第6話 その鞭で八百人は管理できない
「俺を採石場から外すだと!? 誰のおかげで囚人どもを押さえ込めてると思ってやがる!」
執務室へ入ってくるなり、ドルガン・メイスは怒鳴った。
四十代半ばの大男で、採石場の主任看守を務めている。首も腕も太く、武器を取り上げている今でさえ十分に威圧感があった。
腰の剣と警棒は預からせ、グラッドを含めた看守四人を付き添わせている。
まだ有罪と決めたわけではない。
それでも過去三年間で、ドルガンが申請した懲罰は四十七件。その中で重傷者九人、死亡者五人という数字が残っている以上、武装させたまま話を聞く気にはならなかった。
「まず座れ」
「その前に説明しろ!」
「立って聞いても内容は変わらないぞ」
ドルガンは俺を睨みつけた後、椅子へ乱暴に腰を下ろした。
「俺が何をした」
「それを調べるために、主任職を一時的に止めた」
机へ記録を置く。
「懲罰申請四十七件。重傷九人、死亡五人。同じ三年間で、他の主任は多くても二十件前後だ」
「採石場と洗濯場を一緒にするんじゃねえ」
返事は早かった。
「石切りは遊びじゃねえんだ。少し気を抜けば指も足も潰れる。荷車が暴走すりゃ死人だって出る」
「だから、命令を聞かない囚人は殴る?」
「必要ならな」
ドルガンは悪びれない。
「連中は隙を見せれば手を抜く。工具を隠す奴もいれば、石を運ぶふりをして時間を潰す奴もいる。喧嘩だってする。百人近い囚人へ、一人ずつ丁寧にお願いして回れってのか?」
想像していたより筋の通った反論だった。
ただ暴力を楽しんでいるだけの男なら、話はずっと簡単だっただろう。
「グラッド。採石場の成績は?」
「採石量だけなら、黒塔で最も高いです」
「聞いたか」
ドルガンが机を叩く。
「俺が主任になってから採石量は三割近く増えた。北壁だろうが道だろうが、石がなきゃ直せねえ。所長だって毎月その数字を見て、俺へ褒賞を出してただろうが」
「その判断にも問題があった」
ドルガンの眉が動いた。
「……何だと?」
「採った石の量だけ見て褒賞を出した監獄長側にも責任がある。だから、お前一人へ全部押しつける気はない」
「だったら主任へ戻せ」
「それとこれとは別だ」
俺は一枚目の記録を抜き出した。
「バルト・レイン。作業中に肋骨を三本折り、ラッセルから休養を指示された。それでも翌日には採石場へ戻されている」
「命令を拒んだ」
「肋骨を三本折ってたからじゃないのか?」
「歩けてた」
「歩けることと、石を担げることは同じじゃない」
「当時は認められてたんだよ!」
「だから、その判断をした側も含めて調べてる」
続いてヘルム・カーンの記録を置いた。
「最初の減食処分は七日だったな」
「あいつは他人の飯を盗んだ」
「その七日間の途中でパンを隠し持っているのが見つかり、十四日追加されてる」
「反省してねえ証拠だろうが」
「飯を半分にされた人間が食い物を隠したら、さらに飯を減らす。そのやり方だと、いつ終わるんだ?」
「だったら盗みを許せってのか!」
「そんなことは言ってない」
盗みには処分が必要だし、暴れれば力で止める。
だが、処分の結果として人間が衰弱して死ぬところまで続けるのは別の話だ。
「甘いんだよ!」
ドルガンが立ち上がった。
背後の看守たちが動いたが、俺は手で止めた。
「ここは宿じゃねえ! 殺人犯も強盗も反逆者もいる。飯を増やして鞭を減らせば、全員おとなしくなるとでも思ってんのか!」
「思ってない」
即答すると、ドルガンの勢いが止まった。
「昨日入った死刑囚なんて、俺を殺したいと面と向かって言ってる」
「なら締め上げろ!」
「単独房へ入れて、警備を増やした」
「同じじゃねえか」
「違う。危険だから警戒するのと、いつか逆らうかもしれないから先に殴るのは同じじゃない」
ドルガンは黙った。
「暴れたら押さえる。逃げれば止める。武器を持てば取り上げる。必要なら力も使う。ただ、大人しく仕事をしている人間へ、恐怖を覚えさせるためだけに鞭を振るう気はない」
「その甘さで看守が死んだらどうする」
「原因を調べて、やり方を変える」
「俺はそうなる前に押さえてきたんだよ」
「そのやり方で五人死んでいる記録がある。そこは無視できない」
ドルガンは歯を食いしばった。
しばらく睨み合った後、低い声で言う。
「だったら採石場を見てから決めろ」
