第18話 古い命令で、死刑囚を渡すな
「王都の命令により、死刑囚アルヴァン・ギレスの身柄を引き取りに来た」
朝。
外門まで呼ばれて出ると、昨日とは別の一行が王国紋章を掲げて黒塔の前に立っていた。
今度は使者一人ではない。
武装した騎兵が六人。その後ろには、窓へ鉄格子をはめた護送馬車まで止まっている。
先頭に立つ四十代ほどの男が馬を降り、革筒から書面を取り出した。
「今回の護送隊を預かっている。命令書を確認してもらいたい」
「拝見します」
受け取った書面を、その場でグラッドと確認する。
封印は王国の正式なものだった。
文面にも不自然なところはない。
内容は単純だ。
死刑囚アルヴァン・ギレスを黒塔から王都の軍拘禁施設へ移し、軍の管理下へ置くこと。
黒塔監獄は本人と必要な収容記録を護送隊へ引き渡すこと。
問題は、その下に記された発令日だった。
グラッドが昨日届いた命令の写しを取り出し、二枚を見比べる。
「所長。この移送命令は、昨日届いた死刑執行停止命令より二日前に発令されています」
「ああ。俺もそこが気になった」
昨日届いた命令には、はっきり書かれている。
アルヴァンの死刑執行を停止し、監察官が来るまで現在の収容下に置いて生存を確保すること。
今目の前にある移送命令が出された二日後に、それとは異なる扱いを求める新しい命令が出ている。
護送隊長へ向き直った。
「王都を出発したのはいつですか?」
「四日前だ。何か問題があるのか」
「あります。昨日、こちらの移送命令より後に発令された命令が黒塔へ届きました」
男の表情が変わった。
◇
外門の詰所へ場所を移し、昨日届いた命令の写しを見せる。
護送隊長は封印と署名の記載を確認し、本文を最後まで読んだ。
「原本も確認したい」
「もちろんです。ただし、原本は保管場所から持ち出しません。こちらで確認していただきます」
「構わない」
グラッドが立ち会い、原本の封印と内容まで確認してもらった。
詰所へ戻ってきた護送隊長は、自分の持ってきた書面をもう一度広げる。
「確かに、こちらの移送命令より後に出された正式な命令だ」
「はい」
「しかも、監察官到着まで現在の収容下に置けと明記されている」
「そのため、本日の引き渡しには応じられません」
護送隊長は反発しなかった。
移送命令の日付と、後発命令の日付をもう一度確認する。
「我々が王都を出た後で事情が変わったらしいな」
「その可能性が高いでしょう」
護送隊は四日前に王都を出ている。
鉄格子付きの馬車を連れ、複数人で移動する一行だ。
一方、昨日来た使者は命令書を届けるため、ほぼ単騎で走ってきた。
後から王都を出た使者が、先に黒塔へ着いても何もおかしくない。
紙に書かれた命令は、出された瞬間に遠くの護送隊へ伝わるわけではない。
「私としても、この命令を確認した以上、古い命令だけを根拠にアルヴァンを連れ出す判断はできん」
護送隊長が言った。
「ただし、移送を実施しなかった理由は双方で書面に残してもらいたい」
「こちらもそのつもりです。黒塔が理由なく王国軍の命令を拒否したことにはされたくありません」
「我々の記録にも、後発命令を確認したため移送を保留したと残す。黒塔側が身柄の引き渡しを拒絶したとは書かん」
「助かります」
「こちらも同じだ。後から出た正式命令を確認しておきながら、古い命令だけで死刑囚を移送したとは報告したくない」
利害は一致している。
なら、揉める必要はない。
グラッドに二つの命令の発令日と確認時刻、護送隊長が後発命令の原本を確認したこと、双方合意の上で移送を保留したことを記録させる。
護送隊側にも同内容の記録を残してもらった。
「昨日の命令は写しを一部渡せます。写しであることは明記します」
「こちらも移送命令の写しを黒塔へ残そう。五日後に来る監察官へ示すなら、両方あった方が説明しやすい」
「お願いします」
