第23話 囚人の前職を、捨てるな
「昨日集めた職歴の中に、屋根葺きの経験者が二人いました」
翌朝。
グラッドが机へ置いたのは、二人分の個人記録だった。
一人目はロッド・エイム、四十二歳。現在は洗濯場勤務。
二人目はセイン・グロウ、二十八歳。石材運搬に入っている。
「入所記録には残っていなかったのか」
「ロッドは《建築関係》、セインは《日雇い》としか書かれていません。屋根仕事については、昨日本人たちから聞き取った内容です」
昨日確認された北棟三階の雨漏りを思い出す。
二つの房で水が入り、一方では寝具まで濡れていた。
営繕担当だけでは、石板のずれなのか、その下の木材まで腐っているのか判断しきれないという話だった。
「本人がそう言っているだけなら、いきなり屋根へ上げるわけにはいかないな」
「はい。先に地上で腕を見せてもらう予定です」
「立会いは?」
「営繕担当とベンを呼んであります」
そこまで決めているなら異論はない。
「警備も先に詰めておいてくれ。仕事ができるかどうかと、囚人であることは別だ」
「承知しています」
◇
北棟裏の資材置き場には、古い石板と木材が十数点並べられていた。
割れた石板。
見た目には問題のなさそうな石板。
黒ずんだ木材。
乾いているが、長年使われて角の削れた下地材。
ロッドとセインが看守に連れられてくる。
「北壁の仕事ではないんですか」
セインが材料を見て尋ねた。
「今日は違う。二人とも屋根葺きの経験があると申告したそうだな」
「俺は十五年です」
ロッドが答える。
「親方になったわけじゃありませんが、一通りはできます」
「俺は六年くらいです。石板屋根が多かったです」
「分かった。まず、この材料を見てもらう。再利用できるものと交換した方がいいものを分けて、理由も説明してくれ」
試験と呼ぶほど大げさなものではない。
ただ、飯の多い仕事へ移りたいからと適当に職歴を名乗っただけではないことくらいは確かめたい。
二人はすぐ材料の前へしゃがんだ。
先に動いたのはロッドだった。
石板を一枚ずつ持ち上げ、表面だけでなく裏と縁まで見ていく。
「これは使えます。これは駄目です」
「割れてはいないようだが」
俺が尋ねると、ロッドは二枚を重ねて見せた。
「縁が削れすぎています。こうして重ねても隙間が大きい。倉庫の庇ならまだ使えますが、房の屋根へ戻すのは勧めません」
営繕担当が受け取り、角度を変えて見る。
「確かに、ほかより薄いな」
一方、セインは木材を調べていた。
一本を持ち上げ、切断面へ親指を押し込む。
「これは交換です」
「表面は乾いているように見える」
「外側だけです。中が傷み始めています」
横にいたベンが同じ場所へ爪を立てた。
木が簡単に崩れる。
「家具なら悪いところを落とせば使える」
ベンが言った。
「だが屋根の下へ入れる材じゃないな」
「俺もそう判断します」
セインが答える。
少なくとも、二人とも素人が適当に話を合わせているようには見えない。
「雨漏りしている房を下から見ただけで、原因まで分かるか」
「そこまでは無理です」
ロッドは迷わなかった。
「水は下地を伝います。天井から落ちている場所の真上に原因があるとは限りません」
「屋根へ上がれば絞れるか」
「石板を外して下を見れば。ずれだけなら戻して固定できますし、木まで腐っていれば部分交換になります」
「分かった。そこから先は営繕担当と相談して進めてくれ」
◇
屋根へ上げる前に、グラッドから警備手順の説明を受けた。
北棟の屋根は外壁よりかなり低く、そこから直接塀外へ出られる構造ではない。それでも外壁側の北端は立入禁止とする。
梯子は一本だけ。
先に看守一人が上がり、作業範囲を確認。
ロッドとセインの後から二人目の看守を上げ、梯子の下にも一人置く。
持ち込む工具は金槌二本、平鑿一本。
釘は十二本。
「抜いた古い釘も回収した方がいいです」
ロッドが言った。
「屋根に残すと、次に上がった人間が踏みます」
