第48話 二度逃げた男を、房から出す
アルヴァンが王都へ移された翌朝、高警戒区画から妙な申出が来た。
「ブラム・ケイドが、仕事をさせろと言っています」
グラッドが机の上へ一枚の紙を置く。
「仕事?」
「はい」
ブラム・ケイド、三十五歳。
街道強盗で十二年刑。過去に二度逃走を試み、護送中には看守の鼻を折っている。
黒塔へ送られてきた時も、高警戒対象として両手両足を鉄で固められていた。
入所時に足首へ擦過傷があったため、黒塔では常時の足枷を外した。房の外へ出す時は看守二人を付け、手枷を使用。集団作業には入れていない。
「理由は書いてあるか」
「本人の言葉では、『壁を見ているだけなら、逃げ方を考える時間が増える』と」
「正直だな」
「正直すぎる気もします」
俺もそう思う。
「転入後の記録は?」
グラッドが別紙を出した。
最初に拘束を外した際、看守の間を抜けられるか試すような動きを一度した。
その場で止められている。
それ以降、暴行なし。
逃走行為なし。
房内の破損なし。
看守への脅迫もない。
「ずいぶん静かだな」
「本人も分かっているのでしょう。今の状態で何かやれば、条件が悪くなるだけです」
「だから仕事を寄越せ、と」
「そういうことかと」
紙だけでは分からない。
「会ってくる」
◇
高警戒区画は、アルヴァンがいなくなったことで妙に広く感じた。
空いた房は清掃後、施錠したままにしている。
ブラムは二つ離れた一人房にいた。
太い腕を持つ大柄な男だが、入所時のような荒れた様子はない。寝台に腰掛け、壁へ背を預けていた。
俺を見ると立ち上がる。
「監獄長」
「仕事がしたいそうだな」
「ああ」
「座って構わない」
俺は廊下側に立ったまま話す。
「なぜだ」
「紙に書いた」
「本人の口から聞きたい」
ブラムは少し考え、格子の向こうから廊下を見た。
「何もすることがない」
「飯は出る。個別の運動時間もある」
「それ以外は、この壁だ」
掌で石壁を叩く。
ごつ、と低い音がした。
「朝も昼も夜も同じ石を見てりゃ、考えることなんざ限られてくる」
「逃げ方か」
「それもだ」
否定しない。
「お前、逃げるつもりはあるのか」
グラッドが僅かにこちらを見る。
ブラムはもっと長く迷うかと思った。
「機会があれば考える」
「考えるのか」
「そりゃ考えるだろ。十二年ここにいたい奴がいるか?」
筋は通っている。
「では、仕事場へ出すのは危険だな」
「そうなると思ったよ」
「不満か」
「別に。俺でもそうする」
ブラムが肩をすくめた。
「でも、考えるのと実際にやるのは別だ」
「過去に二回やっている」
「だから今ここにいる」
「護送看守の鼻まで折った」
「それも俺だ」
言い訳もしない。
格子の向こうの男は、反省を見せて信用を得ようとしているわけではなさそうだった。
「仕事をさせたら逃げない、と約束するか」
「しない」
「即答だな」
「守れるか分からん約束をして何になる」
思わず黙った。
信用するには最悪の答えだが、判断材料としては悪くない。
◇
ラッセルにも確認した。
ブラムの足首にあった擦過傷は、とっくに治っている。
「常時拘束が必要な医学的理由はありません」
医務室で記録を確認しながら言う。
「逆です。長時間、必要のない金具を付け続ければ皮膚障害の原因になります」
「そこは今の運用でいいか」
「はい。移動時の手枷については医務ではなく警備判断です」
「身体を動かす時間は?」
「個別運動は取れています。ただ、一日の大半を房内で過ごしているのは事実ですね」
ラッセルが紙から目を上げる。
「仕事をさせたいんですか」
「まだ決めていない」
「私から言えるのは、何もさせないことが必ずしも身体に良いわけではない、ということだけです」
「精神面は?」
「私は医者です。人間が暇なら余計なことを考える、くらいなら知っています」
それは俺も知っている。
◇
「集団作業へ入れるのは反対です」
執務室へ戻ると、グラッドが先に言った。
「俺も同じだ」
「では、房内作業を増やしますか」
「それだけなら、今とあまり変わらない」
懲罰房などで使っている安全な軽作業はある。
麻縄をほどき、傷んだ部分を除いて束ね直すようなものだ。
