第21話 証拠が出なくても、判決は揺れる
翌朝、セヴェルが机へ広げたのは、王城の軍議室とその周辺を描いた大きな見取り図だった。
国王の席。
指揮官たちの位置。
アルヴァンが向かったとされる方向。
その左奥にある扉と、灯りや幕の管理に使われる上部通路まで記されている。
「王城側の記録から、新しく確認できたことはありましたか」
俺が尋ねると、セヴェルは首を横へ振った。
「先に結論を申し上げます。アルヴァン・ギレスが主張する第三者の存在を裏付ける、新しい証拠は見つかっていません」
「事件直後の捜索結果も変わらない?」
「はい。アルヴァンが取り押さえられた直後、近衛兵が上部通路とその先の控え通路を確認しています。不審者は発見されず、武器や不自然な荷物も残されていませんでした」
都合よく新しい証拠が出てこないことに、むしろ安心した。
調べるたびアルヴァンに有利なものばかり見つかる方がおかしい。
「上部通路へ入れた者については、どこまで分かりました?」
「軍議中に出入りできたのは、灯りと幕を管理する作業員です。ただし、当時の勤務記録は個人名ではなく作業組単位で残されています」
セヴェルが見取り図の端を指した。
「何人が勤務していたかは確認できます。しかし、軍議のどの時間帯に誰が上部通路へ入ったのかまでは残っていません」
グラッドが腕を組む。
「誰かがいた可能性そのものは否定できない、ということですか」
「否定はできません。ただし、可能性が残ることと、実際に第三者が存在したと認定することは別です」
「その点は同意します」
アルヴァンの証言が事実だった可能性は残った。
だが、それだけを理由に王城内へ暗殺者が潜んでいたことにはできない。
「当時の作業員から事情は聞かれているんですか」
「確認できた者には事件当時にも聴取が行われています。全員、不審な人物は見ていないと回答しています」
「今になって再度聞き直す価値はありますか?」
「必要な者については王都側で改めて確認します。ただ、二年前の出来事です。当時より正確な証言が得られるとは期待していません」
セヴェルは答えを作ろうとしない。
そこは信用できた。
「つまり、上部通路について決定的な新証拠は出なかった。それでも、死刑執行停止を継続すべきだと?」
「はい」
セヴェルが三つの記録を並べる。
アルヴァンの命令による王国書記官の護送任務が、実際に存在したことを示す軍の記録。
国王の前で抜剣した直後、アルヴァン自身が、
《上だ。陛下を伏せさせろ》
と叫んでいた簡易報告。
そして、アルヴァンが国王へ向かったのか、上部通路へ続く扉へ向かったのかについて一致していない二人の近衛兵の証言。
「従来の審理では、アルヴァンには自分に不利な状況になると、確認できない事情を持ち出す傾向があるという人物評価が置かれていました」
「その根拠の一つだった護送任務は、実際に存在していた」
「はい。そのため、上部通路についての供述も『また存在しないものを持ち出している』という前提から見直す必要があります」
「だからといって、第三者がいた証明にはならない」
「その通りです」
セヴェルは迷わなかった。
「現在ある材料では、以前と同じ確信を持って死刑判決を執行すべきだとも、逆にアルヴァンが無罪だとも判断できません」
死刑囚を調べるため王都から来た監察官が、分からないものを分からないと言う。
それ自体が、二年前の審理とは違っていた。
◇
午前中、アルヴァンを聴取室へ移した。
両手と両足を拘束し、看守は六人。
二人を室内の扉脇に置き、残る四人は廊下側で待機させる。
死刑執行が止まったからといって、警備を緩める理由はない。
席へ着いたアルヴァンが、見取り図を見た。
「上部通路にいた人間は見つかったのか」
「確認できませんでした」
セヴェルは遠回しにしない。
「記録を調べ直しましたが、第三者の存在を証明できるものはありません」
アルヴァンの表情がわずかに硬くなる。
「そうか」
「ただし、それで以前と同じ結論へ戻るわけでもありません」
「理由を聞こう」
