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第3話 元兵站総監に便所掃除をさせるな

「王国軍の兵站総監が、どうして便所掃除をしてるんだ?」


 机の上に広げた囚人名簿を示すと、グラッドは何がおかしいのか分からない顔をした。


「現在は囚人ですので」


「それは分かってる」


 ガイラス・ヴォルン、六十二歳。


 元王国軍兵站総監。


 国家反逆罪で無期刑。


 現在の担当は北棟の便所清掃。


 便所掃除を軽く見る気はない。誰かがやらなければ監獄はすぐ臭気と病気で酷いことになる。


 だが、四万人規模の兵站を扱っていた人間へ、それしかさせていないのは別の話だ。


「暴力沙汰は?」


「ありません」


「脱獄を企てた記録は?」


「ございません」


「それなら、扱いにくいというのは?」


 グラッドが少し考えてから答えた。


「命じられたことしかしない男です。余計なことは一切口にしません」


「それだけか」


「はい」


 むしろ優秀な囚人に聞こえる。


「会ってみよう」


     ◇


 ガイラスは北棟の端で木桶を洗っていた。


 白髪交じりの短髪で、痩せてはいるものの背筋は伸びている。俺たちが近づいても慌てず、桶を壁際へ寄せてから振り返った。


「ガイラス・ヴォルンだな」


「そう呼ばれております」


「少し話がある」


「便所がまだ十二房残っておりますが」


「そっちは別の人間へ回す」


「では石運びでしょうか。それとも別の懲罰を?」


「仕事の相談だ」


 そこで初めて、ガイラスの目にわずかな警戒が浮かんだ。


「お前、以前は兵站総監だったそうだな」


「昔の話です」


「最大で何人くらいの補給を扱った?」


「私の管轄全体なら、四万ほどです」


 囚人八百人と看守百二十七人。


 黒塔全体でも千人に届かない。


 規模だけなら、ガイラスが昔扱っていた人数の何十分の一だ。


「食料庫を見てもらいたい」


「お断りします」


 即答だった。


 グラッドの顔が険しくなる。


「ガイラス。所長の依頼だぞ」


「命令であれば従います。ただし、食料庫へ行けと命じられたからといって、助言まで命じられたことにはならないでしょう」


 筋は通っている。


「王国のためには働きたくない、ということか?」


「その問いへ答える義務はありますかな」


「ない」


「では答えません」


 国家反逆罪が何を意味するのかは、今は聞かない。


 待遇を少し変えただけで、長年の事情まで全部話してくれる方がおかしい。


「なら、助言しなくてもいい。一緒に来て、俺が何をしてるのか見ていてくれ」


「便所掃除は?」


「今日は他へ回す」


 ガイラスは一瞬だけ俺を見つめた後、木桶を置いた。


「見ているだけなら」


「それでいい」


     ◇


 食料庫では、ロアンを担当から外した後の在庫確認が続いていた。


 現在は二人で現物を数え、一人が記録している。


「小麦九袋、豆十四袋。干し肉二樽。芋と玉葱は、今の使用量なら三日ほどです」


 新しい担当看守が読み上げる。


「次の納入予定は?」


「八日後です」


 昨日から、囚人の食事量を増やした。


 水のような麦粥だけではなく豆や野菜も入れるようにしている。


 元へ戻すつもりはない。


「今の配給を続けた場合、小麦は何日持つ?」


 三人の看守が顔を見合わせた。


「八日後までは……」


「持つかどうかじゃない。何日目に尽きる?」


「そこまでは計算しておりません」


 厨房の使用量と食料庫からの払い出し量にも細かなずれがあるらしく、すぐには答えが出ない。


 後ろで黙っていたガイラスが、ようやく口を開いた。


「判断するには数字が足りません」


「何が必要だ?」


「昨日一日に厨房へ出した麦、豆、野菜の量。それ以前の平均。それと、どの作業に何人いるのかを」


 即答で残り日数を言わないところが、かえって信用できた。


「グラッド。集められるか?」


「すぐに」


 数字が揃うまで、ガイラスは勝手な計算を始めなかった。


 昼前。


 作業別の人数まで集まった。


 採石、運搬、建築などの重労働が三百十二人。


 厨房、洗濯、工房など通常作業が三百七十九人。


 老人、怪我人、療養中が百九人。


 合計八百。


 ガイラスはそれを見て、今度は厨房の一日使用量を確認した。


「全員へ同じ割合で増やされたのですな」


「ああ」


「でしたら、そこを変える余地があります」


「どう分ける?」


「石を運ぶ者と、一日座って縄を編む老人が同じだけ消耗するわけではありません。重労働、通常作業、療養中。少なくとも三つに分けた方がよいでしょう」


「療養中の者から減らすのか?」


「いいえ」


 ガイラスはすぐ否定した。


