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第12話 その訴えを、消せない形で残せ

「これを見てほしい」


 昼前、アルヴァンの独房を訪れた。


 鉄格子の向こうで寝台に腰掛けていた男が、俺の手にある紙を見る。


「昨日は壁で、今日は書類か」


「原本じゃない。写しだ」


「何の書類だ?」


「お前の部下三人が黒塔へ送られてきた時、護送隊から渡された引継書だ」


 格子から手が届かない距離で紙を開く。


《三名は互いに接触させないこと。個別に収容し、会話を禁ずる》


 そこまでは、危険性の高い囚人を分けるための指示だと言われれば理解できなくもない。


 問題は、その下だった。


《三名から護送任務に関する申し立てがあった場合、監獄長判断で受理せず》


 アルヴァンの視線が、その一行で止まった。


「もう少し近くへ寄せろ」


「見るだけだぞ」


「分かっている」


 紙を格子へ近づける。


 アルヴァンは最後まで読み、しばらく何も言わなかった。


「これを書いたのは誰だ」


「署名は、当時三人を連れてきた護送責任者だ」


 名前を読み上げる。


 アルヴァンは眉を寄せた。


「知らん名だ」


「黒塔側の記録でも、王都から三人を引き渡した責任者として残っている」


「そして、お前が受け取った」


 予想していた質問だった。


「俺の監獄長印で受領されている」


「つまり、三人が護送任務について何を訴えても受け取るなという命令を、お前は知っていたことになる」


 他人事のように答えれば、また逃げているように聞こえる。


「俺の受領印がある。なら、黒塔の監獄長として俺が受け取ったものとして扱う」


 アルヴァンはしばらく俺の顔を見ていた。


「三人の申立書は?」


「今のところ見つかっていない。個人台帳、懲罰関係、護送関係、残っている書類は探させてる」


「捨てたんだろう」


「その可能性はある。ただ、三人が実際に書面を出したかどうかもまだ確認できていない」


 アルヴァンが鉄格子へ近づいた。


「バルトなら出す」


「そこまで言い切れるのか」


「あいつは、自分が正しいと思ったことを黙って飲み込める男じゃない」


「ヘルムは自分で字を書けなかった」


「ルースが書く」


 アルヴァンの返事に迷いはなかった。


「三人が話せる状況にあったなら、ルースが紙へまとめる。バルトが横から文句を足し、ヘルムは最後に内容を確認する。遠征中からそうだった」


 昨日、壁に残った三人の名前を見た時と同じだった。


 アルヴァンの中では、今も三人の性格と動きがはっきり残っている。


「その三人が実際に同じ場所へ集められたかどうか、今日確認する」


「当てがあるのか」


「当時の夜勤配置を調べた。今も黒塔にいる看守が一人、三人の収容区画に近い東側内廊下を担当していた」


「名前は?」


「まだ教えない」


 アルヴァンの目が細くなる。


「なぜ伏せる」


「話を聞く前から、証言するかもしれない看守の名前を危険度の高い死刑囚へ渡す必要はない」


「俺がそいつをどうする」


「何もしないかもしれない。でも、警戒しなくていい理由にもならない」


 しばらく睨まれたが、そこは譲らなかった。


「確認できたことは伝える。ただし、調査を邪魔しない範囲でだ」


「信用はできんな」


「そこはお互い様だろ」


 アルヴァンは鼻を鳴らし、寝台へ戻った。


     ◇


 執務室へ戻ると、グラッドが二年前の勤務割りを机に広げていた。


「確認できました。当時黒塔にいた二名のうち、一人は外門勤務です。三名の収容区画とは関係ありません」


「もう一人は?」


「エバンです」


 名前には覚えがある。


 過去の処遇について申立てを受け付け始めた際、


『三ヶ月前、エバンに腕を折られた』


 と訴えられた看守だ。


 調べてみれば、囚人は食料庫から干し肉を盗んで逃げ、自分で階段から転落していた。エバンはむしろ男を医務室へ運び、休養申請まで出している。


「黒塔には何年いる?」


「七年目です。二年前は東側内廊下の夜勤担当でした」


「呼んでくれ」


     ◇


 エバンは三十代半ばの看守だった。


 執務室へ入り、俺とグラッドの前で姿勢を正す。


「お呼びでしょうか」


「二年前の夜勤について聞きたい。バルト・レイン、ヘルム・カーン、ルース・バーデン。この三人が黒塔へ来た日の夜だ」


 顔つきが変わった。


 大きく動揺したわけではない。


 ただ、名前には心当たりがある。


「覚えているか?」


「……はい」


「三人を直接見た?」


 エバンは少し迷ってから答えた。


「私が三人を、東の古い部屋へ連れていきました」


 グラッドの背筋が伸びる。


「旧東処分房ですか」


「はい」


「三人とも同時に?」


「三人ともです」


 これで一つ、推測ではなくなった。


 三人は黒塔へ収容された当日の夜、実際に旧東処分房へ移されている。


 しかも、引継書には互いに接触させるなと書かれていた三人が、一つの部屋へ集められていた。


「誰の指示だった?」


「その夜の責任者です」


 名前を確認すると、グラッドが勤務表へ目を落とした。


「六年前に病死しています」


 本人から話を聞くことはできない。


「どんな指示だった?」


「王都から来た三名について、追加で確認することがある。東の部屋へ連れていけ、と」


「旧東処分房は、当時すでに正式には閉鎖されていた。そこは知っていたな?」


「はい」


「それでも従った理由を聞かせてくれ」


 エバンは視線を下げた。


「私が勤務を始めた頃には、あの部屋を夜間の一時隔離に使うこと自体が珍しくありませんでした。規則に載っていないことは知っていましたが、夜番責任者から命じられれば従うものだと思っていました」


