↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
66/68

第66話 五枚を失った囚人と、眠れない看守

 朝の鐘が鳴り終わる前から、トマは来客用の部屋の戸口に立っていた。


 夜中に何度か廊下へ出ようとしたらしい。見張りの看守に家族からの知らせを尋ね、まだ届いていないと聞くと、椅子に戻ったという。


 俺を見つけた時も、口を開くより先に廊下の奥を見た。


「警邏が来たら、俺にもすぐ知らせてください。食事は後で構いませんから」


「知らせは隠さず伝える。だが、腹に何も入れずに待っていると、家族に会う前にお前が倒れるぞ」


 卓には豆の煮汁とパンが置かれ、木杯にはもう湯気がなかった。


 トマはパンを手に取ったものの、噛もうとはしなかった。昨夜は弟の肌着にするつもりで自分の着替えを持ってきて、そのまま泊まったため、襟元には作業場の麻屑が残っている。


 俺は隣の椅子を引き、半分ほど冷めた煮汁を飲んだ。


「俺に付き合ってここで食べるなら、どうか気にせず執務室へ戻ってください」


「執務室へ持っていっても冷めるのは同じだからな。食べ終わるまでに来れば、足音も聞こえる」


 トマは木椀へ目を落とし、ようやく一口飲んだ。


 その椀を置く前に、門の方で人を呼ぶ声がした。


     ◇


 妻と二人の子供は無事だった。


 警邏がトマの家へ着いた時、戸は閉まり、家族は中にいたという。家の周囲を確かめた上で事情を説明し、妻の希望で、三人を町に住む姉の家へ移していた。


 トマは報告を最後まで聞かず、顔を両手で覆った。


 警邏の男は話すのを止め、指の間から息が漏れるのを待った。


「妻は、怒っていましたか。弟のことをまた持ち込んだと、思っているはずで」


「あなたが無事なのか、何度も尋ねていました。帰ってこないので、仕事場へ人をやろうとしていたそうです」


 トマの肩が、一度大きく上下した。


「姉さんの家なら、道は分かります。俺もそこへ行きますから」


「お送りします。ただ、途中でご家族の暮らしぶりや、今後の連絡先を確認させてください。移って終わりにはできません」


 トマは、今度は頷いた。


 下の橋に、指定した時刻を過ぎても待っていた者がいたかどうかは確認できなかったという。既に暗く、警邏が着いた時には、それらしい姿はなかった。


 そこまで聞いた後で、俺は別の報告を受けた。


 皮屋の裏の部屋で、一人を拘束したという。


「本人はリノと名乗っています。裏口から出ようとしたところを押さえました。現場の者に軽い擦り傷はありますが、刃物による負傷はありません」


 レグスが伝えた、外階段のある建物だった。


 部屋には男が一人おり、戸を叩いた警邏へは返事をせず、裏へ回っていた別の者が出口で出会ったらしい。室内から短剣も見つかったが、それだけで一昨日の襲撃に使われた品だとは確かめられない。


