↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
25/69

第25話 殴るなとは言った。止めるなとは言ってない

「所長、中庭で囚人同士の喧嘩です」


 朝の作業開始から、それほど経っていない時間だった。


 報告に来た看守の息は上がっていたが、顔に切迫した様子まではない。


「負傷者は?」


「二名です。ラッセル殿が診ています。今のところ、重傷者はいません」


「武器は使ったのか」


「素手だけです。ただ、副監獄長から所長にも確認していただきたいことがあると」


 囚人同士が殴り合っただけなら、グラッドが処理できる。


 俺まで呼ぶ理由は、別にあるらしい。


     ◇


 騒ぎがあったのは、南棟寄りの中庭だった。


 作業に使う空箱や土籠が置かれた一角に、グラッド、ラッセル、数名の看守が集まっている。


 喧嘩をした二人はすでに離されていた。


 一人は三十代半ばで、右頬が赤く腫れている。


 もう一人は少し若く、唇の端から血がにじんでいた。


「ラッセル。状態はどうだ」


「こちらは頬の打撲と口内の小さな傷です。歯に異常はありません」


 腫れている男を指す。


「もう一人は唇の切創だけです。縫う必要はありません。ただ、どちらも今日は別々にしておいてください。腫れ方と頭痛の有無を見て、明朝もう一度確認します」


「分かった。作業復帰は明日の診察後に決めてくれ」


「そうします」


 怪我そのものは大きくない。


 グラッドを見る。


「それで、俺を呼んだ理由は?」


「喧嘩を止めるまでに時間が掛かりました」


「看守は近くにいなかったのか」


「いました」


 グラッドの視線が、一人の若い看守へ向く。


 二十代半ばほど。


 顔色が悪い。


「担当していたのは彼です」


「経緯を聞かせてくれ」


 若い看守が姿勢を正した。


「空箱の取り合いから口論になりました。最初に一人が相手の胸を押し、それから殴り合いになりました」


「お前はどうした」


「二度、やめるよう命じました」


「二人は従わなかったんだな」


「はい。掴み合ったまま地面へ倒れて、その後も殴り続けました」


「そこで制止に入らなかった?」


 若い看守が一瞬迷い、それから頷いた。


「……どこまでやっていいのか、判断できませんでした」


「今は、実力で止めることまで禁じられたと考えたのか」


「そこまではっきり考えたわけではありません。ただ、最近は看守が囚人を殴った記録や、過去の処分も調べています。囚人からの申立ても残すようになりました」


 若い看守は、言葉を選びながら続ける。


「前なら、杖で一度叩いてでも離していました。でも、それをやって怪我をさせれば、自分が処分されるのではないかと思って……」


「迷っている間に殴り合いが続いた」


「はい」


「最終的に止めたのは?」


 四十代の看守が一歩出る。


「私です」


「どう止めた」


「一人が馬乗りになりかけていたので、後ろから腕を取って引き起こしました。若いのには、もう一人を離すよう指示しました」


「杖は使ったか」


「使っていません。必要ないと判断しました」


「押さえた囚人に怪我は?」


 ラッセルが答えた。


「腕と肩も確認しましたが、異常はありません」


 今回は古参の看守が近くにいたから、大きな怪我にはならなかった。


 だが、若い看守の迷いをそのままにしておくわけにはいかない。


     ◇


「先に、喧嘩そのものを確認する」


 二人は別々に聞いた。


 頬を腫らした男の名はマルク。


 罪状は強盗未遂。収容二年目。


 唇を切った男はデイン。


 傷害と窃盗で収容されている。


「空箱を先に取ったのは俺だ」


 マルクが言う。


「作業に使うつもりで横へ置いていた。それをこいつが勝手に持っていこうとした」


「箱はお前専用だったのか」


「違う」


「担当者から、確保していいと言われていた?」


「言われてない」


「それで相手を押したのか」


 マルクは少し黙った。


「……腹が立った」


「押したことは認めるんだな」


「ああ」


「その後は?」


「殴られたから殴り返した」


「看守から止まれと言われたのは聞こえていたか」


 また沈黙。


「聞こえてた」


「それでも続けた」


「頭に血が上がってた」


「分かった」


 デインの説明も、大筋は同じだった。


「胸を押された。だから殴った」


「押し返すのではなく、拳を使った理由は?」


「腹が立ったからだ」


「看守の制止は?」


「聞こえてた」


「何度だ」


「二度……だと思う」


「それでも止めなかった」


 デインが唇を舐め、顔をしかめる。


「その時は止まれなかった」


「止まれなかったのではなく、止まらなかった。そこは分けて記録する」


 デインは反論しなかった。


 作業担当にも確認した。


 問題になった空箱は共用品で、先に触った者へ優先権があるという決まりはない。


 どちらにも落ち度がある。


 ただ、同じではない。


 最初に実力行使へ出たのはマルク。


 最初に拳を使ったのはデイン。


 その後は双方が殴り合い、二度の制止命令も無視した。


 そこまで分けて残せばいい。


     ◇


 二人を医務側へ戻してから、若い看守を呼んだ。


 グラッドにも残ってもらう。


「今回、お前が杖で殴らなかったこと自体を問題にするつもりはない」


「ですが、止めるのが遅れました」


「そこは問題だ」


 若い看守が背筋を伸ばす。


「命令だけで止まるなら、それが一番いい。しかし、二度命じても止まらず、実際に殴り合っていた。そこで何もしないのは違う」


「命令で止まらない場合、腕を取って押さえ込むところまでは認められるんでしょうか。素手だけでは止められない場合もあります」


「必要な範囲なら構わない」


 俺は古参の看守へ目を向けた。


「今日のように、腕を取って引き離せるならそれでいい。複数人が暴れていて一人では危険なら、無理に飛び込まず応援を呼べ。工具や石を持って誰かを殴ろうとしているなら、その危険を止めるために必要な手段を使って構わない」


