第57話 門を出ない仕事
小銅貨五枚を受け取った翌朝、木工場では、金にならない寝台の修理が止まっていた。
折れた脚を外した寝台の脇で、囚人の一人が鉋を握ったまま、開け放した扉の向こうを見ている。中庭では外仕事へ向かう者たちが列を作り、看守が一人ずつ手枷を確かめていた。
「向こうは今日も五枚で、こっちは寝台を直して終わりか」
男は俺に気づいても、言葉を引っ込めなかった。削り屑の積もった床へ目を落とし、鉋を台に置く。
「寝台が要るのは分かってます。ただ、昨日までは同じ飯で働いていた連中が、急に金を持つんでね。こっちで手を動かしているのが馬鹿みたいに思えてくる」
奥では、ベン・ローダーが腰掛けたまま継ぎ材を選んでいた。右脚を楽に置けるよう、足元には低い台がある。ラッセルが認めたのは、途中で休みを挟む短時間の座り仕事までだった。
ベンは材を膝から作業台へ戻し、男の外した寝台の脚を見た。
「それを途中で放っておくと、今晩、誰かが床で寝る。文句を言うなら、せめて接ぎ目を合わせてからにしてくれ」
「あんたは平気なのか。これだけ作れても、門を出られなきゃ一枚も入らないんだぞ」
「平気だとは言ってないだろう。脚がこんな具合で、外へ連れていけと言うわけにもいかん」
男は口を曲げたものの、再び鉋を手に取った。刃が木肌を滑る音が戻り、薄い削り屑が靴先へ落ちる。
俺がここへ来たのは、グラッドから修理の遅れを聞いたためだ。昨日の賃金が、もう仕事場の空気を変えている。
「外の仕事には、商人が払う金がある。ここの寝台には、今のところ同じ金を付ける用意がない。今日から全員に払うとは約束できん」
「用意ができるまで待て、ということですか」
「いつできるかも決まっていない。そこを曖昧にして待たせるつもりはない。ただ、木工を外へ売れるかは、実際の品を見てもらう」
ベンの手が止まった。
「監獄長。売る品を決める前に、こっちにも話を通してください。椅子でも箱でも、何でも同じように作れるわけじゃありません」
「だから来た。まだ引き受けてはいない」
背後から荷車の軋む音が近づき、グラッドが戸口に姿を見せた。
「ロフタ氏の荷物です。門で中身を調べましたが、作業場へ入れる前に、もう一度こちらで確認します」
荷車には、空の木箱が四つ載っていた。
*
ハイン・ロフタが箱の修理を持ちかけたのは、朝の外仕事の人数を確認しに来たときだった。
倉庫建設の方は続いている。その資材運搬に使う箱が傷んでおり、黒塔にも木工場があると聞いて、ついでに直せないかという相談だった。
俺から尋ねた内仕事の可能性に、ちょうど手近な困り事が重なった形だ。
ただし、ついでという言葉に反して、箱の傷みは軽くなかった。
ベンは一つ目の底を指で押し、二つ目の角を握って揺すった。乾いた木の匂いに、外から運び込まれた土の臭いが交じる。箱を裏返した看守が、板の隙間から古い釘を一本見つけ、受け皿へ取り除いた。
「この二つなら、底板と隅の当て木を替えれば使えます。残りは、直すより作り直した方がいい」
ハインは傷んだ箱へ屈み込み、割れ目を覗いた。
「底が抜けなければ十分です。見栄えは要りません。釘を増やして押さえれば、しばらくは持つでしょう」
「持ち手の下まで裂けています。底を丈夫にしても、持ち上げたところで横が外れますよ」
「中へ入れるのは金具です。蓋も付けずに使いますし、そこまで手を掛ける品では……」
ベンが、裂けた板の端をずらした。
わずかな力で隙間が開き、ハインの言葉が途切れる。中に金具を詰めて運べば、足へ落ちるかもしれない。
「俺は箱を直せますが、腐った木を新しい木にはできません。これを使うと言うなら、直した二つと混ぜないでください」
囚人が注文に難色を示すとは思わなかったのか、ハインは一度俺を見た。
俺が黙っていると、彼は膝についた土を払い、立ち上がった。
「では、直せる二つだけお願いします。替えの板はこちらで持ってきています。足りるか見てもらえますか」
