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第63話 その囚人を、置いていけ

「レグスだけ置いていけ。ほかの奴には用はねえ!」


 街道の曲がり角で、刃物を持った男が叫んだ。


 横向きに止められた小さな荷車の脇に、もう一人いる。御者が車輪を直しているのかと思ったときには、前を歩いていた看守が盾を上げていた。


「止まれ。全員、その場から前へ出るな!」


 声が終わるより先に、脇の藪から矢が飛んだ。


 乾いた音がし、俺の近くの看守が左腕を押さえて膝をつく。囚人の列が縮まり、後ろからぶつかってきた肩で、俺も石混じりの地面へ片膝を落とした。


 ギルが最初の働き賃を受け取った翌日、外部作業を終えた二十人を黒塔へ戻す途中だった。


 俺はギルが話した現場の見通しを確かめに行き、そのまま帰路の護送へ同行していた。倉庫の敷地を出てから、まだそれほど離れていない。


 看守は六人で、囚人たちにはすでに手枷を付けている。


 その列へ、正面から刃物が向けられていた。


「低くなれ! 来た方へ戻る。押し合うな!」


 俺が立ち上がろうとすると、負傷した看守が右手で外套を引いた。


「監獄長、頭を下げてください。藪の中にもいます」


 もう一本の矢が道へ刺さり、囚人の一人が短く悲鳴を上げた。


 俺は腰を落としたまま、後ろへ顔を向けた。


「現場へ戻す。後ろの二人は退路を見ろ。呼子を鳴らせ!」


 呼子の鋭い音が、石垣の間に響いた。


     *


 レグスという名の男は、列の中ほどで足を止めていた。


 三十代の半ばほどで、今日の仕事では土を運んでいた囚人だ。呼び声を聞いてから、道の先へ顔を向けたまま動こうとしない。


「お前の迎えなら、ひとりで行け。俺を巻き込むな!」


 隣の囚人が怒鳴ったが、看守がすぐ間へ身体を入れた。


「誰も前へ出すな。二人とも後ろへ下がれ!」


 レグスの口が動いた。


「俺は、呼んでねえ」


「話は戻ってから聞く。今は歩け!」


 看守に肩を押され、ようやくレグスの足が動いた。ところが、列が向きを変えるところで一人が転び、手枷の付いた両手を地面へ突こうとする。


 ギルがその作業着を掴み、膝をついたまま引き起こした。


「立てよ。そこを塞がれたら、俺たちも戻れねえだろうが」


 礼を言う余裕もなく、男は起き上がった。後ろへ急ごうとする背中へ、ギルが「走るな、また倒れるぞ」と声を飛ばす。


 先頭にいた看守は盾を構え、荷車の男たちへ槍先を向けていた。


「そこから来るな。武器を捨てろ!」


「罪人をひとり返せば済む話だろうが!」


「黒塔の囚人は渡さない。下がれ!」


 男の一人が荷車の脇から出かけたが、槍先が動くと足を止めた。


 その間にも、藪へ向けて剣を抜いた看守がいる。矢を射ている者の位置は、こちらからはっきり見えなかった。


 追うわけにはいかない。道から人を減らせば、二十人の列のどこへ手が届くか分からなくなる。


 俺は負傷した看守の脇へ入り、立ち上がるのを支えた。左の袖が濡れ、指の間から血が落ちている。


「歩ける範囲でいい。後ろへ下がるぞ」


「脚は動きます。腕だけです」


「それでも、一人で残るな」


 看守は歯を食いしばり、俺の肩へ右腕を回した。


 立っているだけで胸の奥が縮む。道へ落ちた矢を跨ぐとき、靴先が石を蹴り、その小さな音まで妙に大きく聞こえた。


 俺の剣は腰にあったが、抜いて斬り合いへ入ればどうなるかは分かっている。


 前世の二十二年も、この身体で過ごした時間も、俺を剣の達人にはしてくれなかった。


 歩ける看守を連れて、囚人たちを現場へ戻す。それが、いま俺にできる仕事だった。


     *


 作業場へ続く入口の近くまで戻ると、ハインと作業頭がこちらへ走ってきた。


 呼子を聞いていたらしく、後ろには長い棒を持った男たちもいる。


「ここへ来るな、敷地の中へ戻れ! 道で襲われた!」


 俺が叫ぶと、作業頭が先に止まり、ハインの腕を引いた。


 囚人たちを石材の陰へ入れ、看守が入口と街道へ分かれて立つ。最後まで盾を構えていた看守も、じりじりと下がってきた。


 道の曲がり角では、刃物を持った男が何か叫んでいたが、こちらに人が増えたのを見て、荷車の向こうへ姿を消した。


