第39話 その証明書、本物ですか
外門から呼び出されたのは、朝の配膳が終わった頃だった。
執務室へ来た門番は、手に一枚の紙を持っている。
「所長、外にいる女性が、これを本物か確認したいと」
差し出された紙には見覚えがあった。
昨日、刑期を終えたカレブ・フォードへ渡した作業記録の写しだ。
四年間の洗濯場勤務。
直近二年間の懲罰なし。
黒塔で確認できる作業内容。
右下には監獄印がある。
「カレブ本人は?」
「いません。女性一人です」
「何者だ」
「南街道沿いで宿を営んでいるそうです。カレブが今朝、仕事を求めて来たと」
思ったより早く動いたらしい。
「分かった。外門へ行く」
◇
門の外には、四十代半ばほどの女が立っていた。
濃い茶色の長衣の上から厚手の前掛けを着け、腕には洗濯物を扱う人間らしい細かな赤切れがある。
荷車も従者もいない。
徒歩で来たらしく、靴の縁には街道の乾いた泥が付いていた。
「黒塔監獄長のディルク・ハーゼンです」
「監獄長自ら出てくるとは思いませんでした」
「俺が出した記録についての確認なら、俺が答えた方が早い」
女は持っていた紙を広げた。
折り目が一つ増えている。
「これ、本物ですか」
「本物です」
「偽造ではなく?」
「少なくとも、その紙は黒塔が発行したものです」
女が印を指でなぞりかけ、途中で手を止めた。
「カレブ・フォードという男が、今朝うちへ来ましてね。洗濯でも荷運びでもするから雇ってほしい、と」
「そうですか」
「八年間、ここにいたことも自分から言いました」
そこは隠さなかったらしい。
「何の罪だったかも?」
「倉庫破りと、逃げる時に警備の人間へ怪我をさせたと」
「記録と合っています」
女の眉が少し動く。
「そこまで正直に言われると、逆に困るんですよ」
「隠されるよりはいいでしょう」
「そりゃそうですが、うちは宿です。客の荷物もある。倉庫もある。昔、倉庫へ盗みに入った男を雇って、また盗まれましたじゃ笑えません」
「それももっともです」
俺が否定しなかったので、女の方が少し驚いたようだった。
「監獄長なら、あの男はもう大丈夫だと言うかと思いました」
「俺には言えません」
「四年間も働かせていたんでしょう?」
「黒塔の中で、です」
門の脇を荷車が通った。
車輪が乾いた轍を踏み、細かな土埃が舞う。門番が少し身体をずらし、荷車を通してから元の位置へ戻った。
「ここでは看守がいる。夜になれば房へ戻る。外へ自由に出ることもできない。その条件で問題を起こさなかったことと、外で二度と犯罪をしないことは同じではありません」
女は黙って俺を見る。
「では、この紙は何のために?」
「確認できたことを書くためです」
作業記録へ視線を落とす。
「洗濯場で四年間働いた。直近二年は懲罰を受けていない。作業放棄も確認されていない。布を洗う手順、大物を干す方法、石鹸や灰汁の扱いは身につけている。そこまでは黒塔として証明できます」
「真面目な男だとは?」
「それを判断するのは、これから雇う側でしょう」
「信用できる男だとも?」
「同じです」
しばらく返事がなかった。
外門の内側から、朝の作業へ向かう囚人たちの足音が響いてくる。
何十人もの靴が石床を踏む低い音が、厚い門扉越しにも伝わった。
「ずいぶん頼りない証明ですね」
「知らないところまで書くよりはましです」
女は紙を見直した。
やがて、小さく鼻から息を吐く。
「本人も似たようなことを言いましたよ」
「何と?」
「『信用しろとは言えない。仕事を見て決めてくれ』って」
カレブらしいと言えるほど長く話した相手ではない。
ただ、昨日の門前で立ち尽くしていた男よりは、少し前へ進んだらしい。
◇
「もう一つ聞きたいんですが」
女が紙を畳まずに言った。
「直近二年、懲罰なしというのは本当ですか」
「本当です」
「それ以前は?」
そこで俺は答える前に一度考えた。
「その紙に書いていない内容まで、本人の許可なく外部へ話すつもりはありません」
