第10話 俺の身体
探索者協会で検査を受けることになったのは、それから二日後のことだった。
場所は大学から電車で三十分ほど離れたところにある、探索者協会東関東支部。
昨日は普通に大学へ行き、その後はバイト。ダンジョンには入らないよう言われているので、ここ二日ほどは久しぶりに何の変哲もない生活を送っていた。
七年間も通っているとはいえ、毎日ダンジョンへ潜っているわけではない。それでも行くなと言われると少し行きたくなるのだから、人間とは勝手なものだと思う。
午前十時。
大学は午後からなので、指定された時間に協会の建物へ入った。
一階の受付で名前を伝えると、すぐに見覚えのある女性がやって来る。
「おはようございます、相川さん」
「おはようございます」
先日、山岸さんと一緒に裏山へ来た水瀬さんだ。
今日はスーツ姿に戻っている。
「本日はお時間をいただきありがとうございます。検査自体は二時間ほどを予定していますが、結果によって多少前後する可能性があります」
「一時までには終わります?」
「午後から大学でしたね。十二時半までには終わらせます」
「なら大丈夫です」
水瀬さんに案内され、エレベーターで三階へ上がる。
探索者協会へ来るのは当然初めてだ。
探索者でもない俺には今まで縁のない場所だったが、廊下を歩いているだけでも、それらしい格好をした人間と何度もすれ違う。
大きな剣を背負った男や全身に防具を着けた女、迷彩柄の服を着た四人組までいる。
これからダンジョンへ行くのだろうか。
「武器持って歩いていいんですね」
「協会施設内ですから。もちろん、登録された物に限りますけど」
「へえ」
俺の剣も登録した方がいいんだろうか。
そもそも、あれが何という剣なのかすら知らない。
今度聞いてみよう。
案内されたのは、病院の検査室にも似た白い部屋だった。
中には山岸さんと、白衣を着た五十代くらいの男性が待っている。
「おはようございます、相川さん」
「おはようございます」
「こちらは検査部の榊です」
白衣の男性が軽く頭を下げた。
「榊です。本日は私が測定を担当します」
「相川です。お願いします」
榊さんが手元のタブレットを操作する。
「先に説明しますが、本日行うのは探索者登録時にも使われる基本的な適性検査です。身体能力、魔力量、魔力操作能力などを測定します。危険な検査はありませんので、普段通りにしていただければ大丈夫です」
「分かりました」
「では、始めましょう」
***
最初は普通の身体測定だった。
身長、体重、握力、背筋力、垂直跳び、短距離走。
学校でやっていた体力測定と大して変わらない。
違うのは、置かれている機械がどれも妙に頑丈そうなことくらいだ。
「まずは握力から測定します。右手からお願いします」
榊さんから握力計を渡される。
俺が学校で使っていた物より一回り大きい。
「全力でいいんですよね?」
「もちろんです。可能な限り強く握ってください」
全力。
そう言われて、ふと昔のことを思い出した。
考えてみれば、こういう測定で本気を出すのは随分久しぶりかもしれない。
自分が同年代より運動できることには、中学生の頃から気付いていた。
きっかけは中学二年の体育祭だったと思う。
体育の授業でリレーの選手を決めるために五十メートル走のタイムを測ったとき、何も考えずに走ったら陸上部の奴より速いタイムが出た。
その日の放課後には体育教師から呼び止められ、リレーの選手にならないかと誘われた。
陸上部の顧問からも、部活に入らないかと声を掛けられた。
普通なら喜ぶところなのかもしれない。
けれど、当時の俺が真っ先に考えたのは別のことだった。
――そんなことをしたら、ダンジョンへ行く時間が減る。
放課後は裏山へ行きたい。
休日なら朝から潜れる。
それなのに部活へ入れば、平日の放課後だけでなく休日まで練習や大会で潰れる可能性がある。
当時の俺にとって、それはかなり困ることだった。
結局、リレーには一度だけ出たものの、陸上部への誘いは断った。
それ以降、体育でも体力測定でも本気を出すのをやめた。
あまり手を抜きすぎても不自然なので、クラスの中では運動が得意な方。それくらいに収まるようにしていた。
高校に入ってからも同じだ。
だから、自分が普通より運動できること自体は知っている。
ただし――。
どれくらいなのかは知らない。
全力で同年代の誰かと競ったことが、ほとんどないからだ。
「相川さん?」
「すみません」
「準備はよろしいですか?」
「はい」
握力計を持ち直す。
