ歩いていった。
彼女を追いかけるより先に、監督が近づいてきた。
「徹くん、対戦相手は決まったか?」
徹は答えに窮した。
「ま、まだ部員のことをよく知らないので、千秋ちゃんとやろうかと……」
「千秋? 直接もう頼んだのか?」
「い、いえ、まだです……」
「彼女が嫌でなければ、相手をしてもらえるだろう。千秋! こっちへ来なさい」
慎三が彼女を呼んだ。
ほどなく千秋が近づいてきた。
「徹くんが後でおまえと試合をしたいそうだ。構わないか?」
千秋は徹をちらりと見て言った。
「わ、私、もう別の人とやる約束をしてて……」
「だそうだ」と慎三が言った。
徹は少し落胆し、何かを考える間もなく、慎三が続けた。
「よければ、私が相手を組んでやろうか」
「誰とですか?」
「ちょっと待て……」慎三は考え込むように間を置いた。それから言った。
「樹海くん! こっちへ来なさい!」
その名前を聞いて、徹はすぐに緊張した。樹海は呼ばれてほどなくやってきた。慎三が説明する。
「樹海くん、対戦相手はもう決まったか?」
「実は決まってたんですが、そいつ、今日は熱で休みでして」
「それは残念だ。こういうわけでな――徹くんの対戦相手がまだ決まっていないんだ。おまえなら彼にふさわしい相手だと思ってな。おまえもシングルスの選手だろ? 徹と同じだ」
「あいつと、ですか? 本気ですか? あいつ、元プロ選手じゃないですか」
それを聞いて徹は少し驚いた。樹海が自分のことを知っているとは思っていなかったからだ。
「おまえが彼の適任だと思っただけだ」と慎三は言った。
「徹くんはすべてに再び慣れるためにも、この試合を本当に必要としているんだ」
「それが望みなら、俺は全然構いませんよ。それに、さっき少し会いましたし」
「そうか。それはよかった。徹くん、どうだ?」
少し間を置いてから、徹は言った。
「ぼ、僕も構いません。樹海先輩、試合を引き受けてくれてありがとうございます」
慎三は続けた。
「よし、ウォームアップをしてきなさい。順番が来たら呼ぶ」
それを聞いて、徹はすぐにいつものウォームアップへと向かった。雑談している和美の視線をもう一度だけ感じたが、彼女はまた顔を背けた。彼女の行動はいつも予測しがたいものだったが、今日はいつもと違う気がした。
ウォームアップを終えると、しばらく座って、二つのコートで同時に行われている試合を眺めた。慎三監督が一方の審判を務め、三年生の一人がもう一方の審判をしていた。金曜日ということもあって、バスケ部と体育館を共有しているはずだったが、昨日とは違い、徹はバスケ部の部員を一人も見かけなかった。
そうしていると、和也が近づいてきた。
「よお。今日は樹海くんとやるんだってな。どうした? バスケ部がどこに行ったのか気になってるのか?」
「そんなところです……」
「今日は向こうに大会があるらしくて、部全体でバスケ部の応援に行ったんだよ」
少し間を置いてから、和也は続けた。
「監督がおまえを樹海くんと組ませたのか? だとしたら、ちょっと気の毒だな……」
「な、なんでですか……?」
「樹海くんのプレースタイルは……荒いんだ」
和也は続けた。
「だけど、それでも去年は県代表になったんだ――まあ、ベスト16で負けたけどな」
「それって全国レベルってことじゃないですか?」
「まあ、そう言えるな」
「こ、この部にこんなにハイレベルな選手がたくさんいるなんて知りませんでした……和美、先輩、それに千秋ちゃんだって、すごくなる素質があると思います」
「あいつと戦うときのアドバイスだ。あいつに試合を支配させるな。あいつが何をするか予測するのは難しいかもしれないが、試合中は常に落ち着くようにしろ」
「先輩は彼と戦ったことあるんですか?」
「あるよ。三回やって、全部負けた……」
「ああ……先輩はダブルスしかやらないと思ってました」
「できるなら色々試すさ。なあ、おまえ、ダブルスに興味はないか?」
「ま、また今度で……」
ほどなく、監督が次の試合のために徹と樹海を呼んだ。
徹が去る前、和也が最後にいくつか言葉をかけた。
「なあ、覚えておけよ――この試合で一番大事なのは、楽しんで、自分のプレーから学ぶことだ。勝ちにこだわりすぎるな」
「り、了解です、ありがとうございます、先輩!」
「相変わらず先輩って呼ぶな……」和也は、監督のもとへ歩いていく徹の背中を見ながらつぶやいた。
「徹くん、樹海くん、いつも通り三ゲームマッチでやる。最初のサーブは樹海くんからだ。ふたりとも準備はいいか?」
徹はうなずき、準備完了を示した。一方の樹海は、ほとんど無関心な様子だった。
「よし、ポジションにつけ。私が審判をする」
徹が樹海と対戦することに気づいた部員たちが、ゆっくりと周囲に集まり始めた。徹は「元プロ選手が樹海くんと戦うのか?」というささやき声をはっきりと聞くことができ、少し緊張した。
いずれ他の部員たちにも自分の正体が知られるだろうことは理解していた。それはまったく構わなかった――だが、大勢に見つめられる感覚が、ゆっくりとあの日、自分がプレーしていたあの日を思い出させた。あの日を。
筋肉が強張る前に、和美の声が響いた。
「徹くん! 頑張って!」
それから慎三の声が続いた。
「ラブオール、プレイ!」




