第56話 囚人の働き賃を、監獄長が取るな
村から貰った銅貨を二十八人分の保管袋へ入れた翌日、今度は商人が金袋を持って黒塔へ来た。
「二十人。できれば二十五人、お借りしたい」
応接用の机へ置かれた革袋が、じゃらりと重い音を立てる。
男の名はハイン・ロフタ。
近隣で倉庫と運送業を営み、堤の応急補修にも荷車を出していた商人だ。
「囚人を?」
「ええ。川で働いていた方々を見ました。余計な揉め事も起こさず、指示どおり働く。あれなら使える」
褒めているのだろうが、品物を見るような口調だった。
「何をさせるつもりだ」
「西街道沿いに新しい倉庫を建てています。基礎へ入れる石と土を運ぶ仕事です。難しい作業は職人がやりますから、囚人には運搬だけお願いしたい」
「期間は?」
「十日ほど」
「作業時間」
「朝から夕方まで。昼食はこちらで出します」
「警備は?」
ハインが少し笑った。
「もちろん黒塔からお願いします」
「報酬は?」
待っていたらしい。
革袋をこちらへ押す。
「一人一日、小銅貨四枚」
グラッドが横で眉を僅かに動かした。
「誰に四枚です」
「黒塔へ、ですが」
「働く本人ではなく?」
ハインは今度こそ怪訝な顔をした。
「囚人ですよ?」
最近、この言葉をよく聞く。
「知っている」
「食事も寝床も黒塔持ちでしょう。こちらは昼食まで用意する。小銅貨四枚を一日二十人、十日なら八百枚。かなり良い条件だと思いますが」
「自由労働者なら、いくら払う」
男の笑みが薄くなった。
「仕事によります」
「今回の運搬仕事なら」
「……六枚ほどです」
「昼食は?」
「付きます」
革袋を指で押し戻した。
「では、話はそこからだな」
◇
「待ってください」
ハインが身を乗り出した。
「自由労働者と同じ金額を囚人へ払え、と?」
「まだそこまでは言っていない」
「では?」
「まず確認している」
机の上に、今回の外部作業に関する規則をグラッドが置いた。
公共災害時の労役とは違う。
川の堤は、村と街道を守るための公的な応急作業だった。
今度は民間商人の倉庫だ。
ハインが利益を得る。
「私的な請負へ囚人を出すこと自体は可能です」
グラッドが規則の一節を示す。
「ただし地区役所の承認と監獄長の許可が必要です。対価については、収容施設の運営費へ充てることができる、とあります」
「でしょう?」
ハインが俺を見る。
「つまり、私が黒塔へ支払えば問題ない」
「問題がない、とまでは書いていない」
「何が違うんです」
「『充てることができる』としか書いていない。全部取れとは書いていない」
ハインが言葉を失った。
グラッドも規則へ目を落とす。
俺も昨日まで、この一文を細かく考えたことはなかった。
昔のディルクなら、おそらく全部監獄へ入れただろう。
本当に監獄へ入ったか、途中でどこかへ消えたかまでは知らないが。
「少し時間をくれ」
「今日決めていただけない?」
「二十人を十日出す話だ。今ここで金袋を受け取って決める方が怖い」
ハインは不満そうだったが、立ち上がった。
「明日、また来ます」
「それまでに条件を出す」
◇
ガイラスへ数字を見せた。
「今度は商売ですか」
「俺が始めたわけじゃない」
「監獄長のところへ仕事が持ち込まれるようになった時点で、大した変化でしょう」
元王国軍兵站総監は、革袋ではなく俺が書いた数字だけを見る。
候補二十人。
外部作業十日。
片道一刻弱。
看守六人を想定。
昼食は請負側。
朝夕は黒塔。
ハインの提示額、一人一日小銅貨四枚。
自由労働者は六枚と昼食。
「安いですね」
「やはりそうか」
「囚人だから、でしょう」
ガイラスが紙へ指を置く。
「ただし、黒塔側にも費用があります。護送看守六人を十日拘束する。その時間、別の勤務を組み替える必要がある。行き帰りの荷車を使うなら、その分もあります」
「歩かせれば?」
「働く前後に二刻歩かせて、作業効率を落としたいなら」
「嫌だな」
「でしょう」
ガイラスが数字を書き足した。
「それに、外へ二十人出せば黒塔内の作業から二十人抜けます。誰でもいいわけではありません」
「採石場や清掃から抜きすぎれば、こっちが止まる」
「ええ」
しばらく計算してから、こちらへ紙を戻す。
「小銅貨四枚を全額黒塔へ入れても、思ったほど儲かりません」
「では、やめるか」
「それは別です」
ガイラスが椅子へ背を預ける。
「外で安全に働ける者へ仕事の選択肢が増える。黒塔の中で使わない技能を確認する機会にもなる。商人側との関係もできます」