「どういうことだ?」
「あそこは机の上の数字だけじゃ分からねえ。一日でいいから俺を外して動かしてみろ。石が出なくなる。仕事を押しつけ合う。道具を隠す奴も出るし、看守の命令を聞かねえ奴も出る」
ドルガンが身を乗り出した。
「全部見た上で、それでも俺のやり方が間違いだって言ってみろ」
なるほど。
自分のやり方に自信があるからこその提案らしい。
「分かった。やろう」
「所長?」
グラッドがこちらを見る。
「今日一日、ドルガン抜きで採石場を動かす」
俺はドルガンへ向き直った。
「ただし、お前も現場を見る。武器はなし。看守四人を付ける。それから、囚人へ直接命令するのは禁止だ」
「俺を見物人にする気か」
「自分で見ろと言ったんだろ」
ドルガンの口元が歪んだ。
「上等だ」
◇
採石場で働いている囚人は九十六人。
山肌を削った広い作業場では、鉄槌の音が絶えず響いている。切り出した石を荷車へ積み、坂を上って黒塔側へ運ぶのが基本の流れだった。
ドルガンは作業区域から離れた場所に置き、四人の看守を周囲へ付ける。
囚人へ手を出させないためだけではない。
長年ここで懲罰を繰り返してきた男だ。恨んでいる囚人から襲われる可能性も考えなければならない。
「今日の責任者は?」
「私です」
呼ばれてきたのは副主任のハロルだった。
「ドルガンなしで回せるか?」
ハロルは少し考えてから答えた。
「正直に申し上げれば、不安です」
「それでいい。分からないのに出来ると言われる方が困る」
今日の責任者はハロル。
そこは曖昧にしない。
「変えるのは一つだけだ。仕事を急がせるために殴るな。ただし暴力、逃走、危険行為は必要な範囲で止めろ。工具番号の貸し出しと返却確認は今まで通り続ける」
「承知しました」
「それと北壁の班から、今日だけドニを借りたい。ノエラには俺から話す」
「石工のドニですか」
「ああ。安全管理と指揮はお前がする。ただ、どの石を切れば使えるのかは石工の方が詳しい」
ドルガンが鼻で笑った。
「囚人に採石場を仕切らせるのか」
「仕切るのはハロルだ。ドニには専門家として意見を出させるだけだ」
ほどなくドニがやってきた。
石工として二十五年働き、北壁の調査でもノエラが選んだ男だ。
「今日は採石場を見てもらいたい」
「俺がですか?」
「使える石と使えない石、それから切り方をハロルへ教えてくれ。命令を出すのはハロルだ」
「それならできます」
「頼む」
ドルガンが呆れたように鼻を鳴らした。
「すぐ揉めるぞ」
「それも含めて見る」
そして一時間もしないうちに、本当に揉めた。
◇
「なんで俺が二台続けて押すんだ!」
「昨日お前が休んだからだろ!」
「休んでねえ!」
荷車担当の二人が掴み合いかける。
少し離れたところでドルガンがこちらを見た。
顔に「ほら見ろ」と書いてある。
ハロルが二人の間へ入り、昨日の担当表を確認させた。
「ありません」
看守の返事に、ハロルが眉を寄せる。
「これまでは?」
「主任がその場で決めていました」
ドルガンの采配だけで回っていたらしい。
ハロルは二人を見た。
「昨日について確認できないなら、ここで終わりだ。今日から一台ごとの交代制にする。誰が押したかも残す」
「でもこいつが――」
「まだ続けるなら、二人とも今日は荷車から外す」
二人はしばらく睨み合ったが、結局作業へ戻った。
鞭は使わなかった。
「一件だけだ」
離れた場所からドルガンが言った。
「まだ何も言ってないぞ」
二時間後。
今度は、話だけでは済まない問題が起きた。
一人の囚人が鑿を袖へ隠し、工具確認で見つかると走り出した。
「止まれ!」
ハロルが看守三人を向かわせる。
追いついた一人を囚人が突き飛ばし、袖から鑿を出そうとしたところで、別の看守が警棒で前腕を打った。
鑿が地面へ落ちる。
残る二人が身体を押さえ込み、拘束した。
「作業から外せ。何のために持ち出そうとしたのか調べる。鑿も証拠として保管だ」
ハロルの指示を聞いていたドルガンが、俺を見る。
「結局、力で押さえたじゃねえか」
「当然だろ」
今度はドルガンの方が言葉に詰まった。
「人を刺せる工具を隠し、止められても逃げた。そこまで話し合いだけで解決しろなんて言ってない。必要な時に力を使うのと、普段から恐怖で従わせるのは別だ」
ドルガンは何も返さなかった。
◇
昼までの負傷者はゼロ。
