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第33話 三人の死は、別々に調べる

 王都の担当官たちが向かった先は、会議室ではなかった。


 朝の点呼が終わると、ローデンは厚手の外套を羽織り、俺とグラッド、それに医務担当官を連れて採石場へ向かった。


 夜明け前の冷気がまだ谷に残っている。


 黒塔から下る道には昨日の雨が作った浅い轍があり、靴底が泥を踏むたび、湿った土が鈍い音を立てた。遠くでは作業開始を告げる鐘が鳴り、採石場から槌の音が少しずつ増えていく。


「ルース・バーデンが最後に確認された場所を見たい」


 ローデンが言った。


「ドルガンの証言では、当時の作業区画はこの先です」


 グラッドが案内する。


 採石場へ入ると、石粉の乾いた匂いが鼻についた。


 昨日の雨で地面は湿っているのに、切り出された岩肌はもう白っぽく乾き始めている。ハロルが作業班を止めることなく、こちらへ近づいてきた。


「監獄長」


「作業は続けてくれ。案内だけ頼む」


「分かりました」


 ハロルが先に立つ。


 現在使っている採石区画を抜け、さらに奥へ進むと、鉄柵で区切られた古い採石場が見えてきた。


 今は使われていない。


 岩壁には昔の楔跡が残り、崩れた石が斜面の下へ積もっている。風が吹き抜けるたび、枯れ草が岩に擦れてかさついた音を立てた。


「遺体が見つかったのは?」


「この奥です」


 ハロルが柵越しに指す。


「当時は今ほど立入制限が厳しくありませんでした。使っていない区画ではありましたが、資材を取りに入る者もいたと聞いています」


「あなた自身は当時?」


「副責任者でした。ただ、この区画を担当していたわけではありません」


 ローデンが頷く。


「見ていないことまで説明しなくて結構です」


「はい」


 その返しに、ハロルの肩がわずかに緩んだ。


 この男も昨日までに何度か事情を聞かれている。


 誰もが、二年前の一日を完璧に覚えているわけではない。


     ◇


 ローデンは、ルースが最後に働いていた場所から旧採石区画まで自分の足で歩いた。


 急がず、途中で何度か立ち止まる。


「夜なら照明は?」


「松明です」


 グラッドが答える。


「常設では?」


「ありません。主要な通路だけです」


「雨の日は?」


「足場はかなり悪くなります」


 ローデンが地面を見る。


 今朝でも石の間に水が残っている。


「この道を通った記録は?」


「ありません」


「見張りは?」


「当時の配置では、採石場出口の人数確認が中心です。誰がどの通路を通ったかまでは記録していません」


「ルース本人がここへ来たところを見た者もいない?」


「現在確認できている範囲では」


 そこで答えを止めた。


 ローデンも続きを求めなかった。


 遺体がここで見つかった。


 だからといって、本人が自分で歩いてきたとは限らない。


 誰かに連れてこられたとも限らない。


 死んだ場所と、遺体が見つかった場所が同じだったかさえ、今残っている資料では決められない。


 推測ならいくらでも作れる。


 そのどれかを事実扱いした瞬間、調査ではなく物語になる。


「戻りましょう」


 ローデンが踵を返した。


     ◇


 医務室では、ラッセルが待っていた。


 薬草を煮出した匂いと消毒用の酒精が混じり、採石場から戻ったばかりの鼻には強く感じる。


 診察台の横には現在の医務記録が積まれているが、ローデンが開いたのは二年前の帳簿だった。


「バルト・レインから確認します」


 医務担当官が読み上げる。


「収容時、左肩に切創。歩行可能。肋骨骨折の記載なし」


 数頁進む。


「後日、肋骨三本の骨折を確認。ラッセル医務員が休養を指示。翌日、採石場作業へ復帰。十二日後、高熱を発し死亡」


 紙の擦れる音だけが室内に残った。


 ローデンがラッセルを見る。


「骨折した原因は分かっていますか」


「断定できません」


「暴行の可能性は?」


「あります。転倒でも起こり得ます。当時、私が診た時点では骨折していた。それ以前の経緯は記録されていません」


「翌日の作業復帰が死亡原因だと思いますか」


 ラッセルの眉間に皺が寄る。


「それも断定できません」


 しばらく考えてから続けた。


「肋骨を折った状態で重作業へ戻すべきではありませんでした。休ませていれば悪化を防げた可能性はあります。ただ、高熱の原因まで特定できる記録は残っていません」


「作業へ戻した者は?」


「分かりません」


「監獄長から指示を受けた記憶は?」


「ありません」


 ローデンが俺を見ることはなかった。


 そのまま書記官へ視線を移す。


「そのまま記載してください。休養指示が出たこと、その翌日に復帰したこと、復帰判断者は特定できないこと。死亡との因果関係は確定できない」


 書記官のペン先が紙を走った。


 余計な言葉は足されなかった。


     ◇


 ヘルム・カーンの記録は、内容が違った。


 収容時の負傷は右前腕の打撲だけ。


 その後、懲罰として食事量を半分に減らされている。


 最初の七日。


 隠していたパンが見つかり、さらに十四日。


 冬だった。


