↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
53/68

第53話 囚人三十人を、明朝までに出せ

 その命令書は、朝食が終わる前に届いた。


「囚人三十人を、明朝までに出してほしいそうです」


 グラッドが机へ置いた紙には、近隣を管轄する王国役所の印が押されている。


 偽物ではない。


 内容も、単なるお願いではなかった。


 東側の川で堤が一部崩れ、次に水位が上がれば下流の村へ被害が出る可能性がある。その応急補修へ、黒塔から成年男子三十名を五日間出すよう求めている。


「根拠は?」


「公共災害時の労役規定です。囚人労働の徴用自体は可能です」


「断れるか」


「正当な理由なく拒めば、こちらが問題になります」


 そこまでは分かった。


 俺は続きへ目を通す。

 作業内容、土砂運搬及び土嚢積み。


 現地まで約一刻。


 作業時間は日の出後から日没前まで。


 工具は現地側が準備。


 食事については――。


「昼食一回だけか」


「そう書かれています」


「朝と夜は黒塔で食わせるつもりだろうな」


「おそらく」


「水の記載がない」


「ありませんね」


「警備は?」


 グラッドが無言で紙の下まで指を滑らせる。


 どこにもない。


 思わず椅子へ背を預けた。


「三十人だけ書いて、見張る人間は空から降ってくると思っているのか」


「昔の黒塔なら、こちらで勝手に用意して出していたのかもしれません」


「だから昔の話は参考にならないんだ」


 命令そのものを拒む理由はない。


 堤が危ないなら、人手は必要だ。


 だが囚人三十人は、荷車へ三十袋積めば終わる話ではなかった。


「現場責任者を呼べるか」


「使者はまだ外門にいます。役所の担当官も一緒です」


「通してくれ」


     ◇


 担当官は四十前後の男だった。


 泥の乾いた長靴と、裾の汚れた外套を見る限り、机の前だけにいる役人ではないらしい。


「急な要請で申し訳ありません」

 椅子へ座るなり頭を下げた。


「堤の崩れが広がっています。次の増水までに仮締めだけでも終えたい」


「人手が必要なのは理解しています」


「助かります」


「ただし、三十人をそのまま出すとはまだ言っていません」


 男の表情が止まった。


「命令書ですが」


「読みました。労役へ出すこと自体は従います」


「では、何が問題でしょう」


「現地に看守は何人用意されていますか」


「看守?」


 その反応で分かった。


「黒塔の囚人ですよ」


「もちろん承知しています。ただ、護送については黒塔側で――」


「三十人を一刻先まで連れていき、川辺で一日働かせ、また連れて帰る。こちらの警備人員だけで全部賄え、という意味ですか」


 担当官は言葉を選んだ。


「従来は、そのように……」


「現場の出入口はいくつあります」


「街道側が二つです。ただ、川側へ抜けようと思えば――」


「いくつです」


「作業区域として区切ってはいません」


 それでは見張る範囲すら決まっていない。


「水は」


「川があります」


「飲ませるんですか」


「上流なら飲めなくは――」

「腹を壊した三十人を連れて帰ることになりそうですね」


 男が口を閉じた。


 怒らせたいわけではない。


 必要なことを決めたいだけだ。


「一度、現場を見ます」


「今日ですか」


「今日見ずに、明朝三十人出す方が怖いでしょう」


     ◇


 現場までは、本当に一刻ほどだった。


 俺とグラッド、それに担当官。


 護衛として看守二人。


 堤へ近づくにつれ、湿った土の匂いが強くなる。


 川は今のところ穏やかだったが、水面には濁りが残っている。


 問題の場所はすぐ分かった。


 土を盛った堤の一部が、十八メートルほど川側へ抉られている。


 完全に切れてはいない。


 だが外側の斜面がごっそり落ち、残った部分にも縦に細い亀裂が走っていた。


 近くでは村人と役所の作業員が土を籠へ入れて運んでいる。


 土を掘る音。


 濡れた籠を地面へ置く鈍い音。


 川の流れ。


 その全部に混じって、泥臭さがまとわりつく。


「三十人をどこへ入れるつもりです」


 担当官が作業区域を指した。


「この辺りで土を掘らせ、堤へ運ばせます」


「工具は?」


「こちらです」

 並べられていたのは、鋤が十二本。


 土を運ぶ籠が十六。


 手押し車が二台。


「三十人?」


「交代で使えば」


「待っている人間が増えるだけでは」


「人数が多い方が早いでしょう」


 必ずしもそうではない。


 俺は現場の作業員を見る。


 掘る者。


 籠へ入れる者。


 運ぶ者。


 積む者。


 同じ場所へ人数を突っ込めば、今度は互いに邪魔になる。


「グラッド。ガイラスにこの数を見せたら何と言うと思う」


「道具が足りない、と言うでしょうね」


「俺もそう思う」


 担当官が怪訝な顔をした。


「ガイラス?」


「黒塔にいる、兵站を長くやっていた男です」


「囚人ですか」


