第71話 出した男が、また捕まった
出所した男が、また捕まった。
町の警邏から届いた照会書にカレブ・フォードの名を見つけ、俺は紙を机へ置いた。洗濯場で四年働き、刑期を満了して正門から送り出した男だ。
宿で仕事を得て、試しに雇ってもらっていた。その宿で、金がなくなったという。
グラッドは俺の顔を見てから、照会の続きを読んだ。
「宿の売上金から、小銀貨二枚。本人は取ったことを認めているそうです。黒塔から渡した作業証明について、発行の事実と、記載内容を確かめたいと」
「控えを出してくれ。書いた通りだったか、担当の記録とも照らそう」
机の向こうで、椅子を引く音がした。
俺はもう一度、カレブの名を見た。
あの男が門を出た時、俺はその背中を見送った。宿が証明書を確かめに来た時には、記載した仕事と技能について答えた。
その先が、うまくいけばいいとは思っていた。
思っていたことと、確かめられることを、今も混ぜるわけにはいかなかった。
◇
昼前、宿の主人が黒塔へ来た。
受付で名と用件を確かめた看守が、手にしている紙を俺へ見せた。カレブへ渡した作業証明だった。二つに折られ、端が何度も握られたように潰れている。
主人は四十を少し過ぎたくらいに見えた。外套を脱いでも椅子へは座らず、卓へ紙を置いた。
「返します。今、うちに置いておくと、見るたびに腹が立つんで」
「預かろう。照会は受け取っているが、あなたからも、話せる範囲で聞かせてほしい」
「宿の金を取られたんです。あいつに」
声が部屋へ響いた。
戸口の看守が主人を見たが、俺はそのまま待つよう手で示した。
「ここでは、洗濯の仕事をきちんと続けていたんでしょう。うちでも、最初はそうでした。布を傷めず、干す場所も考える。女房も、教えたことを覚えるのが早いと喜んでたんです」
主人は椅子の背へ手を置いた。
「任せられることが増えた。それで、裏の仕事だけじゃなく、客の荷を運ばせたり、手が足りない時に食堂へ出させたりした。金を入れてある所も、見えたんでしょうな」
「町の報告では身柄を押さえたとあるが、金がなくなったと分かった時には、本人はまだ宿にいたのか」
「いました。逃げてもいない。帳面と金が合わず、女房と捜していたら、後で戻すつもりだったと言ったんです。自分で、置いてあった場所から出してきた」
そこで主人の声が少し詰まった。
椅子を引き、腰を下ろす。座面に体重がかかると、木が低く鳴った。
「誰かに借りを返すつもりだった、と。次の給金までに戻せば分からないと思ったそうです。そんな金が要るなら、先に言えと言いましたよ。貸したかどうかは別ですが、何も言われず抜かれるよりは、まだましだった」
グラッドは手帳へ記録しながら、返された証明書を卓の端へ寄せた。
主人は、その紙を追うように目を動かした。
「あいつに聞かれても、女房はもう、一緒に働けないと言っています。金を戻したから、前と同じようにしてくれと言われても、誰が戸棚の前を通ったか気にしながら仕事はできません」
「それは、本人が返した金とは別に残る話だな。こちらから、雇い続けてくれとは言えん」
主人は、膝の上で両手を握った。
◇
証明書の控えと作業記録は、その日のうちに揃った。
洗濯場で従事した期間。布を仕分け、洗い、干し、畳む作業について確認できたこと。直近二年間に懲罰の記録がなかったこと。
それぞれ、残っている記録と一致していた。
宿の主人にも、控えを見せた。本人は紙へ手を伸ばさず、グラッドが読み上げるのを聞いていた。
「書いたことが嘘だったわけではない。それは分かりました」
主人は外套の留め具を指で弄った。
「でも、これを持ってこられたから、試してみようと思ったのも、本当なんです。口だけで四年やったと言われるより、監獄長の名がある紙を見れば、こちらも違うと思うでしょう」
「そうだな。黒塔が確かめたと示したことで、雇う判断の材料になった。その受け取り方まで、こちらに関係がないとは思わん」
「でしたら、どうするんです。次に同じ紙を持った者が来ても、俺はもう、前と同じ気にはなれませんよ」
俺は、返された紙を手元へ寄せた。
善人であることも、二度と罪を犯さないことも、書いてはいない。
その一文を指して、それ以上はあなたの判断だったと返せば、自分を守る説明にはなるだろう。だが、目の前の男が今聞きたいのは、そんな言い分ではなかった。
「この出来事は、出所後の仕事について考える時にも残しておく。ただ、次に出る者の作業まで、全部なかったことにはできない。書くなら、確かめた仕事の範囲を、雇う側へ分かる形で伝える必要があると思っている」
「つまり、信用するかどうかは、こっちで考えろと」
「この紙だけで、店の金を任せられるかまでは判断できない。そこを紙から読み取れたつもりにさせたなら、説明の仕方も見直す。だが、二度と盗まないと黒塔が請け合うこともできない」
主人は視線を落とした。
少しの間、窓の外で車輪が石を踏む音だけが続いた。
「俺も、書いてないことまで読み込んだんでしょうな。だからって、今すぐ納得できるわけではないですが」
「今日、ここで納得してくれと求めるつもりはない。警邏からの照会には、控えと確認した記録を返す。あなたから聞いたことも、黒塔の側へ残しておく」
主人は頷いたが、表情は緩まなかった。
◇
帰り際、主人は戸口で足を止めた。
「洗濯の仕事は、本当にできたんですよ。そこまで、駄目だったと言いたいわけではない」
「担当していた者にも、その言葉は伝えておこう」
「ええ。……その担当の人に、嘘を教えられたと思って来たわけでもないんです。ただ、どこへこの腹立ちを持っていけばいいか分からなくなって」
