第3話 何かがおかしい
フレイムリザード。
その名の通り、炎を操る大型の爬虫類型魔物だ。
全身を覆う鱗は非常に硬く、並の刃物では傷を付けることすら難しい。さらに口から吐き出す炎は、人間一人を簡単に焼き殺すほどの威力を持っている。
探索者協会が定める危険度はB級。
遭遇した場合、同等以上の等級を持つ探索者を含む複数人での討伐が推奨されている危険な魔物だ。
当然、佐々木亮太も実物を見たことなどない。
それでも知っていた。
ダンジョン配信を普段から見ている人間なら、一度くらいは映像を目にしたことがある。それだけ有名で、それだけ凶悪な魔物だった。
だからこそ、画面の中で起きていることが理解できない。
「何やってんだ、こいつ……」
思わずそんな言葉が漏れた。
画面の中の男は逃げるどころか、片手に剣を持ったままフレイムリザードへ向かって歩いている。
防具はない。
着ているのはパーカーとカーゴパンツ。足元に至っては、どこにでも売っていそうなスニーカーだ。
どう見ても、これからB級魔物と戦う人間の格好ではない。
『逃げろって!』
『B級だぞ!?』
『配信者コメント見てない?』
『誰か通報した方がよくね?』
視聴者はいつの間にか七人まで増えていた。
たった七人。
それでも今この瞬間、その七人全員が画面に釘付けになっていることだけは、亮太にも分かった。
もちろん亮太も同じだ。
通報。
そのコメントを見て、亮太もスマホへ指を伸ばしかける。
しかし、すぐに止まった。
「……どこのダンジョンだよ」
配信タイトルは『ダンジョンで遊ぶ』。
チャンネル名は『裏山探索』。
概要欄は空白。
場所につながる情報が何一つない。
これでは通報しようにも、どこで配信しているのか説明することすらできない。
「せめてコメント見ろよ……」
当然、その声が画面の向こうまで届くはずもなかった。
***
目の前のフレイムリザードが、低い唸り声を上げる。
「グルルルル……」
一階に出てくる魔物の中では、こいつが一番面倒だ。
昔は姿を見つけたらすぐに逃げていたし、初めて倒せたのも確か高校に入った頃だったと思う。
硬い。
力も強い。
何より、こいつは火を吐く。
まともに食らったことはないけど、たぶん結構熱い。
一度だけ避けるのが遅れて髪の毛の先を焦がされたことがある。家に帰ってから母さんに見つかって、誤魔化すのが大変だった。
「久しぶりだな」
俺の声に反応したわけではないだろうが、フレイムリザードが大きく口を開いた。
その奥に赤い光が灯る。
来る。
何度も見てきた動きだ。
俺はすぐに横へ走った。
直後、フレイムリザードの口から炎が噴き出し、さっきまで俺が立っていた場所を飲み込んでいく。
ゴオッ!
洞窟の通路を埋め尽くすように炎が広がり、背後から強烈な熱気が押し寄せてきた。
足を止めず、そのまま壁際まで走る。
壁を蹴る。
反動を利用して身体を宙へ浮かせると、そのままフレイムリザードの頭上へ飛び出した。
剣を両手で握る。
「よっ!」
勢いを乗せ、その頭部へ剣を振り下ろす。
ガキンッ!
甲高い音とともに、剣が硬い鱗に弾かれた。
「やっぱ硬いな」
着地と同時に後ろへ跳ぶ。
次の瞬間、フレイムリザードの太い尾が俺の目の前を通過した。
ブォン!
まともに当たれば、さすがに痛そうだ。
相変わらず力だけは強い。
正面から鱗を斬ることもできなくはないけど、何度も剣を叩きつける必要がある。
だったら、もっと簡単な方法がある。
フレイムリザードが身体ごとこちらを向く。
再び口の奥が赤く光った。
今度は動かない。
炎を吐く直前。
ほんの一瞬だけ、こいつは喉を大きく開く。
何度も戦って見つけた癖だ。
狙うのはそこ。
「ほっ」
炎が放たれる直前、地面を蹴った。
一気に距離を詰める。
フレイムリザードが俺を追うように僅かに頭を上げ、その口がさらに大きく開く。
その瞬間、剣を真正面へ突き出した。
ズブッ!
切っ先が開いた口の中へ入り、柔らかな肉を貫く感触が手に伝わってきた。
そのまま腕に力を込め、剣をさらに奥へ押し込む。
フレイムリザードの巨体が大きく跳ねた。
同時に、口の奥で行き場を失った炎が弾ける。
ボンッ!