 矢も飛んでこなくなった。


「追わなくていい。こちらを固めろ」


 俺はそう言ってから、声が掠れていることに気づいた。


 負傷した看守を石に座らせると、ハインが脇へ膝をついた。


「布を持ってこい。水も。それから、店へ走れる者を呼んでくれ!」


 作業頭が男たちを振り分け、町へ知らせる手配を始める。


 俺は看守へ、敷地の別の出入り口も確認するよう頼んだ。ここへ戻せたからといって、外へ出る道がすべて安全になったわけではない。


 石材の陰では、二十人が身を寄せて座っていた。


「顔を上げてくれ。一人ずつ確認する」


 名を呼び、顔と返事を確かめる。レグスもギルもいる。最後の一人まで終えたところで、別の看守と人数を合わせた。


 二十人、全員いた。


 列の誰かが、長く息を吐いた。


「仕事は終わったんだ。早く帰らせてくれよ」


「帰る道を確かめる。今ここから勝手に出れば、看守も追って動かなければならん。座って待っていてくれ」


「逃げるんじゃねえ。帰りたいだけだ」


「分かっている。こちらも黒塔へ戻すつもりで動いている」


 男は口元を歪めたが、立とうとはしなかった。


     *


 矢で傷ついた看守の袖を切り開き、持ってきてもらった布を当てる。


 矢は腕に残っていなかったが、傷はひと目で浅いと言えるものではない。看守自身は動けると言い張ったものの、そこから護送の持ち場へ戻すつもりはなかった。


「俺がやられなければ、人数を減らさず済んだんですが」


「お前が藪を教えなければ、俺が立ち上がっていた。余計な人数まで増やすところだった」


「……それは、困りますな」


 看守は笑おうとして、途中で顔をしかめた。


 俺はハインへ、黒塔への連絡も頼んだ。町の役所へ知らせ、その経路でグラッドへ応援と負傷の状況を伝えてもらう。


 看守を一人、危険の残る道へ単独で走らせることは避けた。


 ハインは頷き、店へ向かう者に言付けを重ねる。それから、手についた血を見下ろした。


「明日から、うちの見張りを増やします。入口へ二人置けば、作業を続けられるでしょうか」


「今日は、このまま帰す。明日も出せるとは約束できん。現場だけでなく、往復の道で狙われた」


「ええ……そうですね。倉庫の中だけ見て、話していました」


 ハインは唇を舐め、石材の陰へ目を向けた。


「あの男は、仲間を呼んだんですか。名指しされていましたね」


「まだ分からない。呼び声に応じて前へ出た者はいなかった。それ以上は、聞いて確かめる必要がある」


「ほかの十九人まで、巻き添えにされたわけですか」


「看守も、あなたたちも巻き込まれた。まず、二度目を受けずに戻ることを考えたい」


 ハインはそれ以上問いを重ねず、負傷者を乗せる荷車を用意すると言って立った。


 敷地の奥では、荷物を降ろした者たちが車を引き寄せていた。


     *


 待っている間、レグスの周りだけは、自然に間が空いていった。


 隣の囚人が腰をずらし、それを見たもう一人も位置を変える。手枷の鎖が鳴るたび、レグスはそちらを見た。


「お前の知り合いに、俺らの帰り道まで教えたのかよ」


 ついに一人が言うと、レグスは顔を上げた。


「俺は、ここへ来るとも言ってねえ」


「向こうは、お前がいると知ってたじゃねえか」


「だから、知らねえって言ってるだろうが!」


 レグスが腰を浮かせ、近くの看守がすぐに二人の間へ入った。


「座れ。ここで揉めれば、入口を見ている者まで動かすことになる」


 言い争っていた男が、入口の方を見た。そこには、槍を持った看守が道から目を離さず立っている。


 男は舌打ちをし、それ以上は言わなかった。


 俺はレグスを、ほかの者と少し離れた石の脇へ移した。逃走や襲撃への関与が分かったからではなく、いまこの場で殴り合いを起こさせないためだ。


「相手を知っているなら、武器や人数で分かることを先に言ってくれ。身の上の話は、その後でいい」


 レグスは俺の後ろを見た。


 刃物の男たちを止めていた看守が、盾を地面へ下ろしている。表面には、新しい傷が一本ついていた。


「道にいた二人は知っています。藪の中は、見ていません」


「道に見えていた以外にも仲間がいる可能性は、考えておく。あの二人は、引き返す相手か、それとも待つ方か」


