第5話 よくある普通の宝箱
十階まで行く。
俺としては、何気なく口にしただけだった。
普段から十階までは頻繁に行き来しているし、なんなら最近はほとんど立ち止まることすらない階層だ。
道もすっかり覚えている。
魔物に邪魔されなければ、一階から歩いても一時間と掛からずに到着できるだろう。
今日は配信をしながらなので、いつもより少し時間は掛かるかもしれない。
それでも昼過ぎには着くはずだ。
しかし、どうやら配信を見ている人たちにとって、十階へ行くというのはそんな簡単な話ではないらしい。
『十階はやめとけ』
『いやマジで』
『二階でこれだぞ?』
『十階とか何が出てくるんだよ』
『黒龍さん止めてくれ』
スマホの画面には、俺を心配するようなコメントが次々と流れていた。
さっきの三体程度なら、今の俺が苦戦するような相手ではない。
それを説明したところで信じてもらえるかは分からないけど、実際に見てもらうのが一番早いだろう。
「大丈夫ですよ。十階までは何度も行ってるんで」
『何度も!?』
『こいつ普段からここに潜ってるの?』
『初見です。何が起きてるんですか?』
『俺らも分からん』
『大学生が裏山で遊んでる』
『説明されても意味分からなくて草』
コメントが流れる速度は、さっきよりも明らかに速くなっていた。
一つ読んでいる間にも次のコメントが上へ流れてしまい、とても全部は追えない。
健太はスマホでも視聴者数を確認できると言っていたが、そちらの表示は相変わらず上手く機能していなかった。
ドローン本体の液晶には数字が出ているものの、昨日聞いた話では表示が壊れているらしい。
五年前の機械だ。
まともに飛んで、これだけ綺麗に撮影できているだけでも十分なのかもしれない。
「まあ、映ってるならいいか」
『映像は問題ないぞ』
『めっちゃ綺麗』
『音声も聞こえてる』
それなら問題ない。
俺はスマホをポケットへ戻し、三階へ続く通路へ向かった。
二階から三階へ下りる階段は、さっきの広間から歩いて十分ほどの場所にある。
途中で魔物に遭遇することもなく、見慣れた石造りの階段へ辿り着いた。
三階へ下りると、それまでの洞窟とは景色が少し変わる。
壁や天井の一部を蔦のような植物が覆い、所々には小さな花まで咲いていた。
日の光なんて届かないはずなのに、どうして植物が育っているのか。
中学生の頃は不思議に思って調べようとしたこともあったが、当然俺に分かるはずもなく、いつの間にか気にしなくなった。
階段から少し進んだところで、正面の茂みがガサガサと大きく揺れる。
「来たな」
現れたのは、二匹の黒い犬だった。
犬と呼んではいるものの、普通の大型犬より一回りは大きい。口から覗く牙も、人の指くらいの太さがある。
こいつらは一匹だけなら大したことはない。
面倒なのは、ほとんどの場合、二匹以上で行動していることだ。
昔は片方に気を取られている間に、もう片方に背後へ回り込まれて何度も痛い目を見た。
『ブラックハウンドだ』
『C級二体』
『三階でC級かよ』
『感覚おかしくなってきた』
そんなコメントが流れていることなど知らず、俺は剣を構えた。
右側の一匹が先に地面を蹴る。
少し遅れて、左側も動いた。
やっぱり昔と同じだ。
一匹が正面から突っ込み、もう一匹が横へ回る。
だったら先に、正面の一匹を倒せばいい。
俺も地面を蹴った。
「ふっ!」
牙が届く直前で身体を低くし、そのまま相手の下へ滑り込む。
腹の下を通り抜けながら剣を振ると、柔らかな腹部を刃が深く切り裂いた。
黒い犬は着地に失敗し、そのまま地面を転がっていく。
すぐに振り返る。
もう一匹が、すでに目の前まで迫っていた。
「っと!」
横へ飛ぶ。
さっきまで俺の首があった場所で、上下の牙がガチンと大きな音を立てて噛み合った。
こいつは昔から噛む力だけは強い。
一度リュックを噛まれて、中に入れていた弁当ごとボロボロにされたことがある。
あの日は結局、昼飯抜きになった。
そんな昔のことを思い出しながら着地し、すぐに地面を蹴る。