「その通りだ。抜いた物も本数を数えてくれ」
グラッドが記録へ加える。
仕事のやり方まで看守が知ったふりをする必要はない。
安全管理はこちらが握り、作業については経験者の意見を使えばいい。
◇
「最初はこの辺りです!」
屋根へ上がったロッドが、下へ声を飛ばした。
房内で確認した水染みの位置と、屋根の傾斜から範囲を絞ったらしい。
石板を一枚外す。
二枚目。
三枚目を外したところで、セインが手を止めた。
「下地が傷んでます!」
外した木材の一部が縄で下ろされる。
端から二十センチほどが黒く変色し、営繕担当が押すと柔らかく沈んだ。
「周囲まで交換する必要はあるか」
「今見えている範囲では必要ありません」
ロッドが屋根から答える。
「隣の下地は硬いです。腐った部分を外して、この一区画だけ替えれば持ちます」
「なら、その範囲で進めてくれ」
必要以上に剥がさない。
使える石板まで捨てない。
腐った木だけ交換し、割れた石板を一枚新しいものへ替える。
二つ目の房は、さらに簡単だった。
「こちらは下地に問題ありません!」
「原因は?」
「石板が一枚ずれています。重なりが浅くなって、隙間から水が入ったようです!」
「材料交換は必要か」
「要りません。位置を戻して固定します!」
同じ雨漏りでも、同じ原因ではなかった。
外から職人を呼んで大がかりに屋根を剥がしていたら、余計な材料と金を使っていた可能性もある。
◇
作業が終わると、工具を一つずつ回収した。
「金槌二本」
「確認」
「平鑿一本」
「確認しました」
「釘は十二本持ち込み。七本使用、未使用五本」
「確認」
「抜いた古釘、四本」
「こちらも確認しました」
不足はない。
二人を地上へ下ろし、最後に梯子を外した。
「これで修理完了としていいか」
俺が聞くと、ロッドは少し考えてから首を横へ振った。
「直っていると思いますが、一度水を流して見た方がいいです」
「雨を待つ必要はないのか」
「普通の雨程度なら確認できます。ただ、横殴りの雨まで同じ条件にはできません」
「それで十分だ。まず通常の状態で漏れないか見よう」
樽一つ分だけ水を用意する。
看守が再び屋根へ上がり、修理箇所より少し高い位置から何度か水を流した。
下では、グラッドと営繕担当がそれぞれの房へ入る。
しばらく待つ。
「一つ目、漏れはありません!」
続いて隣からも声が上がる。
「こちらも問題ありません!」
「記録は《修理済み》ではなく《経過確認》にしておいてくれ」
「次の雨でも確認する、ということですね」
「ああ。それで問題がなければ完了にしよう」
◇
ロッドとセインには、元の作業へ戻ってもらうことにした。
セインが少し意外そうな顔をする。
「屋根仕事の担当になるわけではないんですか」
「毎日屋根修理が必要な監獄なら、そちらを先に心配する」
「それもそうですね」
「必要になれば呼ぶ。今日の作業で、二人が屋根仕事をできることは確認できた。個人記録にも残す」
ロッドが尋ねた。
「北壁の方は人を求めていないんですか」
「今のところ、二十四人で足りている。ノエラから増員要請もない」
「俺は石も多少扱えます」
「それは申告として残す。石工として使う必要が出た時に、改めて確認する」
一つ技能が本物だったからといって、申告した内容を全部信用する必要はない。
今日は屋根を直せることが分かった。
それで十分だ。
◇
午後になると、ガイラスとグラッドが職歴の申告を整理していた。
昨日よりさらに増え、七十人を超えている。
鍛冶。
靴職人。
皮なめし。
粉挽き。
仕立て。
井戸掘り。
御者。
荷車修理。
倉庫番。
帳場仕事。
「全員分を一気に調べる必要はありませんぞ」
俺が何も言う前に、ガイラスが釘を刺してきた。
「まだ何も言っていない」
「顔に出ていました」
「出てない」
グラッドが口を挟まず書類へ目を落とした。
その態度が一番腹立たしい。