「昨日までより減らせば、改善された食事を取り上げられたと受け取られます。量を単純に削るのではなく、内容を変えるべきです」


 重労働組には麦を多め。


 老人や病人には柔らかく煮た粥を中心にし、豆や芋も使う。


 厨房の鍋で無理なく作れる範囲まで確認してから、ガイラスは木炭で数字を書き始めた。


 途中で何度か厨房担当へ聞き直し、ようやく手を止める。


「今のまま全員へ昨日と同じ量を出せば、五日目の夕食あたりで小麦が尽きるでしょう」


「次の納入は八日後だぞ」


 グラッドの顔が固まる。


「分け方を変えた場合は?」


「今ある豆と芋も組み合わせれば、七日半ほどまでは延ばせそうです」


「まだ足りないな」


「当然です。食料は計算だけでは増えません」


 その通りだ。


「不足分を買えば八日後まで持つか?」


「八日後だけを見てよろしいのですか?」


 俺はガイラスを見る。


「どういう意味だ?」


「荷車が壊れる。馬が倒れる。雨で道が使えなくなることもある。商人が予定通り来ない場合もあるでしょう。一度の遅配で食料が尽きるなら、それは備蓄とは呼べません」


 元兵站総監らしい答えだった。


「どの程度残す?」


「この規模なら、最低でも数日分。可能なら常に十日分程度の余裕は欲しいところです。ただし、これは仕入れ先と保管場所を確認してから詰めるべきでしょう」


「分かった。まず目の前の不足分を増やす方法は?」


 ガイラスが倉庫の外を見た。


「黒塔へ荷を運んできた荷車は、帰りに何を積んでいます?」


 グラッドへ確認する。


「空荷です」


「毎回か?」


「ほとんどは」


「なら帰路で豆や芋を買わせれば、別便を出すより安く済むでしょう」


 ベルガ商会との契約を調べると、優先納入品は小麦、塩、干し肉、油などで、豆と芋は含まれていなかった。


「近隣で買えるな」


「相場を知る者がいれば、ですが」


 ここでも囚人名簿が役に立つ。


「商店勤めか商売経験のある者を探してくれ。罪状も確認して、最初は少量だけ買わせる。看守も同行させろ」


「承知しました」


 グラッドがすぐ動いた。


 ガイラスがその背を見送る。


「監獄長殿は、ご自分で買い付けへ行かれないのですな」


「俺はこの辺りの相場を知らない」


「では食料配分は?」


「四万人の飯を扱った男が目の前にいるのに、素人の俺が全部決める理由がないだろ」


 ガイラスが黙った。


「監獄長だから全部できなきゃならない、とは思ってない。できる奴へ任せて、必要なところだけ俺が決める」


「以前とは随分違いますな」


「今のやり方に問題があるか?」


「今のところは」


 それ以上は言わなかった。


 十分だ。


     ◇


 夕方には、近くの村から少量の芋と豆が届いた。


 空荷で戻る予定だった荷車を使ったため、新しく一台仕立てる必要もない。


 厨房では重労働組の麦を増やし、通常作業と療養中の者は昨日の量を下回らない形で中身を調整した。


 案の定、配給所では声が上がった。


「なんで採石場だけ多いんだ!」


 洗濯場の男が、大きな器を受け取った採石場組を指している。


 近くの看守が鞭へ手を伸ばした。


「鞭は要らない」


 男をこちらへ呼ぶ。


「お前は洗濯場勤務だったな」


「……はい」


「昨日より自分の食事が減ったか?」


「多分……あいつらより少ないから」


「昨日との比較を聞いてる」


 厨房担当に量を確認させる。


 洗濯場組は昨日と同量だった。


 増えたのは採石場などの重労働組だ。


「採石場へ移りたいなら希望は聞く。あの仕事量をこなせるなら、食事も同じ区分になる」


 男は泥と石粉にまみれた採石場組を見た。


「……洗濯場のままでいいです」


「なら今の仕事をしろ。理由のない差はつけない」


 男はまだ少し不満そうだったが、器を持って戻った。


 後ろにいたガイラスが言う。


「毎回、監獄長殿が説明するおつもりですか?」


「それは困るな」


「配給区分を見える形にした方がよいでしょう。文字を読めぬ者もいますから、器か札に印を付ければいい」


「それでいこう」


「私はまだ正式に仕事を引き受けた覚えはありませんが」


「今のは助言だろ」


「随分便利に扱われますな」


 口調は相変わらずだが、朝よりは少しだけ刺が減っていた。


「明日から食料と燃料の管理を手伝ってくれ」


「お断りします」


 そこは変わらないらしい。


「王国のために働く気はありません」


「王国のためじゃない。ここにいる千人弱を飢えさせない仕事だ」


「私には同じです」


 声は穏やかでも、譲る気はなかった。


「国家反逆罪と関係しているのか?」


「あります」


「今は話したくない?」


「はい」


「分かった。無理には聞かない」


 昨日までどう扱われていたかを考えれば、食事を一度増やした程度で信用しろという方が無茶だ。


「正式に引き受けなくていい。ただ、俺が食料庫で間違ったことをやっていたら教えてくれ」


