第9話 異常値
「相川湊さんですね?」
レジの前に立つ二人組のうち、男の方が俺の名前を口にした。
年齢は四十代くらいだろうか。短く整えた髪に紺色のスーツを着ていて、その隣には二十代後半くらいの女性が立っている。
どちらもコンビニへ買い物に来た客には見えない。
男が内ポケットから名刺を取り出し、俺へ差し出した。
そこに書かれていた所属を見て、思わず顔を上げる。
――探索者協会東関東支部 調査課。
山岸孝之。
「探索者協会?」
「はい。突然申し訳ありません。昨日配信されていたダンジョンについて、お話を伺いたくて参りました」
やっぱり昨日の配信か。
今日、大学で健太から配信がかなり話題になっていることは聞いていた。
それでも、まさかその日のうちに探索者協会の人間がバイト先まで来るとは思っていなかった。
「相川」
隣のレジに立っていた健太が、小さな声で俺を呼ぶ。
「これ、昨日の配信だろ」
「だろうな」
「協会まで来るって、思ってたより大事になってない?」
「俺に聞くなよ」
「お前の裏山だろ」
そう言われても困る。
俺としては、七年間遊んでいた場所を初めて配信しただけなのだ。
ただ、一つ気になることがある。
「あの、何で俺の名前とバイト先を知ってるんですか?」
昨日の配信では本名を出していない。
チャンネル名も『裏山探索』。
少なくとも、自分からここで働いていると話した覚えもなかった。
「配信内容を確認した協会から、運営会社へ正式な照会を行いました。未登録ダンジョンの可能性が高く、なおかつ危険度の高い魔物が確認されたため、緊急性があると判断されています」
「なるほど」
「もちろん、照会によって得られた個人情報を公表することはありません」
それならいい。
俺が頷くと、山岸さんは店内へ目を向けた。
「勤務中でしたか?」
「見ての通りです」
「それは失礼しました。改めて伺います」
そう言って帰ろうとしたところで、後ろから店長に呼び止められた。
「相川君」
振り返る。
「その人たち、何かあった?」
「昨日の配信のことで、探索者協会から来たみたいです」
「探索者協会?」
店長もさすがに驚いたらしい。
山岸さんが軽く頭を下げる。
「突然申し訳ありません。相川さんが配信されていたダンジョンについて、少し確認したいことがありまして」
「時間掛かります?」
「本日は現地調査へのご協力をお願いすることが目的です。十分ほどいただければ」
店長が時計を見る。
「相川君、休憩まだだったよね?」
「はい」
「じゃあ先に行ってきていいよ。三浦君、ちょっと一人でお願い」
「大丈夫です」
店長の許可も出たので、俺は二人をバックヤードの休憩室へ案内する。
その途中、健太が小声で呼び止めてきた。
「相川」
「何?」
「後で教えて」
「分かった」
「大学で話してたときよりヤバいことになってそうだぞ」
俺もそんな気がしてきた。
***
休憩室に入ると、女性の方からも名刺を渡された。
水瀬沙耶。
山岸さんと同じ調査課らしい。
俺が普段使っている椅子へ腰を下ろすと、山岸さんは鞄から何枚かの資料を取り出した。
「最初にお伝えしておきますが、昨日の配信についてはこちらでも確認しています」
「全部ですか?」
「アーカイブとして残っている範囲は全てです」
それなら話が早い。
七年前からダンジョンに潜っていることも、三十八階まで進んでいることも、あの狼に殺されかけたことも話す必要はないらしい。
「ですので、本日は配信で話されていた内容を改めて聞くつもりはありません」
山岸さんが資料の一枚を俺の方へ向ける。
周辺の地図だった。
「我々が確認したいのは、まずダンジョンの正確な位置です」
「場所?」
「はい。相川さんはご自宅の裏山と話されていましたが、それだけでは特定できません。協会の記録を確認したところ、該当する地域に登録されたダンジョンは存在しませんでした」
「やっぱり登録されてないんですね」
「現時点では、その可能性が極めて高いと考えています」
俺は地図を見る。
自宅の場所はすぐに分かった。
そこから裏山へ入り、普段通っている道を指でなぞっていく。
「家がここで……この辺から山道を外れます」
「登山道から外れる?」
「はい。そこから十分くらいです」
