第29話 今度は、監獄長が調べられる
「王都から封印書簡が二通です」
朝、執務室へ入ってきたグラッドが、銀盆ごと机へ置いた。
どちらにも王都監察局の印がある。
届けた伝令の身分証は外門で確認済み。封蝋の欠損もなく、受領時刻と受取人の名前まで記録してある。
「セヴェル監察官の報告に対する返答だろうな」
「一通はアルヴァン・ギレスについて。もう一通は、黒塔監獄の収容管理に関する確認通知です」
後者の方が嫌な予感がした。
「先にアルヴァンから見る」
封を切る。
長い前置きの後に書かれていた内容は、思ったより明確だった。
アルヴァン・ギレスに対する死刑執行停止を継続する。
ただし、旧判決そのものを破棄するものではない。
王都側で軍務記録、宮廷警備記録、当時の証言を再収集し、判決時に使われた信用性評価を再査定する。
その結果を受け、再審理が必要か判断する。
八日後、担当官三名を黒塔へ派遣する。
「無罪ではないな」
「はい」
グラッドも文面を確認する。
「再審理の実施も、まだ決まっていません」
「ああ。ただ、死刑停止そのものは監察官が現場で掛けた一時措置ではなくなった」
「王都側の正式決定ですね」
そこは大きい。
少なくとも、明日になって突然、
《予定どおり処刑せよ》
と命令が来る可能性は大きく下がった。
アルヴァンの身柄も黒塔に残す。
王都まで運べば、護送中の逃走や襲撃まで考えなければならない。担当官がこちらへ来る方が安全なのは確かだ。
「八日後までは、高警戒区画の運用を変えない」
「承知しました」
「次を読むか」
二通目の封を切った。
◇
最初に目へ入ったのは、三人の名前だった。
バルト・レイン。
ヘルム・カーン。
ルース・バーデン。
アルヴァンの元部下であり、黒塔へ収容された後に死んだ三人だ。
王都側で、三人が実際の護送任務に就いていたことは確認された。
なら、別の問題が出てくる。
三人を黒塔へ引き渡した書類には、
《護送任務に関する申立ては受理せず》
という処理指示が残っている。
誰がその文言を入れたのか。
どんな根拠があったのか。
黒塔側は、なぜその扱いを受け入れたのか。
さらに収容初日、正式には閉鎖されていた東側の旧懲罰室へ三人まとめて移された理由。
その後の作業、懲罰、医務対応。
バルトは肋骨を折った後、医務から休養を指示されながら翌日には採石場へ戻され、十二日後に高熱で死亡した。
ヘルムは冬に食事を減らす懲罰を受け、発熱後に死亡。
ルースは採石場で姿が見えなくなり、三日後に旧採石区画で遺体が見つかっている。
三件を一つの原因で括る文面ではない。
誰かが三人をまとめて殺した、と決めつけてもいない。
ただ、それぞれについて何が起きたのか確認する。
そのための調査だった。
「所長」
「ああ」
最後まで読まなくても分かった。
確認対象者の欄に、
《当時の監獄長》
とある。
ディルク・ハーゼン。
俺だ。
「監獄長印が押されていますからね」
グラッドが静かに言う。
「三名を分離し、護送任務に関する訴えを受け付けないよう求めた書類にも、受領印があります」
「分かってる」
俺には、その印を押した記憶がない。
相川宗一郎だった俺が、この身体で目を覚ましたのはずっと後だ。
だが、そんな説明が通るはずもない。
監察局から見れば、ディルク・ハーゼンは一人だ。
過去に何をしたか覚えていないから責任はない、とは言えない。
俺だって、前世で刑務官をしていた頃にそんな言い分をされたら信用しなかっただろう。
「職務停止命令は付いていません」
グラッドが続ける。
「事情聴取の結果次第でしょうか」
「そこを予想しても仕方ない」
紙を机へ置く。
「今やるべきことを確認しよう」
◇
監察局の指示は明確だった。
関係する記録を現状のまま保全する。
原本への追記、修正、廃棄は禁止。
関係者同士で事情聴取の内容を相談しない。
証言を揃えない。
そして調査準備を理由に、黒塔の日常業務を不必要に止めない。
「最後が重要だな」
グラッドが頷く。
「北壁の工事、採石場、厨房、医務、各棟の勤務体制はそのままです」