「結局働くことになりますな」


「見物のついででいい」


 ガイラスは少しだけ考えた。


「あなたを信用したわけではありません」


「それで構わない」


「では、しばらく見物させていただきましょう」


 忠誠なんて必要ない。


 今は黒塔の中で全員まとめて飢えたり死んだりしないために、使える知識を使えればいい。


     ◇


 その直後、医務室から看守が走ってきた。


「所長、病人が増えています!」


「何人だ?」


「今朝は三十一名でしたが、四十三名に。腹を下している者と発熱している者が多いです」


 食事を変えた影響か。


 そう考えたところで、ガイラスが確認した。


「どの棟に集中しています?」


「南棟です。ほとんどが」


「食事は棟ごとに別ですか?」


「いいえ。同じ厨房から配っています」


 ガイラスが俺を見る。


「食事以外も確認した方がよいでしょう」


 俺も気づいた。


「水か」


 黒塔には井戸が三本ある。


 南棟の囚人が主に使うのは第三井戸だ。


「第三井戸を止めろ。他の二本から水を運ぶ。南棟へ回す人数も増やせ」


 グラッドがすぐに看守を走らせた。


     ◇


 日が落ちる前に第三井戸周辺を調べた。


 井戸の中へ何かを投げ込まれた形跡はない。


 北壁と違い、ベルガ商会の工事記録も関係なかった。


 原因らしいものを見つけたのは、ノエラと、井戸掘り経験のあるバルクだった。


「この辺りです」


 井戸から少し離れた地面を掘ると、古い石造りの槽が現れた。


「これは?」


「汚水を溜める槽です」


 バルクが石の継ぎ目を指す。


「ここが割れています。かなり古い傷みです」


 ノエラは槽と第三井戸の位置を見比べた。


「汚水が地下へ染み出している可能性があります。第三井戸の方が低いので、影響していても不思議ではありません」


「第三井戸は当分使えないと考えた方がいいか?」


「はい。まず槽を空にして周囲を掘り、どこまで漏れているか確認したいです」


「分かった」


 グラッドに点検記録を確認させる。


 最後にまともな点検をしたのは六年前だった。


「六年間、何もしていないのか?」


「臭いが強くなった際に、石灰を撒かせる程度は……」


「それは点検じゃない」


 今回は誰かが壊したわけではない。


 陰謀でもない。


 ただ六年間、誰も管理しなかった。


 その結果、三百人近くが使う井戸の近くで汚水が漏れている。


 ある意味、北壁より頭が痛い。


「必要な人員を出す。ノエラ、バルクと一緒に調べてくれ。ただし北壁の作業を止めるほど人は抜くな」


「分かりました」


 第三井戸を閉鎖し、他の二本から運ぶ体制へ切り替えた。


 すぐ病人が減るとは限らない。


 すでに飲んだ者は、これから症状が出る可能性もある。


 医務室へも知らせておく必要がある。


     ◇


 夜。


 ガイラスが自分から執務室へ来た。


「食料だけ見ていればよい、という考えは訂正します」


「俺も同じことを考えてた」


「水、燃料、薬、衣服、寝具。冬へ入る前なら薪の量も確認した方がよいでしょう」


「手伝ってくれるのか?」


 ガイラスはしばらく黙った。


「あなたに忠誠を誓うつもりはありません」


「求めてない」


「王国への考えも変わっておりません」


「それも構わない」


「ですが、ここで何も知らぬまま死ぬ者を増やしたいとも思いません」


 ガイラスは机の上の在庫表を見た。


「明朝、倉庫を一通り確認させてください。何があり、何が足りないのかを先に把握します」


「分かった。便所掃除は他へ回す」


「そうしてください」


 元王国軍兵站総監が、ようやく木桶を手放した。


 翌朝。


 最初に開けたのは医薬品庫だった。


 扉を開いた瞬間、湿った草と黴の臭いが鼻を突く。


 棚や床には薬草の袋が積まれている。


 一見すると量はある。


 だが一袋を持ち上げると、底まで湿っていた。


 中に手を入れた医務係が顔をしかめる。


「これは使えません」


 別の袋も開ける。


 その次も。


 確認していくうちに、使い物にならない薬草が半分を超えた。


 帳簿の上では、十分な薬があることになっている。


 現物は違った。


 食料も、水も、薬も。


 黒塔には物がないだけじゃない。


 何があるのかすら、誰も正確に把握していなかった。




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YouTubeショート動画作ってみました。

https://youtube.com/shorts/_zEBpYRUMc4?si=9bu0xxStFm2Bo5Z8

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