「囚人です」


「囚人の意見で人数を減らすんですか」


「数字が間違っているなら、王様の意見でも減らした方がいいでしょう」


 男が一瞬こちらを見た。


 言い方は少し悪かったかもしれない。


「現場の責任者はあなたです。必要人数をもう一度考えませんか」


     ◇


 黒塔へ戻り、ガイラスへ状況を説明した。


 地図。


 崩落部分の長さ。


 使える工具。


 現地作業員の数。


 往復時間。


 昼食一回。

 ガイラスは椅子に座ったまま、しばらく黙って紙を見ていた。


「三十人ですか」


「ああ」


「数字だけ先に決めた匂いがしますね」


「俺もそう思った」


「鋤十二本なら、掘る人間は十二人で十分です。籠を運ぶ者を八人から十人、土を締める側へ数人。交代要員を含めても二十四人あれば回せます」


「二十四」


「三十人連れていけば、六人は大半の時間を待たせることになります。待たせるだけならまだしも、囚人でしょう」


「見張る対象が六人増える」


「ええ。仕事量はほとんど増えず、警備だけ増えます」


 グラッドが腕を組む。


「看守は何人必要だと思いますか」


「私なら黒塔側を六人」


「少なくないか」


「現地側で街道二か所を塞いでもらう前提です」


 ガイラスが地図へ指を置いた。


「ここへ地元の兵か役人を二人ずつ。黒塔の看守は作業区域内を見る。川へ飛び込んで逃げる人間まで完全に止めるなら、もっと要りますが」


「泳げる川か」


「今日見た限り、渡るには危険です。ただし、危険だから誰も行かないとは考えない方がいいでしょう」


 その通りだ。


「夜は?」


「泊めない方がいい」


「俺も同じ意見だ」

「往復で二刻失いますが、外泊させるなら寝床、夜間警備、便所、水、食事、全て新しく考える必要があります。五日程度なら毎日戻した方が安い」


 ガイラスが紙を俺へ戻す。


「二十四人、看守六人。現地側で入口を四人。水は樽で持たせる。昼食は量を先に確認する。こんなところでしょう」


「助かった」


「私を現地へ連れていく気は?」


「ない」


「でしょうね」


「残念そうだな」


「久しぶりに外の道くらい見たい気持ちはありますよ」


「脱獄されたら俺が困る」


「私が走って逃げる歳に見えますか」


「年齢で判断しないことにしている」


 ガイラスは小さく笑った。


「それなら結構です」


     ◇


 担当官には、こちらの条件をその日のうちに伝えた。


「二十四人?」


 案の定、最初にそこへ引っ掛かった。


「三十人出せという命令ですが」


「三十人分の仕事がありません」


「交代要員として――」


「交代を含めて二十四です」


 机へ現場配置を書いた紙を出す。


「掘削十二。運搬八。堤側四。状況に合わせて交代する。現場の道具を増やすなら人数も再検討します」


 担当官が紙を見る。

「警備についても条件があります」


「まだあるんですか」


「三十人を要求したのはそちらでしょう」


 思わず少し笑った。


 男も困ったように額を掻く。


「聞きます」


「街道側の二か所へ、そちらから二名ずつ置いてください。黒塔からは看守六名。囚人は毎夕、全員黒塔へ戻します」


「往復時間が惜しい」


「外泊させるなら、夜番を含めてこちらの看守をさらに出す必要があります」


「それは……困りますね」


「こちらも困ります」


「水は」


「黒塔から樽を二つ出します。昼食は、二十四人が重労働する量を用意してください」


「通常の労役食では不足ですか」


「土を掘って運ぶ一日です。黒塔でも重労働をした者には追加を出しています」


 男が俺を見る。


「囚人ですよ」


「知っています」


「ずいぶん食わせるんですね」


「倒れたら作業が止まります」


 それで十分だった。


 担当官はしばらく考え、最後に頷いた。


「分かりました。その条件で受けます」


     ◇


 誰を出すかは、役所側には選ばせなかった。


 黒塔で決める。


 まず医務。


 ラッセルが外仕事に耐えられない者を外す。

 次に保安。


 最近の逃亡企図。


 暴力。


 外部作業から外している者。


 当然、ギルは入れない。


 以前、荷袋へ潜り込んで出ようとした件で、外部作業対象から外している。


 ブラムも論外だ。


 二度の逃走歴があり、今は高警戒区画内で段階的に作業範囲を広げている途中。


「希望者を募りますか」


 グラッドが尋ねた。


「希望だけで決めない。ただ、条件に合う者の中で、外作業を嫌がる人間を無理に混ぜる必要もない」


「危険な作業では?」


「川沿いだ。転落や土崩れはある」


「では、候補を先に出して本人へ説明します」


「頼む」


 二十四人。


 普段、採石場や土木補修に入っている者を中心に選ぶ。


 北壁で土砂運搬を経験した者も数人含めた。


 石積みの専門家は要らない。


 今回は土を運び、崩れた斜面を仮に押さえる仕事だ。


     ◇


 翌朝。


 二十四人が正門前へ並んだ。


 囚人服の上から作業用の厚手の上着。


 往路は手枷を使用する。


