第51話 ギルだけを、守るな
ギル・ダーナが報告したことは、こちらから誰にも話していない。
それでも、三日も経たずに噂は広がった。
「採石場で二人、ギルに絡んでいます」
昼前、ハロルから連絡を受けた。
「殴り合いか」
「まだです。ただ、作業を止めて囲んでいます」
「看守は?」
「近くに二名。ハロルが間へ入っています」
机から立つ。
グラッドも一緒に来た。
「漏れましたか」
「分からん。ガドルたちが急に処分されて、その前にギルと言い争っていた。そこまで見ていれば推測はできる」
「油布を準備した本人も、ギルが断ったことを知っています」
「あいつから広がった可能性もあるな」
誰が喋ったかを探しても、今さら噂までは回収できない。
問題は、その先だ。
◇
採石場へ着くと、槌の音が普段より少なかった。
作業そのものは続いている。
ただ、何人もの囚人が手元を動かしながら横目で同じ場所を見ていた。
白い石粉が風に舞う中、ギルと男二人が三歩ほど離れて向かい合っている。
間にはハロル。
左右に看守。
ドルガンは少し遠くで腕を組んでいた。
昔なら最初に殴りに行きそうな男が、今は動いていない。
「監獄長」
ハロルがこちらへ気づく。
「状況は?」
「二人がギルへ、ガドルの件を誰に話したのか聞いていました」
「脅したか」
「そこを確認しているところです」
二人のうち、背の高い男が口を開く。
「脅してねえよ。ただ聞いただけだ」
「二人で囲んで?」
「囲んでねえ。話してただけだ」
ギルが鼻を鳴らした。
「俺が右へ動いたら右へ来て、左へ動いたら左へ来るのを、この監獄では話って言うのか」
「逃げるからだろ」
「お前らから離れようとしたんだよ」
男が一歩出る。
ハロルの腕がすぐ間へ入った。
「距離を取れ」
怒鳴らない。
男は舌打ちしたが、下がった。
「ギル」
俺が呼ぶ。
「はい」
「何を言われた」
「ガドルを売ったのはお前か、って」
「それだけ?」
ギルが少し考える。
「『次も同じことをしたら、ずっと守ってもらえると思うな』とも」
周囲の空気が変わった。
「言ったか」
背の高い男は黙った。
もう一人が代わりに答える。
「俺じゃない」
「お前には聞いていない」
背の高い男は地面を見た。
「……言った」
「どういう意味だ」
「そのままだよ」
「報告した人間への報復を示した?」
「殴るなんて言ってない」
「なら何をするつもりだった」
返事がない。
ここで都合よく解釈はしない。
ただし、
《殴るとは言っていない》
だけで無かったことにもできない。
◇
「二人とも、今日はこの作業から外す」
「懲罰房かよ」
「まだ決めていない。別々に話を聞く」
背の高い男がギルを見る。
「やっぱり特別扱いじゃねえか」
ギルの顔が険しくなった。
俺が先に答える。
「違う」
「じゃあ何で俺らが外される」
「作業中に二人で一人を止め、報告行為に関係する可能性のある発言をした。作業を続けさせたまま確認する方がおかしい」
「ギルは?」
「残す」
「ほら」
「ギルは今のところ、作業を止めさせた側ではない」
男が何か言い返そうとした。
「もしギルが先に手を出していた、脅していたという事実が出れば、そちらも扱う」
そこで口が閉じた。
「看守。別々に連れていってくれ」
二人は抵抗しなかった。
鉄の道具には触れさせず、そのまま管理棟側へ送る。
周囲で見ていた囚人たちも、少しずつ仕事へ戻った。
槌の音が一つ。
続いてもう一つ響く。
ただ、ギルだけはまだ立っていた。
「監獄長」
「何だ」
「俺、別の仕事へ移されます?」
「希望するのか」
「しません」
即答だった。
「なら、今は変えない」
「でも危ないって判断したら?」
「その時は考える」
ギルが嫌そうな顔をする。
「目立つんですよ。俺だけ急に移されたら」
「分かっている」
「看守を一人付けられても同じです」
「ああ」
「じゃあ、どうするんです」
「お前だけを守らない」
ギルが眉を寄せた。
「それ、守らないって意味じゃないですよね」
「違う」
◇
採石場の脇にある日陰へ移った。
ハロルとグラッドも一緒だ。