大きな作業停止もない。
ただ、採石量だけを見るとドルガンの主張に分があった。
「昨日の午前は荷車十九台。今日は十六台です」
ハロルが報告する。
ドルガンが鼻で笑った。
「三台減っただろうが」
「ああ」
「これが現実だ。殴らずにのんびりやらせりゃ、石は出ねえ」
数字だけなら、その通りだ。
だが横で聞いていたドニが口を開いた。
「所長。その台数だけで比べるのはやめた方がいいです」
「理由を教えてくれ」
「昨日運んだ石を見てもらえますか」
案内された先には、前日に採った石のうち、まだ北壁や道路補修へ回していない分が積まれていた。
ドニが一つを槌で軽く叩く。
角が簡単に崩れた。
「中に割れがあります。これは壁には使えません」
別の石を示す。
「こっちは形が悪すぎるので、一度割り直さないと積めません」
「こういう石も台数に入っていたのか?」
「はい。採石場では荷車へ載せた時点で一台として数えて、使えるかどうかは運んだ先で選別していました」
俺はドルガンを見る。
「石なんざ上で選べばいいだろ」
「運ぶ前から使えないと分かる石まで、坂の上へ持っていく必要はありません」
ドニはドルガンに喧嘩を売るでもなく、石の割れ目を指した。
「この筋なら切った時点で分かります。こっちは層が斜めなので、壁材には向きません。石工ならここで外します」
「昨日の三十八台で、そのまま使えたのはどのくらいだ?」
「残っている分から見れば、七割少しでしょう。二十七か二十八台くらいだと思います」
「今日採った分は?」
「今のところ、全部そのまま補修へ回せます」
採石場から出た荷車の台数だけなら減っている。
だが、運んだ先で捨てる石まで成果として数えていたなら、比べる数字自体が間違っている。
夕刻まで同じやり方で作業を続けた。
昨日は荷車三十八台。
そのうち、そのまま使えたのは二十八台分ほど。
今日は三十三台。
すべて補修に使える石だった。
さらに、作業中の負傷者はゼロ。囚人同士の揉め事が二件、工具持ち出しが一件あったが、いずれも現場を止めずに処理できた。
「台数は五台減りましたが、使える石は五台分増えています」
ハロルが記録を見ながら言った。
自分でも少し驚いているらしい。
ドルガンはしばらく黙っていた。
「一日だけだ」
「ああ。一日だけだ」
俺は否定しなかった。
「明日になりゃ、連中が調子に乗るかもしれねえ」
「その可能性もある」
「だったら――」
「だから記録を続ける」
採った荷車の台数だけではなく、実際に使えた石の量、負傷者、作業停止時間、工具の紛失も見る。
一日成功しただけで仕組みが完成したとは思わない。
逆に、一日で問題なく回った事実も無視しない。
「俺はどうなる」
「主任職の停止は続ける」
ドルガンの拳が固くなる。
「俺がいなくてもいいって言うのか」
「今日分かったのは、お前が主任でなくても採石場そのものは止まらない、ということだ」
「……」
「ただし、お前が何年もここを見てきた経験まで無価値だとは思ってない」
ドルガンが意外そうに俺を見た。
「クビにしねえのか」
「五人が死んだ経緯もまだ調べ終わってない。今ここで決められるわけがないだろ」
「俺が殺したと決まったわけじゃねえ」
「だから調べてる」
そして、まだ確かめなければならない男が一人いる。
アルヴァンの部下だったルース・バーデンだ。
◇
「ルースが死んだ日のことを聞かせてくれ」
ドルガンの目つきが変わった。
「記録では採石場の落石事故になってる。お前が主任だったな」
「そうだ」
「実際はどうだった?」
ドルガンはしばらく黙った後、低く答えた。
「……大した落石じゃねえ。石が数個落ちたから作業は一度止めた。だが、大崩れじゃなかったし、その場で怪我人も出てねえ」
グラッドが手元の記録へ目を落とす。
「しかし、死亡報告ではルースが落石事故で死亡したことになっています」
「知らねえよ。少なくとも、その落石じゃ死んでねえ」
「事故の後も生きていたのか?」
「ああ。忘れるかよ」
ドルガンが吐き捨てる。
「あいつはその直後、俺に『前から石が緩いと言っただろう』って食ってかかってきやがった。俺も言い返した」
「その後は?」
「夕方まで働いてた。自分の足で歩いてるのも見た」
「作業終了後は誰へ引き渡した?」
「夜勤だ。俺は昼の担当だから、作業が終われば連中を戻して終わりだ」