ここなら手加減する必要はない。
「じゃあ、本気でやります」
思い切り握った。
電子音が鳴る。
表示された数字は百二十七・四。
「……これって強いんですか?」
誰も答えない。
榊さんが握力計を確認し、それから俺の手を見る。
「もう一度お願いします」
「はい」
二回目。
百二十九・一。
「機械、壊れてます?」
「正常です」
榊さんが即答する。
「成人男性の平均は四十から五十キロ程度です。一般的な探索者も、身体強化を使用しない状態なら極端には変わりません」
「じゃあ、結構強い?」
「結構という表現で済ませていいかは分かりませんが」
後ろを見る。
山岸さんと水瀬さんが、揃って俺を見ていた。
「自分が普通より身体能力が高いという自覚は?」
山岸さんに聞かれる。
「それはあります」
「あるんですか?」
水瀬さんが意外そうな顔をした。
「学校でちょっと本気で走ったら、陸上部に誘われたことがあるので。それからは面倒だから手を抜いてました」
「面倒?」
「部活とかリレーとかに誘われると、ダンジョンに行く時間が減るじゃないですか」
今度は三人とも黙った。
何だろう。
「……中学生の頃から、本当にダンジョン中心だったんですね」
「楽しかったので」
それ以外に理由はない。
その後も測定は続いた。
背筋力、垂直跳び、短距離走、瞬発力、反応速度。
結果が出る度に、自分が思っていた以上に身体能力が高いことが分かっていく。
特に反応速度はかなり高いらしい。
ただし、意外だったのは探索者の中で全てが飛び抜けているわけではなかったことだ。
上位探索者の中には、俺より高い数値を出す人間もいるという。
「じゃあ、俺が一番ってわけじゃないんですね」
「当然です。専門的な訓練を何年も続けている探索者もいますから」
水瀬さんが答える。
「それなら納得です」
俺だって七年間戦っているとはいえ、誰かに教わったことは一度もない。
剣の振り方も、避け方も、全部魔物と戦いながら覚えただけだ。
専門的な訓練を受けた人間の方が上手いことがあっても不思議ではない。
むしろ、少し安心した。
世の中にはちゃんと俺より強い人がいるらしい。
「では、次は身体強化の状態を確認します」
榊さんが言った。
「俺、使えませんよ?」
「そう伺っています」
「なら測れないんじゃ?」
「まずはこちらを装着してください」
渡されたのは腕時計のような機械だった。
言われた通り右手首に巻く。
「これは体内の魔力の流れを測定する装置です。装着した状態で、先ほどと同じように身体を動かしていただきます」
「分かりました」
まずは握力。
次に跳躍。
短距離走。
反応速度。
一通り終えると、榊さんが腕時計型の装置を回収した。
タブレットへデータを送信し、しばらく画面を確認していたが、次第にその表情が変わっていく。
「……やはり出ていますね」
「何がです?」
俺が聞くと、榊さんはタブレットを山岸さんへ渡した。
「身体強化です」
「え?」
思わず聞き返す。
「俺、使ってないですよ」
「正確には、意識して使っていない、ですね」
榊さんが俺にも見えるようタブレットを向ける。
グラフのようなものがいくつも表示されているが、何を意味しているのかさっぱり分からない。
「人間の体内には程度の差こそあれ魔力が存在します。しかし、通常は意識して操作しなければ、これほど明確に特定部位へ魔力が集中することはありません」
榊さんがグラフの一つを指差した。
「握力を測った瞬間は前腕から手のひら。跳躍時には脚部。走行時には下半身を中心として全身へ魔力が流れています」
「全然分からないんですけど」
「でしょうね」
「分からないのに使えるんですか?」
「可能性として考えられるのは、長期間繰り返すうちに身体が覚えたということです」
その説明を聞いて、これまでのことを思い返す。
中学生の頃の俺は弱かった。
一階の魔物から逃げ回り、何度も転んで、身体中に傷を作った。
それでも潜り続けた。
魔物が突っ込んでくれば避ける。
逃げ切れなければ、もっと速く走る。
剣を振っても倒せないなら、もっと強く振る。
そんなことを七年間繰り返してきた。
「じゃあ、俺は知らないうちに身体強化を覚えてたってことですか?」
「少なくとも現在はそう考えるのが自然です。ただ、いつから始まったのかは分かりません」
「なるほど」
それなら学校の体力測定で本気を出さなくて正解だったかもしれない。
中学や高校で今と同じような数字を出していたら、陸上部に誘われる程度では済まなかった気がする。