「ダスという男と、弓を使った者は見つかっていません。拘束した男も、襲撃については話していない。これから、目撃した方々の話と照らします」


「承知した。こちらの看守から話を聞く場合は、警備の交代を組む。負傷者は医務担当に確認してからにしてくれ」


「レグスにも、改めて伺うことになります。逮捕できたのだから刑を軽くしろと言われても、我々には決められませんが」


「こちらからも約束はしていない。何を話し、何が確認できたかは、そのまま記録に残してほしい」


 警邏の男は頷き、手帳を閉じた。


 リノは町の留置場に置かれる。黒塔へ連れてきて、レグスと顔を合わせさせる話にはならなかった。


 俺は、トマを脅した男の特徴も引き続き確かめるよう頼んだ。顎の傷と指の布だけで名を結びつければ、別人を追うことにもなる。


 椅子に戻っていたトマは、手に持ったパンを見つめていた。


「その一人が捕まったら、家へ戻っていいんでしょうか。姉さんの所へ、ずっと置いてもらうわけにもいかないので」


 警邏は、すぐには答えなかった。


「まだ見つかっていない者がいます。まず奥さんと話して、ご家族がどこで過ごせるか相談しましょう。仕事場への連絡も、こちらから説明できる範囲は説明します」


「仕事は、辞められません。あそこを失ったら、家賃も払えなくなる」


「それも含めて伺います。弟さんの事件のために、あなたが働けなくなってよいとは考えていません」


 トマは残っていた煮汁を飲み、パンを布に包んだ。


 出発前、俺はレグスへ伝えておきたいことがあるかと尋ねた。男はしばらく考え、肌着を預けた時と同じ、空いた両手を見た。


「家族は無事だったと。それだけ、お願いします」


     ◇


 レグスは兄の家族が無事だと聞くと、寝台の端へ腰を下ろした。


 リノの拘束についても、確認できている範囲で伝えた。ただし、それで全員が捕まったわけではなく、今後も警邏の聞き取りがある。


「裏の出口、役に立ったんですね」


「警邏は、両方へ人を置いたと言っていた。お前が知らなければ見落とした、とまでは分からんが、聞いた内容は渡した」


 レグスは頷いて、膝に置いた手を擦った。


「兄貴には、俺が話したって伝わっていますか。金のことも、部屋のことも」


「金の隠し場所や回収の詳しい話はしていない。部屋の情報を警邏へ渡したことは知っている」


「だったら、少しは……」


 言いかけた口が閉じた。


 俺は続きを促さず、向かいの椅子へ座った。廊下では朝の配食を終えた看守が、空いた木椀を重ねている。


「前に、借りを払ってもらった時も、兄貴はあんな顔をしていました。怒鳴りもしないから、もう済んだと思ってたんです」


「昨夜は、二度目を断ったと言っていたな」


「俺は、その時の方を覚えてた。追い返されたから。でも、最初に何を売って払ったかは、聞いていません」


 肌着は畳まれ、寝台の脇に置かれていた。


 レグスはそちらを見たものの、手を伸ばさなかった。


「礼を伝えてください。家族を動かした警邏にも。刑の話とは別で、そう言っていたと」


「伝えておこう。警邏が来たら、自分でも言える」


「はい。兄貴には、今は手紙を書かない方がいいんでしょうね。何を書いても、自分の話になりそうで」


「書くことまで止めるつもりはない。だが、返事や許しを急かす内容なら、受け取る側も困るだろう」


 レグスは、卓の上に残った昨夜の図を見た。


 俺が立つと、もう一つ思い出したことがあると言った。部屋の床下に金があるという話ではなく、ダスが酒を飲む店の場所だった。


 通っていたのは捕まる前で、今も出入りしているかは知らないという。


 俺はその条件も一緒に記録させた。


     ◇


 ハインが来たのは、昼前だった。


 倉庫の工事は、町で集めた人夫を増やして進めている。黒塔から出していた者の代わりが全員揃ったわけではないが、大工を手待ちにさせる損の方が大きい、と商人は説明した。


 机に置かれた契約書には、俺たちが確かめた条件が並んでいた。


 最大二十人、期間は十日を予定。働いた者の対価と、警備・輸送の実費は別に扱う。


 それを読み上げ直す必要はなかった。


「残りの日程は、取りやめたいと思っています。途中で人を減らして、再開できたらまた増やすという集め方では、町の者も来てくれません」


「分かった。こちらも、安全を確かめないまま人を出せない。残る日程は双方の合意で取りやめる形にしよう」


 ハインの指が、紙の端を押さえた。


「黒塔の方々が、仕事をしなかったからではありません。その点は、本人たちにも伝えていただきたい」


「伝える。だが、働く場所がなくなることへの不満まで、消せるとは思わん」


「ええ。私も、工期が遅れたことを気にせずにはいられませんから」


 言ってから、ハインは短く息を吐いた。


 賃金は働いた分まで支払い済みで、返還を求めるものではない。警備と輸送の費用に未精算がないかは、グラッドが別の書類で確認した。


 俺たちは残る日程の扱いを紙にし、互いに確かめてから署名した。


 ハインは書類をしまいかけ、医務室の方へ視線を向けた。


「負傷された看守の方へ、布は届いたと聞きました。顔を見て礼を言いたいのですが、休んでおられるなら、今日は控えます」