女の目が細くなる。
「犯罪者の記録ですよ?」
「刑期は終わっています」
「監獄にいた事実は消えないでしょう」
「消えません。ただ、昨日までは囚人でも、今日は違います」
これは感情論ではない。
もう黒塔が本人の生活を勝手に決める立場ではない。
「本人がこの紙を持って、記載内容を確認してくれと言った。それなら、ここに書いてあることは答えます。それ以上が必要なら、本人へ聞いてください」
女はしばらく黙っていた。
門の上で風が鳴る。
秋が近づいているせいか、朝の日差しの割に空気は冷たかった。
「分かりました」
ようやく紙を折る。
「では、書いてある範囲だけ信じます」
「それで十分です」
「ずいぶん突き放しますね」
「雇うよう頼まれてはいませんから」
「本人を助けたくない?」
「仕事を探すところまで監獄長が決めたら、出所させた意味がないでしょう」
女がそこで初めて笑った。
「変わった監獄ですね、ここは」
昔を知っている人間からすれば、そう見えるのかもしれない。
「それで、カレブは?」
「宿に戻ってもらっています」
「雇うんですか」
「まだです」
即答だった。
「今日一日、裏の洗濯場を手伝わせます。飯は出します。働き方を見てから三日使うか決めます」
住み込みでも、正式雇用でもない。
まず一日。
そのくらいが現実的だった。
「分かりました」
「もし問題を起こしたら?」
「町の規則に従ってください。黒塔へ返品されても困ります」
「返品って」
女が声を上げて笑った。
「本人にも同じことを言っておきます」
「それは構いません」
女は紙を懐へしまう。
「邪魔しました」
「確認に来てもらった方が助かります」
「なぜです?」
「偽物だと思って捨てられるよりは、何の紙か分かってもらえる」
女は一度だけ頷き、街道へ戻っていった。
門番がその背中を見送ってから、小声で言った。
「仕事、見つかりそうですね」
「一日使ってもらえるだけだ」
「それでも昨日出たばかりでしょう」
「そこで浮かれると続かなかった時に困る。本人が働く話だ。俺たちはここまででいい」
「はい」
門番は少し残念そうだった。
気持ちは分かる。
俺だって、昨日正面の門から出した人間が、今日もう働く場所を見つけたと言われれば悪い気はしない。
だが、その先まで勝手に成功談へ変えるつもりはなかった。
◇
執務室へ戻ると、グラッドが待っていた。
「外門から聞きました。カレブの件だったそうですね」
「仕事先が記録を確認しに来ただけだ」
「雇われるのですか」
「今日は試しに働かせるそうだ。その後は向こうが決める」
「十分早いですね」
「洗濯場で四年やったのが役に立ったらしい」
グラッドが少し考えてから、机の端に置かれていた技能記録へ目をやった。
「今後の刑期満了者にも、同じものを出しますか」
「本人が希望するならな」
「全員に?」
「確認できた内容だけだ」
「懲罰歴も?」
「何を証明する書類にするかを揃えた方がいい」
そこを曖昧にすると、都合のいい人間だけ良く書いた紙になってしまう。
「作業期間、担当業務、確認できた技能。それから、一定期間の勤務上の問題の有無くらいでいい」
「罪状は?」
「判決関係の証明を求められたなら別紙だ。仕事の記録へ何でも詰め込む必要はない」
「推薦状にはしない」
「そういうことだ」
グラッドが書き留める。
「ただ、希望者全員となると、いずれ件数は増えます」
「今すぐ八百人分作る話ではない。刑期満了が近い者から、必要なら出す」
「分かりました」
それなら現場も回る。
思いついた制度を全員へ一斉に広げて、記録仕事だけ増やす必要はない。
◇
昼過ぎ、洗濯場へ寄った。
カレブが抜けた後も仕事は普通に回っている。
昨日まで本人が使っていた場所には別の囚人が立ち、桶から濡れた布を引き上げていた。
灰汁と石鹸の匂いが鼻につく。
大きな布を二人で絞ると、床へ水が落ちてぱしゃぱしゃと音を立てた。