「冗談はともかく、八百二十四人全員へ今から聞き取りをすれば、それだけで看守の仕事を増やします」
「それは分かっている」
「必要な時に拾えばよいのです」
俺もそこは同意だった。
「別の技能台帳を作るのもやめよう。個人記録へ追記すればいい」
「その方が探しやすいでしょうな」
ロッドの記録を開く。
入所時の職歴は《建築関係》。
その横へ新しく書き加える。
《本人申告 屋根葺き十五年》
《実地確認 北棟屋根補修。営繕担当立会い》
「申告と確認済みは分ける」
俺は言った。
「鍛冶ができると本人が言っただけなら、申告のまま。実際に仕事をさせて問題なければ、確認済みにする」
「経験年数も本人申告として残しますか」
「残そう。ただし、それ自体を事実扱いはしない」
「今いる囚人全員には聞かない?」
「本人から申告があった時か、配置を見直す時でいい。新しく入る囚人については、入所時に前職も聞く」
ガイラスが頷く。
「それなら余計な仕事も増えにくいでしょう」
制度を大きく作り直す必要はない。
今ある個人記録へ、使える情報を少し足せば済む。
◇
「所長。判断に困る職歴が一件あります」
グラッドが一枚の紙をこちらへ回した。
「どういう仕事だ」
「錠前職人です」
紙を見る。
三十六歳。
現在は洗濯場勤務。
本人の申告では、王都で十二年ほど住宅や倉庫の錠を作っていたらしい。
「……これは簡単には使えないな」
「腕を確認しますか」
「今は必要ない」
ガイラスがこちらを見る。
「有用な技能ではありますぞ」
「場所が黒塔でなければな」
錠を作れるなら、当然その構造にも詳しい。
囚人に独房や武器庫の鍵を見せながら、
『お前の技能を活かしてやろう』
などと言うつもりはない。
「本人の申告として職歴だけ残す。保安区画の錠や鍵には触れさせない」
「倉庫の箱など、簡単な錠を直す仕事なら使えるかもしれません」
グラッドが言う。
「必要になった時に検討する。そのために今から腕試しをする必要はない」
「承知しました」
技能があるから使う。
それだけで配置を決めれば、今度は別の問題を作る。
どこで、何に使えるのか。
そこまで考えて初めて意味がある。
◇
夕方、北棟三階へ上がった。
水を流して確認した二つの房には、新しい染みは出ていない。
次の雨までは経過を見ることになる。
「直したのは囚人だって聞いたぞ」
房の中にいた男が言った。
「ああ。以前、屋根仕事をしていた二人だ」
「洗濯場にいた奴だろ」
「片方はな」
「そんな仕事ができたのか」
「俺も昨日までは知らなかった」
男が少し呆れた顔をする。
「監獄長なのにか」
「八百二十四人の前職を全部覚えている監獄長がいたら、俺はそちらの方が怖い」
男はしばらく考えてから、
「それもそうだな」
と寝台へ戻った。
廊下へ出る。
「グラッド」
「はい」
「今後、配置を変える時は個人記録の職歴も見るようにしてくれ」
「前職に合わせて配置するということですか」
「そこまで固定しない。家具職人に必ず家具だけ作らせる必要はないし、仕事がなければ別の作業をしてもらう。ただ、経験者が中にいるのに知らずに外から人を探すのは無駄だ」
「承知しました」
「新規収容者の記録も、罪状と刑期だけで終わらせない。前職と、本人ができると申告した仕事までは聞いておこう」
「確認できた技能は、その都度追記する」
「ああ」
八百人以上の囚人がいれば、当然それまでの人生も八百通りある。
本人の希望をすべて通すことはできないし、申告した技能を何でも信用するわけにもいかない。
それでも、必要な仕事が出るたびに一から人を探すより、誰が何を経験してきたか分かる方が管理する側として使いやすい。
黒塔に足りなかったのは、有能な人間だけではない。
すでにいる人間が何をできるのか、それを知る仕組みも足りていなかった。
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