第72話 雇わない理由を、本人に言う
「この男に、荷受けを任せることはできません」
ハイン・ロフタがそう言った時、トビアスは床へ置こうとしていた木箱を抱えたまま止まった。底の角が膝へ当たり、上着に溜まっていた埃が落ちる。
看守が箱を下ろすよう促しても、すぐには手を離さなかった。
「箱は六つとも運んだでしょう。力が足りないなら、もう一度やります」
「運べることは分かりました。ただ、頼みたい仕事は、荷物を運ぶだけではないんです」
ハインの手元には、細長い紙があった。
そこに並ぶ文字を、トビアスは一度も読めていなかった。
◇
カレブの再逮捕を知った後も、出所予定者の面談は続けた。
洗濯場で働くトビアス・レンも、その一人だった。濡れた布の仕分けや洗い方は身についているが、外で雇ってくれそうな相手には、まだ心当たりがないという。
面談の翌日、ハインが黒塔へ来た。
引き渡しを受けた倉庫で、荷受けを手伝う者を探しているらしい。以前の契約で囚人を働かせた際、仕事ぶりを見て、出所後も働く者がいるなら話を聞きたいと思ったそうだ。
「倉庫へ出た者に限りません。外へ出られなかった者にも、働ける人はいるでしょう」
「いる。ただし、洗濯ができることと、お前の倉庫で働けることは別だ。黒塔から人手を出す契約も、既に終わっている」
「承知しています。刑期を終えた後、本人が望めば雇うという話です。ここで働けと命じてもらうつもりはありません」
ハインは帽子を膝へ置き、卓に広げた図をこちらへ寄せた。新しい倉庫の入口と、荷を置く場所だけが描いてある。
大きな商館のように、運ぶ者、数える者、帳面をつける者を分けて置く余裕はない。荷車が着けば積み下ろしを手伝い、荷札と納品書を照らし合わせ、受け取った品と数を残す。そういう人手が要るのだという。
「運ぶ仕事だとだけ伝えると、後から困りそうだな。必要なことは、本人にも説明してくれ」
「もちろんです。こちらも、来てもらってから話が違うと言われるのは避けたい」
トビアスへ話すと、男は洗い桶の縁に置いた両手を、前掛けで拭いた。
「洗濯の仕事ではないんですね。それでも、話は聞かせてください。出てから探し始めるよりはましです」
声は落ち着いていたが、前掛けを握る指には力が入っていた。
俺は、面談を受けても採用が決まるわけではないことを伝えた。男は分かっていると答え、洗濯場の看守へ、午後の仕事をどこまで済ませておけばよいか尋ねた。
◇
話をする場所には、納入品の確認に使っている小部屋を選んだ。
門へ通じる戸は閉め、荷車の出入りと時間をずらしてある。看守が室内に付き、トビアスを一人で商人の相手に出すこともしなかった。
ハインは仕事の時間や休み、賃金の支払いについて説明した。トビアスは食事が付くのかを確かめ、住む場所は自分で探す必要があると聞くと、口を結んだ。
「金を受け取る日まで、飯代が要るわけですね」
「そうなります。最初の支払いまでをどうするかは、採用を決める前に相談します。泊まる所まで、うちで用意できるとは約束できませんが」
「分かりました。そこは、聞いておきたかったので」
トビアスは膝の上で指を擦り合わせた。
ハインは説明を続け、それから、実際の仕事に近いことを少し試してもらいたいと言った。
使うのは、黒塔で保管している空箱が六つだった。中に商品は入れず、箱に付けた札と、ハインが用意した紙を照らし合わせる。
重い荷を持てるか試すために、人を傷める必要はない。看守が箱の角や底板を確かめ、ささくれのある一つを取り替えた。
「ここへ届いた荷だと思ってください。紙と違う所があれば、受け取る前に知らせてほしいんです」
ハインは紙を渡した。
トビアスは両端を持ち、目を落としてから、箱へ視線を移した。左から順に指で数え、六つあることを確かめる。
