第2話 初めてのダンジョン配信
翌日の夕方。
大学の講義を終えてバイト先へ向かうと、店の裏口で健太が待っていた。
その足元には、昨日スマホで見せてもらった黒い円盤が置かれている。
「お、来た来た」
「本当に持ってきたんだ」
「お前がタダなら貰うって言ったんだろ」
「まあ、言ったけど」
健太が足元に置いていた円盤を持ち上げる。
近くで見ると、想像していた以上に年季が入っていた。
直径は三十センチほど。四方に小さなプロペラが付いていて、正面らしき部分には丸いカメラが取り付けられている。
元々は黒かったであろう本体は所々塗装が剥げ、灰色の下地が見えていた。側面には何かにぶつけたような傷まで残っている。
「……ボロくない?」
「だからタダなんだよ」
「飛ぶの?」
「昨日、兄貴が確認したって。飛行と撮影は問題ないらしい」
そう言って健太がドローンをひっくり返す。
「ただ、ここ」
健太が指差したのは、本体上部に付いている小さな液晶画面だった。
電源を入れると薄暗い画面に白い文字が浮かび上がり、バッテリー残量や接続状況、録画時間など、いくつかの数字が表示される。
その中で一つだけ、数字の一部が欠けていた。
「何これ?」
「配信中の視聴者数」
「壊れてんじゃん」
「液晶だけな。兄貴が言うには、昔ぶつけたときから表示がおかしくなったらしい」
「大丈夫なのかよ」
「スマホのアプリから見れば分かるって」
なら問題ないか。
そもそも俺の配信を見る人間が、何百人もいるとは思えない。
一人か二人。多くても十人くらいだろう。
それくらいなら、この壊れかけの液晶でも何となく確認できそうだ。
「あとバッテリーは?」
「新品の頃で四時間くらい。今は二時間持つかどうかだって」
「十分じゃん」
俺が普段ダンジョンに潜る時間も、大体そのくらいだ。
健太からドローンを受け取ってみると、見た目から想像していたよりも軽かった。
これならリュックに入れて山を登っても邪魔にはならないだろう。
「設定は?」
「アプリ入れてアカウント作れば使える。分かんなかったら兄貴に聞くよ」
「了解」
「で、何撮るの?」
「んー」
昨日は健太からダンジョン配信の話を聞いた。
だから少し興味があったのは事実だ。
とはいえ、わざわざ資格を取って管理されたダンジョンへ行くつもりはない。
俺には、いつもの遊び場がある。
「適当に山とか?」
「山?」
「景色でも撮ってみるよ」
「お前、そういう趣味あった?」
「今日からできるかもしれないだろ」
「絶対すぐ飽きる奴じゃん」
失礼な。
俺は七年間も同じ趣味を続けられる男だ。
こうして俺は健太から、少しくたびれた配信用ドローンを譲り受けた。
翌日。
土曜日の午前十時。
俺は自分の部屋で、そのドローンと格闘していた。
「なんで接続できないんだよ……」
説明書はない。
ネットで型番を検索するとメーカーの公式サイトは残っていたが、すでに生産終了しているらしく、簡単なマニュアルしか見つからなかった。
専用アプリをスマホへ入れ、アカウントを作り、ドローン本体との接続も済ませた。
そこまではいい。
問題は配信サイトとの連携だった。
「これか?」
画面に表示されたボタンを押してみる。
『配信チャンネルを作成してください』
今度は配信サイトへ飛ばされた。
チャンネル名、アイコン、プロフィール。
色々と入力する欄が並んでいる。
「チャンネル名ねぇ……」
特に思いつかない。
有名な配信者なら、黒龍なんて格好いい名前を付けるらしい。
俺も何か考えるべきなのだろうか。
炎帝。
剣聖。
暗黒騎士。
……ないな。
二十歳にもなって、そんな名前を自分で付ける勇気はない。
しばらく考えた末、チャンネル名の欄に文字を入力する。
『裏山探索』
結局、そのままにした。