そこまでなら、少なくともルースは夕刻まで生きていたことになる。
グラッドに当時の帳簿を持ってこさせた。
夜間点呼には、ルース・バーデン――在房。
翌朝も同じ。
翌日の夜も在房。
ところが三日目になって、記載が突然変わっている。
《旧採石場区画にて遺体発見》
「二日間、本人を見ないまま在房扱いにしていたのか?」
グラッドが別の台帳を探し、しばらくして顔を曇らせた。
「当時の夜間点呼は、一人ずつ名前を呼んで確認していません」
「どういう方法だった?」
「房ごとの人数だけです。個人台帳は、異常報告がなければ前日の記載を引き継いでいました」
「それなら、この『在房』は本人を確認した記録じゃないんだな」
「……はい」
「人数が足りなければ気づくだろ」
「当時の南棟は、一房に十五人以上収容されていた時期があります。夜間は格子の外から人数だけを数え、寝ている者もいたため、正確だったとは言えません」
誰かが意図的に書き換えたと決めつけるより厄介だった。
そもそも記録の取り方自体が雑すぎて、二年前の一人の動きを追えない。
「ドルガン」
「何だ」
「ルースを夕方まで見たという話は、正式に残す。後で時間や引き渡しの状況も詳しく聞く」
「好きにしろ」
「それと、明日から採石場には戻ってもらう」
ドルガンが顔を上げた。
「主任へ戻すのか?」
「違う。責任者はハロルのままだ」
「俺があいつの下で働けって?」
「命令権はなし。武器も持たせない。囚人へ直接触るのも禁止だ」
ドルガンの顔が露骨に歪んだ。
「じゃあ何しろってんだ」
「現場を見ろ。崩れそうな場所、危険な石、荷車の扱いでハロルが見落としていることがあれば、まずハロルへ伝えろ。判断して指示を出すのはハロルだ」
「俺の言うことを聞かなかったら?」
「その時はハロルの責任だ。お前は助言した事実を残せ」
「ふざけた扱いしやがって」
「嫌なら主任職の調査が終わるまで待機でもいい」
ドルガンはしばらく黙り込んだ。
採石場へ戻りたい気持ちと、ハロルの下へ付く屈辱を天秤にかけているらしい。
やがて大きく息を吐いた。
「……分かったよ」
切り捨てるだけなら簡単だ。
だが、ドルガンが何年も採石場を見てきた経験まで捨てる必要はない。
命令権と暴力を切り離した上で、それでも役に立つ知識があるのかを見る。
処分の気持ちよさより、黒塔が安全に回ることの方が重要だった。
◇
夜、執務室へ戻ると、机の上に紙の束が積まれていた。
「これは何だ?」
グラッドが少し困った顔をした。
「ドルガンについて聞き取りをしていると知った囚人から、自分の件も調べてほしいという申し出が集まりまして」
「どんな内容だ?」
何枚かめくる。
食事を減らされた。
怪我をしたまま働かされた。
他人の規律違反を押しつけられた。
逆に、自分が盗んだことを認めた上で、処分が重すぎたか確認してほしいというものまである。
「何件来てる?」
「今のところ七十三件です」
思わず紙の束を見直した。
「今日だけで七十三件か」
「はい。それと……まだ終わっておりません」
「どういうことだ?」
グラッドが窓の外を示す。
中庭を覗くと、看守が置いた机の前に囚人が並んでいた。
十人や二十人では済まない。
その後ろにも続いている。
ドルガン一人の過去を調べれば終わる話ではなかったらしい。
黒塔のやり方が変わり始めたと知った囚人たちが、これまで口にしても無駄だと思っていたことを一斉に持ち込んできた。
現在の収容者は八百二十四人。
その全員から話を聞くことになったら、監獄長一人ではどうにもならない。
「受付は止めるな。ただ、明日から仕分ける方法を考えるぞ」
「七十三件すべてを所長が?」
「無理だ。死人や重傷者と、仕事を変えてほしいって相談を同じ順番で処理してたら、黒塔そのものが止まる」
グラッドが頷く。
窓の下では、まだ新しい囚人が列の最後尾へ加わっていた。
鞭を一本取り上げれば終わると思っていたわけじゃない。
それでも、ここまで一気に声が出てくるとは思わなかった。
問題なのは、囚人が訴え始めたことじゃない。
八百人を超える人間を収容しておきながら、今までその訴えを受け止める仕組みが何もなかったことだ。
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