「入口は外から確認できますか?」
「できますよ。ただの洞窟にしか見えないですけど」
水瀬さんが地図に印を付ける。
山岸さんはそれを確認してから俺を見た。
「可能であれば、明日の朝、我々を入口まで案内していただけませんか?」
「明日ですか?」
「はい。まずは入口周辺の環境と、ダンジョンであることを正式に確認します。内部への本格的な調査は、その後です」
明日は二限から講義がある。
入口まで案内するだけなら、それほど時間は掛からない。
「朝なら大丈夫です」
「何時頃がよろしいでしょう?」
「八時半くらいなら」
「では、その時間にご自宅へ伺います」
話は思ったより早く終わった。
山岸さんが資料を鞄へ戻す。
「最後に一つだけ」
「はい」
「明日の調査が終わるまで、ダンジョンへの立ち入りは控えていただけますか?」
「今日ですか?」
「はい」
今日は元々バイトなので潜る予定はない。
「別にいいですよ」
「ありがとうございます」
その返事を聞いて、二人とも少し安心したようだった。
そんなに警戒することだろうか。
俺にとっては、いつもの裏山なんだけど。
***
二人を見送り、俺はレジへ戻った。
客が途切れたところで、健太がすぐに寄ってくる。
「で?」
「明日、協会の人をダンジョンまで案内することになった」
「中に入るの?」
「入口だけ。まず調べるんだって」
「やっぱ未登録だった?」
「ほぼ間違いないみたい」
健太が小さく息を吐く。
「マジか……」
今日の大学では、まだ二人で半分面白がっていた。
だが探索者協会の人間が直接やって来たことで、さすがの健太も少し実感が湧いてきたらしい。
「七年間誰にも見つかってなかったんだよな?」
「そうだよ」
「それが昨日一日で協会まで来るの、すごいな」
「配信って怖いな」
「お前の場合、怖いのは配信じゃなくて裏山の方だと思うけど」
そうだろうか。
俺にはまだよく分からない。
「とにかく、次の配信は協会と話が終わってからにしろよ」
「分かってる」
「三十八階とか絶対行くなよ」
「行かないって。まだあいつに勝てると思ってないし」
「ならいいけど」
健太はそう言いながらも、まだ少し疑うような目で俺を見ている。
失礼な奴だ。
俺は昔から慎重派なのに。
***
翌朝。
午前八時半を少し過ぎた頃。
昨日と同じ二人が家へやって来た。
ただし、今日は服装が違う。
スーツではなく、二人とも動きやすそうな格好をしている。背中にはリュックを背負い、水瀬さんは黒いケースまで持っていた。
「おはようございます」
「おはようございます。本日はよろしくお願いします」
「じゃあ行きます?」
「お願いします」
三人で家を出る。
途中までは普通の山道だ。
俺が中学生の頃から何度も歩いてきた道を進み、途中から登山道を外れる。
「こちらですか?」
山岸さんが周囲を見回した。
「はい。もう十分くらいです」
「よく見つけましたね」
「中学生の頃、秘密基地を作れそうな場所を探してたんですよ」
あの頃はダンジョンなんて知らなかった。
ただ山の中を歩き回って、誰も来ない場所を探していただけだ。
それで偶然見つけた。
「最初からダンジョンだと思ったんですか?」
「まさか。ただの洞窟だと思いましたよ」
だから入った。
今考えると、よく一人で入ったと思う。
中学生なんてそんなものかもしれない。
さらに木々の間を進み、大きな岩の横を回り込む。
少し急な斜面を下ると、ようやく見慣れた場所へ出た。
「ここです」
岩壁の一部に、人一人が通れる程度の黒い穴が開いている。
外から見れば、本当にただの洞窟だ。
「これが入口です」
二人はすぐには近付かなかった。
まず周囲を確認し、水瀬さんが持ってきた黒いケースを地面へ置く。
蓋を開けると、中にはいくつかの機械が収められていた。
その中から、手のひらより少し大きな物を取り出す。
「それ何ですか?」
「簡易魔力計です」
「魔力?」
「周辺に存在する魔力の濃度を測定する装置です。ダンジョンの入口を特定する際にも使用します」
初めて見た。
水瀬さんが電源を入れる。
小さな電子音が鳴り、液晶に数字が表示された。
「ここでも少し高いですね」
「いくつだ?」
「七十八です」
山岸さんはその数字を聞いても特に反応しない。