ダンジョンと入れるか少し迷ったが、それもやめておく。資格も持っていないのに名前へ堂々とダンジョンと入れるのは、何となく気が重かった。
アイコンは初期設定のまま。
プロフィールも空欄。
そして配信タイトルは、
『ダンジョンで遊ぶ』
これでいいだろう。
収益化だとか細かな配信設定だとか、よく分からない項目は全部飛ばした。
とりあえず、まずは映ればいい。
設定を終えてドローンを起動する。
ブゥンという小さな音とともに四つのプロペラが回転し、黒い円盤がゆっくりと床から浮かび上がった。
「おお」
俺が手を動かすと、ドローンのカメラがこちらを向く。
試しに右へ移動してみればついてくる。反対に左へ動いても同じように追尾し、その場でしゃがむと高度まで下げてきた。
「すげえな、これ」
五年前の機械とは思えない。
これなら確かに、一人でも問題なく撮影できそうだ。
スマホを確認すると接続にも問題はない。
俺はドローンの電源を一度切ってリュックへ入れ、剣を布製のケースに収めて肩へ掛けた。
両親は今日も仕事だ。
土曜日に二人ともいないのは珍しいが、今日は普段より荷物も多いし、ちょうどよかった。
俺はそのまま家を出た。
家から歩いて十分ほど。
裏山の獣道を進み、さらに五分ほど歩くと、木々に囲まれた岩壁が見えてくる。
一見すれば、ただの岩山。
その一部に、人一人がどうにか通れる程度の亀裂があった。
七年前。
中学一年生だった俺は、山で遊んでいる途中に偶然この場所を見つけた。
最初はただの洞窟だと思った。
少し奥まで行ってみよう。
そんな軽い気持ちで中へ入り、角の生えたウサギみたいな生き物に追いかけ回された。
今思えば、本当によく死ななかったものだ。
それでも怖いより先に、こんな場所が家の裏にあったことへの興味が勝った。
あの日から、ここは俺だけの遊び場になった。
岩の亀裂を抜けて奥へ進む。
外からの光が届かなくなる辺りまで来ると、壁に埋め込まれた石が淡い青色の光を放っているのが見えてきた。
七年前からずっと光っている。
どういう仕組みなのかは知らない。
昔は気になって調べようとしたこともあったが、結局何も分からなかったので、今では照明代が掛からなくて便利くらいにしか思っていない。
リュックからドローンを取り出して起動する。
続いてスマホで配信アプリを開くと、画面の中央に大きく『配信開始』と表示されていた。
「これ押せばいいのか」
タップする。
『3』
『2』
『1』
カウントダウンが終わり、画面上部に赤い『LIVE』の文字が表示された。
どうやら始まったらしい。
俺は宙に浮かんでいるドローンを見る。
丸いレンズが、しっかりとこちらを向いていた。
「……何喋ればいいんだ?」
考えてみれば、配信なんてしたこともなければ、まともに見たこともない。
普段一人でダンジョンへ潜っているときも独り言くらいは言うが、誰かに向かって話したことなんて当然なかった。
とりあえず挨拶だろうか。
「えー……こんにちは」
洞窟の中に自分の声が響く。
なんだこれ。
死ぬほど恥ずかしい。
「裏山探索です。今日は……ダンジョンに来ています」
そのまんまだ。
我ながら酷い。
スマホを確認してみるが、コメントは一件もない。
まあ、当然か。
そもそも誰も見ていない。
だったら別に喋らなくてもいい気がしてきた。
「まあ、適当にやります」
スマホをポケットへ入れる。
ドローンが俺の後ろへ回り込み、一定の距離を保ったままついてくる。
俺はいつものように剣を抜き、洞窟の奥へ進んだ。
一階。
ここに来るのは久しぶりだ。
最近は入口から十階まで、ほとんど立ち止まらずに進むことが多い。
今日はドローンのテストも兼ねている。
せっかくだし、久しぶりに最初からゆっくり歩いてみよう。
