第5話 殺したいなら、まず飯を食え
「処刑される前に、一度だけお前を殺しておきたかった」
鎖につながれた男は、俺の顔を真正面から見てそう言った。
アルヴァン・ギレス、三十八歳。
元王国騎士団第三大隊長。罪状は国王暗殺未遂で、すでに死刑判決まで出ている。
そして俺の記憶が正しければ、九十日あまり先に起きる《黒塔大脱獄》で武器庫を制圧し、散り散りだった囚人たちをまとめ上げる中心人物の一人だ。
「所長!」
グラッドが剣へ手を掛け、周囲の看守も一斉に身構えた。
王都から二十四人を護送してきた兵士たちも反応する。
アルヴァンは両手首だけでなく腰と足首まで鎖でつながれ、大股では歩けないようにされている。それでもこれだけの人間が一言で緊張するのだから、元騎士団大隊長という肩書は伊達ではないらしい。
「武器から手を離せ」
「ですが所長、この男は今――」
「聞こえてたよ」
俺はアルヴァンを見る。
「その鎖、今すぐ切れるか?」
「やってみようか」
「やらなくていい」
冗談に聞こえない。
「今のところ、こいつは口で俺を殺すと言っただけだ。暴れたら押さえる。それまでは普通に受け入れろ」
「殺害を宣言した者を懲罰房へ入れないのですか?」
「脅しだけで懲罰にできる規定は?」
グラッドが少し考え、首を振った。
「ございません」
「なら単独房でいい。危険度は最上位。鎖を外すときは二人で近づくな。四人付けろ」
「承知しました」
以前ならここで揉めていたところだが、グラッドはすぐ看守たちへ指示を出した。
アルヴァンが僅かに目を細める。
「悪徳監獄長と聞いていたが、妙な男だな」
「期待を裏切って悪かったな」
「別に褒めてはいない」
「俺も礼は言ってない」
まずは新入り二十四人の受け入れだ。
受入棟へ移し、一人ずつ名前と書類を照合する。
十九人が男、五人が女。
男囚は男性看守、女囚は女性看守二人に任せ、別室で衣服と身体を確認させた。刃物や薬、金、工具、火を起こせる物などはすべて預かる。
その途中で、若い男がもたついた。
「早く脱げ!」
看守の一人が苛立ち、手にしていた棒を振り上げる。
「やめろ」
俺が声を掛けると、棒が止まった。
「ですが所長、新入りには最初が肝心です」
「抵抗してるのか?」
「いえ」
「逃げようとした?」
「しておりません」
「じゃあ叩く理由がない」
看守は少し不満そうだったが、棒を下ろした。
「言うことを聞かないなら押さえろ。危険なら人数を増やせ。ただ早く服を脱がないって理由で怪我人を作るな」
「承知しました」
若い囚人も何も言わない。
ただ、俺を見る目だけが変わった。
その横でアルヴァンが黙ってこちらを見ていた。
預かった私物は、これまですべて監獄の所有物として処理されていたらしい。
金も、装飾品も、手紙もだ。
「これからは本人ごとに分けて記録しろ」
俺が言うと、グラッドがすでに記録係へ紙を用意させていた。
「出所時に返還できる物と、返還できない危険物を分けます。封をして保管庫へ入れましょう」
「それで頼む」
「金については?」
「監獄内には持ち込ませない。出るときまで預かる」
「分かりました」
いちいち「本当にいいのですか」と聞かれなくなっただけで、仕事が随分早い。
受け入れ書類にも問題があった。
一年の窃盗刑。
三年の傷害刑。
無期刑。
死刑囚。
今までは空いた房へ順番に押し込んでいたという。
「アルヴァンみたいなのも?」
「空きがなければ、他の囚人と同房です」
「寝てる間に俺が殺されるぞ」
横からアルヴァンが口を挟んだ。
「お前が?」
「騎士団に長くいれば敵も作る。俺を殺せば喜ぶ者は王都にも多い」
「だったら最初に言え」
「親切に教える義理があるか?」
「ないな」
面倒な男だ。
だが危険人物を軽犯罪者と同じ房へ放り込む方がもっと面倒になる。
「今回から分ける。刑期だけじゃなく、暴力歴、脱獄歴、他の囚人から狙われる可能性も見る。アルヴァンは単独房だ」
「既存の囚人も見直しますか?」
グラッドが尋ねる。
「いずれな。八百人を一度に動かしたら逆に混乱する。まず新入りで運用して問題を見よう」
「承知しました」
次は健康状態の確認だった。
ラッセルが受入棟へ来る。
「一人ずつ診ます」