ベンはすぐには頷かず、俺へ顔を向けた。
「先に、金の話を聞かせてください。直してから、黒塔の仕事だから払わないと言われるのは困る」
鉋の音が止まった。さっきまで寝台に向かっていた男も、手を休めてこちらを見ている。
以前のディルクなら、その言い方だけで殴らせただろう。俺自身、誰に向かってそんな口を、と腹を立てる看守がいないか、戸口へ目をやった。
荷物を調べていた看守は、箱から外した釘を数えていた。グラッドも口を挟まず、手元の紙をハインへ向ける。
「修理内容と対価を、ここで決めます。黒塔の修理とは別に扱いますので」
ハインは紙を受け取り、少し考えてから言った。
「二箱で、作業をする二人へ小銅貨二枚ずつ。材は私が出します。それでどうでしょう」
「半日を越える仕事には見えません。ただ、寝台を放ってこちらを先にやるなら、俺は引き受けませんよ」
ベンの返事に、ハインが眉を上げた。
「金が入る方を、先にするのでは?」
「寝る場所が減れば、同じ房の連中に恨まれます。あんたは箱を持って帰れますが、俺たちはここで寝るんです」
横でグラッドが咳払いをした。笑いを抑えたようにも聞こえたが、その顔は真面目だった。
「寝台は午前中に仕上がる予定でした。修理を待っている棚もあります。追加の仕事を入れられるのは、そちらの予定を確認してからです」
俺は作業台の上を見た。木箱の修理を始める場所まで、監獄内の補修品が並んでいる。
受注を増やせば囚人が喜ぶ、などと簡単に考えると、黒塔の日常が先に止まる。
「ハイン、二箱は明日の引き渡しで構わないか。それでよければ、内部の修理を済ませた後の時間で受ける。今日中を求められるなら、断る」
「明日なら間に合います。そもそも四つ直せると思っていたので、残りの手配も要りますから」
ハインはしばらく紙へ目を落としてから、二箱と書き直した。
作業に入るのはベンと、先ほど不満を口にした男になった。二人とも内容と取り分を聞いた上で引き受けたが、ベンが休む必要が出れば納期を相談する。その点も、商人がいる場で確かめた。
わずか小銅貨四枚の仕事にしては、ずいぶん時間がかかった。
*
午後、寝台は収容棟へ戻され、木工場では二つの箱の底が外されていた。
俺が様子を見に行くと、ベンは座ったまま板の端を削っていた。もう一人の男が箱を押さえ、看守が受け皿の釘と、取り外した板を見比べている。
「古い釘が一本折れています。先が、この板に残っていました」
看守は板を掲げてベンに確かめさせた後、他の廃材と分けた。
「これを抜いてから、まとめて返却を確認します。割った板も全部ここへ置いてください」
工具だけ数えて終わりにせず、持ち込まれた物がどう変わったかまで追っている。外から物を入れる以上、必要になる手間だった。
その看守に呼び止められ、俺は戸口の外へ寄った。
「監獄長、この二人のために閉場を遅らせることは、ありませんよね。私の後に入る者は、収容棟の勤務です」
「いつもの時間で閉めろ。終わらなければ、明日の作業時間に回す」
「承知しました。そこの板を切れば、今日は片づけまで済むそうです」
彼は自分で二人に聞いた上で、確認に来ていた。
金が付く仕事が増えても、看守を際限なく残せるわけではない。商人へ請求する実費にも、こうした時間を含めて考える必要がある。
見回りを終えて収容棟へ向かう途中、ギル・ダーナに声を掛けられた。
看守の前で立ち止まったギルは、木工場の方を顎で示した。
「中にいても、稼げる仕事ができたと聞きました。あれなら俺も回してもらえるんですか。外へ出すわけじゃないでしょう」
「木工の経験はあるのか」
「荷箱を運んだことならあります。板を押さえるくらいはできますよ」
荷袋に潜って出ようとした男が荷箱の仕事を欲しがる。口には出さなかったが、ギルにも俺の顔で察しがついたらしい。
「箱へ入る仕事をくれとは言ってません」