今のところ、王都の誰かが裏で争っていると考える必要はなかった。
日付と移動速度だけで説明できる話なら、まずはそのまま受け取ればいい。
◇
手続きが終わるまでの間、護送馬車を外から確認した。
分厚い木板で囲まれ、左右に小さな鉄格子窓がある。内部の床には、足枷を固定するための金具まで設けられていた。
元騎士団長の死刑囚を運ぶ馬車なら、この程度の警備はするのだろう。
「所長」
後ろからグラッドが来た。
「護送隊側の書面も整いました。本日の移送は実施しません。彼らは後発命令の写しを持って王都へ戻ります」
「アルヴァンは引き続き黒塔に置くんだな」
「はい。五日後の監察官到着についても、現時点で変更はありません」
「本人にも伝えよう」
グラッドが少し考える。
「今日の護送隊についてもですか?」
「ああ。隠す理由がない。あれだけ目立つ馬車が来れば、いずれ独房区画にも話は伝わる」
何も知らせず、後から別の囚人を通じて妙な形で聞かされる方が厄介だ。
◇
「朝から馬の音が多いと思っていた」
独房へ行くと、アルヴァンが鉄格子の向こうからこちらを見た。
「お前を迎えに来た」
「王都からか」
「ああ。護送馬車まで連れてきた」
アルヴァンの表情が消える。
「昨日、俺の死刑を止めたばかりだろう」
「今日持ってきた移送命令の方が古い」
二枚の命令の発令日を説明した。
先に、アルヴァンを王都へ移送する命令が出た。
その命令を持って護送隊が王都を出発する。
その二日後、死刑執行を停止し、監察官が到着するまで黒塔の現在収容下に置けという新しい命令が出た。
「護送隊は、その新しい命令を知らないまま四日かけてここへ来たらしい」
「それで俺を渡さなかったのか」
「後の命令を持っている以上、古い方だけに従うわけにはいかない。護送隊長も原本まで確認して、移送保留で合意した」
アルヴァンはしばらく黙っていた。
「王都は、俺を何のために移そうとしていた」
「命令書には、軍の拘禁施設へ移すとしか書かれていない」
「その先は?」
「分からない」
アルヴァンが眉を寄せる。
「またそれか」
「書かれていないことを、俺が勝手に作るわけにはいかないだろ」
「処刑するためだったかもしれん」
「その可能性もある。別の審理のためかもしれないし、単に収容場所を変える予定だっただけかもしれない」
「王都の中で、俺を生かしたい者と殺したい者が争っているとは考えないのか?」
「今ある二枚の書類だけで、そこまで決める気はない」
「移送命令の直後に死刑停止だぞ」
「護送隊が出た後で、何か再確認する必要が生じた。それだけでも説明はつく」
根拠もないうちから誰かを敵だと決めれば、後は何を見ても怪しく見える。
監獄長として、そんな状態で判断したくない。
「五日後に監察官が来る。確認できることは、その時に確認する」
「答えなければ?」
「その時に考える」
アルヴァンは呆れたように息を吐いた。
「お前は本当に、分かることと分からないことを分けるな」
「分からないことを考えないわけじゃない。ただ、それを事実扱いしないだけだ」
「……そうか」
少し間が空いた。
アルヴァンが鉄格子に手を置く。
「もし護送隊が一日早く着いていたら、お前はどうしていた?」
昨日の命令が届く前。
その時点で俺の手元にあったのが、正式な移送命令だけだった場合。
「おそらく、引き渡していた」
アルヴァンの目が細くなる。
「俺がその先で死ぬ可能性があってもか」
「正式な命令を拒否する根拠がなかったならな」
「冷たい監獄長だ」
「勝手に王命を無視して、死刑囚を自分の監獄へ抱え込む方が問題だろ」
「昨日の命令が一日遅ければ、俺は今頃あの馬車の中だったわけか」
「ああ」
アルヴァンは何も言わなくなった。
紙一枚の到着が一日違えば、自分は今とは別の場所へ運ばれていた。
本人にとって気分のいい話ではないだろう。
「だが、今日は渡さない」
俺は続けた。