「あなたの供述を、最初から信用する価値が低いものとして扱った根拠の一部が崩れているからです」
「三人の護送任務か」
「それに加え、事件直後のあなたの発言です。上部通路の危険を訴え始めたのは、拘束された後ではありません」
セヴェルが簡易報告を見せる。
アルヴァンは目を通し、低く息を吐いた。
「だから、最初からそう言っていた」
「その発言をしていたことは確認できました。しかし、発言内容そのものが事実だったことは確認できていません」
「そこは毎回念を押すんだな」
「人の死刑を扱っていますので」
アルヴァンは一瞬黙り、それから頷いた。
「……それなら仕方ない」
「改めて確認します。上部通路で見たものについて、新しく思い出したことはありませんか」
アルヴァンは急いで答えなかった。
見取り図を見ながら記憶を辿り、やがて首を横へ振る。
「ない。人影が動き、その直後に金属らしい光が見えた。それ以上は覚えていない」
「音は?」
「覚えていない」
「声は聞きましたか」
「聞いていない」
「人数については?」
「一人に見えた。ただ、一人だったと断言できるほど長く見てはいない」
証言は増えなかった。
セヴェルも誘導するような聞き方はしない。
「分かりました。この点について、新しい供述はないものとして記録します」
「ああ」
「では、あなた自身の行動について確認します。仮に、上部通路にいたのが普通の作業員で、あなたが金具などを武器と見間違えただけだった場合、自分の行動をどう評価しますか」
アルヴァンは少し考えた。
「俺の判断ミスだ」
「国王の御前で抜剣したことも?」
「正当化するつもりはない」
手枷の掛かった手を見下ろす。
「結果だけ見れば最悪だ。俺は陛下の前で剣を抜き、制止した近衛を傷つけた。上に危険などなかったのなら、何もないところへ剣を抜いたことになる」
「では、自分に一切の責任がないとは主張しない?」
「していない」
アルヴァンは顔を上げた。
「俺が否定しているのは、陛下を殺す意図があったという一点だ」
そこは変わらない。
話を都合よく膨らませもしなければ、近衛を斬った事実を消そうともしない。
「セヴェル監察官。一つ確認させてください」
「どうぞ」
「仮にアルヴァンの供述が事実で、上部通路の人物を危険人物だと誤認して剣を抜いたのだとすれば、国王殺害未遂と、近衛兵を負傷させた責任は別に判断されることになりますか」
「その点は分けて審理すべきでしょう。ただし、私がここで罪名や刑を決定することはできません」
「国王殺害未遂が否定されたとしても、他の行為までなかったことにはならない?」
「当然です」
アルヴァン自身も頷いた。
「近衛を斬った責任まで消せとは言わん」
少なくとも、以前の審理で付けられた、
『不利になると存在しない事情を持ち出す男』
という人物像とは、少しずつ噛み合わなくなっている。
◇
聞き取りが終わっても、セヴェルはすぐにアルヴァンを立たせなかった。
「監獄長にも聞いていただきたいので、この場でお伝えします」
アルヴァンが顔を上げる。
「今回、黒塔で確認した内容を整理して王都へ報告します」
「どう報告する」
「現在の死刑判決について、従来と同じ前提のまま執行するべきではない、と」
室内が静かになった。
俺も、そこまで明確に言うとは思っていなかった。
アルヴァンがセヴェルを見据える。
「審理をやり直すよう求めるのか」
「正式な再審を命じる権限は私にはありません。ただし、改めて審理する必要があるという意見を付けます。死刑執行停止についても、王都の判断が出るまでは継続すべきだと報告します」
「俺が無罪だと認めたわけではない、と」
「はい」
「上部通路に第三者がいた証拠も見つかっていない」
「その通りです」
「それでも、以前の判決をそのまま執行するべきではない」
「それが私の判断です」
アルヴァンはしばらく黙っていた。
「……十分だ」
俺の方が少し意外だった。
「無罪と認めさせたいんじゃないのか」
「認めてほしいさ」
アルヴァンはこちらを見る。