刃物も重い工具も使わない。
ただ、ブラムが求めているのは仕事そのものだけではない。
房の外で、自分が何かをする時間だ。
「高警戒区画に、空いている確認室があるな」
「あります」
「扉は?」
「廊下側に一つだけ。窓は高所の小窓。外へ直接出る経路はありません」
「中に固定家具は?」
「机が一台。床へ固定されています」
「そこを使えるか確認しよう」
グラッドが少し眉を寄せる。
「何をさせます」
「まだ決めない。現物を見てからだ」
言うと、グラッドが小さく息を吐いた。
「最近、その言葉をよく使いますね」
「便利なんだ」
◇
確認室は狭かった。
石壁。
高い位置に、腕一本通るかどうかの窓。
床へ固定された木机。
椅子は固定されていないので撤去する。
天井にも特に問題はない。
扉の外から室内全体が見える。
「ここなら看守二人で足ります」
グラッドが言った。
「一人では?」
「ブラムが暴れた場合、応援を呼ぶ間に一人で対応することになります」
「なら二人だ」
警備を削る話ではない。
「材料は何なら安全だ」
保守担当にも来てもらった。
「麻縄の再整理なら、刃物なしでできます。切る必要がある物は最初から職員側で除けます」
「ほかは」
「木札の選別。割れや欠けがあるものを分ける程度。ただ、角の尖った物が混じる可能性があります」
「まず麻縄だけでいい」
最初から仕事の種類を増やす必要はない。
「量は?」
「一日分ならこの籠一つです」
「出来高競争にはするな。終わったら終わりでいい」
「分かりました」
これで試せる。
◇
午後、ブラムを房から出した。
看守二人。
両手に手枷。
足枷は使わない。
廊下へ出る前に身体検査をし、隠し物なし。
「どこへ行く」
ブラムが聞く。
「仕事だ」
男の眉が上がった。
「本当に?」
「集団作業ではない」
「だろうな」
「歩け」
高警戒区画の中を十数歩。
確認室へ入れる。
中には机と、麻縄の入った籠だけが置かれている。
看守が室内を確認する。
問題なし。
「手枷を外す」
ブラムが俺を見る。
「いいのか」
「手枷をしたまま縄をほどけるなら付けておくが」
「無理だな」
「なら外す。ただし扉の外に看守二人。室外へ出る時はまた付ける」
「分かった」
片方の看守が位置を取り、もう一人が手枷を外す。
金具が外れた瞬間も、ブラムは動かなかった。
手首を一度回す。
「何をする」
保守担当から説明させた。
束になった古い麻縄をほどく。
傷みの少ない物を長さごとにまとめ直す。
切断、加工はしない。
使えない物は別の籠へ。
「これだけ?」
「今日はな」
ブラムが縄を一本取る。
指で撚りを確かめる。
「採石場よりは楽そうだ」
「重労働の追加配給は付かないぞ」
「そこまで図々しくねえよ」
椅子がないので、男は立ったまま机へ向かった。
「時間は?」
「昼食まで一刻。午後も同じ。問題がなければ続ける」
「問題を起こしたら?」
「房へ戻す」
「分かりやすい」
「それと一つ」
ブラムがこちらを見る。
「これは信用したから始めるわけじゃない」
「知ってる」
「お前が転入してから、今のところ暴力も逃走行為もしていない。その記録を材料に、管理できる範囲を一つ広げただけだ」
「俺が逃げたいって言ったのに?」
「ああ」
ブラムの口元が少し動いた。
「変な監獄長だな」
「逃げたいと思うことまで禁止できるほど暇じゃない」
「じゃあ、逃げる方法を考えててもいいのか」
「頭の中だけなら好きにしろ。実行したら止める」
「上等だ」
縄へ視線を戻した。
◇
最初の一刻は何も起きなかった。
当たり前だ。
仕事を与えた初日に大事件が起きる方がおかしい。
だが昼前、看守から一つ報告が来た。
「ブラムが、縄を一本別に置いています」
見に行く。
机の端に、ほかと違う束が一つ置かれている。
「これは何だ」
ブラムが指で示した。
「中が切れてる」
「見た目は普通だが」
「曲げれば分かる」
看守が受け取り、両手で軽く曲げる。
途中だけ妙に柔らかい。
「表の撚りは残ってるが、中が腐ってる。荷を吊ったら切れるぞ」
保守担当を呼ぶ。
確認すると、その通りだった。
「よく分かったな」