「今の黒塔には、監察官が到着するまでお前をここで生かしておけという、より新しい命令がある。だから俺はそちらに従う」
「命令に忠実なのか、融通が利かないだけなのか分からんな」
「新しい方を優先しているだけだ」
アルヴァンの口元がわずかに動いた。
「監察官は予定通り五日後か」
「今のところはな。これ以上別の命令が来なければ」
「縁起でもないことを言うな」
「俺も来てほしくない」
珍しく、そこだけは意見が一致した。
◇
護送隊が出発する前、隊長が執務室へ寄った。
移送命令の写しと、今日の経緯を記した書面を受け取る。
「これで黒塔側にも、我々が正式命令に基づいて来たことは残る」
「ありがとうございます」
「こちらにも、後発命令の原本を確認したことを記録した。王都へ戻ったら、移送命令を今後どう扱うか確認する」
「お願いします」
護送隊長はそこで少し声を落とした。
「監獄長。一つだけ忠告しておく」
「何でしょう?」
「五日後まで、アルヴァン・ギレスを死なせるな」
「後発命令にも書かれています」
「なら、その通りにしておけ」
「何か聞いているんですか?」
「何も知らん。だから言っている」
男は真顔だった。
「死刑停止、監察官派遣、それに我々の移送命令。理由が何であれ、これだけ扱いが動いている囚人が監察官到着前に死亡すれば、黒塔は事故だったと言うだけでは済まん」
なるほど。
怪しい秘密を知っているわけではない。
軍人としての、単純な実務上の忠告だった。
「私なら、余計な疑いを招く状況は作らん」
「特別扱いするつもりはありません。ただ、生きた状態で監察官へ会わせます」
「それで十分だ」
護送隊長は頷き、外門へ戻っていった。
◇
アルヴァンの警備も確認した。
だからといって、いきなり独房前の看守を倍にするようなことはしない。
独房区画への出入りは元から制限されている。
食事の受け渡し。
鍵の管理。
夜間点呼。
必要な医務確認。
既存の手順を確実に守らせる方が先だ。
「看守を増やせば、かえって何か特別な事情があると周囲へ知らせることになります」
グラッドが言う。
「今の人数で安全を維持できるなら、そのままでいい」
「交代時には、死刑停止中であることと監察官到着まで生存を確保する必要があることを必ず引き継がせます」
「頼む」
北壁については、報告だけを受けた。
仮設柵は第二段階へ進み、ノエラは基礎石を外さず、支柱を増やしてから次の作業へ移るつもりらしい。
怪我人はゼロ。
工具の数も合っている。
そこはノエラに任せた。
俺が見に行っても地面の中が見えるわけではないし、壁が早く直るわけでもない。
◇
夕方。
鉄格子付きの護送馬車が、誰も乗せないまま外門を通っていった。
六人の騎兵が続き、最後の一騎が門外へ出たところで重い扉が閉じる。
今日、アルヴァンは独房から一歩も出ていない。
それでも王都から四日かけて護送隊が来て、古い命令と新しい命令を照合し、空の馬車で帰っていった。
巨大な陰謀が動いた証拠など、今のところ一つもない。
古い命令を持った馬車隊より、後から出た単騎の使者の方が早かった。
それだけで今回の食い違いは説明できる。
「監察官の到着まで、あと五日です」
横にいたグラッドが言った。
「ああ。その間に、もう別の王命が来ないことを願うよ」
「私も同感です」
今日受け取った移送命令の写しを、昨日の死刑停止命令とは別に保管させる。
監察官が来れば、両方を見せる。
どちらが先に発令され、どちらが後から黒塔へ届いたのかも、そのまま説明すればいい。
王都の事情をこちらで勝手に推理し、答えまで用意する必要はない。
アルヴァンを黒塔に置く。
生きた状態を保つ。
五日後、監察官へ引き合わせる。
今は、それを確実にやればいい。
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