「三人を入れることについて、何か特別な説明は?」


「監獄長も承知している、と言われました」


 机に置かれた引継書へ目をやる。


 受領印だけを考えれば、部下の看守がそう信じても不思議ではない。


「三人はどのくらい中にいた?」


「一時間はなかったと思います」


「お前も室内へ入ったのか」


「いいえ。私は入口までです。中へ入ったのは夜番責任者だけでした」


「何か持っていた?」


「紙を何枚か持っていた記憶があります。何の書類だったかは分かりません」


「三人が出てきた時の状態を覚えているか」


 エバンは少し考える。


「全員、自分で歩いていました。私が見た範囲では、新しい怪我もありませんでした」


「様子は?」


「怒っている者が一人。もう一人は何か言い続けていました。残る一人は静かでした」


「当時、三人の名前まで把握していた?」


「いいえ。ですので、誰が誰だったかは今も断定できません」


 無理にルースだと決めない。


「静かだった男について、何か覚えていることは?」


 エバンがしばらく黙る。


「一つだけ」


「聞かせてくれ」


「他の二人へ、『俺たちは同じことを言った。それでいい』と話していました」


 グラッドと視線が合った。


「それ以外は?」


「覚えていません」


「その後、三人を元の房へ戻した?」


「はい」


「移動記録が残っていない」


 エバンの表情が硬くなる。


「……書きませんでした」


「理由は?」


「夜番責任者から、正式な移動ではないので記録しなくていい、と言われました」


 グラッドの声が低くなる。


「閉鎖された施設へ三人の囚人を移し、それを記録しないよう命じられて、そのまま従ったのですか」


「はい」


「疑問には思わなかった?」


「思いました。ただ、当時の私は勤務三年目でした。夜番責任者から監獄長も承知していると言われ、それ以上確認する発想がありませんでした」


 言い訳と言えば言い訳だ。


 でも、組織として考えれば無視できない。


「今、同じ命令を受けたらどうする?」


 エバンは少し考えた。


「移動は記録します。書くなと言われれば、副監獄長へ確認します」


 グラッドを見る。


「それでいい?」


「はい」


「なら今日の証言も正式に残してくれ」


「承知しました」


 グラッドが俺へ尋ねた。


「エバンを勤務から外しますか」


 エバンの表情がさらに硬くなる。


「今すぐは外さない」


「閉鎖施設だと知りながら使用し、移動記録も残していません。規則違反ではあります」


「そこは調べる。ただ、二年前に上司の指示で三人を移送したことと、その後三人が死んだことまで一緒にはしない」


 エバンを見る。


「今日の証言を隠したり、記録へ手を出したりしない限り、通常勤務へ戻っていい。ただし、この件についての最終的な判断は調査後だ」


「分かりました」


 エバンは一礼して執務室を出た。


     ◇


「甘いと思うか?」


 扉が閉じてから聞くと、グラッドは少し考えた。


「以前なら即時に外していたと思います」


「俺も、規則違反そのものが無かったとは思ってない」


 閉鎖された部屋へ囚人を連れていった。


 記録も残さなかった。


 そこには責任がある。


「ただ、夜番責任者が命じ、監獄長も承知していると説明し、同じ部屋が長年使われていた。そんな状態を作っておいて、勤務三年目だった看守一人へ全部かぶせたら楽すぎる」


「組織側の責任も調べる、と」


「ああ。エバン個人の判断がどこまでだったかは、その後だ」


 グラッドが頷いた。


「では、現時点で確認できたことを整理します」


 三人は黒塔へ到着した夜、旧東処分房へ同時に移された。


 指示したのは当時の夜番責任者で、監獄長も承知済みだとエバンへ説明されていた。


 三人は一時間以内に元の房へ戻され、少なくともエバンが確認した範囲では、自力歩行でき、新しい目立った外傷もなかった。


 室内へ入ったのは夜番責任者だけで、何枚かの紙を持っていた可能性がある。


 移動記録を残さないよう指示されていた。


 そして三人のうち一人が、


