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第68話 死刑を免れた男が、黒塔へ帰る

 王都から届いた書状には、アルヴァン・ギレスの刑期が三年と記されていた。


 死刑ではなくなった、と最初に読めた時、俺は椅子の背へ体を預けた。次の紙には黒塔への移送予定があり、グラッドがそこを指で押さえている。


「王殺し未遂の旧裁定は取り消し。近衛への加傷については有罪で、収監済みの期間を刑期に算入する、とあります」


「王都でそのまま服役するわけではないんだな。受け入れの確認を返そう」


 窓の外では、荷車から降ろした薪を看守が数えていた。乾いた木を重ねる音が、途切れずに聞こえている。


 俺はもう一度、最初の紙へ目を戻した。


 上部の通路に人がいたことも、何者かが国王を狙っていたことも、確認には至っていない。一方で、アルヴァンが国王を害そうとして剣を抜いたと認定するには、証拠が足りないとされた。


 実在が確かめられた護送任務の件も、供述の信用を見直す材料にはなっていた。


 それでも、近衛の槍を剣で払い、その腕を傷つけた行為は残った。


「全部が本人の望んだ通りに認められたわけでは、なさそうですな」


「本人がどう受け止めたかは、会って聞くしかない。こちらは裁定と移送の書類を確かめて、受け入れを準備する」


 グラッドは控えを取る紙を寄せ、ペン先をインクへ浸した。


 俺は、黒塔に残る三人の死についての記録を開いた。


 バルト、ヘルム、ルース。


 アルヴァンの再審理が終わっても、その名前の横へ、解決したと書き加えることはできなかった。


     ◇


 受け入れの準備に入ると、看守からは、どの程度の警戒を続けるのかという確認が上がった。


 死刑囚ではなくなった。刑期も決まった。それなら、以前より拘束を減らしてよいのかという話だった。


 グラッドは保安担当の看守を呼び、戻ってから使う房と、医務室までの通路を一緒に確かめていた。


「移送中の扱いは護送側の指示による。黒塔に入った後も、通達を読んだだけで警戒を外すことはしない。本人の状態を見て、順に確認する」


「前と同じ房なら、隣を空けておけます。今の配置のまま、使っている者を動かさずに済みます」


「では、そこを点検してくれ。寝具と水の器も、使える物を用意する」


 俺が口を挟む前に、看守は鍵の担当へ声をかけていた。


 房を空けることと、罰として孤立させることは違う。食事や医務、運動をどう扱うかまで、担当者同士で確かめている。


 外部作業の襲撃で負傷したセドは、まだ勤務へ戻っていなかった。受け入れに人を寄せるため、他の持ち場を薄くするわけにもいかない。


 その日の資材搬入と移送が重ならないよう、荷の受け取り時刻をずらしてもらった。


 食堂で、その予定を話す看守の声を聞いた囚人がいたらしい。


 昼の巡回で、配膳を待っていた男から声をかけられた。


「王を殺そうとしたんじゃなかったなら、出してやればいいでしょう。戻されるってことは、結局、王都でも認めてもらえなかったんですか」


「王殺し未遂の罪には問えない、という裁定になった。近衛を傷つけた行為について刑が決まったので、その刑期を黒塔で過ごすことになる」


「相手が近衛なら、何をしてもいいって話にはならないでしょうが……助けようとしたのかもしれないのに」


 男は言いながら、自分の皿へ目を落とした。


 俺は、上に何がいたかも含め、全てが確かめられたわけではないと答えた。裁定の文面に書かれていない理由を、俺が付け足すことはできない。


 後ろの男が、皿を持ち替えた。


「俺は、こっちの飯が減らなきゃそれでいい。あの人が戻るからって、食堂まで止めないでくれよ」


「配食はいつも通りだ。門の方へ見に集まらず、持ち場の指示に従ってくれ」


 列が動くと、二人とも前へ進んだ。


 元大隊長を待ち望む声ばかりでも、戻ってくることを怖がる声ばかりでもなかった。今の黒塔には、それぞれ今日の飯と仕事がある。