黒い犬がこちらを向くより早く間合いへ入り、その首へ剣を振り下ろした。
ザシュッ。
刃が深く入り、黒い犬が地面へ崩れ落ちる。
振り返ると、最初に腹を斬った方もすでに動かなくなっていた。
「よし」
二匹の身体が淡い光に包まれ、ほとんど同時に消えていく。
残念ながら、今回はどちらも魔石を落とさなかった。
中学生の頃は二匹を相手にするだけで何度も逃げ回ったのに、今では大して時間も掛からない。
七年もやっていれば、さすがに俺でも成長するらしい。
剣に付いた血を振り払い、そのまま四階へ向かった。
***
黒龍こと黒田龍一は、自宅のソファに座ったまま配信を見続けていた。
SNSで流れてきた短い動画が気になり、少し確認するつもりで開いただけの配信だった。
それが今では、画面から目を離すことすらできなくなっている。
一階に出現したフレイムリザード。
二階にいた、通常種とは明らかに体格の異なるオーク。
そして三階では、二体のブラックハウンド。
一種類ずつなら、黒田自身も何度となく遭遇している魔物だ。
問題は、それらが同じダンジョンの僅か三階までで、すでに出現していることだった。
「やっぱり知らないな……こんなダンジョン」
日本国内にある主要なダンジョンの情報なら、黒田の頭にはほとんど入っている。
もちろん全ての階層で、どんな魔物が出現するのかまで暗記しているわけではない。
それでも、一階からフレイムリザードが出現するダンジョンなど聞いたことがなかった。
しかも青年の話が本当なら、今見ているダンジョンは探索者協会に登録すらされていない可能性が高い。
それ以上に黒田が気になっているのが、画面の中を歩いている青年だった。
先ほどのブラックハウンドとの戦闘。
青年は二匹の動きを完全に読んでいた。
ブラックハウンドが集団で連携することを、知識として知っているだけではない。
片方が飛び出した瞬間には、もう次の一匹がどこから来るのか分かっている。
そんな動きだった。
「何回戦ったら、あんな動きになるんだよ」
本人は中学生の頃から七年間、このダンジョンに潜り続けていると言っていた。
その話が事実なら、戦い慣れていること自体には説明がつく。
だが、今度は別の疑問が生まれる。
当時十三歳か十四歳だった少年が、一階からB級魔物が出現するようなダンジョンで、どうやって生き残ったのか。
黒田には、むしろそちらの方が理解できなかった。
「しかも魔物の名前は知らないんだよな……」
ブラックハウンドを倒せるのに、ブラックハウンドという名前を知らない。
フレイムリザードも同じだった。
誰かに戦い方を教わったわけではない。
探索者向けの教材で勉強したわけでもない。
ただ何度も戦い、失敗し、その度に自分で倒し方を覚えてきた。
そう考えるのが一番自然だった。
そして。
それが一番異常だった。
***
四階へ下りてから十五分ほど経った。
この階は天井が高く、通路もかなり広い。
その代わり隠れる場所がほとんどないので、魔物を見つけやすい反面、向こうからもこちらを見つけやすい。
今日も途中で、大きなカマキリみたいな魔物に遭遇した。
俺より少し背が高く、両腕には人間の胴体くらいなら簡単に切り裂けそうな大きな鎌が付いている。
こいつも初めて戦った頃は苦手だった。
鎌の間合いが思っていた以上に長く、避けたつもりでも服を何度も切られたことがある。
ただ、攻撃する前には必ず片方の鎌を大きく引く癖があった。
そこさえ見ていれば、今となってはそれほど怖くない。
右から振られた鎌を避け、そのまま懐へ潜り込む。
胴体へ一度剣を入れたが、それだけでは倒れなかった。
ならもう一度。
脇を抜けて背後へ回り、振り向こうとしたところへ二撃目を入れる。
今度は首を狙った。
刃が首を切り裂き、巨大なカマキリの身体がその場へ崩れ落ちる。
戦闘時間は二分も掛からなかったと思う。
「お、でかい」
消えた身体の跡には、緑色の魔石が一つ残されていた。
今日拾った中では一番大きい。
親指の先くらいはある。
これなら当たりだ。