「金になると思えば、待ちます。俺ひとりでも取れればいいと思ってるはずです」


 レグスはそこまで言い、唇を噛んだ。


 俺は入口の看守へ、相手が付近に残っている可能性を伝えた。人数を言い当てようとするより、出入り口を空けず、応援を待つ方を選ぶ。


 空が少し赤みを帯び始めても、石材の陰から動こうとする者はいなかった。


     *


 グラッドが応援を連れて来た頃には、町の警邏も街道の確認へ入っていた。


 襲った者たちの姿は見つからず、荷車が道端へ寄せられていたという。ただし、離れた藪まで安全になったとは言えない。


 護送に加わる看守を増やし、警邏とも動きを合わせて、二十人を黒塔へ戻すことにした。


 負傷した看守は荷車へ乗せる。囚人たちは歩かせるが、道中で具合が悪くなった者がいれば、すぐ止めて確認するよう伝えた。


 車輪が動き出すと、ギルがその後ろへ目を向けた。


「さっきの人、今夜は門に立ちませんよね。腕から、まだ血が出てましたから」


「ラッセルに診せる。今夜の勤務には戻さない」


「それなら、俺も前を見て歩きます。あの藪を見てると、石に足を取られそうなので」


 ギルはそう言ったが、曲がり角へ近づくと、やはり一度そちらを見た。


 ほかの囚人たちも、道の脇を気にしている。現場では早く帰らせろと言っていた者も、前との間を空けないよう、黙って歩いていた。


 黒塔の門が見えると、列の中から誰かが息を漏らした。


「やっと着いた」


 門番がこちらを確かめ、扉を開ける。負傷者を先に医務へ運び、二十人を内側へ入れてから、顔と名前をもう一度確認した。


 全員戻っていた。


 黒塔の収容人数は八百三十九人のままで、看守が一人、傷を負った。


     *


 ラッセルは傷を洗い、看守の腕の状態を確かめていた。


 俺が戸口へ立つと、顔を上げずに言う。


「今夜は、こちらで診ます。深さや動きの確認が済むまで、手を使わせないでください。熱が出ないかも見ておきます」


「勤務は外した。本人が戻れると言っても、医務で止めてくれ」


「そのために、私がここにおります」


 看守が寝台から何か言おうとし、ラッセルに先を制された。


「報告なら、座って口でできます。腕を上げて説明する必要はありません」


 そのやり取りを聞いてから、俺は医務室を離れた。


 廊下ではグラッドが待っている。


「外部作業は、ひとまず止めます。ほかの仕事を頼みたいという照会にも、安全の確認がつくまで出せないと返します」


「頼む。ハインには、今日働いた分の扱いを確認してくれ。襲われたことを理由に、本人たちの対価から勝手に引くことはさせん」


「承知しました。まずは、レグスから聞けることを」


「ああ。看守の見た相手や現場の状況とも照らす。本人の話だけで、共謀とも無関係とも決められん」


 俺は腰の剣を押さえ直した。


 北壁を直し、アルヴァンを王都へ送っても、黒塔から逃げようとする者はいた。外へ仕事に出せば、今度は外から手を伸ばしてくる者がいる。


 俺の知る大脱獄を防ぐために変えてきた運営が、別の相手に機会を与えることもあるのだと、今日の道で思い知らされた。


     *


 レグスは聞き取りの部屋で、戸口から一番遠い椅子へ座っていた。


 俺が入ると立ち上がりかけたが、座ったままでいいと伝えると、両手を膝へ戻した。


「あいつらを呼んだ覚えはありません。逃がしてくれと頼んだこともない」


「それは記録する。だが、なぜお前を名指ししたのかは聞かせてもらう。看守が傷つき、ほかの囚人も危険に遭った」


 レグスは喉を動かし、戸口の看守を見た。


「俺が、盗んだ金の隠し場所を知ってると思ってるんです」


 グラッドの筆が動いた。


 事実かどうかは、これから確かめる必要がある。誰の金なのか、二人とどう関わっていたのかも、まだ何も分かっていない。


 俺が続きを促す前に、レグスが机へ身を寄せた。


「外へ出れば、黒塔には戻らずに済むと思ったことはあります。だが、あいつらに連れていかれるのは御免です」


 声を落とし、扉へ顔を向ける。


「今夜は、俺を外へ出さないでください」


 看守が戸を閉じるまで、レグスは廊下の向こうを見続けていた。




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