「監獄長」
現場の看守が寄ってくる。
「何か問題か」
「いえ。ただ、朝から三人に聞かれまして」
「何をだ」
「刑期が終わる時、自分も作業の証明をもらえるのか、と」
もう話が回ったらしい。
「誰から聞いたんだ」
「外門の話までは知らないはずです。昨日、カレブが紙を持って出たのを見ていた者がいるので」
囚人同士の情報は早い。
俺が奥を見ると、一人が慌てて目を逸らした。
「希望するなら、確認できたことは出す」
看守へ答える。
「ただし、良く書いてもらうために仕事を選べる、という話ではない。配置は今までどおり必要性と適性で決める」
「伝えていいですか」
「ああ」
すぐ近くで聞いていた男が、布を干しながら口を挟んだ。
「懲罰を受けてたら、それも書かれるんですか」
三十代くらいの囚人だ。
「何年前の何まで載せるかは決めていない」
「じゃあ、これから真面目にやれば消える?」
「消すとは言っていない」
男の手が止まる。
「過去の記録を書き換えるつもりはない。ただ、仕事の証明に必要な範囲と、懲罰記録そのものは別に考える」
「それだと、真面目にやる意味あります?」
随分と率直だ。
「刑期が終わる時に紙へ何と書かれるかだけが、真面目にやる理由なのか」
「いや、そうじゃないですけど」
「なら今の仕事をしてくれ」
男が苦笑する。
「はい」
それで終わりにした。
善行点を集めれば綺麗な紙がもらえる、という仕組みにするつもりはない。
今後一度も問題を起こさない保証など、監獄内でもできない。
◇
夕方、外門から小さな伝言が届いた。
紙ではない。
口頭だった。
「朝来た宿の女性からです」
門番が少し笑っている。
「何と言っていた」
「『洗濯の手つきは嘘じゃなかった。今日は夕食まで働かせる』と」
「それだけか」
「それだけです」
「なら、それでいい」
「カレブからは?」
「ありません」
「その方がいい」
門番が意外そうな顔をする。
「そうですか?」
「あいつはもう黒塔の囚人じゃない。毎日ここへ報告に来られても困る」
「確かに」
外門では、一日の荷車が最後の出入りをしていた。
門番が荷札を確認し、荷台の中を覗く。
夕方の冷たい風に、干し草と馬の匂いが混じって流れ込んでくる。
カレブはここにはいない。
街道のどこかにある宿で、今も洗濯物を扱っているらしい。
明日もそこで働けるかは分からない。
三日後に追い出されるかもしれないし、そのまま仕事になるかもしれない。
そこから先は、もう黒塔が決めることではなかった。
◇
執務室へ戻る途中、廊下の掲示板の前で足を止めた。
刑期満了予定者の確認表がある。
次に期限を迎える者は、まだ少し先だ。
俺はグラッドへ声を掛けた。
「今後、刑期満了が近い者には、一月前に私物と作業記録を確認しておいてくれ」
「一月前ですか」
「昨日みたいに、門を開ける当日になってから帰る場所も仕事の説明も何もないと分かるよりはいい」
「住居までこちらで用意しますか」
「そこまではしない」
「では、本人に確認するだけ?」
「帰る先があるか。持って出られる私物は何か。作業記録を希望するか。その程度だ」
グラッドが頷く。
「準備する時間を渡すわけですね」
「ああ。ただし、出所後の人生まで組んでやるつもりはない」
「その線引きは必要でしょうね」
廊下の向こうから夕食の鐘が鳴った。
木皿の触れ合う音が遠くから聞こえ始める。
黒塔には八百四十一人が残っている。
その全員が、ここで一生を終えるわけではない。
閉じ込めることばかり考えていたが、刑期が終われば正面の門から出す。
当たり前の話だ。
そして外へ出た人間について、黒塔が言えることにも限界がある。
昨日まで何をしていたかは記録できる。
明日から何者になるかまでは、俺の仕事ではなかった。
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