小さな爆発音とともに煙が噴き出し、鼻先を掠めていった。
「あっぶな」
慌てて剣を引き抜き、後ろへ離れる。
フレイムリザードの身体が大きく揺れ、そのまま地面へ倒れ込んだ。
ズンッ、と重い音が洞窟に響く。
念のため少し離れたところから様子を見る。
動かない。
どうやら倒せたようだ。
「よし」
昔は一匹倒すだけで二十分くらい掛かっていた。
それが今では、一分も必要ない。
毎週のようにここへ来ているだけあって、俺も少しは強くなっているらしい。
しばらくすると、フレイムリザードの巨体が淡い光に包まれ、そのまま光の粒となって消えていった。
後に残されたのは、一つの赤い魔石。
拾い上げて確認する。
人差し指の先くらいの大きさだ。
「お、当たりだ」
一階でこの大きさなら悪くない。
魔石をポケットへ入れ、剣を鞘へ戻す。
今日は幸先がいい。
俺はそのまま、いつものように一階の奥へ向かって歩き始めた。
***
佐々木亮太は、画面の前で固まっていた。
何かコメントしようとは思う。
しかし、何を書けばいいのか分からない。
つい先ほどまで七人だった視聴者は、いつの間にか九人まで増えている。
おそらく他の視聴者も同じだったのだろう。
誰もコメントを打たない。
画面の中では、たった今B級魔物を単独で倒した男が、何事もなかったように洞窟の奥へ歩いていく。
最初に我に返ったのは亮太だった。
『は?』
それを皮切りに、止まっていたコメント欄が一気に動き始める。
『え?』
『倒した?』
『嘘だろ』
『ソロ?』
『いや一人しかいないだろ』
『防具なしだぞ』
『今の動き何?』
『壁蹴ったよな?』
『てか剣も普通の片手剣に見えるんだけど』
亮太はコメントを打つ手を止め、改めて配信画面を見つめた。
おかしい。
明らかにおかしい。
上位探索者がフレイムリザードを単独で倒すだけなら、ここまで驚くことではない。
B級より上にはA級、さらにその上にはS級探索者だって存在する。彼らならフレイムリザード一体を単独で倒すことも可能だろう。
だが、画面の中の男は防具すら着けていない。
それ以上に、戦い方がおかしかった。
フレイムリザードが炎を吐く瞬間をギリギリまで待ち、真正面から距離を詰めて口の中へ剣を突き刺した。
一歩間違えば炎の直撃を受ける。
普通なら選ばない。
いや、選べない。
なのにあの男は、初めから相手の動きを全て知っていたかのように戦っていた。
そして亮太は、男が戦闘後に口にした言葉を聞き逃していない。
――昔は一匹倒すだけで二十分くらい掛かっていた。
つまり。
「こいつ……何回も戦ってるのか?」
亮太はすぐにコメントを打ち込んだ。
『こいつフレイムリザード何回も倒してる?』
『そう言ってたよな』
『どこのダンジョンだよ』
『B級が一階にいるダンジョンなんてある?』
そのコメントを見た瞬間、亮太の指が止まった。
「……一階?」
そうだ。
あの男は、確かに言っていた。
最初にホーンラビットを倒したとき。
――まあ、一階だ。こんなものだろう。
亮太は急いでパソコンへ向き直り、検索欄へ文字を打ち込む。
『フレイムリザード 出現階層』
いくつもの情報が表示された。
国内でフレイムリザードの出現が確認されているダンジョンは、その大半がB級以上。
出現する場所も中層以降がほとんどで、亮太が確認できる範囲では最も浅くても十七階だった。
少なくとも、一階にフレイムリザードが出現するダンジョンなど見つからない。
『待って』
亮太はコメントを打つ。
『こいつ本当に一階って言ってたよな?』
『言ってた』
『俺も聞いた』
『じゃあここどこ?』
その問いに答えられる者は誰もいなかった。
***
五分ほど歩いたところで、俺はスマホを取り出した。
一階は昔から構造がほとんど変わらない。
たまに壁が崩れたり、新しい道が増えたりすることはあるけど、大きく変化したことは一度もなかった。
だから迷うこともない。
もう少し進めば二階へ続く階段がある。
そこで、ふと思い出した。
そういえば配信していたんだった。
スマホの画面を見る。
「お」
コメントが来ている。
しかも、思っていたより多い。