「本人に聞いてみよう。傷の具合だけでなく、人に会うのが負担になることもある」


「では、無理はさせないでください。工事が済んだら、出来上がった倉庫を見に来ていただきたいと、それも伝えておいてください」


 商人を送り出した後、机に残った契約の控えを見た。


 囚人を外で働かせ、本人名義で金を積む。その最初の民間仕事は、予定した日数を終える前に打ち切りになった。


 誰も逃げずに戻ったことと、仕事を続けられることは、こうして別々の結果になった。


     ◇


「安全になったら戻ると思っていたんですが、もうあそこへは行かないんですか」


 午後の作業前、ギルは手にした縄の束を台へ置いた。


 近くにいた二人も、聞こえないふりをやめてこちらを見た。倉庫へ出ていた者への説明は看守から済ませていたが、俺に直接確かめたいこともあるのだろう。


「ハインは町の人手を雇った。こちらの再開を待たせて、その者たちをまた外すわけにもいかん」


「五枚ずつ貯められると思ったんです。外へ出られないまま終わるよりは、ましでしたけど」


 ギルは言葉を切り、掌に残った細い縄の繊維を払った。


「危ない所を言えば、仕事が止まる。黙ってたら怪我をするかもしれない。どっちでも、こっちが損するんですね」


 傍らの男が、低く鼻を鳴らした。


「言わなきゃ、まだ出てたかもしれないだろうが」


「俺が言った角の話と、街道で襲われた話は別だ。俺のせいにするなら、そこは間違えるなよ」


 男が口を開く前に、看守が台の間へ入った。


「ギルの報告で仕事を取りやめたわけではない。襲撃があり、警備上の危険が残っているから中止になった。文句を本人へ向けるな」


「金が入らなくなったのは、同じだろう」


「それは聞いている。だが、隣の者を責めても賃金は戻らない。作業を始めるぞ」


 看守は男へ縄を渡し、持ち場を示した。男は不服そうに受け取ったが、それ以上ギルへは言わなかった。


 俺はギルの台の前に残った。


「次の有償の仕事は、まだ決まっていない。すぐ別の稼ぎ口を用意すると言えば、その約束も当てにさせてしまう」


「それは、もう聞きました。決まったら、候補から外さず見てください。俺は、行きたいと言っておきます」


「希望は残しておく。人選する時は、医務と保安、それに内側の仕事の都合も確かめる」


 ギルは頷き、縄の束をほどき始めた。


「監獄長。ここへ戻った時は、助かったと思いましたよ。それと、五枚が欲しいのは、両方なんです」


「分かる。戻りたいと言ったから、金まで要らなくなったとは受け取っていない」


 絡まった縄が一本抜け、台の端から垂れた。


 ギルはそれを引き寄せ、長さを揃える目印へ当てた。顔を上げることは、もうなかった。


     ◇


 セドは、医務室で右手を使って匙を持っていた。


 左腕の包帯には、新しく血が広がっている様子はない。ラッセルは傷の周囲の腫れを引き続き見ており、熱や痛みの変化も確かめていた。


 復帰できる日については、まだ答えを出していない。


 ハインの伝言をすると、セドは匙を椀に戻した。


「見に行けるなら、倉庫は見たいです。運んだ石や木が、どこへ収まったか分からないままになりましたから」


「会いに来るのは、別の日でも構わん。礼を受けるために起きて待っている必要はないぞ」


「起きている方が、楽な時もあるんです」


 セドは窓へ目をやった。


 その先の庭で、洗った布が風に膨らんでいた。廊下を通る者の足音に、彼の視線が一度、戸口へ戻った。


「目を閉じると、藪が見えるんです。音がしてから腕が熱くなって、次も来ると思って、監獄長を引っ張った。……そこばかり、何度も」


 俺は寝台の脇の椅子へ座った。


 自分の膝も、屈めると擦り傷が引きつった。あの場でセドに引かれていなければ、立ったまま次の矢を待っていたかもしれない。


「引いてくれたおかげで、俺は伏せられた。助かった」


「二十人を数え終わった時は、腕より、そっちが気になりました。一人足りなかったら、戻ることになるのかと思って」


「あの場所へ一人で戻らせるつもりはなかった。だが、数が揃うまで、お前がそう考えていたことまでは気づかなかった」


 セドは、右手で椀の縁を撫でた。


「次に門の外へ出る時、同じように歩けるか、今は分かりません」


「今ここで、歩けると答える必要はない。眠れないことも、ラッセルに話しておいてくれ。傷だけ見せて、他は隠さんでいい」


 しばらくして、セドはもう一度匙を取った。


 その動きを待って、俺も椅子から立った。


 戸口ではラッセルが、薬を分ける手を止めていた。俺が廊下へ出ると、寝台の脇へ椅子を寄せる。


「昨夜、どのくらい眠れたか、私にも聞かせてください。傷の痛み以外で、目が覚めたことはありますか」


 セドはすぐには答えず、椀に匙を置いた。


 俺は戸の取っ手に手をかけたまま、その音を聞いた。やがてセドが小さな声で昨夜のことを話し始めたので、戸口に残らず、静かに閉めた。




──────────────────

YouTubeショート動画作ってみました。

https://youtube.com/shorts/_zEBpYRUMc4?si=9bu0xxStFm2Bo5Z8

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。