『俺たちは同じことを言った。それでいい』


 と話していた。


「旧東処分房で三人が殺されたわけではない」


「少なくとも、その夜に三人が死亡した事実はありません」


「バルトの肋骨骨折はもっと後。ヘルムの減食も後だ。ルースがいなくなったのも別の日」


「はい」


 三人を一つの事件へまとめれば話は分かりやすくなる。


 でも、それでは事実から離れる。


 今確定したのは、黒塔へ来た初日の夜、記録に残らない形で三人が一ヶ所へ集められ、何らかの確認を受けたことまでだった。


     ◇


 机の端には、護送隊から渡された引継書がある。


《三名から護送任務に関する申し立てがあった場合、監獄長判断で受理せず》


 それを眺めているうちに、別の問題が見えてきた。


「グラッド。今後、重大な申立てだけは別の様式で残そう」


「現在調査中の百十四件とは別ですか?」


「あれはそのまま続ける。途中で全部やり直す必要はない」


 すでに申立ては内容別に分け、作業配置や房の変更については別処理にしている。


 今から作るのは、それとは違う。


「看守からの暴力、懲罰、重大な処遇、それに外部からの指示が絡むもの。後から『そんな訴えは最初から無かった』では済まない案件だけ、正式申立てとして番号を付ける」


「作業を変えてほしい、同房者と合わない、といった相談は従来通り?」


「ああ。全部を正式案件にしたら、帳簿だけ増えて機能しなくなる」


「正式申立てを却下した場合は?」


「却下したことも残す。理由も必ず書く」


「虚偽だと判明した場合も?」


「同じだ。調べた結果、虚偽だったと記録する。紙を捨てて無かったことにはしない」


 グラッドが少し考える。


「文字を書けない者はどうしましょう」


「記録係が聞き取って書く。もう一人立ち会わせて、最後に本人へ読み上げる。内容を本人が認めたことも残す」


「申立書そのものを抜き取られた場合は?」


「受領簿を別に作ろう」


「二重に記録するのですか」


「全文を書く必要はない。番号、日付、申立人、概要、受領者だけでいい」


 申立書を捨てても、受領簿の番号が抜ける。


 受領簿を改ざんする人間まで出れば完全ではないが、何もしないよりはずっといい。


「手間は増えます」


「重大案件だけだ。一日に何十件も来るようなら、その時にまた仕組みを変える」


「分かりました」


 グラッドはその場で記録係を呼び、新しい用紙と受領簿を用意させ始めた。


 昔の記録を取り戻すことはできない。


 だが、これから出される訴えを、同じやり方で消されにくくすることはできる。


     ◇


 夕方、再びアルヴァンの独房へ向かった。


「また来たのか」


「確認できたことがある」


 寝台から立ち上がったアルヴァンへ、エバンの名前は伏せたまま内容だけ伝える。


「三人は黒塔へ来た日の夜、旧東処分房へ連れていかれていた。三人とも一緒にだ」


 アルヴァンの表情が消えた。


「誰が見た」


「当時の看守だ」


「名前を教えろ」


「それは出さない。証言した人間を守る必要もある」


「俺の部下についての証言だぞ」


「だから内容は伝えてる」


 アルヴァンは苛立ちを隠さなかったが、それ以上は押さなかった。


「中で何があった」


「そこまでは分からない。一時間もしないうちに三人とも出てきて、看守が見た範囲では歩けた。新しい目立った怪我もなかった」


「誰が中へ入った」


「当時の夜番責任者だけだ。紙を何枚か持っていたらしい」


 アルヴァンの眉が動く。


「紙?」


「ああ。それ以上は確認できてない」


「三人は何か言っていたか」


「一人だけ覚えられていた言葉がある。ほかの二人へ、『俺たちは同じことを言った。それでいい』」


 アルヴァンが目を閉じた。


「ルースだ」


「そう思うのか」


「あいつなら言う」


「何について同じことを言ったのかまでは分からない」


「俺から受けた命令だ」


「可能性はある。でも今は断定しない」


 アルヴァンがこちらを見る。


「相変わらず慎重だな」


「間違った答えを急いで出しても意味がない」