俺は少し機嫌を良くしながら魔石をリュックへ入れ、そのまま五階へ向かった。
五階へ下りると、それまでとは景色が大きく変わる。
洞窟というよりは、人工的に造られた遺跡に近い。
石を積み上げた壁。
等間隔に並んだ太い柱。
床には所々、文字のようにも見える奇妙な模様が刻まれている。
初めてここまで来た頃は、この場所へ着くだけで随分興奮したものだ。
秘密の地下遺跡を、自分だけが知っている。
中学生だった俺にとって、これほど面白い遊び場はなかったと思う。
今ではすっかり見慣れてしまったけど。
しばらく通路を歩いていると、その端に見覚えのある物を見つけた。
「あ」
小さな木箱。
両手で抱えられるくらいの大きさで、正面には金属製の留め具が付いている。
昔からダンジョンの中で、たまに見つける箱だ。
中身は毎回違う。
魔石が何個か入っていることもあれば、武器や薬が入っていることもある。
開けてみたら何も入っていなかった、なんてこともあった。
俺は木箱の前にしゃがみ込む。
「今日は何かな」
留め具を外し、そのまま蓋を開ける。
中に入っていたのは、小さなガラス瓶が一本だけだった。
透明な瓶の中を、青色の液体が満たしている。
見覚えのある物だ。
「あー、これか」
少しだけ落胆する。
この青い薬は、昔から何度も拾っている。
飲むと身体に溜まった疲れがかなり楽になるので、探索を始めた頃はよく使っていた。
特に深い階層まで行くようになってからは、帰り道で何度世話になったか分からない。
ただ最近は昔より体力も付いたし、十階程度までなら使うこともほとんどなくなった。
家にも何本か残っていたはずだ。
俺は瓶を手に取って少し考えた後、木箱の中へ戻した。
「いらないな」
リュックだって無限に物が入るわけではない。
今日は十階まで行く予定だし、この先でもっと良い物が見つかるかもしれない。
だったら、ここでわざわざ荷物を増やす必要はないだろう。
立ち上がったところで、ふと配信していたことを思い出す。
そういえば、さっきからスマホを全く見ていなかった。
ポケットから取り出して画面を確認する。
「……何?」
コメントが凄い勢いで流れていた。
『拾え!!』
『なんで置いてくんだよ!』
『青いポーション?』
『見たことないんだけど』
『魔力回復薬とは色が違うよな?』
『黒龍さん分かる?』
『黒龍:分かりません。可能なら持ち帰ってください』
黒龍という名前を見つけて、少しだけ考える。
昨日、健太が教えてくれた有名な配信者だ。
登録者二百万人。
投げ銭だけで百万円。
その人が、わざわざ持って帰れと言っている。
俺は木箱へ戻した瓶を、もう一度手に取った。
「これですか?」
ドローンのカメラへ瓶を近付ける。
透明なガラス越しに、青い液体が光を反射しながらゆっくりと揺れた。
『それ』
『もっと近く!』
『ラベルとかない?』
『黒龍:初めて見る物です』
「これ、そんな珍しいんですか?」
俺としては、むしろハズレに近い。
武器が入っていた方が嬉しいし、大きな魔石ならもっと嬉しい。
『少なくとも市販品じゃない』
『俺も見たことない』
『ダンジョン産の薬品?』
『黒龍が知らない時点でかなり珍しくない?』
コメントを読みながら、改めて瓶を眺める。
七年間で何度拾っただろう。
正確な数なんて覚えていない。
最初の頃は見つける度に喜んで持ち帰っていたので、家にも結構残っているはずだ。
「でも、これ結構出ますよ」
『は?』
『結構?』
『何本くらい拾ったことある?』
「何本って言われても……」
少し考える。
今まで飲んだ分も含めれば、かなりの数になる。
家の物置にも何本か置いた記憶があるし、自分の部屋にもまだ残っていたはずだ。
「数えたことないですけど、家にも二十本くらいはあると思います」
コメントが一瞬止まった。
「いや、もっとあるかも」
次の瞬間。
今まで以上の勢いでコメントが流れ始めた。
『二十!?』
『嘘だろ』
『それ全部同じやつ?』
『何に使う薬なんだ?』