「王都から三人来るからと、八百四十二人の管理を止めるわけにはいかない」
新しい囚人もいる。
高警戒対象もいる。
北壁の基礎工事も途中だ。
先日ようやく食料輸送の遅れも片づいたばかりだった。
監察対応だけに人を取られれば、別の事故が起きる。
「記録保全は誰に任せますか」
「お前と記録担当二人で足りるか」
「一覧作成までなら。ただ、原本を集めて一室に移すのは避けた方がいいでしょう」
「俺もそう思う」
書類には、それぞれ本来の保管場所がある。
医務記録を執務室へ持ってくれば、その間ラッセルが必要な記録を見られなくなる。
採石場の帳簿も同じだ。
何より、調べられる側が勝手に資料を一か所へ集めれば、抜いた、足したと言われても反論しづらい。
「原本は動かさない。保管場所と責任者だけ一覧にしてくれ」
「閲覧用の写しは作りますか」
「必要なものだけ二名で照合しながら作る。写しには作成日、作成者、原本の保管場所を入れる」
「担当官へ原本提出を求められた場合は?」
「その場で指示に従う。それまでは触りすぎない」
「承知しました」
次に、事情聴取の対象になりそうな者を確認した。
エバン。
ラッセル。
ドルガン。
そのほか当時の夜勤、採石場、収容手続きに関係し、今も在職している者。
「全員を集めて説明するのはやめよう」
「個別に通知します」
「聴取対象になる可能性と、互いに内容を相談しないことだけ伝えてくれ」
「何を話すべきかまでは?」
「指示しない」
グラッドが俺を見る。
「所長自身について、名前が出た場合も?」
「ああ」
「当時、監獄長の命令だったと証言される可能性があります」
「それなら、そのまま言わせろ」
自分に都合のいい記憶を思い出させるために、
《本当に俺が言ったのか》
《別の上司じゃなかったのか》
などと先に聞いて回れば、それだけで証言を汚す。
「俺を庇うな。逆に、昔のディルクを悪く言わせようとするのもなしだ」
「分かりました」
「見たこと、やったこと、言われたこと。その範囲だけ答えてもらえばいい」
俺自身も同じだった。
問題は、俺にはその時期の記憶がないことだ。
◇
グラッドが出ていった後、一人で問題の受領書を見た。
原本には触れず、以前作らせた写しだけを机へ広げる。
そこには確かに監獄長印がある。
文字も消えていない。
俺が押した覚えはない。
だが、
《覚えていません》
だけで済ませたらどう見えるだろう。
自分に不利なことだけ忘れた監獄長。
外から見れば、それが一番自然だ。
なら、下手に理由を作らない方がいい。
覚えていない。
記録にはこう残っている。
当時の自分が何を考えて受け取ったかは説明できない。
ただし、現在確認できる書類は提出する。
言えるのはそこまでだ。
問題は、それで職を失うかもしれないことだった。
監獄長の職に愛着があるわけではない。
最初は百日後に殺されないためだけに、この黒塔を変え始めた。
それでも今ここを放り出せば、北壁も、食料も、医務も、看守の勤務も途中で止まる。
辞めたいから辞められる立場ではないのは、最初から変わっていない。
かといって、昔の記録を隠してまで椅子にしがみつく気にもなれなかった。
机の写しを閉じる。
八日ある。
やることは決まっている。
普段の黒塔を回しながら、触るべきでないものに触らない。
◇
昼前、高警戒区画へ向かった。
王都からの決定は、アルヴァン本人にも知らせる必要がある。
一人房の前で、担当看守二人に立ち会わせる。
アルヴァンは格子の向こうで立ったままこちらを見ていた。
「王都から返答が来た」
「処刑日か」
「逆だ。執行停止は継続になった」
アルヴァンの顔は変わらない。
「旧判決はまだ有効。王都で軍務記録と宮廷警備関係を集め直して、当時の信用性評価を再査定する。その後、再審理が必要か判断する」
「再審が決まったわけではない」
「ああ」
「いつ来る」
「八日後。担当官三人だ。お前を王都へ移す命令はない。聴取はここで行う」
アルヴァンが短く頷く。
「それだけか」
「もう一件ある」
三人の名前を告げた。
バルト。
ヘルム。
ルース。
今度は、目の奥がわずかに動いた。