どうやら異常な数字ではないらしい。
水瀬さんがゆっくりと洞窟へ近付いていく。
数字が上がった。
百。
百五十。
二百。
「反応しています。ダンジョンで間違いなさそうです」
さらに進む。
二百五十。
三百。
三百五十。
その辺りから、水瀬さんの表情が少しずつ変わり始めた。
「……高いですね」
「どの程度だ?」
「もう三百五十を超えています」
俺には何が高いのか分からない。
水瀬さんは歩みを止めず、さらに入口へ近付く。
三百八十。
四百。
「四百超えました」
今度は山岸さんも表情を変えた。
「入口の外で?」
「はい」
「国内最高値は?」
「入口付近なら、第四号S級ダンジョンの三百八十六だったはずです」
その言葉を聞いて、ようやく俺にも少し意味が分かった。
どうやら、もう国内で一番高いところを超えているらしい。
だが、数字は止まらない。
四百二十。
四百五十。
四百八十。
そして、五百。
「……待ってください」
水瀬さんの足が止まった。
「どうした?」
「五百を超えました」
山岸さんがすぐに近付く。
「故障の可能性は?」
「昨日、点検したばかりです」
「一度下がれ」
「でも――」
「まだ入口にも入ってない。想定値を超えすぎてる」
山岸さんの声から、昨日までの落ち着いた雰囲気が消えていた。
水瀬さんが数歩後ろへ下がる。
すると、五百十二、四百八十、四百三十と数字も一緒に下がっていった。
「……反応自体は正常ですね」
「予備は?」
「あります」
「二台で確認しよう」
水瀬さんがケースへ戻り、もう一台の魔力計を取り出した。
二台の電源を入れ、並べる。
表示される数字には多少の差があるが、ほとんど同じだった。
「故障ではなさそうですね」
「ああ」
二人の空気が明らかに変わっている。
さっきまでは調査だった。
今は何かを警戒しているように見えた。
「相川さん」
山岸さんが俺を見る。
「はい?」
「少し離れていてください」
「分かりました」
言われた通り、俺は少し後ろへ下がる。
水瀬さんが再び入口へ近付いた。
今度はかなり慎重だ。
五百。
五百五十。
六百。
「六百突破」
「体調は?」
「問題ありません」
六百五十。
七百。
山岸さんの表情がさらに険しくなる。
「水瀬、無理はするな」
「はい」
七百五十。
八百。
「……八百です」
「もういい。一度戻れ」
今度は水瀬さんも逆らわなかった。
すぐにこちらまで戻ってくる。
「これ以上は防護装備なしでは危険です」
「そうだな」
俺は二人の会話を聞きながら、洞窟を見る。
入口まで、まだ少し距離がある。
なのに測定は終わってしまった。
「中まで測らないんですか?」
俺が聞くと、二人が同時にこちらを見た。
「今日は入りません」
「でも入口すぐそこですよ?」
「そういう問題ではありません」
水瀬さんがきっぱりと言う。
「現在確認できている国内のS級ダンジョンでも、入口付近で三百から四百程度です。ここは外から測定しただけで、その倍を超えています」
「倍……」
言われてみれば、確かに凄そうだ。
「内部がどの程度なのか分からない以上、防護装備なしで入るわけにはいきません」
「でも俺、普通に入ってますよ」
二人が黙った。
何か変なことを言っただろうか。
「相川さん」
山岸さんがゆっくりと口を開く。
「昨日の配信で、あなたが七年前からこのダンジョンへ出入りしていることは確認しています」
「はい」
「一度にどの程度滞在します?」
これは配信では話していない。
「長いときなら朝から夕方までですかね」
「……八時間近く?」
「それくらいの日もあります」
「体調に異常が出たことは?」
「怪我なら何度もありますけど」
「怪我ではありません。頭痛、吐き気、目眩、意識障害、強い倦怠感などです」
少し考える。
ない。
少なくとも、ダンジョンに入ったこと自体が原因で体調を崩した記憶はなかった。
「ないですね」
「一度も?」
「たぶん」
山岸さんが水瀬さんを見る。
水瀬さんも何も言わない。
さっきまで二人が見ていたのは洞窟だった。
しかし今は、二人とも俺を見ている。
「何ですか?」
「……いえ」
山岸さんは一度言葉を切る。
「一つ、確認したいことが増えました」
「何を?」
「相川さん自身です」
俺?