「ギルに専属の看守を付ければ、誰が報告したかこちらから発表するようなものだ」
「もう大体バレてますけどね」
「推測と、監獄側のお墨付きは違う」
ギルは黙って聞いている。
「だから、ギル一人を特別に囲わない。代わりに、報復が起きやすい場所を詰める」
「例えば?」
ハロルが尋ねた。
「作業開始前後。食堂への移動。水場。便所。看守の目が切れやすいところだ」
「巡回を増やしますか」
「ギルのためだとは言わない。今の採石場全体の巡回を見直す」
ハロルが周囲を見る。
「それならできます。石材置き場の裏が少し死角です」
「そこも頼む」
「ただ、監獄長」
グラッドが口を挟んだ。
「ガドルが懲罰区画から戻った後は、同じ作業班には置かない方がいいでしょう」
「俺もそう思う」
ギルが不満そうにこちらを見る。
「俺が残って、あいつが移る?」
「今回の件だけで決める話ではない。元々、ガドルはお前と衝突している」
以前、報告者への報復を主導した男でもある。
「同じ班へ戻して、何か起きるまで待つ意味はない」
「それなら……まあ」
「ただし、お前の希望でガドルの仕事を選ぶわけでもない」
「そこまで頼みませんよ」
ギルが石粉のついた髪を掻いた。
「俺、報告しただけなんですけどね」
「分かっている」
「段々面倒になってきたな」
「報告したら人生が楽になる制度ではない」
「知ってます」
それでも少し笑った。
◇
管理棟へ戻ると、先ほどの二人から別々に話を聞いた。
結論から言えば、殴る計画まではなかった。
少なくとも確認できない。
背の高い男はガドルと同じ房だった時期があり、
《ギルが喋ったせいでガドルがやられた》
という話を別の囚人から聞いた。
それで問い詰めに行った。
もう一人は付き添っただけだと話す。
「『ずっと守ってもらえると思うな』というのは?」
グラッドが聞く。
男が椅子の上で身体をずらした。
「腹が立って言った」
「何をするつもりだった」
「何もしねえよ」
「では、何を意味する言葉だった?」
しばらく黙る。
「……怖がらせたかっただけだ」
「それは脅しでは?」
「殴るとは言ってない」
同じところへ戻る。
俺は机の横で話を聞いていた。
「殴ると言わなければ何を言ってもいい、という扱いにはしない」
男がこちらを見る。
「じゃあ懲罰房か」
「お前はな」
もう一人が顔を上げた。
「俺も?」
「お前については別に判断する」
背の高い男には、報告行為を理由とした威圧。
もう一人は一緒に囲んだ事実はあるが、発言も直接の脅しも確認できていない。
「二人まとめて同じ処分にはしない」
「またそれか」
背の高い男が吐き捨てる。
「何がだ」
「一人ずつ細かく見るやつ」
「不満か」
「昔ならまとめて殴られて終わってた」
「戻したいなら別の監獄長を探してくれ」
「探せるならな」
男は苦笑した。
少なくとも殴り掛かってはこなかった。
◇
午後、ケランに呼び止められた。
食堂へ向かう列を待っているところだった。
以前から申立てや報告に関わってきた、四十代の囚人だ。
「監獄長」
「何だ」
「ギルのことです」
「何か見たのか」
「いえ。逆です」
「逆?」
ケランが前の列を見る。
ギルは少し先にいる。
「皆、見てます」
「知っている」
「ガドルの件を喋ったのがあいつだと思ってる奴は多い」
「そうだろうな」
「ただ、全員が怒ってるわけじゃありませんよ」
その言い方が気になった。
「どういうことだ」
「火を出して逃げようとしてたんでしょう?」
「確認できた範囲ではな」
「それでまた火事になってたら、迷惑するのはガドルたちだけじゃない」
列が少し進む。
ケランも一歩前へ動いた。
「この前の火事で夜中に叩き起こされて、煙吸って、作業棟で寝た奴らがいる。次はもっと酷くなるかもしれない。そう思ってる奴もいます」
「ギルを庇う?」
「そこまで立派じゃないです」
ケランが笑う。
「『密告野郎』って言う奴もいるし、『余計なことしやがって』と思ってる奴もいる。でも、『火をつける方が悪いだろ』って言う奴もいる。それだけです」
白黒ではない。
その方が自然だった。
「お前は?」