「三人を調べるのか」
「黒塔へ入った後の扱いをな」
「俺の判決と一緒に?」
「別だ」
そこははっきりさせる。
「護送任務が実在したことは、お前の旧判決を見直す材料の一つになっている。ただ、三人が黒塔でどう扱われたかは、それ自体を別に確認する」
「東側の部屋も対象か」
「ああ」
「採石場は?」
「入っている」
「医務記録も?」
「対象だ」
アルヴァンが格子へ近づいた。
「当時の監獄長は」
「聴取対象になっている」
視線が俺へ刺さる。
「つまり、あんたもか」
「そうなる」
「何を答える」
「聞かれたことを答える」
「三人をあの部屋へ入れた命令が、あんたの名前で残っていたら?」
「出す」
「作業へ戻せと命じた記録が出ても?」
「それも出す」
「自分が処分されてもか」
ここで、
《当然だ》
と格好をつける気にはなれなかった。
「処分されたくはない」
アルヴァンの眉がわずかに動く。
「職も失いたくないし、犯罪になるなら牢屋にも入りたくない」
「なら隠すか」
「隠したことまで増やしたくない」
アルヴァンは黙る。
感謝した様子はない。
当然だ。
三人はもう戻らない。
今の俺が記録を出したところで、死んだ部下が生き返るわけでもない。
「覚えていない、と言うつもりか」
不意にそう聞かれた。
少しだけ間を置く。
「覚えていないことは、そう答える」
「便利だな」
「そう見えるだろうな」
否定できない。
「だから、記録があるものまで否定する気はない」
アルヴァンはしばらく俺を見ていた。
「俺は、あんたを信用していない」
「ああ」
「三人が死んだ監獄の責任者だったことも変わらん」
「それも分かってる」
「なら、八日後に何が出るか見る」
「そうしてくれ」
それ以上は何も言わなかった。
「八日間、収容条件は今までどおりだ。必要な申請があれば通常の手続きで出せ」
「ない」
「分かった」
背を向ける。
後ろから呼び止められることはなかった。
◇
午後になっても、黒塔はいつもどおり動いていた。
北壁では二十四人が作業。
採石場も通常量へ戻っている。
厨房からは夕食用の豆を煮る匂いが流れ、医務室ではラッセルが新規収容者の経過を見ていた。
監察局から書簡が届いたからといって、囚人の腹が減らなくなるわけではない。
門の鍵も勝手には閉まらない。
だから通常業務は通常業務として回す。
その上で、触れてはいけない場所だけを分けた。
「こちらです」
グラッドと東側へ向かう。
旧懲罰室。
正式には十六年前に閉鎖されたはずの部屋だ。
だが壁には百三十七名分の名前が残り、その中にはバルト、ヘルム、ルースの名もある。
「担当官が来るまで、中へ入る必要のある作業は停止します」
グラッドが扉を確認する。
「清掃は廊下まで。壁、床、扉の内側には触れさせません」
「それでいい」
「警備巡回は通常どおり、扉の外から確認します」
「ああ」
扉を閉める。
鍵が掛かる。
それだけなら、誰かが開けてまた閉めても分からない。
グラッドが用意した紙帯を、扉と枠へまたがるように貼った。
「印を二つ使います」
「お前と俺か」
「はい。片方だけでは、片方が開けたと言われた時に弱いので」
「なるほど」
先にグラッドが副監獄長印を押す。
残った側へ、監獄長印が差し出された。
手に取る。
同じ役職の印だった。
過去の書類に残るものと、形も同じだ。
昔のディルクが何を考えて印を押したのか、俺には分からない。
だが、今この扉を封じる理由なら説明できる。
朱肉へ印面を押し当てる。
紙帯の上へ、まっすぐ落とした。
印影が残る。
グラッドが近づいて確認した。
「これで、開ければ分かります」
「ああ」
「担当官が来るまで、このまま保全します」
「頼む」
監獄長印をグラッドへ返す。
扉には二つの印が並んでいた。
「所長」
「何だ」
「八日後、この封印を最初に確認してもらいます」
「そうしてくれ」
俺はもう一度だけ、自分で押した印を見た。
そして扉に背を向けた。
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