第1話
バックパック→ポーチに修正(7/23修正)
穏やかだったギルド内が、怒号、悲鳴、混乱、緊迫した空気に一瞬で塗り替えられた。
さっきまで笑いながら酒を飲んでいた冒険者の数人が、剣や杖、メイスなど、各々の得物を抜いて臨戦態勢をとる。
一部の冒険者や丸腰の者は、遠目で様子を見るなり、慌てて入り口に殺到するなりしている。なんにせよ、そこまで大きいギルドではなかったが故に人数が少なかったのが不幸中の幸いである。もっとも、それでも誰が誰だか分からないほどに場の状況は混乱しているのだが。
受付嬢を初めとしたギルド関係者はカウンターの奥で慌しく動き回っている。
「早くギルドマスターを此処に呼びなさい!」
「すぐに警備隊に連絡を!」
そんな怒号や、避難指示や警戒態勢を促す等々、様々な指示が飛び交っていた。
一方の、どす黒い甲冑を着た例の殺人者は、何も語らぬまま周りを見渡していた。
その動きに一切の焦りや驚きは感じられず、この場の状況から鑑みて異常と言えるほど落ち着いていた。
「貴様は何者だ! ギルド内での殺人は犯罪だぞ!」
銀に煌く長剣を握り締める1人の若い男冒険者が緊迫の表情でそう尋ねた。
「……」
わずかに黒い兜から息遣いのような音は聞こえたが、黒鎧は何も言わずにその男を見つめていた。
やがて、興味をなくしたかのように再び少女がいた死体の場所に視線を向ける。
「無視しているんじゃねぇ! 答えろ!」
無視されたことに腹が立ったのか、声を荒げて殺人者にそう呼びかけた。が、周りの冒険者がうろたえはじめたのでそちらに注意が行ってしまう。
「お、おい、死体が……!」
何人かの冒険者たちが、いまこの場に起こっている違和感に気付いていた。
そう、それはこの殺人者も例外ではなくて。
殺人者は周りをもう一度見回したあと、ゆっくりと、死体があった場所を踏み抜いて入り口へと歩みを進めていく。
だが、彼が踏んだのは真紅の水たまりのみ。少女の死体は、すでにそこには居なかったのだ。
「おい待て! 身柄を拘束させてもらう。おとなしくし――」
目の前を通り過ぎようとした黒鎧を引きとめようと1人の男冒険者が取り押さえにかかろうと剣を構えながら近寄ろうとした。
だが、目にも留まらぬ速さで振り向きざまに一文字。一瞬遅れて、男冒険者の首筋から真紅の滝が噴き出るように流れ出た。
その動きは初動すら見えないほど洗練されており、斬りつけられた張本人ですら起こったことが理解できていないような、呆然とした表情をしている。
哀れな被害者は最後まで言葉を発することなく、首元を押さえ、ゆっくりと崩れ落ちた。ただでさえ血で汚れていた床がさらに赤く染まっていく。
「……構え、危険予知、反応速度、いずれも期待値以下……」
篭った声が兜の中から聞こえてくる。それは、今斬りつけた相手への冷酷な評価であった。剣を軽く振り払って血糊を散らす。
そしていまの発声から、籠ってはいるが男の声であることが分かった。
「あ、あああああああああ! お前、よくもアランを!」
アランとは恐らく、たったいま斬られて致命傷を負った男性のことだろう。呆然としていた1人の女冒険者が事の顛末を理解できたのか、顔色を青から赤に変化させ、激昂して叫びながら杖を構えた。
刹那、詠唱を介せずに杖の先から火炎弾が放たれる。
甲冑の男は剛速球で迫り来る火炎弾を重装備に見合わない軽快な横っ跳びで躱した。
代わりに入口の木製の門扉が大爆発を起こし、火達磨となった木片が辺りに散らばる。新たな餌を与えられた炎は木製の床、壁、机などを食して黒煙が立ち昇る。
横っ跳びから受身をとり床に着地した男は、爆発の衝撃でひるんでいる冒険者を傍目に、何かぼそぼそと呟いて自身の胸に右の篭手を当てた。
すると甲冑の隙間から黒い霧のようなものが発生し、男の身体を包み始めではないか。
一瞬で霧が甲冑を侵食し始めた。間髪入れずに男の身体そのものが霧へと変化していき、この場から甲冑もろとも姿が消えようとしている。
「逃がすか!」
大事な仲間だったのだろうか。怒りに我を忘れている女魔法使いは杖を甲冑の男に向けた。だが、傍にいた冒険者たちによって取り押さえてしまう。