「俺?」
「どう思っている」
ケランは少し考えた。
「報告した奴を殴ったら、次から誰も言わなくなる。それは俺が困ります」
「なぜお前が困る」
「隣の房で刃物隠してる奴がいても、誰も言わなくなるでしょう」
そういう男だった。
「自分が善人だからじゃない?」
「勘弁してくださいよ」
顔をしかめる。
「俺は自分が刺されたくないだけです」
「十分だ」
列が動く。
ケランは最後に、
「だからギルを英雄みたいに扱わないでください」
と言った。
「そのつもりはない」
「ならいいです」
◇
夕食時、ギルの周囲だけ席が空くかと思っていた。
実際には、そこまで露骨ではなかった。
最初に一人が座る。
次に別の男。
最後にケランが空いていた場所へ腰を下ろした。
ギルが嫌そうな顔をする。
「何だよ」
「席がここしか空いてない」
「ほかにもあるだろ」
「遠い」
「俺の隣は近いのか」
「煮込みが冷める」
ケランはそれ以上話さず、木匙を取った。
ギルも少ししてパンを千切る。
向かいの男は二人をちらちら見ていたが、口を挟まなかった。
しばらくして、ケランが煮込みを一口食べる。
「今日、豆多くないか」
「知らねえよ」
「厨房に報告してこい」
「自分で行け」
「お前、報告得意だろ」
ギルの匙が止まった。
近くの看守も身体を僅かに固くする。
ケランは平然と食べている。
「……殴られたいのか」
ギルが低い声で言った。
「報復は禁止されてる」
「そういう使い方する制度じゃねえ」
「知ってる」
ケランの口元が少しだけ動いた。
ギルも数秒耐えた後、鼻で笑う。
「豆くらい食え」
「食ってるよ」
それで終わった。
周囲の空気も、少しだけ緩んだ。
◇
夜、グラッドから最終報告を受けた。
採石場でギルを威圧した男には、規律違反として処分を決めた。
同行したもう一人は、正式な警告と記録。
同じ扱いにはしない。
「ギルについては、明日も通常配置です」
「そのままでいい」
「本人への専属警備なし。採石場全体の巡回経路だけ変更しました」
「食堂と水場は?」
「通常の看守配置で死角を確認しています。特定の一人だけ追う形にはしていません」
「それで進めよう」
グラッドが書類を閉じる。
「報告者を守る、というのは難しいですね」
「目立って守れば報告者だと教える。何もしなければ報復される」
「報酬を付けても、別の問題が出る」
「ああ」
嘘の報告。
他人を落とすための密告。
見返り目当ての情報。
やり過ぎれば、すぐ別の制度になる。
「だから、報告したことそのものを特別扱いしない」
「ただし、報復は止める」
「そういうことだ」
◇
夜番へ交代した後、採石場から戻った囚人たちの棟を通った。
ギルの房の前も通る。
本人は寝台へ腰掛け、靴の紐を結び直していた。
「監獄長」
「何だ」
「今日の二人、どうなりました」
「必要な処分をした」
「俺のため?」
「違う」
ギルがこちらを見る。
「報告した奴を脅したからだ。お前が相手でなくても同じ扱いにする」
「そうですか」
「不満か」
「逆です」
靴を床へ置く。
「その方が楽です」
「何が」
「俺だけ守られてるってなる方が、たぶん面倒なんで」
昼間と同じ答えだった。
「なら、明日も採石場へ行け」
「分かってますよ」
「嫌なら配置変更の申出はできる」
「出しません」
即答。
「俺、石運びが好きなわけじゃないですけど」
「知っている」
「逃げる場所を探してるわけでもない」
「それは今後も見ておく」
「そこは信用してくれないんだな」
「前科がある」
「ここ、全員前科ありますよ」
それはそうだった。
俺は少し笑う。
「お前の場合、黒塔に入ってからも一度やっている」
「……それを言われると弱いな」
「寝ろ」
「はい」
歩き出す。
後ろでギルが毛布を広げる音がした。
報告した者を英雄にはしない。
密告者として差し出すこともしない。
ただ、報告したせいで殴られる監獄には戻さない。
その程度の線を守るだけでも、黒塔では十分に仕事になった。
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