 そこで、持ってきた紙を看守へ渡した。


「もう一つある。今日から重大な訴えだけ、正式申立てとして別に残すことにした」


「俺に何の関係がある」


「調べてほしいことがあるなら使える」


 看守が紙と木炭を格子越しに差し出す。


 アルヴァンはすぐには受け取らなかった。


「今さらか」


「今さらだ」


「三人には受け取らなかったのに?」


「ああ」


 そこは逃げない。


「だから、これからは受け取った事実自体を消しにくくする」


「どうやって」


「番号を振る。却下した場合も理由を残す。申立書とは別に受領簿にも番号、日付、申立人、概要、受領者を書く」


「紙を捨てても?」


「受領簿に残る」


「受領簿ごと捨てれば」


「そこまで黒塔全体で証拠隠滅する前提なら、どんな制度でも防ぎきれない。ただ、少なくとも一枚抜けば終わりという状態にはしない」


 アルヴァンの口元がごくわずかに動いた。


「何でも認める制度ではないんだな」


「当然だ。調べて却下することもあるし、虚偽なら虚偽と残す」


「俺が死刑判決を取り消せと書いたら?」


「俺にはその権限がないと返す。王都へ申し立てる手続きがあるなら、その有無を確認する」


「黒塔で起きたことなら?」


「調べられる範囲は調べる」


 アルヴァンはようやく紙と木炭を受け取った。


「貸せ」


 寝台へ腰掛け、膝を台にして書き始める。


 しばらく木炭が紙を擦る音だけが続いた。


 差し出された申立書を受け取る。


 二年前に収容された、バルト・レイン、ヘルム・カーン、ルース・バーデンについて。


 収容初夜に旧東処分房へ移された理由。


 三人が護送任務について申し立てた記録が存在するか。


 存在するなら、どのように処理されたか。


 それぞれが死亡するまで、黒塔でどのような処遇を受けたか。


 確認と調査を求める内容だった。


 最後に、


《申立人 アルヴァン・ギレス》


 とある。


「これで全部か?」


「調査結果を俺へ知らせろ」


「それも正式に残すなら、紙へ書いてくれ」


「面倒な制度を作ったな」


「消せない形にするなら面倒なくらいでちょうどいい」


 紙を返す。


 アルヴァンは余白へ一行加えた。


《調査結果の通知を求める》


「今度こそ全部だ」


「受け取る」


     ◇


 執務室へ戻り、出来上がったばかりの受領簿を開いた。


「番号は?」


「新しい正式申立てについては、本日から順に振ります」


「過去から受け付けているものは?」


「従来の台帳で調査を継続します。新様式へ移し替えません」


「それでいい」


 記録係が、最初の欄を埋めていく。


 日付。


 申立人。


 概要。


 受領者。


 そして申立番号。


《一》


 新しい様式で最初に正式申立てを出したのは、死刑囚アルヴァン・ギレスだった。


 自分の食事を良くしろでも、房を変えろでもない。


 すでに死んだ三人が黒塔で何をされ、何を訴え、それがどう扱われたのかを調べてほしいという申立てだ。


「所長」


 グラッドが受領簿を閉じる前に尋ねた。


「受理でよろしいですね」


「ああ」


「結果が黒塔にとって不都合でも?」


「不都合かどうかを先に決めたら、調査にならないだろ」


「承知しました」


 受領印が押される。


 これでアルヴァンが三人について正式に訴えた事実は、申立書と受領簿の両方へ残った。


 俺を信用したわけではないだろう。


 あいつは今も、俺を殺したい理由を持っている。


 それでも、自分ではもう確かめられない三人のことを、この制度へ預けた。


 なら、少なくとも今度は途中で消させない。




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YouTubeショート動画作ってみました。

https://youtube.com/shorts/_zEBpYRUMc4?si=9bu0xxStFm2Bo5Z8

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