俺は歩きながら画面をスクロールした。
『今のホーンラビットだよな?』
『何級ダンジョン?』
『てか防具は?』
『逃げろ』
『それ、フレイムリザードだぞ』
『どこのダンジョン?』
『一階ってマジ?』
知らない言葉もいくつか混ざっている。
「ホーンラビット?」
たぶん、最初に倒したツノウサギのことだろう。
なるほど。
ツノウサギより、ちゃんと魔物っぽい名前だ。
そういえば俺は、ここの魔物の正式名称なんてほとんど知らない。
子供の頃から勝手に名前を付けて呼んでいたし、それで困ったこともなかった。
次のコメントを見る。
フレイムリザード。
おそらく、さっきのトカゲだ。
「へえ。あいつフレイムリザードっていうのか」
一つ勉強になった。
こういうことを教えてもらえるなら、配信も意外と悪くないかもしれない。
『やっとスマホ見た!』
『知らなかったの!?』
すぐに新しいコメントが流れてくる。
「うん。俺、魔物の名前とかあんまり詳しくないんですよね」
『????』
『待て待て』
『何で知らないのに倒せるんだよ』
『探索者じゃないの?』
最後のコメントが目に留まった。
「うーん。探索者じゃないですよ。俺は普通の、どこにでもいる大学生です」
コメントが止まる。
数秒後。
『絶対に違うだろ』
何が違うんだろう。
大学二年生。
コンビニでバイト。
実家暮らし。
特別な資格も持っていない。
どこにでもいる普通の大学生だと思う。
まあいいか。
ふと画面の端を見ると、視聴者数らしき表示があることに気付いた。
しかし、
『――人』
肝心の数字がうまく表示されていない。
「こっちも壊れてるのか?」
古いドローンとの連携が悪いのかもしれない。
そう思って頭上を飛んでいるドローン本体を見る。
上部の液晶には数字が出ていた。
『12』
十二人。
思っていたより見てくれている。
「十二人もいるんだ。ありがとうございます」
『?』
『何が?』
『今何て言った?』
なぜかコメント欄がざわつく。
俺は首を傾げた。
まあ、いいか。
「じゃあ二階行きます」
スマホをポケットへ戻し、目の前にある階段を下りていく。
ドローンも少し遅れて俺の後を追ってきた。
***
実際の視聴者数は、百十二人。
しかし、ドローン本体の壊れた液晶に表示されているのは、その下二桁だけだった。
だから湊には『12』としか見えていない。
そして本人がその事実に気付かないまま、配信は二階へ進んでいく。
画面が一度暗くなり、数秒後。
配信に再び洞窟内部が映し出された。
一階よりも高い天井。
広い通路。
青白く光る石が壁の至るところに埋め込まれている。
そして、階段を下りた湊の正面には三つの巨大な影が立っていた。
人型。
身長は二メートルを優に超え、緑色の皮膚を持つ巨体。その腕は丸太のように太く、それぞれ錆びた大剣や棍棒を握っている。
画面に三体が映った瞬間。
「うわ」
湊が僅かに顔をしかめる。
「今日は多いな」
それだけだった。
だが、コメント欄は一瞬で埋まった。
『は?????』
『オーク!?』
『三体いるぞ!』
『待て』
『こいつら普通のオークじゃなくね?』
『でかすぎる』
『誰か有識者呼んでこい』
『切り抜いていい?』
当然、湊は最後のコメントに気付いていない。
すでに配信を見ていた何人かが、この配信のURLを別のSNSへ貼り始めていた。
――新人がヤバいダンジョン配信してる。
――B級魔物を私服で倒した大学生がいる。
――詳細不明。現在二階。
最初は、ほんの数人だった。
それでも投稿を見た人間が配信を開き、そこで異常な光景を目にして、また別の人間へ知らせる。
少しずつ。
しかし、確実に。
『裏山探索』という名前が、ダンジョン配信を好む人間たちの目に留まり始めていた。
中古ドローンの液晶に表示された数字が変わる。
『12』
『27』
『51』
『86』
そして――
『04』
湊が何気なく液晶へ目を向けた。
「四人?」
少し残念そうな声が漏れる。
「なんだ、減ったのか」
実際の視聴者数。
二百四人。
もちろん、減ってなどいない。
むしろその数字は今も、増え続けていた。