 十五日目に発熱し、二十一日目に死亡している。


「半量とは、正規配給の半分ですか」


 医務担当官が尋ねる。


「当時の記録ではそうなっています」


 ラッセルが答える。


「医務側から停止を求めなかった?」


「求めています」


「残っていますか」


「これです」


 差し出された紙には、栄養状態の悪化と発熱について書かれていた。


 だが、減食を止めたという記録はない。


「死亡原因は?」


「感染症の可能性があります。ただ、検査手段が足りず特定できていません」


「減食との関係は?」


 ラッセルは今度も即答しなかった。


「体力を落としたことは間違いないでしょう。ただ、それだけで死亡したとは言えません」


 ローデンが紙を置く。


「では、バルトとは別です」


「はい」


「同じ人物が同じ方法で二人を殺した、という材料は?」


「医務記録からは出ません」


 ラッセルの声は低かった。


 それでも視線は逸らさない。


     ◇


 三人目、ルースについては医務室で確認できることがほとんどなかった。


 収容時に目立った負傷なし。


 死亡前に医務室へ来た記録もない。


 死体発見後の記載は簡素で、今の基準なら到底足りない。


「三人とも死んだ」


 ローデンが帳簿を閉じる。


「しかし、同じ経過ではありません」


 誰も返事をしない。


「バルトは負傷後の作業復帰。ヘルムは長期の減食と発熱。ルースは所在確認そのものが途切れている」


 ローデンがこちらへ向いた。


「これを一つの筋書きへまとめる証拠は、今のところありません」


「意図的に三人を処分した証拠も?」


「確認できていません」


「では、事故だったと?」


「それも言っていません」


 声の調子は変わらなかった。


「意図的な殺害を立証できないことと、適切に管理されていたことは別です」


「分かっています」


 バルトは休養指示が守られていない。


 ヘルムは冬に食事を削られ続けた。


 ルースは夜間点呼を通ったことになっているのに、本人が房へ戻ったのかすら確認できない。


 殺人計画がなかったなら、それで黒塔がまともだったことにはならない。


     ◇


 午後、ローデンたちは三人だけで書類をまとめた。


 俺は呼ばれなかった。


 執務室に戻り、北壁の資材払出しと厨房の受領票、それから採石場の作業報告を見る。


 窓の外では風が強くなっていた。


 中庭を横切る看守の外套が膨らみ、干していた雑巾が紐の上ではためいている。


 王都の人間が何を書いているか気にはなる。


 だが、待っている間に八百四十二人の飯が止まるわけでも、壁の補修が終わるわけでもない。


「所長」


 グラッドが扉を叩いて入ってきた。


「北壁、昨日の区画は予定どおり作業再開。支持材六本も受領確認済みです」


「怪我人は?」


「いません」


「採石場は?」


「通常稼働です。ドルガンは危険箇所の助言だけ。ハロルから指示逸脱なしと報告が来ています」


「分かった」


 グラッドは書類を置いた後も、その場に立っていた。


「どうした」


「王都の担当官から、夕刻に監獄長とアルヴァンへ別々に説明したいと」


「同席ではないんだな」


「はい」


「なら問題ない」


 グラッドは頷き、出ていった。


     ◇


 日が傾いた頃、俺は小会議室へ呼ばれた。


 ローデンの前には、薄い書類が二組置かれている。


 これまで見てきた束と比べると、拍子抜けするほど少ない。


「調査結果を確定するわけではありません」


 最初にそう断った。


「王都へ持ち帰る中間整理です」


「聞きます」


「まず、バルト、ヘルム、ルースの三名について。三人が計画的に殺害されたことを示す共通の証拠は確認できませんでした」


 予想していた言葉だった。


「ただし、個別には重大な管理上の問題があります」


 バルト。


 医務の休養指示が守られていない。


 誰が復帰を命じたかは不明。


 ヘルム。


 長期減食が継続され、医務側の懸念が運用へ反映されていない。


 ルース。


 所在確認が不十分で、失踪した時点すら絞り込めない。


「これらは別々に整理します」


「三人の死を、一つの事件としては扱わない?」


「証拠がない以上は」


「当時の監獄長の責任は?」


 ローデンが俺を見る。


「それをこの場で決める権限はありません。ただ、監獄長名義の施設で、複数の重大な管理不備が続いていた事実は報告します」


「当然ですね」


「あなた個人が個別に命じたと確認できたものと、監獄全体の管理責任は分けて記載します」


 それならいい。


 いや、良くはない。


 だが、混ぜられるよりは正確だ。


     ◇


「次に、アルヴァン・ギレスについてです」


 ローデンが二組目の書類を開く。


 空気が少し変わった。


「護送任務そのものは実在した。アルヴァンが三名へ護送命令を出していたことも、王都側の別記録で確認されています」


「はい」


「当時の裁定では、その任務が確認できなかったことが、アルヴァンの供述の信用性を下げる材料の一つになっていました」


 そこも既に分かっている。


「現在、その前提は崩れています」


「だから無罪になる?」


