第65話 兄は、弟に会いたくて来たのではなかった
「弟に会わせてもらえないなら、断られたと分かるものをください。口で言うだけでは、信じてもらえないので」
門外の控えにいた男は、膝の上の包みを抱え直した。袖口には細かな麻屑が絡み、爪の脇に黒い汚れが残っている。レグスより幾つか年上に見えたが、頬は痩せ、肩の厚みもなかった。
面会を断られて食い下がる者はいる。断った証明を欲しがる者となると、その紙を誰に見せるつもりなのかが気にかかった。
「まず、届け出た内容を確かめさせてくれ。レグスの兄で、名はトマ。弟に呼ばれて来たと聞いている」
「ええ、弟が会いたがっていると、人づてに」
隣に立つ門番が、開いた受付帳へ指を置いた。
「そこは、先ほどのお話と違います。弟さんから知らせが届いたと伺ったので、手紙を見せていただきたいとお願いしました」
男の手が、包みの結び目を押さえた。
グラッドは口を挟まず、俺から半歩離れた所で待っている。開いた戸口の向こうには別の看守が立ち、馬車が一台、夕方の街道を町へ下っていった。
「手紙では、ありません。町で声をかけられたんです」
「その違いは大きい。誤った話を前提に面会を進めるわけにはいかんから、誰に何と言われたのか、順に話してくれ」
トマは俺の顔を見たものの、すぐ窓へ目を移した。そこから見えるのは門の脇と、街道の短い一部分だけだった。
「弟が言い逃れを考える前に聞いてほしいので、ここで話したことを、先に伝えるのは待ってください」
「まずは、こちらで聞こう。弟へ確認が必要になったら、その時に説明する。お前が何を話したかを、外で尋ねてきた者へ教えることはしない」
その返答を聞いても、トマは口を開かなかった。
門番が窓際へ寄って外を見た。俺は看守を一人残すように頼み、通りに会話が漏れないよう戸を寄せた。
薄暗くなった部屋に、革帯と、男の着物に染みた油の匂いが残った。
「……仕事場に来たんです。俺の名を知っていて、弟が黒塔から外へ働きに出ているとも言いました。それで、会って話を聞いてこいと」
「聞いてくる内容まで、指定されたんだな」
トマの口元が歪んだ。
「金をどこへ置いたか。弟なら分かるから、と。知らないと言われたら、俺の子供の顔を思い出せと伝えろと言われました」
グラッドが手帳を開く音に、男の肩が小さく動いた。
「俺は盗みに加わっていません。あいつが捕まってから、金を受け取ったこともない。弟が何をしたか、全部知っているわけでもないんです」
「その点も含めて聞く。今の話だけで、お前を共犯だと決めるつもりはない」
「だったら、会わせなかったと書いてください。そうすれば、俺は何も聞けなかったと言える」
差し出された手の平には、縄で擦れた傷が幾筋もあった。
紙を一枚渡せば、この男を門前から帰すことはできる。
だが、それを見せた相手が、素直に諦めるとは思えなかった。
◇
包みは、トマ本人に開けてもらった。
中にあったのは、洗って畳んだ麻の肌着が一枚だった。門番は本人の了解を得て布を広げ、縫い目と折り返しも確かめた。
「手ぶらで来ると、面会の理由を聞かれると思って……俺の着替えです。弟の物は、もう家にありません」
肌着には肩の継ぎがあり、片袖だけ色が薄かった。
それを見て何かを察した顔はせず、俺は町で声をかけられた時の様子を聞いた。トマの言葉をグラッドが書き留め、曖昧な所だけ聞き直していく。
相手は一人で、仕事場の裏口へ来た。顎に古い傷があり、右手の指を一本、布で巻いていたという。
それだけでは、昨日の襲撃者と同一人物だと確かめられない。俺は相手の手まで見ていなかったし、トマも、弟が名を挙げた二人を知らなかった。
「帰ったら、下の橋で待っていると。日が落ちる前に来いと言われています」
「家族にも危険が及ぶ話だ。家にいる者には、何と伝えて出てきた」
「仕事が長引くかもしれないとしか。妻と、子供が二人います」
トマは答えてから、膝の上を見つめた。
「弟の話を家ですると、ろくなことにならないんです。捕まる前から何度も揉めて、俺も、もう来るなと言いました。面会だって二年近く来ていない。それなのに、家の場所まで知っているような言い方をされて」
レグスを助けたくて駆けつけた兄、という話ではなかった。