「じゃあ、意識して使えばもっと強くできるんですか?」
俺が聞くと、榊さんの表情が変わった。
「それは試さないでください」
「駄目ですか?」
「身体強化は、魔力を流せば流すほど良いというものではありません。強化された筋力に肉体そのものが耐えられなければ、筋繊維や腱、最悪の場合は骨まで損傷します」
「それは嫌ですね」
「ですので、訓練を受けるまでは現在の状態を意図的に変えないでください」
「分かりました」
自分の身体を壊してまで強くなりたいわけではない。
そもそも、三十八階の狼にもまだ再挑戦するつもりはない。
勝てると思えるだけの準備が整ってからで十分だ。
***
次は魔力量の測定だった。
隣の部屋へ移動すると、中央に大きな円筒形の機械が置かれている。
「ここへ手を置いてください」
機械の側面に透明な板がある。
右手を乗せる。
「力は入れなくて大丈夫です。こちらで測定します」
榊さんが機械を操作すると、低い駆動音とともに透明な板の下へ青白い光が灯った。
「魔力量にも数字があるんですか?」
「あります。ただし協会では一般向けに数値そのものは公表せず、一定の範囲ごとに評価しています。機器や測定方式によって多少の差が出るためです」
「なるほど」
しばらく待つ。
十秒。
二十秒。
三十秒。
思ったより長い。
「まだですか?」
「少々お待ちください」
榊さんは画面から目を離さない。
その表情が徐々に険しくなっていく。
一分ほど経ったところで、ようやく機械が止まった。
「終わりました?」
「……はい」
「どうでした?」
また誰も答えない。
今日これ何回目だろう。
「そんな変でした?」
榊さんが測定結果を確認した後、別の機械を準備する。
「念のため、予備測定を行います」
「またですか?」
「確認のためです」
今度は小型の機械を使って、もう一度測る。
結果が出ると、榊さんは最初のデータと見比べた。
「誤差の範囲です。最初の測定で間違いありません」
「評価は?」
山岸さんが聞く。
「現行基準では最上位区分です」
「最上位?」
「Sです」
少しだけ嬉しい。
学校の成績で一番いい評価を取ったような気分だ。
「Sって珍しいんですか?」
「国内の現役探索者でも数十人程度です」
「意外といますね」
水瀬さんが俺を見る。
「一億人以上いる中の数十人ですよ」
「そう考えると少ないですね」
それでも、この時点ではまだ実感が湧かなかった。
魔力が多いと言われても、俺にはその魔力自体を感じることができない。
自分の財布にいくら入っているのか知らないまま、「実は大金が入っています」と言われているような感覚だ。
「これも、あのダンジョンが原因なんですか?」
俺が聞くと、榊さんは少し考えてから答えた。
「現時点では断定できません。元々相川さんが高い魔力量を持っていた可能性もありますし、成長過程で増加した可能性もあります。ただ、七年間にわたって高濃度の魔力環境へ長時間出入りしていた事実を無関係と考えるのも難しいでしょう」
「身体が慣れたとか?」
「可能性の一つとしては」
七年間やっていれば強くなる。
俺がこれまで思っていたことは、そこまで間違っていなかったのかもしれない。
ただ、筋肉や技術だけではなく、知らないうちに魔力まで鍛えられていたらしい。
***
最後は魔力操作の検査だった。
机の上に置かれた透明な球へ手をかざす。
「この中へ魔力を送り込んでください」
「どうやって?」
「身体の中にある力を手のひらへ集め、そのまま外へ押し出すイメージです」
言われた通りにやってみる。
何も起きない。
「もう少し集中してください」
「してます」
「手のひらへ何か集まる感覚は?」
「全然」
もう一度。
何も起きない。
五分ほど続けても、透明な球はうんともすんとも言わなかった。
「……難しいな」
榊さんが呟く。
「俺が下手なんですか?」
「少し違います」
再び腕時計型の測定器を装着する。
拳を握る。
腕へ力を入れる。
軽く跳ぶ。
その度に測定器は体内の魔力が動いていることを示した。
それなのに、透明な球へ手をかざした途端、ほとんど反応しなくなる。
「かなり極端ですね」
水瀬さんが言う。
「体内での魔力循環は非常に効率がいい。一方で、体外へ放出しようとするとほとんど動かない」
「それって駄目なんですか?」
「身体強化だけを考えるなら、むしろ長所です」
榊さんが説明する。
「魔力を体外へ逃がさず、必要な部位へ集中させられる。ただし、魔法を使う場合には話が変わります」
「魔法?」