『黒龍:飲んだことはありますか?』
「ありますよ」
むしろ昔は何度も飲んだ。
「疲れたときに飲むと、結構楽になります」
『疲れが取れる?』
『スタミナポーション?』
『そんな即効性ある薬あったっけ』
『黒龍:効果が出るまでどのくらいですか?』
「すぐですけど」
コメント欄が、また一瞬止まった。
何だろう。
そんなに変なことを言っただろうか。
俺は首を傾げながら、青い瓶をリュックの中へ入れる。
「とりあえず持って帰りますね」
『よかった』
『危うく未知のアイテム置いていくところだったぞ』
『この配信心臓に悪い』
『本人だけ危機感ゼロなの草』
俺としては、普段なら置いて帰る物を一本余計に持ち帰るだけだ。
何がそんなに面白いのか、やっぱりよく分からない。
ただ、配信を始めて一つ分かったことがある。
自分では何とも思っていなかった物でも、他の人から見れば珍しいことがあるらしい。
だったら次に何か見つけたときも、少しカメラに見せてみよう。
そう思いながら、俺は五階の奥へ歩き出した。
***
黒田は、画面に映った青い瓶のことを考えながらスマートフォンを操作していた。
自分が知らないというだけなら、それほど珍しい話ではない。
ダンジョンから産出する物は膨大で、全てを把握している探索者など存在しない。
黒田自身、見たことのない素材やアイテムはいくらでもある。
だが。
あの青年が口にした効果が事実なら、話は少し変わってくる。
飲んですぐに疲労が軽減される薬。
しかも本人はこれまで何度も使用しており、自宅には同じ物が二十本以上あるという。
少なくとも黒田の知識には、完全に一致する薬品は思い浮かばなかった。
そして何より気になるのは。
青年が、あの瓶を何の迷いもなく置いて帰ろうとしたことだった。
つまり彼にとって、あれは珍しい物ではない。
「これ、ダンジョンの方が本命かもしれないな……」
最初は青年の異常な戦闘能力ばかりに目が向いていた。
しかし今は違う。
一階から出現するB級魔物。
通常種とは明らかに特徴の違うオーク。
階層ごとに大きく変化する内部環境。
そして、詳細不明の薬品。
未登録である可能性が高いダンジョンから、次々と普通ではない情報が出てくる。
これ以上、ただの珍しい配信として眺めているわけにはいかない。
黒田は連絡先を開き、一人の知人を選んだ。
探索者協会に勤めている男だ。
『今すぐこの配信を見てくれ』
配信のリンクを添えて送信する。
数十秒後、既読が付いた。
『何? 今仕事中なんだけど』
すぐに返信が来る。
黒田は画面の中で、五階の奥へ歩いていく青年を見ながら短く返した。
『未登録ダンジョンの可能性がある』
今度は少し間が空いた。
『場所は?』
『分からない』
返信してから、もう一度配信へ目を向ける。
青年は何事もなかったように、六階へ続く道を進んでいる。
黒田はもう一文だけ付け加えた。
『ただ、かなりヤバいかもしれない』
送信。
今度はすぐに既読が付いた。
返信は来ない。
恐らく、配信を開いたのだろう。
***
五階を抜ける頃。
俺は一度足を止め、ドローンの液晶を確認した。
表示されている数字は『73』。
壊れていると聞いていたけど、さっきより数字は増えている。
もしかすると、視聴者数だけは普通に表示できているのかもしれない。
「七十三人か」
初めての配信で七十三人。
基準はよく分からないけど、結構多いんじゃないだろうか。
昨日聞いた黒龍という人は十二万人。
それと比べれば大したことはないけど、俺からすれば七十三人でも十分多い。
少しだけ嬉しくなった。
「見てくれてありがとうございます」
ドローンへ軽く頭を下げる。
そして俺は、六階へ続く階段を下り始めた。
***
そのとき。
実際に配信を見ていたのは、七十三人ではなかった。
千二百七十三人。
中古ドローンの壊れた液晶は、やはり視聴者数の下二桁しか表示していない。
そして、その千二百七十三人の中には。
先ほど黒龍から連絡を受けた探索者協会の職員も、すでに加わっていた。