「利益は金だけじゃない?」
「兵站屋にそういう台詞を言わせないでください。金も取るんです」
「安心した」
◇
問題は、いくら取って誰へ渡すかだった。
グラッドと三人で規則を広げる。
「公共労役は刑の一部として扱われています」
グラッドが言う。
「堤の応急作業はこれに入ります。だから賃金規定はない」
「村から貰った銅貨は、賃金ではなく任意の贈り物」
「はい」
「今度は民間の利益のために働かせる」
ガイラスが頷く。
「そこを同じにすると、監獄側が囚人を安い労働力として外へ売り始めます」
嫌なほど分かりやすい。
「一人出せば監獄が儲かるなら、もっと出したくなる」
「そのうち内部の必要人数まで削り始めるでしょう」
「怪我していても出す」
「昔の採石場と大差なくなりますね」
それは避けたい。
「では、黒塔は実費だけ取る」
グラッドが顔を上げる。
「警備と輸送?」
「ああ。それ以上の労働対価は本人名義へ入れる」
「自由労働者と同額?」
そこは悩んだ。
ガイラスが先に答えた。
「同額にする必要はないでしょう」
「理由は?」
「市場条件が違います。自由労働者は自分で仕事を選び、雇い主も個別に雇う。こちらは二十人をまとめて安定供給する代わりに、警備上の制限もある」
「では?」
「監獄が勝手に決めるより、契約価格を分ければいい」
紙へ二本線を引く。
「労働対価と警備・輸送費を最初から別項目にする。労働対価は本人へ。黒塔は警備費だけを受け取る」
「それなら監獄が囚人を多く出すほど儲かる構造にはなりにくい」
「警備費で利益を出そうとしなければ、ですが」
「そこは実費にする」
グラッドが頷いた。
「分かりやすいですね」
俺もそう思う。
◇
翌日、ハインへ条件を出した。
「一人一日、労働対価として小銅貨五枚」
「五枚?」
「自由労働者より一枚安い」
「それでも昨日より高い」
「昨日の四枚は黒塔へ払うつもりだっただろう」
「はい」
「そこへ警備費を別で付けてもらう」
ハインの顔が固まった。
「高くなってるじゃないですか」
「当然だ。看守六人を無料で貸すつもりはない」
「では囚人を使う意味がない」
「なら自由労働者を雇えばいい」
沈黙。
これで帰るなら、それまでだ。
「……今、二十人集めるのが難しいんです」
「だから黒塔へ来た?」
「ええ。収穫期と重なっています。日雇いを集めても、翌日同じ人数が来る保証もない」
「黒塔なら、契約した人数を毎朝出せる」
「医務や規律上の問題がなければ、ですよね」
昨日よりこちらの仕組みを理解している。
「そうだ」
「五枚は全部、本人へ?」
「黒塔で保管する。出所まで持ち歩かせない。本人名義で記録する」
「監獄には?」
「警備・輸送の実費だけ」
ハインは椅子へ座り直した。
「四枚では?」
「駄目だ」
「自由労働者より二枚安い」
「囚人だから半値でいいというところから始めた人間の提案としては進歩したな」
「商売ですから」
「こっちも運営だ」
しばらく交渉した。
最終的に、小銅貨五枚。
昼食はハイン側。
飲料水も現地で安全なものを用意する。
警備と往復用荷車の費用は別払い。
二十人を上限とし、実際の人数は毎朝黒塔側が決める。
ハイン側に選択権はない。
「力のある男を優先してほしいんですが」
「希望は聞く。名指しは認めない」
「なぜです」
「特定の囚人を外へ出すために金を積まれても困る」
ハインが一瞬黙った。
「そんなこと、考えてませんよ」
「今のお前が考えているかどうかの話じゃない」
「……分かりました」
◇
次は囚人側だった。
条件に合う候補を三十二人まで絞った。
医務上問題なし。
最近の逃亡企図なし。
外部作業禁止中でもない。
現在の持ち場から一時的に抜いても黒塔内の仕事が止まらない。
その三十二人だけを食堂脇の広間へ集めた。
「今回は公共労役ではない」
最初に伝える。
「民間商人の倉庫工事だ。十日間の予定。行く者には、一日小銅貨五枚を本人名義で保管する」
空気が変わった。
「五枚?」
「毎日?」
「十日なら五十枚?」
声が重なる。
グラッドが手を上げた。
「静かに聞け」
ざわめきが落ちる。
「全員は出さない。一日最大二十人だ」
一人がすぐ尋ねた。
「どうやって決めるんです」
「必要な作業と、現在の配置、医務、保安記録を見て決める」
「希望したら?」
「候補には入れる。ただし希望したから出られるわけではない」