「だが二年前は、調べ直す必要すらないと言われた。今は王都の人間が、判決の前提を確認し直すと言っている」
「まだ死刑囚であることに変わりはないぞ」
「分かっている」
「王都が同じ結論を出す可能性もある」
「それもな」
それなら、こちらから慰めることもない。
「正式な判断が届くまでは、今まで通りだ。独房も警備も変えない」
「最初から期待していない」
セヴェルが続ける。
「念のため申し上げますが――」
「俺が無罪になったわけではない、だろう」
「はい」
「もう覚えた」
「それなら結構です」
グラッドが横で小さく咳払いした。
俺は余計な口を挟まず、看守へ合図した。
◇
アルヴァンを独房へ戻した後、セヴェルは見取り図を畳んだ。
「次は何を確認する予定ですか」
「王城側の警備配置と、上部通路への出入りについて、もう一度整理します」
「新しい証拠があるわけではない?」
「今のところはありません。何も出ない可能性もあります」
「それで構いません」
証拠がなければ、なかったと確認すればいい。
調査をするたびアルヴァンの無実を示す材料が出てくる必要などない。
「監獄長」
「はい」
「今日の内容を聞いて、アルヴァン・ギレスは無罪だと思われましたか」
少し考えた。
「以前より、判断しにくくなりました」
セヴェルがわずかに口元を緩める。
「私も同じです」
それで十分だった。
◇
午後、北壁についてノエラから進捗の報告を受けた。
執務室へ持ち込まれた図面には、最初に手を付けた区画の断面が細かく描き込まれている。
「最初の区画は、基礎を組み直せるところまで進みました」
「安全に作業できる状態になったのか」
「はい。ただし仮支えは残します。荷重を逃がした状態で傷んだ基礎石を外し、その下に溜まった崩れた土と小石を取り除きました。支持できる地盤までは確認できています」
「今日はどこまで進められそうだ?」
「最初の区画については、基礎石を据え直すところまで進めます」
「外した石は再利用するのか」
「使えるものだけです。割れている石は除きます。形の合う石を戻し、隙間には小さな石を詰めます」
「次の区画も同じ方法で進められる?」
「まだ分かりません」
即答だった。
「地中の状態は場所ごとに違います。最初の区画がこの方法で直せたからといって、先も同じとは限りません」
「分かった。今の区画を確実に終わらせてくれ」
「そのつもりです」
「人員は二十四人のままで足りるか」
「足ります。増員は不要です」
「必要になったらグラッドへ上げてくれ。俺の判断が必要なら、その時に呼んでくれればいい」
ノエラが少しだけ目を丸くした。
「現場を見に来ないんですか」
「俺が行っても基礎石を据えられるわけじゃない。状況が変わった時だけ知らせてくれ」
「……分かりました」
俺だって、同じことを何度も言われれば学ぶ。
◇
夕方。
北壁から報告が上がった。
第一の区画は、傷んだ土を除去した上で基礎石の据え直しまで完了。
作業者二十四名。
怪我人なし。
使用工具はすべて返却。
仮支えは撤去せず、翌朝に新たな沈下や石のずれがないか確認してから次の作業へ移る。
グラッドが報告書を机へ置いた。
「本日の北壁作業は、ここまでです」
「ああ。明朝の確認までは触らせないでくれ」
「承知しました」
王都の監察も、北壁の修復も、一気に答えが出る話ではない。
アルヴァンについては第三者の存在を証明するものが見つからず、死刑判決そのものも消えていない。それでも、従来の前提だけで処刑するべきではないと、監察官が正式に王都へ報告するところまで進んだ。
北壁も同じで、まだ直したのは全体の一部にすぎないが、最初の区画では傷んだ基礎を実際に組み直せた。
急いで結論だけ出すより、確認できたところから確実に進める。
少なくとも今の黒塔には、そのやり方の方が合っていた。
──────────────────
YouTubeショート動画作ってみました。
https://youtube.com/shorts/_zEBpYRUMc4?si=9bu0xxStFm2Bo5Z8