護送隊を率いていた隊長も頷いた。
「助かる。こちらでも出発前には確認したが、六日の移送だ。途中で具合を崩した者がいるかもしれん」
まともな人間もいるらしい。
その隣にいた若い兵士が、
「全員歩いてきたので、大事はないと思いますが」
と言うと、隊長がすぐに振り返った。
「歩けることと健康なことは違う。口を挟むな」
「申し訳ありません」
世界全体が囚人を人間扱いしていないわけでもないらしい。
そこは少し安心した。
五人目で、ラッセルの手が止まった。
二十歳そこそこの女囚だ。
「熱があります」
「いつからだ?」
「昨日……くらいです」
咳も出ている。
「他の囚人と分けたいです」
ラッセルが言う。
「南棟の臨時療養室は?」
「第三井戸の件の患者がまだおります。同じ部屋へ入れたくありません」
「受入棟の旧記録室を使えます」
グラッドがすぐ答えた。
「狭いですが、一人なら問題ありません。寝具も余りがあります」
「じゃあそこへ」
続けて診ると、二十四人のうち七人に何らかの処置が必要だった。
熱が一人。
酷い靴擦れが三人。
肩を痛めている者が一人。
古傷が化膿しかけている者が二人。
「全員歩けるから問題なし、ではなかったな」
若い護送兵が気まずそうにしている。
隊長は七人の状態を自分でも確認し、ラッセルへ頭を下げた。
「こちらで見落とした。すまない」
「移送中は人数も多かったでしょう。後はこちらで診ます」
ラッセルも普通に応じる。
これでいい。
誰かを馬鹿にしなければ主人公が有能に見えない、なんてことはない。
昼を過ぎ、ようやく受け入れ作業が終わった。
新入りへ最初の食事を配る。
豆と芋の入った麦粥に、小さな干し肉。
豪華ではない。
それでも新入りたちは器を見て、妙な顔をした。
「これが俺たちの飯か?」
「そうだ」
「看守の残り物じゃなく?」
「最初から囚人用に作ってる」
一人が恐る恐る匙を入れる。
周囲も食べ始めた。
その中で、アルヴァンだけが俺を見ていた。
「食わせて飼い慣らすつもりか」
「いらないなら下げるぞ」
「そういう意味ではない」
「じゃあ食え。死刑の日まで何日あるか知らんが、途中で餓死されたらこっちが困る」
「俺は死刑囚だぞ」
「だから?」
「どうせ殺す人間へ飯を使うのか」
「刑を執行するのは俺じゃない。ここへ預けられている間、生かして管理するのが俺の仕事だ」
アルヴァンが匙を止めた。
「以前のお前なら、そんなことは言わなかっただろうな」
「俺を知ってるみたいな言い方だな」
「知っている」
さっきまでの皮肉が消えた。
「俺の部下が三人、ここへ送られた。二年前だ」
俺はグラッドを見る。
「記録を」
アルヴァンが三人の名前を告げる。
古い収監台帳を調べさせると、確かに全員いた。
「二人死亡。一人も……死亡扱いか」
「採石場で行方不明となり、三日後に遺体を発見しております」
グラッドが記録を読み上げる。
「落石事故、と」
「事故ではない」
アルヴァンが言った。
「どうして分かる」
「三人は俺の命令に従った。それで王都の一部に睨まれ、俺より先に切り捨てられた」
「何を命じた」
「今のお前に話す気はない」
二年前に部下だけが収監され、アルヴァン本人は今まで騎士団に残っていた。
その理由は気になる。
だが、こいつが話したくないなら今ここで聞き出すのは無理だ。
「三人はどうなった」
俺が尋ねると、アルヴァンは器を机へ置いた。
「一人は肋骨を折られた。それでも採石場へ出され、十二日で死んだ」
声は低い。
「二人目は懲罰で食事を減らされ、冬に衰弱死した。最後の一人は落石事故と記録されたそうだ」
「誰が命じた?」
「監獄長だ」
アルヴァンが俺を見る。
「ディルク・ハーゼン。お前だ」
受入棟が静かになった。
俺には、その記憶がない。
だがアルヴァンにとって、そんなことは知ったことではない。
目の前にいるのは同じ顔、同じ名前、同じ監獄長だ。
「そうか」
「それだけか?」
「今の話だけで何を言えばいい」
「言い訳でもしろ」
「記録を調べる」
アルヴァンの顔が険しくなった。
「死んだ人間が戻るとでも?」
「戻らない」
「なら何の意味がある」
「同じことが起きる原因を残さないためだ」