「なりません」


 即答だった。


「護送任務が存在したことは、王殺し未遂がなかった証明にはならない」


「でしょうね」


「しかし、当時の判断材料の一部に誤りがあった可能性が高くなった以上、同じ前提のまま死刑を執行することも適切ではありません」


 ローデンが紙を一枚、こちら側へ向けた。


 俺に署名させるものではない。


 報告内容を見せているだけだ。


「我々は、王都へ正式な再審査手続きへ付すよう意見を上げます」


 少しだけ呼吸が止まった。


「再審が決まった?」


「違います」


 ローデンはそこで線を引いた。


「我々が決めることではありません。軍法側と王室司法側が、改めて審理する必要があるか判断します」


「死刑執行停止は?」


「継続を求めます」


「黒塔に置いたまま?」


「現時点では」


 ようやく、ここまで来た。


 無罪ではない。


 釈放でもない。


 死刑囚という身分も変わらない。


 それでも、二年前の判決をそのまま執行するところからは一歩離れた。


「アルヴァン本人には?」


「これから私が説明します」


「俺は同席しない方がいいですね」


「その方がいいでしょう」


 ローデンが書類を閉じる。


「監獄長」


「何でしょう」


「三人の死について、結果が期待したものと違ったと思いますか」


「期待?」


「一つの悪意で説明できた方が、分かりやすかったでしょう」


 俺は少し考えた。


「分かりやすいでしょうね」


「では?」


「分かりやすさのために犯人を作ったら、ここまで調べた意味がなくなる」


 ローデンは何も言わなかった。


 ただ、一度だけ頷いた。


     ◇


 アルヴァンの房へ行ったのは、それから一刻ほど後だった。


 王都側の説明は既に終わっている。


 格子の向こうで、アルヴァンは壁際の椅子に座っていた。


 ランタンの明かりが横顔へ落ちている。


「聞いたか」


「ああ」


 短い返事だった。


「再審査へ回すよう意見を上げるそうだ」


「そう聞いた」


「死刑停止も継続を求める」


「それもな」


 声には喜びも安堵もない。


 当然かもしれない。


 まだ何一つ覆っていない。


「三人についても説明された」


 アルヴァンが言う。


「一つの事件として扱う証拠はないそうだな」


「ああ」


「バルトも、ヘルムも、ルースも、別々に死んだことにするのか」


「違う」


 そこは否定した。


「別々に調べるということだ。誰か一人が三人を殺した証拠がないからといって、それぞれに何もなかったことにはならない」


 アルヴァンの目が細くなる。


「バルトを作業へ戻した人間も分からない。ヘルムへの減食を止めなかった経緯も追い切れない。ルースは、いつ姿が消えたかすら確定できない」


「結局、分からないことだらけだな」


「そうだ」


「それで終わるのか」


「王都側は終わらせないと言っている。ただ、証拠のない答えまでは作らない」


 アルヴァンはしばらく黙っていた。


 廊下の向こうで看守の靴音が通り過ぎる。


 鉄格子に吊った鍵が揺れ、小さく触れ合った。


「三人を、俺の再審査の材料にはするな」


 低い声だった。


「護送任務が実在したことは使われる」


「それは構わん」


「三人が黒塔でどう死んだかは別件だ」


「ならいい」


 アルヴァンが背もたれから身体を起こした。


「俺が王を殺そうとしたかどうかと、あいつらがここで死んだことは別だ」


「俺もそう思う」


「意見が合ったな」


「珍しいこともある」


 アルヴァンの表情は変わらなかった。


「勘違いするな。あんたを信用したわけじゃない」


「そこまで期待していない」


 俺が答えると、アルヴァンは小さく鼻を鳴らした。


「再審査だ何だと言っても、まだ紙が一枚増えただけだ」


「そうだな」


「なら、その紙がどこまで行くか見ている」


「それでいい」


 これ以上話すことはなかった。


     ◇


 房を出ると、ちょうど夕食の配膳が始まるところだった。


 通路の向こうから、蓋付きの容器を載せた台車が来る。


 車輪が石床の継ぎ目を越えるたび、がたん、と低く鳴った。


 高警戒区画の看守が受領数を確認し、一食ずつ配る先を読み上げる。


 俺は脇へ避けた。


 三人の死について、きれいな答えは出なかった。


 アルヴァンもまだ死刑囚のままだ。


 だが、分からないところを誰か一人の悪意で埋める調査にはならなかった。


 それでいい。


 台車から、温かい豆の匂いが漂ってくる。


 配膳担当がアルヴァンの房の前で止まり、数量を確かめてから食事を渡した。


 今夜も黒塔では、八百四十二人分の食事が配られる。


 少なくとも、今日確認できることはそこまでだった。




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YouTubeショート動画作ってみました。

https://youtube.com/shorts/_zEBpYRUMc4?si=9bu0xxStFm2Bo5Z8

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