     ◇


 書状を受け取って二日後、護送の馬車が門前に止まった。


 扉を開ける前に、門番が来訪の用件と護送側の名を確かめる。俺とグラッドは内側で待ち、通行の合図が出てから車輪の音を聞いた。


 アルヴァンは、両手を手枷で繋がれ、足にも拘束を付けたまま降りてきた。


 踏み台へ置いた靴が少し滑り、護送兵が肘を支えた。本人は振り払わず、次の一歩を確かめて地面へ降りた。


 黒塔を出た時より、頬が薄く見えた。


 それでも、顔を上げて周囲を見る目は変わっていなかった。門扉、番所、左右の看守へと視線が移り、最後に俺の所で止まる。


「また、ここで世話になる。戻ると聞いた時は、別の場所を願い出るべきか考えたがな」


「そう思う理由があることは、こちらも承知している。長い道中だったろう。引き継ぎを済ませたら、医務担当に診せる」


 護送の責任者が、書類と所持品の包みをグラッドへ渡した。


 移送中に大きな体調の崩れはなかったが、食事を残した日があったという。アルヴァン本人は、馬車の揺れがきつかったと説明した。


 ラッセルの所へ向かう前に、看守が名を呼び、本人の顔と移送書類を照らす。


 アルヴァンは低い声で名乗り、待っている間も両手を見える所へ置いていた。


 引き継ぎが終わると、グラッドが収容の記録を改めた。


 八百三十九人だった黒塔に、一人が戻る。


 現在の収容人数は、八百四十人になった。


     ◇


 ラッセルは足首の擦れを確かめ、歩く時の痛みについて尋ねた。


 深い傷ではなさそうだが、靴が当たると痛むという。看守が移動の拘束を扱う間も、ラッセルは患部を見て、擦れた所へ負担をかけないよう声をかけていた。


「食事が入らなかったのは、馬車に乗っている間が主ですか。止まってからも気分が悪かったなら、その時のことを聞かせてください」


「休んだ後は、ある程度は食べられた。昨夜も、汁とパンは腹に入れている」


「では、今日も量を見ましょう。無理に一度で食べきる必要はありませんが、水まで取れないようなら、すぐ知らせてください」


 診察を終え、面談に使う部屋へ移った。


 卓の上には水と、王都から送られた裁定の写しを用意してある。アルヴァンは椅子へ座ると、しばらく木杯を持ったまま黙っていた。


「裁定は、本人にも読み聞かされていると聞いた。手元へ置く写しが必要なら、用意する」


「王都でも受け取った。読んだし、説明も受けた。それでも、死刑ではないと言われた時は、すぐには分からなかった」


 水を飲み、杯を卓へ戻す。


「俺は王を斬ろうとしていないと、それだけは言い続けた。そこが認められたなら、もっと喜ぶものだと思っていたんだが」


「三年の刑も残っているからな。王殺し未遂が取り消されたとしても、簡単には喜べんだろう」


「気にならんと言えば嘘になる。だが、近衛の腕を斬ったのは事実だ。あの時の俺には、上へ行くために止める者を払う以外、考えがなかった」


 組んだ指の関節が、白くなった。


「上で動いた物が何だったのか、今も分からん。顔も見ていない。武器だったとまで、俺が言ってよいのかもな」


 記憶している範囲を、本人が狭めていた。


 それは、何も見なかったと認めたという意味ではない。見えたものと、その時にそうだと思ったものを、分けようとしているのだろう。


「黒塔でも、知らない部分を埋めた供述は求めない。警邏や裁定所から確認が来たら、その時に覚えていることを答えてくれ」


「それは、王都でも何度もやった。今日は少し、別の話をしたい」


 アルヴァンは顔を上げた。


「三人のことを聞かせてほしい。俺の裁定が変わったから、そちらまで終わった扱いにはなっていないだろうな」


     ◇


 俺は卓の上の写しを端へ寄せ、別に用意していた記録を開いた。


 アルヴァンを送り出してから、三人の死の経緯が一度に解き明かされたわけではない。作業へ戻した命令を誰が出したのか、夜の引き継ぎの後に誰が本人を見たのか、埋まっていない所は残っている。