縁を切ったつもりの弟のせいで、仕事場へ見知らぬ男が現れ、自分の子供を持ち出された。その腹立たしさも恐怖も、両方あるのだろう。
「弟から隠し場所を聞けても、金を渡すまで帰してもらえないかもしれん。断られた紙を持って戻るのも危険がある。ここから一人で橋へ行くのは勧められない」
「行かなかったら、家に来るかもしれないでしょう」
「その心配はもっともだ。だから、町の警邏へ今の話を伝える。家と仕事場、それに橋の場所を教えてほしい」
トマは、俺の向こうに立つグラッドを見た。
「警邏を連れて帰れば、俺が喋ったと分かります」
「相手に気づかれる可能性はある。家族の所へどう向かうかも、警邏と相談しなければならん。ここで絶対に知られないとは約束できないが、一人で要求を聞き続けるより、助けを呼べる状態にしたい」
すぐに頷ける話ではなかったらしい。
男は畳まれた肌着の端を揃え、それが余計に乱れると、両手を膝の間へ挟んだ。
その間に門番が、俺へ声を落とした。
「先に門の外を確かめます。さっきから同じ荷車が止まっている、ということはありませんが、暗くなるので灯りを足します」
「頼む。気になる者がいても、追って持ち場を空けるな」
「承知しました。裏へ回る道も、交代の者に見させます」
看守が出ていくと、トマはようやく、家までの道を話し始めた。
◇
町の警邏へ知らせを回す間、グラッドに面会記録を持ってこさせた。
古い受付には、兄のトマが二度訪れた記載があった。仕事場と住まいの申告も、大筋では今の話に合っている。それでも、記録に同じ名があるだけで本人確認を済ませることはできない。
レグスには兄の名や以前の住まい、最後に面会で何を話したかを、こちらから答えを教えずに聞かせた。
返ってきた話は、門前の男が語った内容と重なった。
その上で、本人が面会を望むか確認させると、レグスはしばらく黙っていたという。
「兄の方から来たのかと、二度聞いたそうです」
グラッドが報告を終えた時、控えの椅子が軋んだ。
トマが立ち上がり、また腰を下ろしていた。窓の外は、もう人の顔を見分けにくい暗さになっている。
「弟には、俺が脅されたと伝えてください。金を取りに来たと思われるのは、御免です」
「まだ細かい話はしていない。まず、会う相手を確かめた」
「……俺から言わせてください。あいつは、俺まで金を欲しがって来たと思うかもしれない」
俺はグラッドと目を合わせた。
兄だと確認できても、看守のいない所で二人にする理由にはならない。伝言を含む事情は警邏にも渡すこと、面会中は看守が付き添うことを説明した。
トマは、俺が言い終える前から首を縦に動かしていた。
「聞いていてもらった方がいい。弟と二人で話すと、俺も何を言うか分からないので」
肌着はその場で預かり、本人の確認を取って受領を記録した。包みを抱えていた男の手が空になると、途端に居場所を失ったように見えた。
警邏への連絡が済むまで待つ間、看守が水を持ってきた。トマは礼を言い、縁の欠けた木杯を両手で包んだが、口をつけるまでには、ずいぶん時間がかかった。
◇
レグスは、面会室の椅子に浅く座っていた。
兄の姿を見た途端に立とうとしたが、付き添いの看守が座ったままで待つよう告げると、腰を戻した。卓を挟んでトマが座り、俺と看守は、二人の声が聞こえる位置に立った。
「家には、何も来ていないよな。俺のことで、誰かが――」
「俺の仕事場へ来た。お前が隠した金の場所を聞けと言われたんだ」
トマは、途中で遮らせなかった。
「子供の顔を思い出せと。お前の甥と姪のことだ。会ったことがないから、顔も浮かばないだろうがな」
レグスの唇が開き、そのまま閉じた。
窓の外で、夜勤へ移る看守の足音が続いている。廊下の灯りが戸の隙間を横切り、レグスの頬に落ちた影が揺れた。
「兄貴に会いに行くとは、思ってなかった。あいつらとは、捕まる前から――」
「俺も、お前が捕まれば終わると思っていた。店の裏で待ち伏せされて、家に戻る道を考えながら働かずに済むと思ってたんだ」
レグスが顔を上げた。
兄は弟を見るのをやめ、卓の木目を見つめていた。
「家にある物を売って、お前の借りを一度払った。二度目は断った。あの時、もう来るなと言ったのは、本気だったんだぞ」
「それは、覚えてる」
「だったら、なぜまだ俺の家が出てくる」
声は大きくなかったが、最後の言葉が掠れた。