「そこまで疑ってはいない。ただ、二人で済む仕事に、金を分けるためだけの人手は付けられん」
ギルは不服そうに鼻から息を出した。少し離れたところでは、洗濯物を運ぶ囚人が、こちらの様子を窺いながら歩いている。
「外は駄目、中も腕が要る。俺ができることで金になる仕事なんか、いつ来るか分からないじゃないですか」
「今は分からん。お前の外仕事の禁止については、グラッドと記録を確認する。お前にも話を聞くが、そこで必ず解除するとは言えない」
「報告したことは、ちゃんと入れてくださいよ。あの煙の話まで、なかったことにされたらたまらない」
「その後の行動も含めて見る。以前の逃走未遂も、消えるわけではない」
ギルは唇を結び、一度、窓の鉄格子へ目を向けた。
「……昔のことだけで決められるなら、話を聞かれるだけ無駄ですからね」
「それだけで決めるつもりなら、聞き直しはしない」
納得した顔にはならなかったが、ギルは看守に促されて歩き出した。すれ違いざま、洗濯物の男が小声で何かを言い、ギルが肩をすくめる。
外へ出る者が増えれば、出られない者は出口を探す。仕事へ回せと求めるうちはまだいいが、その不満がいつまでも言葉で済む保証はなかった。
*
翌日、ハインは修理した箱へ、持参した金具の袋を入れた。
ベンは立ち上がろうとせず、椅子から持ち上げる位置を伝える。荷を抱えたハインが両方の持ち手へ力を掛けると、新しい底板が低く鳴った。
箱を下ろし、彼は内側の角を指でなぞった。
「ここも削ってあるんですね。前は袋が引っ掛かって、破れることがありました」
「釘の頭も出ていましたから、打ち直しました。次に板が浮いたら、荷を減らして持たせようとせず、空にして確かめてください」
ハインはもう一つも持ち上げてから、グラッドへ頷いた。
小銅貨四枚が卓上に置かれた。別に支払われる黒塔側の費用を確かめている間、二人の囚人は、その四枚から目を離さなかった。
本人へ渡るのは受領票だ。銭は名前ごとに分けて保管するが、グラッドは袋へ収める前に、二枚ずつをそれぞれの前へ置いて見せた。
「ベン・ローダー、二枚。こちらの金額で間違いないか」
ベンは返事をしかけて、隣の男を見た。
「俺が休んでいる間、こいつが釘を打ってくれた。取り分は、本当に同じでいいのか」
「寸法を間違えて切りかけた板、誰が止めたと思ってるんだ。決めた通りでいい。後から変えられる方が困る」
男は受領票を取り、まだ乾いていない字を指で避けながら持った。昨日、鉋を置いていた手だった。
ハインが荷車へ箱を積ませる間に、俺は次の依頼について尋ねた。
「同じような修理が、他にもあるのか」
「あります。ただ、全部ここへ頼めるとは思っていません。運ぶ手間もありますし、急ぎなら町の職人に出します」
「その方がいい。こちらも、毎日二人を空けられるわけではない」
「それでも、捨てるつもりだった物が使えるなら助かります。まず、私のところの箱を数えてみますよ」
注文の山が押し寄せたわけでも、全員に賃金を払える見込みが立ったわけでもなかった。それでも、門を出ずに受けた仕事へ、商人が確かに金を払った。
荷車が遠ざかると、ベンは作業台に残った受領票をもう一度見た。
「監獄長。次を受けるときも、直す前に見せてください。今日みたいな箱ばかり持ってこられたら、半分は断ることになる」
「断る分まで見てくれるなら、十分助かる」
ベンは小さく笑い、椅子の脇へ手をついた。看守が歩み寄り、右脚へ無理を掛けないよう立ち上がるのを待つ。
「今日は、もう休ませてもらいます。金をもらった途端に寝台へ戻ったら、あいつに文句を言われそうだが」
「明日の仕事まで潰して働くな。そちらの方が困る」
男はまだ受領票を眺めていたが、ベンが通る場所に置かれた板を、黙って脇へ寄せた。
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