 足枷は付けない。


 一刻歩かせるのに足を繋げば、現場へ着く前に転倒者を作る。


 看守六人が前後と左右へ配置された。


「名前確認」

 グラッドが名簿を読む。


 一人ずつ答える。


 二十四人。


 全員いる。


「水樽二つ、医療袋一つ、予備の布、昼食受領票」


 看守が荷車を確認する。


「揃っています」


「現地へ着いたら、外すのは手枷だけだ」


 俺が責任者へ言う。


「作業区域を出る時は?」


「再装着します」


「一人でも人数が合わなければ?」


「全作業停止。最後に確認した場所まで戻ります」


「それでいい」


 門が開く。


 朝の空気が流れ込んだ。


 囚人たちの何人かが、正面の街道をじっと見ている。


 長く黒塔にいる者なら、外の景色を見るのは久しぶりかもしれない。


 列の中から声がした。


「監獄長」


「何だ」


「外に出て、そのまま帰ってこなかったら?」


 周囲の看守が一瞬だけ硬くなる。


 声を掛けた男は笑っていた。


 冗談らしい。


「追う」


「ですよね」


「それに、お前一人のせいで残り二十三人まで次から外へ出にくくなる」


 男の笑みが少し消えた。


「それは嫌われますね」


「よく考えてから走れ」


「走りませんよ」


「なら仕事をして帰ってこい」


 列が動き出す。

 鉄の手枷が小さく鳴り、二十四人が正門を出ていった。


     ◇


 俺は黒塔に残った。


 外へ出したからといって、監獄長まで一日付き添う必要はない。


 昼過ぎには第一報が来た。


 現場到着、全員確認。


 手枷解除。


 作業開始。


 怪我人なし。


 水量問題なし。


 昼食量も事前確認どおり。


 夕方前に、二通目。


 作業終了。


 軽い手の擦り傷一名。


 医療袋で処置済み。


 逃亡なし。


 その文字を見ても、まだ終わりではない。


 門を通るまでが外部作業だ。


     ◇


 日が傾いた頃、外門の向こうから足音が聞こえた。


 看守の声。


 荷車の軋み。


 手枷の鉄が触れ合う音。


「戻りました!」


 門番が声を上げる。


 外門を開く。


 朝に出た列が、そのまま戻ってくる。


 泥だらけだった。


 上着の裾まで茶色く汚れ、靴には湿った土が厚く付いている。


 疲れた顔。


 それでも全員、自分の足で歩いていた。


「名前確認」


 門の内側で止める。


 グラッドが名簿を読む。


 一人目。


 返事。


 二人目。


 返事。


 順番に続く。


 二十三。

 最後。


「いる」


 二十四人。


 全員いる。


「手の怪我は?」


 列の中から一人が手を上げる。


 掌に布が巻かれていた。


「擦っただけです」


「ラッセルに見せてから戻れ」


「はい」


 朝に冗談を言った男が、俺の横を通る時に口を開いた。


「外、思ったより普通でした」


「何を期待していた」


「もっと自由な感じがするかと」


「手枷付きでか」


「そこなんですよ」


 疲れた顔で笑う。


「仕事中に外してもらっても、逃げようとは思わなかった?」


「川に飛び込んだら死にそうでしたし」


「それだけか」


 男は少し考えた。


「戻った方が飯が確実です」


「現実的で助かる」


「明日も行くんですよね」


「ああ」


「じゃあ、今日は寝ます」


「そうしてくれ」


 列へ戻っていった。


     ◇


 グラッドが受領記録へ数字を書いた。


「出門二十四。帰還二十四」


「明日も同じ人数か」


「一名の手の状態をラッセルが見てから決めます。無理なら予備候補と交代です」


「それでいい」


 役所からは、予定より進みが早いという伝言も来ていた。


 三十人いなくても作業は進んだらしい。

「先方から、明日は四人増やせないかと」


「何でだ」


「今日のうちに鋤を六本追加できたそうです」


「なるほど」


 そこまで聞けば話は違う。


「ガイラスへ数字を見せよう。現場側が増えたなら、必要人数も変わる」


「最初から拒むわけではない?」


「理由が変われば判断も変わる」


 グラッドが頷いた。


 黒塔の外へ囚人を出す。


 昔なら、それ自体が危険だから全員鎖で繋ぐか、逆に人手として雑に放り出すか、そのどちらかだったのかもしれない。


 今は違う。


 必要な人数を出す。


 必要な警備を付ける。


 食わせる。


 働かせる。


 そして、名前を確認して連れて帰る。


 特別なことではない。


 正門の閂が下ろされる重い音を聞きながら、名簿の最後へ目をやった。


 二十四人出て、二十四人戻った。


 今日は、それで十分だった。


──────────────────


YouTubeショート動画作ってみました。


https://youtube.com/shorts/_zEBpYRUMc4?si=9bu0xxStFm2Bo5Z8

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。