レグスは卓の下で手を動かした。看守が視線を下げると、自分から両手を卓へ出し、指を組んだ。
「俺が、金を隠したからだ。捕まらずに済んだら、あいつらと別れるつもりだった。そのために取っておいた」
「俺たちのために、とは言うなよ。そんな金を持って帰られても、家には入れられない」
「……分かってる。自分のためだ」
それを聞いても、トマの顔は緩まなかった。
レグスは兄へ身を乗り出しかけ、俺を見て止まった。
隠し金について、どこまで話してよいかを窺ったのだろう。俺は、保管場所や回収の状況をこの場で広げる必要はないと告げた。
「兄を橋へ戻らせるために、新しい伝言を作るな。相手への対応は警邏に任せる」
「場所だけでも教えれば、兄貴の方へ行かずに済むかと思って」
「そこへ一人で行かされるかもしれん。金が見つからなければ、嘘を教えたと責められる可能性もある。兄の安全を、お前と相手の口約束に預けるわけにはいかん」
レグスは何か言おうとして、息だけを吐いた。
トマが、その顔を初めて真正面から見た。
「俺は、もうお前の使いにはならない。ここへ来たことまで、間違いにさせるな」
返事を待たず、兄は椅子から立った。
レグスも立ちかけたが、今度は看守に止められる前に座り直した。
「兄貴。俺の金で、家の戸締まりを……」
「金の話をする前に、知っていることを全部話せ。俺たちが気をつけなきゃならない相手が、まだいるなら」
トマの手が、椅子の背を強く握った。
「謝るなら、それからにしてくれ。今は、家に帰る道を考えるだけで精いっぱいだ」
◇
町から来た警邏に、トマは同じ話をもう一度した。
下の橋へ一人で向かわせることはせず、家族の安否確認と、相手が待っているという場所への対応を警邏が引き受けた。どちらも、この部屋から結果を見通せるものではなかった。
トマには安全を確かめるまで黒塔の来客用の部屋で待てると伝えた。身柄を拘束する扱いではないことも説明したが、本人は、今から一人で帰るつもりはないと言った。
腹が減ったかと尋ねると、首を振った。
ところが看守が自分の夜食のパンを割って置くと、礼を言って受け取った。小さく千切った一口を、長いこと噛んでいる。
俺は邪魔にならないよう部屋を出た。
廊下では、グラッドが受付帳を閉じて待っていた。
「親族だから通してよいとも、怪しいから追い返してよいともいきませんな。門番が話の違いを残してくれて助かりました」
「ああ。断った紙だけ持たせていれば、橋へ帰していたかもしれん」
「明日の外部作業も中止のまま伝えます。ハイン殿には、再開の日を約束できません」
あの現場へ戻りたい者はいる。休んだ日の小銅貨五枚は積み上がらず、商人も、いつまでも黒塔の都合を待ってはくれない。
それでも、囚人を門の内側へ戻せば危険が収まるという見込みは、もう立てられなかった。相手は、別の家の戸を叩き始めている。
レグスの所へ戻ると、預かった肌着が寝台の端に置かれていた。本人が使いたいと言ったため、確認を済ませて渡した物だ。
「兄貴が帰ったなら、橋へ行かないよう伝えてください。あいつらは、断られたと言って引くような連中じゃない」
「警邏の確認を待っている。今夜はここで待てるようにした」
レグスは肌着へ目を落とし、肩の継ぎを親指で撫でた。
「面会に来たんじゃ、なかったんですね」
「脅されて来たとは話していた。それでも、お前へ自分で伝えたいと言ったのは兄だ」
しばらくして、レグスは布から手を離した。
「ダスが、昔使っていた部屋があります。まだ使ってるかは分かりません。町の皮屋の裏で、階段が外にあって……俺が行った時は、奥の部屋でした」
俺は看守に、聞き取った内容を記録するよう頼んだ。
役に立つ情報かどうかは、確かめるまで分からない。既に空き部屋かもしれず、別人が暮らしている可能性もある。
レグスは、それでも窓と戸の位置を説明し、言い間違えた通りの名を自分で直した。
聞き取りの途中で、外から馬の蹄の音がした。
兄弟の家へ向かう警邏だった。レグスは声を止めて耳を澄ませたが、蹄の音が遠ざかると、卓に置かれた紙へ目を戻した。
「裏にも、細い出口があります。そっちを先に伝えてください。俺たちは、いつもそこから出ていました」
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