 そこを隠して、調査は順調だとは言えなかった。


「バルトを採石場へ戻した命令者は、まだ特定できていない。ルースが房へ戻ったとする記録も、本人を確認した証拠にはなっていないままだ」


「俺が王都で何度も同じことを聞かれている間も、三人が死んだ経緯は埋まらなかったんだな」


「分からない所は残っている。ただ、俺の手元で書類を閉じたわけではない。外部へ渡した調査の記録も、お前の王殺し未遂の件とは別に扱われている」


 アルヴァンは紙を覗き込まず、俺の顔を見て聞いていた。


「三人とも、俺の下で働いていた。ここへ送られる道で、俺が何とかすると言ったんだ」


 俺は返事を挟まなかった。


 窓の隙間から風が入り、紙の端が持ち上がった。押さえるために手を伸ばすと、アルヴァンが少しだけ視線を落とした。


「俺は死刑を免れた。その知らせを持って帰っても、聞く奴がいない。喜べなかったのは、そのせいもあるんだろうな」


「三人の死を、お前の刑が軽くなったことで埋め合わせる扱いにはしない。確認できたことは伝えるし、答えが出ていない所も、そのまま伝える」


「監獄長が替わった後でも、続く形にしておいてくれ。あんた一人が覚えているだけでは、困る」


 俺は、グラッドにも聞こえるように了承した。


 自分がいつまでこの椅子にいるか、保証はできない。そもそも、俺が元のディルクと同じ道を進んでいたなら、その先は長くなかったはずだ。


 目の前の男は、その終わりをもたらす中心人物になるはずだった。


 だが今、アルヴァンが求めているのは、死んだ部下の調査を、俺がいなくなっても続けることだった。


     ◇


 面談を終える前に、戻ってからの扱いを説明した。


 すぐに他の囚人と集団作業へ入れることはしない。移動も当面は看守が付き添い、医務の確認を挟みながら、房外へ出す時間と作業を検討する。


 死刑ではなくなったからと、鍵を外してよい相手にはならない。アルヴァン自身も、説明を聞く間に不服を飲み込んだような顔はしなかった。


「俺は、ここを好きになって帰ってきたわけではない。三年が短いとも思っていない」


「そのつもりで扱う。刑期の計算は、王都の裁定と照らして本人にも示す。分からない点があれば、こちらで勝手に決めず照会する」


「それと、一つ頼みがある。部下の名前が残っている壁へ、行かせてもらいたい」


 グラッドが、俺を見るより先に手帳を開いた。


「通常の移動と重ならない時間を取ります。今日のところは医務の確認もありますので、明日以降、担当を付けて案内する形で検討します」


「急がせるつもりはない。名前が消えていないなら、それで」


「消していません」


 グラッドの返事に、アルヴァンは目を閉じた。


 その後は、何も付け加えなかった。


     ◇


 夕食の前、俺は収容棟を回った。


 アルヴァンの房の前では、看守が器を渡しながら、食べられる量を本人に確かめていた。椀からは豆を煮た湯気が上がり、石壁へ沿って流れている。


 アルヴァンは俺を見ると、椀を持ったまま顔を上げた。


「足の擦れは、歩かなければそれほど痛まない。食事も、これなら入ると思う。ラッセルには、後でそのまま伝えてくれ」


「伝えておく。痛みが増したら、巡回を待たずに声をかけろ」


 看守が食事の確認を記録し、隣の房へ進んだ。


 鉄格子の向こうで、アルヴァンは木匙を取った。王都へ送る前にも見た仕草だったが、机の上の書類では、もう死刑囚ではなくなっている。


 それでも、ここに三人が戻ることはない。


 俺が離れかけると、アルヴァンの声がした。


「ディルク殿。壁へ行く時は、布を一枚持たせてほしい。名前の前に埃が積もっているなら、自分で払いたい」


 俺は房へ向き直った。


「清掃に使う物を用意させる。持ち込みと持ち出しは、看守に確かめさせるぞ」


「それで構わない」


 アルヴァンは椀へ目を戻し、豆を一匙すくった。


 廊下の先では、別の囚人がパンの端を指して、量が小さいと看守に言っていた。看守は隣の分と見比べ、切り分けた者を呼んで確かめている。


 その声を聞きながら、俺は巡回を続けた。


 戻ってきた一人を迎え入れても、残る八百三十九人の夕食は、まだ終わっていなかった。




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