紙を見ている時間が、妙に短かった。
「全部、こちらへ運べばいいんですね」
「まず、届いた物が合っているか確かめてください。置き場所を決めるのは、その後で構いません」
トビアスは頷き、手近な箱を持ち上げた。
一つ運ぶたびに札を覗いたが、並べる順番に迷っているようだった。三つ目で隣の箱へぶつけそうになり、看守が声をかけた。
「いったん下ろせ。置いてある箱を足で押して動かすな。手を空けてから場所を作れ」
男は唇を噛み、箱を下ろした。
六つ目を運び終える前に、ハインが作業を止め、採用を見送ると告げた。
◇
箱を床へ置くと、トビアスは額の汗を袖で拭った。空箱を運んだだけにしては、息が荒かった。
「文字が読めないからですか。札に何が書いてあるか教えてもらえば、覚えます。洗濯場だって、最初からできたわけじゃない」
「洗濯の腕を疑っているわけではありません。ただ、倉庫では違う品が毎日届きます。昨日と同じ場所に置いてあっても、同じ物とは限らないんです」
ハインは箱の札を、男へ向けた。
「この紙では、油の箱が二つ、石鹸が四つです。札は逆にしてあります。箱の数だけ合っていても、そのまま受け取ると不足した分を後から確かめられません」
トビアスは紙と札を見比べ、視線を床へ落とした。
「最初に、読めるかと聞いてくれればよかったでしょう。あんなふうに運ばせなくても」
ハインの指が、紙の上で止まった。
「その通りですね。仕事の説明を聞いて頷いてくれたので、読めるものと思っていました。先に確かめるべきでした」
男は謝罪を聞いても、顔を上げなかった。
俺も、荷受けに記録の仕事が含まれると知りながら、本人がどこまで読み書きできるかを確かめていなかった。洗濯場の作業記録には、そんなことまで載っていない。
「私も先に聞くべきだった。トビアス、名前以外の文字は、どの程度分かる」
「自分の名と、よく見る幾つかです。数は数えられます。洗濯物を、足りないまま返したことはありません」
最後の言葉だけは、はっきりしていた。
「そこは、担当の看守も認めている。今の仕事をできていないと言っているわけではない」
「だったら、倉庫で教わることくらい、できるでしょう。まだ一度も、本物の荷を受け取っていないんだ」
トビアスがハインを見た。
すがるというより、腹を立てている目だった。
ハインは、すぐには答えなかった。卓の端に掛かった紙を引き寄せ、折れた角を指で伸ばす。
「覚えられるかどうかを試しながら、一人増やす余裕が今の店にはありません。運ぶ者を別に雇えるようになれば話は違いますが、今、欲しいのは荷を確かめて記録までできる人です」
「いずれ雇うから待っていろ、ということですか」
「そこまでの約束はできません。今日の面談では、採用を見送ります」
戸の向こうで、納入を終えた荷車の車輪が鳴った。
トビアスはその音を追うように顔を動かした後、俺へ向き直った。
「監獄長からも、頼んでもらえませんか。最初のうちだけ、誰かに教えてもらえば済む話でしょう」
頼めば、ハインが考え直す可能性はある。
黒塔との商売を続けたい相手に、俺が念を押せば、それだけで断りにくくなる。
「採用しろとは頼めん。だが、仕事の内容とお前のできることを、面談の前に確かめておくべきだった。そこは私の落ち度だ」
「期待しなければよかったということですか」
「期待するのは当然だ。話を持ってきたこちらが、もっと具体的に説明する必要があった」
トビアスの顎がわずかに動いた。
それで納得してくれるとも思わなかったが、別の仕事をすぐ見つけると約束することもできなかった。
◇
面談を終えた後、ハインは自分で箱の札を外した。