「杖も、ですか」


「必要なら使える。ただし、目的は止めることだ」


 そこだけは明確にしておく。


「抵抗をやめた人間を、その後も殴り続ければ話は変わる」


「分かりました」


「相手を怪我させた場合は、医務へ回す。同時に、看守側も何が起きて、なぜその力を使ったのか記録を残す」


 若い看守の表情に、わずかに緊張が戻る。


「記録した結果、処分されることもありますか」


「必要な制止だったなら、それだけで処分はしない」


「確認はされる?」


「当然だ」


 そこで曖昧にすると、また別の問題が起きる。


「確認することと、最初からお前を疑って処分することは同じじゃない。必要だったのか、やりすぎていなかったかを後から確認できるようにするだけだ」


 若い看守は少し考えてから頷いた。


「今回の私は?」


「初動が遅れたことは記録する。ただし、今回は懲罰にはしない」


「よろしいんですか」


「基準を十分伝えていなかったのは、こちらにも責任がある」


 グラッドが黙ってこちらを見る。


「今日、何をするべきだったのかは説明した。次に同じ状況で何もしなければ、今回と同じ扱いにはしない」


「はい」


「それでいい」


     ◇


 グラッドと確認すると、同じ迷いを持っている看守はほかにもいるらしかった。


「特に若い者ほど慎重になっています」


「古参は?」


「以前のやり方を知っている分、逆に力を使いすぎないよう注意している者もいます。ただ、どこまで許されるのかという疑問はあります」


「なら一度、全員へ伝えよう」


 勤務を全部止めるわけにはいかないので、交代前の看守を集め、残る者には同じ内容を各責任者から引き継がせることにした。


 昼前。


 二十人ほどが詰所前へ集まる。


「最近の運用について、補足しておく」


 全員の顔を見る。


「懲罰の代わりに殴ることは認めない。言うことを聞かないから腹いせに殴るのも駄目だ。そこは変わらない」


 何人かが頷く。


「ただし、囚人同士が殴り合っている時に、止めるための実力行使まで禁じたわけではない」


 今朝の出来事を、名前を出さずに説明した。


「まず命令で止める。従わず暴力が続くなら、必要な範囲で引き離す。一人では危険なら応援を呼ぶ。凶器になる物を持っているなら、周囲を下がらせることも優先していい」


 一人の看守が手を挙げた。


「暴れている囚人を押さえた結果、骨折などの怪我をさせた場合は?」


「医務へ回して、状況を報告する。必要な行為だったか確認する」


「怪我をさせた時点で処分、ではない?」


「違う」


「では、止めた後に殴った場合は?」


「なぜ必要だったのか聞く。すでに抵抗をやめているなら、説明は難しくなるだろうな」


 古参の看守が腕を組んだ。


「以前は、暴れた囚人を押さえた後に何発か入れる者もいました」


「それを処罰代わりにするのはやめる」


「分かりました」


 暴力を全部同じ扱いにすれば、現場は動けなくなる。


 だからといって、「秩序維持」の一言で何をしてもいい状態に戻すつもりもない。


「迷った場面があれば報告してくれ。後から確認する。隠される方が困る」


 説明はそれで終えた。


     ◇


 午後、ラッセルから二人の状態に変化なしと報告が来た。


 頭痛、吐き気、意識の異常もなし。


 明朝もう一度診察するが、懲罰房へ移すこと自体に医務上の問題はないという。


 そこで処分を決めた。


 マルクは四日。


 デインは五日。


 どちらも懲罰房へ入れる。


 食事、水、寝具、医務対応は通常通りだ。


「デインの方が一日長い理由は?」


 グラッドが確認する。


「押された後、最初に拳を使った。その後も馬乗りになろうとしている。マルクも殴り返しているから軽くはしないが、行為の程度は分ける」


「制止命令を無視した点は、双方に含める?」


「ああ。二度聞こえていたと認めている」


「承知しました」


 本人たちにも、理由を分けて説明した。


「こいつが先に手を出したのに、俺の方が長いのか」


 デインは当然のように不満を口にした。


「マルクが先に胸を押したことは記録してある。その後、お前が拳を使ったことも別に見る」


「一日も違うほどかよ」


「今回の判断はそうだ」


「納得できない」


「正式申立てを出して構わない」


 デインが意外そうな顔をした。


「懲罰中でも?」


「書くこと自体は止めない。処分が自動的に止まるわけではないが、何を不当だと考えているかは残せる」


 デインはしばらくこちらを見ていた。


「……分かった」


 納得したのか、申立てを出すつもりなのかは分からない。


 どちらでもいい。


     ◇


 夕方。


 朝に騒ぎがあった中庭を通った。


 地面に落ちていた血は洗い流され、空箱も元の位置へ戻されている。


 少し先で、若い看守が二人の囚人を呼び止めていた。


「待て。その工具はどこへ持っていく」


「返却だよ」


「工具庫は反対側だ」


「分かってる。近道しようとしただけだ」


「決められた経路を通れ。戻せ」


 囚人の一人が面倒そうに息を吐いた。


「細けえな」


「細かくて結構だ。持っていけ」


 二人は文句を言いながら向きを変え、工具庫の方へ歩いていく。


 若い看守は追いかけて殴ったりしない。


 だからといって、見逃しもしなかった。


 俺は声を掛けず、そのまま通り過ぎた。


 今朝よりは、それで十分だった。




──────────────────

YouTubeショート動画作ってみました。

https://youtube.com/shorts/_zEBpYRUMc4?si=9bu0xxStFm2Bo5Z8

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。