「行きたくないって言ったら?」
そこは決めていた。
「今回は別の仕事を続けてもらう」
何人かが意外そうな顔をした。
「強制じゃない?」
「民間の倉庫を建てるために、嫌がる人間まで外へ出す必要はない」
「じゃあ行きたいです」
早い。
別の男も手を上げる。
「俺も」
さらに数人。
結局、三十二人のうち二十七人が希望した。
「金って偉いな」
後ろでグラッドが小さく呟いた。
「聞こえてるぞ」
「事実でしょう」
◇
ギルも候補には入っていなかった。
外部作業禁止がまだ続いているからだ。
夕食時、案の定こちらを呼び止めた。
「監獄長」
「何だ」
「一日五枚って本当ですか」
「本当だ」
「俺は?」
「対象外だ」
頭を抱える。
「まだ駄目なんですか」
「前に荷袋へ潜った件で、外部作業から外している」
「いつまで?」
「期限を確認して、改めて判断する」
「五十枚ですよ」
「十日全部選ばれればな」
「逃げませんって」
「その台詞で外へ出せるなら、監獄は楽だな」
ギルが恨めしそうに俺を見る。
「今の俺でも?」
そこは少し考えた。
火災時の穴を報告した。
脱獄計画も持ってきた。
報復を受けても、配置変更を求めず働いている。
昔の逃亡未遂だけを永遠に固定するのも違う。
「外部作業禁止をいつ見直すか、記録を確認する」
「本当ですか」
「ああ。ただし今回に間に合うとは約束しない」
「そこを何とか」
「ならない」
ギルが肩を落とす。
「金が掛かると必死だな」
「外に出た時、銅貨二枚しかないより五十枚ある方がいいでしょう」
返事が止まった。
村から貰った二枚を見て、こいつも考えるところがあったらしい。
「まあ、そうだな」
「だから逃げずに積め」
「最近そればっかり言われてる気がする」
「必要だからだ」
◇
翌朝、最初の二十人が正門前へ並んだ。
公共労役の時と同じように名前を確認する。
ただし、今回は一つ違う。
本人名義の労働記録表がある。
出門。
現地到着。
作業開始。
終了。
帰還。
実際に働いた日だけ、小銅貨五枚を計上する。
途中で医務判断により戻れば、働いた時間に応じて扱う。
「半日なら?」
一人が尋ねた。
「半額にするかどうかは契約に書いてある」
グラッドが答える。
「半日以上なら三枚。それ未満なら実働分を確認する」
「細かいな」
「お前の金だろう」
「そう言われると大事ですね」
「だろう」
男は急に真面目な顔で自分の名前を確認した。
門が開く。
冷たい朝の空気が入ってくる。
二十人が看守とともに街道へ出ていった。
今回は村を守るためではない。
商人の倉庫を建て、商人が儲けるための仕事だ。
だから働いた分は、その人間のものとして残す。
黒塔の収入を増やすために囚人を外へ売るつもりはなかった。
◇
夕方。
二十人は全員戻った。
怪我人なし。
逃亡なし。
作業時間も契約どおり。
グラッドが机の上へ二十枚の記録を並べる。
「全員、一日分です」
「小銅貨五枚ずつ」
「はい。百枚」
ハイン側から受け取った金を、保管担当と二人で数える。
警備・輸送費は別袋。
混ぜない。
一人目の保管記録へ五枚。
二人目へ五枚。
順番に処理していく。
昨日、村から貰った二枚と合わせて七枚になった者もいる。
今回初めて金を持つ者もいる。
「監獄長」
グラッドが書きながら言った。
「これが続けば、出所時にそれなりの額を持つ者も出ますね」
「そうなるな」
「悪いことではありませんが、今までとは違う問題も出そうです」
「何を考えている」
「金を持っている者と持っていない者です」
そこだった。
外部作業へ出られる者。
出られない者。
危険だから外へ出せない者。
医務上無理な者。
刑期が短い者。
長い者。
全員同じにはならない。
「だから、外仕事だけを金の稼げる仕事に固定しない方がいいかもしれない」
グラッドが手を止める。
「監獄内作業にも?」
「民間から受注する仕事があるならな」
木工。
洗濯。
修理。
今までは黒塔のためにやっていた。
外から仕事を受ければ、別の形が作れるかもしれない。
「また仕事が増えそうですね」
「俺も今思った」
「撤回しますか」
「検討だけしておく」
グラッドが笑った。
最後の五枚を袋へ入れる。
袋には囚人の名前。
黒塔の名前ではない。
働いた男の名前だった。
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