そこには少し興味がある。
「俺も使えるんですか?」
「現状では難しいでしょう」
即答された。
ちょっと悲しい。
「火とか出せない?」
「今は無理ですね」
「そうですか……」
せっかく魔力が多いらしいのに。
少しくらい使えてもいいと思う。
「ただし、不可能と決まったわけではありません」
「そうなんですか?」
「魔力を体外へ放出する訓練を行えば、簡単な魔法程度なら使用できる可能性はあります。ただ、適性を見る限り、身体強化ほど簡単には習得できないでしょう」
「練習すれば可能性はあるんですね」
「ええ。ただし、専門家の指導を受けてください」
それなら、そのうちやってみたい。
別に派手な魔法が欲しいわけじゃない。
火を点けたり、暗いところを照らしたり。
それくらいでも使えれば便利そうだ。
ただ、自分には得意なことと苦手なことがあるらしい。
魔力量が多いからといって、何でもできるわけではない。
その方が何となく納得できた。
***
一通りの検査が終わったのは、十二時を少し過ぎた頃だった。
最初の部屋へ戻り、結果を簡単に説明してもらう。
身体能力は一般人よりかなり高く、無意識に身体強化を使用している。
魔力量は最上位クラス。
一方で、体外への魔力放出はかなり苦手。
こうして並べてみると、随分偏った身体をしている。
「身体強化に極端に向いている、という理解でいいんですか?」
俺が聞くと、榊さんが頷いた。
「現時点ではそれが一番近いですね。ただし、相川さんは正式な訓練を一度も受けていません。今後どう変化するかまでは分かりません」
「分かりました」
「それと、先ほども言いましたが、ご自身で意識的に身体強化を強めようとはしないでください」
「身体が壊れるから?」
「その可能性があります」
そこは覚えておこう。
山岸さんからは、裏山のダンジョンについても説明された。
協会ではすでに専門の調査チームを編成しているらしい。
上位規格の測定器と防護装備を準備した上で、まず入口から一階の調査を行う。その間、俺には勝手に入らないでほしいとのことだった。
「どのくらい掛かります?」
「まだ何とも言えません。少なくとも数日は」
「分かりました」
しばらくダンジョンへ行けないのは残念だが、仕方ない。
時計を見る。
十二時十七分。
「そろそろ行かないと」
「大学ですか?」
「はい」
水瀬さんが少し笑った。
「相川さん、本当に普通の大学生なんですね」
「最初からそう言ってるじゃないですか」
俺は席を立った。
***
大学に着いたのは、午後の講義が始まる十五分前だった。
学食へ寄る時間はなかったので、売店でパンを二つ買い、そのまま講義室へ向かう。
席に着いて焼きそばパンの袋を開けたところで、隣に健太が座った。
「お前、今日協会行ってたんだろ?」
「行ってきた」
「どうだった?」
「魔力が多いらしい」
「どれくらい?」
「Sだって」
健太の動きが止まった。
「……は?」
「S」
「聞こえてる」
なら聞き返すなよ。
焼きそばパンを一口食べる。
「あと、俺、身体強化使ってたらしい」
「は?」
「無意識に」
「ちょっと待て」
健太が俺の肩を掴む。
「お前、身体強化使えないって言ってたよな?」
「使ってるの知らなかったからな」
「そういう問題か?」
「あと魔法は使えなかった」
「情報を追加するな」
健太が額を押さえる。
「それで? 身体能力の方は?」
「普通よりかなり高いって」
「だろうな。オーク殴り飛ばしてたし」
「でも上には上がいるらしいぞ」
「何でちょっと嬉しそうなんだよ」
「いや、普通にいるんだなと思って」
健太が呆れたように俺を見る。
「そういえばお前、高校の体育でもそんな目立ってなかったよな?」
「手抜いてたから」
「は?」
「本気でやると部活とか誘われるだろ。ダンジョン行く時間減るじゃん」
「お前、中学からそんなことしてたの?」
「うん」
健太がしばらく俺を見た後、深く息を吐いた。
「俺、お前のこと結構知ってるつもりだったんだけどな……」
「何だよそれ」
「いや、もういい」
そう言いながらも、少しして健太の表情が真面目になる。
「ダンジョンの影響ってのは?」
「あるかもしれないって。七年間魔力の濃いところにいたから」
「身体は大丈夫なのか?」
「ああ。今のところ異常はないって」
「ならいいけど」
健太が少しだけ安心したように椅子へ背中を預ける。
もっと面白がるかと思っていたので、その反応は少し意外だった。
「心配してくれてる?」
