第54話 川岸へ降りるなら、縄を付けろ
二日目の外部作業には、二十八人を出した。
現地側で鋤が六本増えたため、昨夜ガイラスへ数字を見せ直した結果だ。
「四人追加までなら働かせる場所があります。それ以上は運搬側が詰まります」
そう言われたので、役所が求めた人数へ無理に合わせることはしなかった。
朝、正門前へ並んだ二十八人は、昨日と同じように一人ずつ名前を確認する。
看守は六人。
現地側も、約束どおり街道側の出入口へ人を置く。
往路では手枷を付け、現場へ着いて作業区域を確認してから外す。
水も黒塔から樽で持たせた。
「増えた四人、全員採石場経験者です」
グラッドが名簿を確認する。
「医務は?」
「ラッセル確認済みです。昨日、掌を擦った一人は今日は外しています」
「それでいい」
怪我をした翌日に、
《軽傷だから働け》
と外へ出す必要はない。
代わりの候補はいる。
門が開き、二十八人が朝の街道へ出ていった。
◇
昼前、俺も現場へ向かった。
昨日の実績を確認する意味もあったが、役所の担当官から、
《川側の作業を追加したい》
という連絡が来たからだ。
嫌な予感がした。
堤へ着くと、作業そのものは昨日より明らかに進んでいる。
土を掘る者が増え、籠が一定の間隔で堤まで運ばれていた。
泥に足を取られないよう、歩く場所には板まで敷かれている。
黒塔から出した二十八人も、地元の作業員も同じ場所で動いていた。
ただし、少し先だけ様子が違う。
川へ落ち込む斜面の下。
水際に四人の囚人が立っていた。
「何をしている」
俺が言うと、同行したグラッドも足を止めた。
四人は膝近くまで泥へ沈みながら、大きな籠を並べている。
そのすぐ先には濁った川。
流れは昨日より少し速い。
命綱はない。
「誰が降ろした」
近くにいた黒塔の看守が、すぐこちらへ来た。
「現地の作業頭です。堤の根元を土籠で押さえたいと」
「お前は止めなかったのか」
「一度止めました。ただ、役所側から必要な作業だと言われまして……」
言い終わる前に、水際で一人の足が滑った。
泥が崩れる。
「危ない!」
隣の囚人が腕を掴む。
二人とも身体が傾いた。
さらに後ろの二人が引っ張り、何とか踏みとどまる。
「上がらせろ!」
俺が叫んだ。
看守もすぐ声を重ねる。
「四人とも上へ! 籠は置いてこい!」
現地の作業頭が走ってきた。
「待ってください! そこを押さえないと水が――」
「人を上げてから聞く」
「しかし」
「上げろ!」
今度は強めに言った。
四人が斜面を登ってくる。
全員、泥だらけだった。
一人は右脚の膝下まで濡れている。
「怪我は」
「ないです」
「足首は」
「大丈夫です。滑っただけで」
「座れ。看守、確認してくれ」
すぐに歩かせない。
泥を落とし、足首と膝を動かさせる。
痛みなし。
外傷も見当たらない。
そこで初めて、現地の作業頭を見る。
◇
「説明を聞こう」
男は五十前後だった。
昨日から現場で指示を出している。
日に焼けた顔に泥が飛び、声も枯れている。
遊んでいる人間ではない。
「水際の根元が削られています」
男が斜面を指す。
「上へ土を積むだけでは、下からまた持っていかれる。あそこへ土籠を三段置きたい」
「必要な仕事なのは分かった」
「なら、続けさせてください」
「安全策は」
男が一瞬黙った。
「四人いれば、互いに支えられます」
「今、一人滑って二人目まで引っ張られかけた」
「転んではいません」
「転んでから考えるのか」
相手の顔が険しくなる。
「監獄長殿。時間がないんです」
「俺も分かっている」
「次に上流で雨が降れば、ここから持っていかれるかもしれない。村人も朝から働いています」
「だから囚人を水際へ立たせる?」
「囚人だから、とは言っていません」
「村人はあそこへ降ろしたのか」
返事が止まった。
周囲で作業していた何人かも、こちらを気にしている。
「……川仕事に慣れた者は下へ入っています」
「命綱なしで?」
「昔からそうしています」
なるほど。
囚人だけを捨て駒にした、と決めるのは違うらしい。
単純に、この現場ではそれが普通なのだ。
「昔から流された人間はいない?」