俺が聞く。
「街道で荷を扱ってたことがある」
「前職か?」
「仕事ってほどじゃない。強盗する前は、荷運びもやった」
隠れた専門家というほどの話ではない。
ただの経験だ。
「技能記録に入れますか」
グラッドが聞く。
「一回見抜いただけで技能扱いにはしない。作業記録へ事実だけ残せ」
「承知しました」
ブラムが笑う。
「ずいぶん渋いな」
「一回縄を見ただけで縄職人にされたいか」
「そりゃ嫌だ」
「なら仕事を続けろ」
◇
昼食前。
作業終了の時間になった。
「手を止めろ」
看守が声を掛ける。
ブラムは最後の束を机へ置いた。
籠の中身を確認する。
縄の本数。
別にした不良品。
不足なし。
「身体検査をする」
「ああ」
両手を見せる。
袖。
腰回り。
靴。
何も隠していない。
最後に手枷を掛ける。
かちり、と金属音がした。
「房へ戻す」
廊下へ出たところで、ブラムが俺を見る。
「明日もあるのか」
「今日の記録を見て決める」
「逃げなかっただろ」
「一日で評価を確定する気はない」
「厳しいな」
「お前は二度逃げている」
「それを言われると弱い」
「なら、地道に積め」
ブラムは少し黙った。
「何日おとなしくしてりゃ、集団作業に出られる」
「日数だけでは決めない」
「じゃあ何で決める」
「行動と、必要性と、警備条件だ」
「曖昧だな」
「機械じゃないんだから当然だ」
ブラムが鼻を鳴らす。
「じゃあ、明日また聞く」
「毎日聞いても答えは変わらないぞ」
「聞くのは自由なんだろ」
「頭の中だけにしておけ」
「そりゃ逃亡の方だ」
看守の一人が思わず吹き出した。
「勤務中だぞ」
「失礼しました」
ブラムも笑っている。
ただ、列を外れようとはしなかった。
◇
夕方、グラッドと作業記録を確認した。
「問題なしです」
「看守側は?」
「二人とも、現状の配置なら管理可能との意見です。ただし、縄の量を増やしても人員を減らすべきではないと」
「同意する」
「明日も続けますか」
「ああ」
「期間は?」
「まず五日。その後に見直す」
五日無事なら自由。
そんな約束ではない。
五日分の行動を材料に、次を考えるだけだ。
「集団作業への移行は?」
「まだ早い」
「本人は期待しています」
「期待するのは自由だ」
グラッドが書き込む。
「アルヴァンがいなくなった直後に、次の高警戒囚の条件を少し緩める。外から見ると、かなり攻めた判断に見えるかもしれません」
「緩めたか?」
「房外で手枷を外しています」
「施錠された確認室の中で、看守二人の目の前だけだ」
「ええ」
「それを緩めたと言うなら、そうなんだろう。ただ、危険だから何もさせない、だけでは状況が変わったかどうか永遠に分からない」
「試さなければ評価もできない」
「ああ」
だから試す場所を選ぶ。
失敗しても外門まで走れない場所で。
◇
夜の巡回で、高警戒区画を通った。
ブラムは寝台へ腰を下ろしていた。
「監獄長」
「何だ」
「明日も縄か」
「その予定だ」
「もっと面白い仕事はないのか」
「初日から注文が多いな」
「十二年あるんだぞ。縄だけじゃ飽きる」
「十二年全部ここにいると決まったわけじゃない」
言ってから、少し意味を考えた。
仮釈放の話ではない。
刑期の満了まで生きれば、いつかは出る。
ブラムも同じように受け取ったらしい。
「そうだな」
短く答えた。
「だったら余計に、逃げずに出た方が早いか」
「計算できるなら、自分でしてくれ」
「監獄長が答えてくれねえのか」
「二回失敗して刑期や扱いを悪くした本人の方が詳しいだろ」
ブラムは喉の奥で笑った。
「違いねえ」
格子から離れる。
俺も歩き出した。
こいつは改心したわけではない。
機会があれば逃げるかもしれないと、自分で言っている。
だから鍵を掛ける。
看守も付ける。
必要なら手枷も使う。
それでも、何もしないで壁だけを見せ続ける必要まではなかった。
アルヴァンが去って、高警戒区画から危険な男が一人減った。
残った危険な男を、危険なままどう扱うか。
黒塔の仕事は、そちらへ続いていた。
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