「当たり前だろ。七年間知らないうちに身体変わってたかもしれないんだぞ」
「まあな」
確かに、そう考えると少し怖い。
ただ、昨日までと今日で何かが変わったわけではない。
俺は昔から俺のままだ。
違うのは、自分の身体について知らなかったことが少し分かっただけ。
「相川」
「ん?」
「講義始まるぞ」
前を見る。
教授が入ってきていた。
「やべ」
慌てて残りのパンを口へ押し込み、鞄からノートを取り出す。
魔力が多くても、身体強化が使えても、講義の内容が勝手に頭へ入ってくれるわけではない。
残念ながら、そこだけは今まで通りだった。
***
同じ頃。
探索者協会東関東支部。
山岸は会議室の机に置かれた検査結果を見ていた。
向かいには水瀬と榊。さらに、裏山のダンジョン調査を担当することになった職員が二人座っている。
「魔力量、最高評価S。身体強化は無意識下で発動。体外放出能力は最低評価に近い、か」
職員の一人が資料を読み上げる。
「随分偏ってますね」
「本人は今日まで身体強化を使っていることすら知りませんでした」
水瀬が答える。
「そんなことがあり得るのか?」
「実際に起きています」
榊が測定データを表示する。
運動時にだけ急激に変化する魔力の流れ。それは明確に、筋力や反応速度を補助する形で全身を巡っている。
「問題は、いつからこうなったかです」
山岸が口を開いた。
「相川さん本人にも分からない。中学生の頃にはすでに同年代より身体能力が高い自覚があったようですが、それ以降は意図的に手を抜いていたそうです」
「手を抜いていた?」
「目立つと部活に誘われて、ダンジョンへ行く時間が減るからだそうです」
会議室に微妙な沈黙が落ちた。
「……筋金入りですね」
「そういう青年なんだろう」
山岸が話を戻す。
「だから過去の体力測定記録を調べても、変化の時期を特定する資料にはならない可能性が高い」
榊が頷いた。
「少なくとも現在の魔力量については、通常の成長だけで説明するのは難しいでしょう」
山岸が机の上に別の資料を置く。
先日、裏山で測定した魔力濃度。
入口へ到達する前の段階で八百以上。
国内のS級ダンジョンを大きく上回る数値だ。
「彼はこの環境へ七年間出入りしている。長い日は八時間近く。それを何年も繰り返してきた」
「高濃度魔力への長期曝露が原因だと?」
「分からない」
山岸は首を振った。
「ただ、無関係と考えるには出来すぎている」
そこで榊が口を開く。
「逆の可能性もあります」
全員の視線が集まる。
「相川さんだから、七年間あの環境で活動できた」
「元々適性があった?」
「ええ。現在の魔力量がダンジョンによって増えたのか。それとも元々高い魔力適性を持っていたから、あの環境に耐えられたのか。現時点では判断できません」
水瀬が資料へ目を落とす。
「あるいは、その両方という可能性もありますね」
「そうだな」
元々高い適性を持っていた人間が、異常な環境へ長期間身を置いたことでさらに変化した。
それなら説明はつく。
ただし、それを証明するための材料がない。
山岸は椅子へ深く腰掛けた。
分からないことが多すぎる。
ダンジョンそのものも。
相川湊という青年も。
ただ、一つだけ確かなことがある。
「まずはダンジョンだ」
山岸が資料を閉じる。
「明後日、第一次調査を行う。目的は一階の魔力濃度測定と内部環境の確認。魔物との戦闘は極力避ける」
「メンバーは?」
「調査課二名、測定員二名。それにA級探索者を三名同行させる」
水瀬が僅かに眉を動かした。
「一階の調査にA級を三人ですか?」
「一階にフレイムリザードが出る場所だぞ」
それだけで十分な理由になる。
だが、山岸が警戒しているのは魔物だけではない。
入口の外で八百を超えた魔力濃度。
その先に何があるのか、まだ誰にも分からない。
「相川さんには?」
「今回は同行させない。我々が自分たちで確認する必要がある」
誰も反対しなかった。
会議室のモニターには、先日撮影した洞窟の入口が映っている。
外から見れば、ただの小さな洞窟だ。
だが、その奥には少なくとも三十八もの階層があり、一階からB級の魔物が出現する。そして、そんな場所へ七年間通い続けた青年の身体には、通常では考えにくい量の魔力が蓄えられていた。
それが偶然なのか。
それとも、あのダンジョンが人間にもたらした変化なのか。
今の彼らには、まだ判断できない。
そして何より、相川湊でさえ三十八階より先を知らない。
あのダンジョンの本当の異常さを知る者は、まだ世界のどこにもいなかった。