男が唇を結ぶ。
「います」
「なら、変えよう」
「簡単に言いますね」
「簡単じゃない。だから現物を見る」
水際へ近づく。
斜面は見た目より急だ。
踏み込むと表面の泥が数センチずれる。
上側には太い木が一本ある。
根元もしっかりしている。
「縄はあるか」
「荷車用なら」
「太さは?」
「人を支えるには十分です」
「四人の腰へ結べるか」
現地作業頭が斜面と木を交互に見る。
「……できます」
「それだけじゃない」
グラッドが口を挟んだ。
「上に二人置いて縄を管理する必要があります。四人全員を同じ一本へ繋げると、一人落ちた時にまとめて持っていかれる」
作業頭がこちらを見る。
「監獄の人間なのに詳しいですね」
「詳しいわけではありません。四人まとめて川へ落としたくないだけです」
乾いた返しだった。
◇
結局、水際へ降ろすのは四人ではなく三人にした。
一人ずつ別の縄。
上に縄を管理する者を三人。
さらに、籠を斜面上まで運ぶ者を四人。
水際の人数だけ見れば減っている。
だが作業全体では人を増やした。
「これでは遅くなります」
作業頭がまだ不満そうに言う。
「一度やってみてから言ってくれ」
縄を木へ固定する。
結び方は、現地の川仕事に慣れた者へ確認させた。
黒塔の囚人だから、黒塔の看守だけで何もかも決めるつもりはない。
水際へ降りる三人にも説明する。
「足を滑らせたら、無理に立ち直ろうとするな。縄へ体重を預けろ」
囚人の一人が腰の縄を引っ張って確かめる。
「これ、切れませんよね」
「切れたら上の人間ごと怒る」
「先に確認してくださいよ」
近くの現地作業員が笑った。
「昨日荷車を引いた縄だ。お前一人くらいなら持つ」
「荷車より軽いって褒められてる気がしないな」
「口が動くなら大丈夫だ」
少しだけ空気が緩んだ。
作業を再開する。
上から籠が渡される。
一人目が受け取る。
二人目。
三人目が水際へ置く。
縄は邪魔になるほど張らない。
ただし、滑ればすぐ止まる程度の長さにする。
最初の一つ。
二つ。
三つ。
さっきより遅く見えた。
だが十分ほどすると流れが整った。
籠を運ぶ側が、下の三人の速度に合わせ始める。
「……悪くないな」
作業頭が呟いた。
「聞こえたぞ」
「独り言です」
◇
問題はそこで終わらなかった。
昼食になり、黒塔から出した二十八人が役所側の食事を受け取っている時だった。
村人の一人が、配られているパンを見て声を上げた。
「囚人の方が多いじゃないか」
中年の男だった。
自分も泥だらけのまま働いている。
「俺たちは朝から同じ場所でやってるのに、何でこいつらだけ二つなんだ」
周囲の手が止まる。
囚人へ渡しているパンは二つ。
村側の作業員は一つ。
代わりに煮豆の量も少し違う。
事前に決めた重労働向けの配給だ。
役所の担当官が慌てて寄ってくる。
「黒塔側とは条件が違いまして」
「犯罪者の方がいい飯を食う条件か?」
男の声は大きい。
腹が立つのも分からなくはない。
自分たちは堤を守るために働いている。
隣では犯罪者が同じ作業をし、自分より多い昼飯を受け取る。
見た目だけなら面白くない。
「監獄長さんよ」
男が俺を見る。
「これ、おかしくないか」
「あなたたちの食事量は誰が決めた」
「村と役所だ」
「なら、そっちを増やす話をした方がいい」
「囚人のを減らせば余るだろ」
「減らさない」
ざわめきが少し広がった。
「何でだ」
「午後も土を運ばせるからだ」
「俺たちも運ぶ」
「なら、あなたたちも増やしてもらうべきだ」
男が黙る。
「囚人だから腹が半分で済むわけじゃない」
「罪を犯した奴だぞ」
「ああ」
「俺たちは村を守るために働いてる」
「それも分かっている」
パンを受け取った囚人たちは、食べ始めずにこちらを見ている。
ここで変に謝れば、別の意味になる。
「だからこそ、役所へ言ってくれ。あなたたちの食事が足りないなら増やすべきだ。囚人の分を削って同じにする理由にはならない」
男はしばらく何も言わなかった。
やがて役所の担当官へ顔を向ける。
「俺らも午後まで同じ仕事だ」
「分かっています」
「じゃあ増やせ」
「確認します」