「断るだけになってしまいました。洗濯の仕事なら、できるのでしょうが」
「必要な人手と違うなら、雇ってから困るよりはいい。ただ、読み書きが要ることは、最初から伝えておくべきだったな」
「ええ。『荷受け』だけで、同じ仕事を思い浮かべるとは限らないんですね」
ハインは外した札を重ね、紐で括った。
カレブのことも聞いていたという。少し迷ってから、その件で出所者の採用そのものをやめるつもりはないと口にした。
「ただ、金を扱わせるか、鍵を預けるかは、働いてもらってから考えます。黒塔で問題がなかったというだけでは、決められません」
「ああ。それで構わん」
俺が答えると、ハインは帽子を被った。別の者を紹介してくれとは言わず、面会のために空けた時間への礼を残して帰っていった。
小部屋には、空箱が六つ残った。
看守はそれを棚へ戻し、ささくれがあって取り替えた箱だけを、補修に回す荷の方へ運んだ。俺は卓に残った証明書を取り、洗濯場へ向かった。
◇
洗濯場へ戻ったトビアスは、乾いた敷布を畳んでいた。
普段より角を合わせるのに時間をかけ、揃わない端を何度も引いている。担当の看守は急かさず、次の束を少し離れた台へ置いていた。
「仕事を探すなら、読み書きも覚えた方がいいんでしょうね」
俺を見ると、男は敷布へ手を置いたまま言った。
「できる仕事は増える。ただ、文字を覚えるまで出所を延ばすことはないし、覚えれば必ず雇われるとも言えん」
「そういう話じゃありません。自分の名前くらいしか読めないと、あんな目に遭うのかと思ったんです」
言い返されて、俺は口を閉じた。
まだ慰められたいわけでも、先の保証を求めているわけでもなかったのだろう。
「……そうだな。今日、読めずに困った文字から始めるなら、あの札を見本に使える。ハインに写しをもらってよいか聞こう」
「それは、お願いします。ただ、仕事の証明には、洗濯を書いてください。倉庫の荷を扱えるとは書かないでほしい」
担当の看守が、畳んだ布の山を見た。
「仕分け、洗い、乾燥、仕上げまでは確認できる。ほかに書くなら、こちらで実際に見たことを確かめてからだ」
「それでいいです。俺も、できる仕事を探します」
トビアスは言ってから、敷布を持ち上げた。
中央に薄い染みが残っていた。窓へ向けて透かし、指で擦ってから、仕上がった山には重ねず、洗い直す方へ置く。
「それは、もう一度洗っても落ちないかもしれんぞ」
看守が言うと、男は染みの位置を見せた。
「泥が残っています。ここは、まだ落とせます。ただ、強く擦ると布が傷むので、別にしておいてください」
俺は二人の手元を見て、面談で渡すつもりだった紙を、懐から出した。
そこには、担当が確かめた洗濯の仕事が記されている。荷受けを断られたことで、その記録まで役に立たなくなったわけではなかった。
「内容を読み上げるから、仕事が一段落したら聞いてくれ。お前自身も、何を証明された紙なのか知って持っていった方がいい」
「今、聞きます。この一枚を畳めば終わりですから」
トビアスは敷布を広げ直し、端を引く手を緩めた。
その後で椅子へ腰を下ろし、俺が一つずつ読む仕事の内容を聞いた。洗いと乾燥の間で口を挟み、厚い毛布を薄い敷布と同じ干し方にしないことも、分かっていると伝えてほしいと言った。
看守が頷いて、余白へ書き足した。
トビアスは書き終わった紙へ手を伸ばしかけ、まだ墨が乾いていないのを見て引っ込めた。膝の上へ戻した指で、敷布の端を畳むような仕草をしてから、今度は黙って待っていた。
──────────────────
YouTubeショート動画作ってみました。
https://youtube.com/shorts/_zEBpYRUMc4?si=9bu0xxStFm2Bo5Z8