「よせ!すでに火災が発生しているんだ!ここでお前が追撃したら被害は此処だけでは収まらないぞ! 水魔法だって使える人間が限られてるんだ!」
「だけどあいつが逃げてしまう! アランを殺したあいつを逃せない! 邪魔しないで!」
火事場の馬鹿力だろうか、数人の男手を力づくで振り払う。
だが、杖を再び向け直した先には綺麗さっぱり、誰も存在していなかった。
あるのは無常にも燃え広がる火災のみ。
女冒険者は無念の果てに座り込み、震える。
頬にひとつ、冷たいものが一滴、流れ落ちた。
此処は街から少し離れた森の中。
まだ太陽が出ている時間なのに薄暗く不気味だ。
紫や赤などの悪趣味な色の植物が密集して蠢いており、動物の気配が不思議なほど存在しない。巷では『宵闇の森』と呼ばれているとかなんとか。
そんな薄気味悪い森の中で、ひとつの小柄な人影が肩で息をしてかがんでいた。その姿はまるでたったいま走ってきたみたいな様子である。
「ここまで、来れば、だい、じょうぶ、かな?」
息も絶えだえに、その人影は少女の声色で、あたりをきょろきょろと見渡してそんなことを呟いた。その緊迫した様子は、誰かに追われているようにも見えなくはない。
一時の静寂があたりを包み込む。やがて彼女は息が整ってきたのか、腰に装備したポーチを開き、そして唐突に中身を漁り始めた。
「良かった。荷物を取られていたらどうしようかと……」
ほうと安堵のため息をつき、何やらガラス玉のようなものを取り出して雪のように真っ白な手の平に乗せた。それは薄明るい光を帯びた炎のようなものが中で揺らめいており、すぐに風に煽られたかのように奇妙な動きを見せはじめる。
その動きをみた少女は、何かを確信したように頷き、ある一方向に頭を向ける。
ポーチにガラス玉を大事そうにしまい、ゆっくりと歩きはじめた。
赤紫や黄色、はたまた紅色を織り交ぜた不気味なグラデーションを掻き分けながら奥へと歩いていく。雑草や諸々の植物たちはみんな背が高く、少なくとも少女の身長の倍以上はある。ほぼ樹木に等しいスケールの雑草もあった。
この森林に適応できる大きさの人族は恐らく巨人族だけであろう。そんなことを少女が思惑しながら歩いていると、唐突に歩みを止めた。
何か、物音がする。
そう、感じ取った少女は進んでた方向から脇にそれた場所……茂みの奥に目を向け、耳を傾けた。
(なにか……食べてる?)
聞こえたのは、
なにかを咀嚼するような音、
なにかを砕く音、
とにかく何かを食べているような音。
此処に住む原生生物なら危険だ。しかも音からして肉食であろう。
すぐに離れればいいのに、こういった場に慣れてないせいか立ち止まって様子を伺ってしまう。
やがて、咀嚼音のようなものは消え、余韻を残して静寂が舞い戻る。
――――少女はごくりと唾を飲み込んだ。怖いもの見たさだろうか、それとも頭がやられてしまったか、その茂みの奥へと足を踏み入れようとしてしまう。
何故そうさせるかは少女にも分からない。
だが、所謂『第六感』のような、言葉では形容しがたい何かが歩みを進めていってしまう。
頭では駄目だと理解してても、その現場がどうなっているのか見ずに先へ進むのはありえない、といった考えすら今の少女にはあった。
背高のっぽな極彩色の植物を掻き分けて進んでいくと、開けた空間へと出た。
周りは雑草まみれで一寸先すら見えないほどなのに、そこだけはまるで綺麗に整地されているように植物1本見当たらない。
むき出しの地面から、巨大な樹木が根を図々しく張り巡らせていた。その大きさは計り知れず、どこまで続いているのか分からないほど身長が高い。見上げても空の一片すら見当たらないほど枝や葉が生い茂っており、ただでさえ薄暗い森林なのにそこだけはさらに光が届いていなかった。
この巨大な樹木が周りの栄養分・太陽光を独り占めしているのだろう、そんなことを考えながら少女はふと、樹木の麓を見つめる。
純白のゴシック・ロリータ・ドレスを身に纏う、
小柄で可愛らしい緑髪の女の子が、
服のあちこちを血で汚しながら、
ぐったりと
――もたれかかっていた。