意味が分からず、自分の身体を見る。
別にいつもと変わらない。
「探索者協会では、魔力量や魔力への適性を測定できます」
「そんなことまで分かるんですか?」
「はい。それに身体能力も」
山岸さんは洞窟へ目を向けた。
「昨日の配信を見た段階でも、一度検査をお願いする必要はあると考えていました。しかし、今の測定結果を見て、その必要性がさらに高くなりました」
「俺、何か変なんですか?」
「まだ分かりません」
山岸さんは即答した。
「だから調べたいんです」
その答えなら分かる。
俺だって自分がどれくらい強いのか、正確に測ったことはない。
中学生の頃より強くなった。
高校生の頃よりも強くなった。
それだけだ。
「どれくらい掛かります?」
「二時間ほどです」
スマホを見る。
午前九時を少し回っている。
二限は十時四十分からだ。
「今日だと大学に間に合わないですね」
「……今日、大学へ行くんですか?」
水瀬さんが聞いてきた。
「行きますよ」
「この状況で?」
「出席取る授業なんで」
単位は大事だ。
水瀬さんが何とも言えない顔をする。
山岸さんは一瞬黙った後、小さく笑った。
「分かりました。検査は別日にしましょう」
「お願いします」
俺はスマホをポケットへ戻した。
その後、二人は入口周辺の写真を撮り、位置情報を記録すると、今日の調査を終了した。
帰り際、山岸さんがもう一度洞窟を振り返る。
「次は防護装備と、上位規格の魔力計が必要だな」
「そうですね。簡易計では内部の測定は危険です」
どうやら、今日持ってきた機械ではダンジョンの中まで調べることはできないらしい。
俺も二人につられるように洞窟を振り返った。
何百回と通ってきた、いつもの入口だ。
昨日まで、ここは俺だけの遊び場だった。一階には硬いトカゲがいて、二階には大きな豚みたいな奴らがいる。さらに深く進めばもっと強い魔物が現れて、怪我をしたら拾った薬を飲み、疲れたら家に帰る。
俺にとっては、それだけの場所だった。
けれど、探索者協会の二人はその入口にすら入ろうとしなかった。
国内でも最高クラスのS級ダンジョンで、入口付近の魔力濃度が三百から四百程度。それなのに、この場所では入口へ辿り着く前に八百を超えている。
そうなると、さすがの俺でも少し気になってくる。
一階の奥。
十階。
二十階。
そして、俺が何度も足を運んできた三十八階。
深くなるほど魔力濃度まで高くなるのかは知らないが、もしそうなら、俺は今までどれだけ濃い魔力の中を歩き回っていたことになるのだろう。
それ以上に気になったのは、さっき山岸さんたちが俺へ向けていた視線だった。
七年間、俺は何度もこのダンジョンへ潜ってきた。長いときには朝から夕方まで中にいたこともあるが、二人が言っていたような頭痛や吐き気を感じた記憶は一度もない。
それどころか、中学生の頃には逃げるしかなかった魔物を倒せるようになり、今では三十八階まで一人で進めるようになった。
七年間も戦ってきたのだから、強くなって当然。
これまではそう思っていた。
だけど、もしかするとそれだけではないのかもしれない。
「俺も、何か変なのかな」
誰に聞かせるでもなく呟きながら、自分の手のひらを見る。
握って、開いてみる。
当然ながら、いつもと何も変わらない。
「……まあ、検査すれば分かるか」
今ここで考えたところで答えが出るわけでもない。
それよりも時間が気になってスマートフォンを確認すると、二限の開始まではまだ余裕があった。
「そろそろ戻りましょう。俺、大学あるんで」
俺がそう言うと、水瀬さんが一瞬だけ何とも言えない顔をした。
どうやら二人にとっては大事件らしいが、俺にとっては大学の講義も同じくらい現実的な問題だ。
少なくとも、出席不足で単位を落としたところで、ダンジョンから便利な薬が出てきて助けてくれるわけではない。
俺はもう一度だけ見慣れた洞窟を振り返ると、二人と一緒に山を下り始めた。