「今日からだぞ」
矛先が正しい場所へ向いた。
◇
結局、村側の作業員にもパンが一つ追加された。
役所側の予備食から出したらしい。
俺たちが要求したわけではない。
現場の人間が自分たちの条件を見直しただけだ。
昼食が再開する。
さっき文句を言っていた男は、囚人たちから少し離れた場所へ座った。
その近くに、水際で働いていた囚人の一人が座る。
互いに話さない。
しばらくして、男が囚人の腰についた縄の跡を見た。
「お前、さっき下にいた奴か」
「そうだけど」
「怖くねえのか」
「怖いですよ」
「囚人でも?」
聞き方が少し変だった。
囚人も苦笑する。
「川に落ちたら、罪人だけ浮くんですか」
男がパンを持ったまま固まった。
それから、声を上げて笑う。
「そりゃそうだ」
「浮くなら縄いらないんですけどね」
「それもそうだ」
それで急に仲良くなったわけではない。
名前を聞くこともない。
ただ、午後の作業で二人が同じ籠を持つ場面はあった。
その程度で十分だった。
◇
午後になると、水際の作業は朝より早くなっていた。
人が慣れたのもある。
上と下の受け渡し順が決まったのも大きい。
作業頭が泥のついた板へ進捗を書き込みながら言う。
「朝のまま四人でやるより進んでます」
「安全策を入れた方が?」
「そうです」
「珍しいこともあるな」
「嫌味ですか」
「少しだけ」
男が苦笑する。
「一人滑るたびに作業を止めてたら、その方が遅いですからね」
「明日も同じで頼む」
「縄も?」
「当然だ」
「村人にも付けます」
そこは少し意外だった。
「川側へ降りる者は全員?」
「囚人だけ付けてたら、こっちの連中が『俺たちは死んでもいいのか』って言い出しました」
昼のパンと似た話になったらしい。
「それでいい」
「監獄長に来てもらって、仕事が増えた気がしますよ」
「怪我人は減るかもしれない」
「そっちを期待します」
◇
日暮れ前。
作業を終える。
黒塔の二十八人は一か所へ集め、まず名前を確認した。
全員いる。
身体検査。
持ち出し禁止の物なし。
手枷を掛ける。
右。
左。
看守が二人一組で確認する。
「水際の三人は足を見せろ」
泥を落とす。
擦り傷が一人。
軽いものだが、黒塔へ戻ったらラッセルに見せる。
「歩けるか」
「問題ありません」
「痛みが増えたら途中でも言え」
「分かりました」
朝と同じ二十八人が街道を歩き出す。
後ろでは、現地の作業員も片付けを始めていた。
昼に文句を言った男が手を上げる。
「監獄長!」
「何だ」
「明日も二つ出るんだろうな!」
一瞬、囚人用のパンかと思った。
違う。
自分たちの分らしい。
「それは役所へ聞いてくれ!」
「逃げたな!」
「俺の担当じゃない!」
周囲から笑いが起きた。
黒塔の列からも聞こえた。
看守が、
「前を向け」
と声を掛ける。
笑いは止まったが、空気までは重くならなかった。
◇
正門へ戻った時には、辺りは薄暗くなっていた。
門の内側で、もう一度名前を確認する。
二十八人。
全員。
昨日より四人増えた。
それでも全員戻った。
「明日も同じ人数で?」
グラッドが名簿を閉じる。
「現地から変更がなければな」
「水際の三人は?」
「足の状態を見てから決める。同じ人間を固定する必要はない」
「交代させますか」
「疲れが溜まる前に回した方がいい。あの仕事だけで手当を付ける必要はないが、負荷は記録しておいてくれ」
「承知しました」
囚人たちがそれぞれの棟へ戻っていく。
泥の付いた靴が石床を踏み、廊下へ茶色い跡を残していた。
掃除する人間は増えるだろう。
だが、川に一人流されるよりは遥かに安い。
門番が最後に外門を閉める。
閂が下りる重い音がした。
黒塔の外では、囚人というだけで命の値段まで安く見られることがある。
黒塔の中を変えただけでは、それは消えない。
なら外へ出す時くらい、こちらが条件を決めるしかなかった。
二十八人出して、二十八人戻した。
今日はそれに加えて、誰も川へ流されなかった。
十分な成果だった。
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