主人は片手で顔を擦った。
「あいつが警邏に連れていかれる時、うちの干し場の綱が緩んでいるから直した方がいいと言ったんです。そんな所まで、まだ気にする。それなら、なぜ金を取ったんだと、余計に腹が立った」
俺は、すぐには答えられなかった。
仕事ができることと、人の金に手を伸ばさないことが、同じ一つの性質なら扱いは簡単だっただろう。
カレブは八年の刑を終えた。黒塔で続けた仕事も、懲罰を受けずに過ごした日々も、その後の一度で過去から消えるわけではない。
それでも、宿の主人が受けた被害や、失った信用を埋めてはくれなかった。
「話しに来てくれて、ありがとう。本人のことを、こちらに都合のよい話だけで残さずに済む」
「礼を言われるようなことをしに来たんじゃないんですがね」
主人はそう返し、帽子を被った。
看守が案内すると、門までの道を早足で歩いていった。男は、もう一度も机の上の紙を見なかった。
◇
執務室へ戻ると、グラッドが照会への返書を整えていた。
発行は黒塔で間違いないこと。記載した仕事と期間は、控えや担当の記録と一致していること。それを確かめた範囲を示し、写しを添える。
宿の金を取った件について、黒塔から処分を加える書類ではない。
カレブの身柄は町の警邏にあり、新しい事件の扱いは、これから確認と裁定が進む。今すぐ黒塔へ戻す通知が来たわけでもなかった。
「収容人数は、八百四十人のままです。戻るとしても、正式な書類が来てからになりますな」
「ああ。こちらで先に、戻る房を決めて本人の将来まで決めたことにするな。まず、求められた記録を正確に返そう」
グラッドは添える紙を揃え、机の上へ置いた。
「ほかの作業証明は、どうします。受け取った側から、同じような保証だと思われる可能性は、残ります」
「一度、担当者とも文面を確かめよう。ただ、出す予定だった者に、何も説明せず止めることはしない」
「承知しました。雇う側から確認があった時、どこまで答えたかも揃えておきます」
俺は返書を読み、署名した。
紙へ名を書き終えてから、しばらくペンを置けなかった。
カレブの出所を見送った時、自分の仕事が一つ、よい形で外へ繋がったように感じていた。宿で試してもらえると聞けば、その感触はさらに強くなった。
今、机の上にあるのも、その続きだった。
◇
洗濯場では、濡れた布を絞る水が、桶へ細く落ちていた。
カレブの仕事を確認した担当の看守に、照会が来たことを伝えた。何が起きたと警邏から報告されているかも、必要な範囲で話す。
男は作業台へ目をやった。
「宿から確認が来た時は、私も嬉しかったんです。ここで覚えたことが、外でも使えたと聞いて」
「技能は役に立っていたと、主人も話していた。それでも、金を取ったと聞かされれば、こちらも気になるだろう」
「本人に、なぜやったのか聞きたいです。ただ、聞けば全部分かるわけでもないんでしょうな。ここでも、分かったつもりになることがありますから」
看守は手を止めず、作業を終えた者へ布の置き場を示した。
その横で、出所準備を進めている囚人が、こちらを気にしていた。自分の仕事について、証明を出してほしいと申し出ていた男だ。
看守が声をかけると、少し迷ってから台の脇へ来た。
「出た奴が、宿で盗んだと聞きました。俺の紙も、もう出してもらえないんでしょうか。あれがあれば、仕事の話を聞いてもらえるかもしれないと思ってたんで」
噂は、俺たちより先に届いていた。
「お前の作業は、予定通り担当と確かめる。ほかの者の事件を理由に、ここでやったことを消す扱いにはしない」
「同じ紙を見せたら、またかと思われるかもしれませんよね。俺まで取ると思われても、どう言えばいいか」
「そう受け取られる可能性はある。お前に必ず仕事が見つかるとまでは言えんが、聞かれた時に、黒塔で確かめた仕事を答えることはできる」
男は自分の手を見た。
指の腹が白くふやけ、爪の際に布の細い糸が残っていた。
「俺は、あいつのことまで説明できません。何を考えて取ったかも知らないし、ここにいた頃、いつも一緒だったわけでもない」
「その通りに言えばいい。知らないことまで、お前が引き受ける必要はない」
担当の看守も、男へ顔を向けた。
「お前がやっていた範囲は、私から確かめる。洗うだけでなく、布を分ける所も見ていた。まずは、その話をまとめよう」
男は頷き、止めていた作業へ戻った。
布を絞る手には、さっきより力が入っていた。看守が傷むぞと声をかけると、慌てて緩め、縁を揃えて台へ置き直した。
◇
夕方、発送する書類の中へ、警邏宛ての返書を加えた。
アルヴァンの手紙について宛先を確かめる照会も、別の包みに入っている。片方は死んだ者の家族へ言葉を届けるためで、もう片方は、外へ出した男が起こした事件の確認だった。
グラッドが封を確かめている間に、俺は返された作業証明を広げた。
四年間、洗濯場で働いた。
確認できた仕事は、確かにそこへ書いてある。
カレブがその先で何を選んだかを知った今も、書いた事実を都合よく引っ込めるつもりはなかった。
俺は紙を控えと一緒に残すよう頼み、机から立った。
窓の外では、洗濯場の囚人たちが、雨になる前に乾いた布を取り込んでいた。看守が数を読み、受け取った者が束を台へ置いていく。
一人の男が、畳んだ布の角を揃え直した。
出所準備中の、さっきの男だった。こちらへ見せるためではなく、次に積む束が傾かないよう、下の一枚を直していた。
俺は窓から離れ、明日の面談に使う作業記録を取りに行った。
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