「随分と立派になったものだな」
「お前に許してもらうために調べるんじゃない」
アルヴァンが黙った。
「謝ったら三人が生き返るわけでもないし、飯を少し良くしたからお前の恨みが消えるとも思ってない。俺を殺したいなら、好きに恨め」
「所長」
グラッドが心配そうに俺を見る。
「ただし実際に殺しに来たら止める。お前が他の囚人を巻き込むなら、もっと厳しく止める」
「待遇を良くしておいて、従わなければ力で押さえるのか?」
「当たり前だろ」
アルヴァンの眉が僅かに動いた。
「飯を食わせることと、暴れていいことは別だ。意味もなく殴らせる気はないが、監獄の中で好き勝手させる気もない」
しばらく睨み合った。
やがてアルヴァンが匙を取る。
一口、麦粥を食べた。
「……不味くはない」
「厨房に伝えておく」
「褒めてはいない」
「じゃあ伝えない」
口元がほんの少し動いた。
それだけだった。
恨みは消えていない。
俺を信用した様子もない。
それでいい。
一度まともな飯を出した程度で、二年前に死んだ仲間への恨みまで消える方がおかしい。
食事が終わると、アルヴァンを単独房へ移した。
俺はそのままグラッドへ三人分の記録を集めさせた。
作業記録。
医務記録。
懲罰記録。
死亡時の報告書。
残っているものは全部だ。
「アルヴァンの話を信じるのですか?」
「信じるかどうかは後だ。記録で確かめる」
翌朝。
三人分の記録を机へ並べて、俺は眉を寄せた。
一人目。
作業中に肋骨三本を骨折。
ラッセルが休養を申請したにもかかわらず、翌日から採石作業へ復帰。
十二日後、高熱を出して死亡。
二人目。
規律違反により食事を半量へ減らす懲罰。
期間二十一日。
真冬だった。
十五日目に発熱。
二十一日目に死亡。
三人目。
懲罰房を出た翌日、採石場で落石に巻き込まれたと記録されている。
「グラッド」
「はい」
「この頃の懲罰はどう決めていた?」
「主任看守から申請が上がり、監獄長が最終的に認める形でした」
俺は紙の下にある署名を見た。
三件とも同じ名前だった。
ドルガン・メイス。
「こいつは?」
「採石場の主任看守です。現在も勤務しております」
「三人ともドルガンの担当だった?」
「はい」
嫌な感じがした。
「他の申請も出せるか」
「すぐに」
過去三年分の記録を集める。
ドルガンが申請した懲罰は四十七件。
それ自体が多いのかどうかは、比較しなければ分からない。
「他の主任は?」
さらに記録を並べる。
多い者でも二十件前後。
ドルガンだけ明らかに突出していた。
しかも、四十七件のうち重傷者が九人。
死亡者が五人。
「……多いな」
グラッドの声も低くなる。
「懲罰の理由は?」
「命令違反、反抗、作業怠慢……ただ、かなり曖昧な記載もあります」
全部がドルガンのせいとは限らない。
前のディルクが承認している。
看守より囚人の方が圧倒的に多い場所で、厳しい対応が必要な場面もあっただろう。
数字だけを見て、こいつが五人殺したと決めつける気もない。
ただし。
「一度、採石場の主任から外す」
「処分なさるのですか?」
「まだ処分じゃない。調べている間だけだ。本人が指揮したままじゃ、部下も囚人も話しにくい」
グラッドが頷いた。
「ドルガンの武器を預かれ。主任職を一時停止すると伝えて、ここへ呼べ」
「一人で?」
「いや。看守を四人付けろ」
「抵抗する可能性を?」
「五人死んでる記録を持ってる男に、『ちょっと話そう』で済ませるほど楽観的じゃない」
「承知しました」
グラッドが部屋を出る。
俺は改めて三人の記録を見た。
北壁が崩れたから、大脱獄が起きるのではない。
壁が崩れるよりずっと前から、この監獄には逃げたい理由と、恨む理由が一人分ずつ積み上がっていた。
それを放置した結果が、俺の知っている未来なのかもしれない。
しばらくして。
廊下の向こうから怒鳴り声が響いた。
「俺を採石場から外すだと!? 誰のおかげで八百人の囚人どもを押さえ込めてると思ってやがる!」
数人の看守に囲まれた大柄な男が、こちらへ歩いてくる。
腰の剣も、警棒も外されていた。
それでも誰より物騒に見える。
ドルガン・メイス。
どうやらこいつにも、こいつなりの言い分があるらしい。