しばらく一本道を進んでいると、その先に少し開けた場所が見えてきた。
俺がそこへ足を踏み入れた瞬間、近くの草むらが大きく揺れる。
飛び出してきたのは、灰色のウサギだった。
普通のウサギより一回り大きく、額からは鋭い一本の角が生えている。
「懐かしいな」
七年前、初めてここへ入った俺を追いかけ回した魔物だ。
本当の名前は知らない。
だから俺は昔から、勝手にツノウサギと呼んでいる。
ツノウサギはこちらを見つけると、身体を低くして地面を蹴った。
そのまま一直線に突っ込んでくる。
昔はこれが本当に怖かった。
何度も逃げ回ったし、最初に倒すまで何日も掛かった。
でも、今見ると随分遅い。
突っ込んでくるツノウサギに合わせ、半歩だけ身体を横へずらす。
鋭い角が俺の横を通り過ぎた。
その瞬間。
剣を振る。
ザシュッ。
すれ違いざまに刃が首を通り抜け、ツノウサギの頭が地面へ落ちた。
身体はそのまま勢いで数メートルほど転がり、やがて動かなくなる。
数秒後、その身体が淡い光に包まれて消えた。
「魔石なし、と」
まあ、一階だ。
こんなものだろう。
俺は剣を軽く振って血を払い、そのまま奥へ歩き始めた。
ドローンも何事もなかったように、俺の後ろをついてくる。
当然このときの俺は、まだ知らない。
たった今の戦闘を、偶然一人の人間が見ていたことを。
***
大学生の佐々木亮太が『ダンジョンで遊ぶ』という配信を開いたのは、本当にただの偶然だった。
昼飯を食べながら適当なダンジョン配信を探していて、新着一覧の一番下に表示された配信を見つけただけ。
視聴者数は一人。
つまり、自分だけだ。
『裏山探索』
聞いたことのない名前だった。
画面に映っているのも、どこにでもいそうな若い男。
何より、装備が酷い。
探索者用の防具どころか、パーカーにカーゴパンツ、足元はスニーカー。手に持っているのも、少し古そうな剣一本だけだった。
「初心者か?」
亮太は試しにコメントを送ってみた。
『初心者か?』
反応はない。
どうやら配信者はスマホを見ていないらしい。
まあいい。
どうせ暇潰しだ。
面白くなければ、すぐに別の配信へ移ればいい。
そう思いながら唐揚げを一つ口へ運ぼうとしたところで、画面の中の草むらから灰色の魔物が飛び出してきた。
額から伸びる一本の角を見て、亮太の箸が止まる。
「……ん?」
どこかで見たことがある。
いや。
知っている。
亮太自身は探索者ではないが、ダンジョン配信を見るのが趣味で、魔物についてもそれなりに詳しかった。
スマホで配信を開いたまま、パソコンで特徴を検索する。
灰色の体毛。
額から伸びた一本の角。
そして体長。
表示された画像と、画面の中にいる魔物を見比べる。
似ているどころではない。
そのものだ。
「ホーンラビット……?」
D級指定魔物。
決して珍しい魔物ではなく、初心者探索者でも複数人のパーティーを組めば十分討伐できる相手だ。
しかし、少なくとも低級ダンジョンの一階に当たり前のように出現する魔物ではない。
何より――。
「速っ」
ホーンラビットが地面を蹴り、一気に配信者へ迫る。
ところが男は慌てなかった。
大きく飛び退くことも、剣を盾にすることもしない。
ほんの半歩、身体を横へずらしただけだった。
それだけで角の軌道から外れる。
そして、すれ違う瞬間に剣を振った。
一閃。
ホーンラビットの首が落ちた。
「……は?」
亮太の箸から唐揚げが落ちる。
画面の中の男は、何事もなかったように剣を振って血を払っていた。
『魔石なし、と』
そのまま歩いていく。
「いやいやいや」
亮太は慌ててスマホを手に取った。
『今のホーンラビットだよな?』
送信。
『何級ダンジョン?』
続けて送信。
『てか防具は?』
やはり返事はない。
配信者はコメントを確認する気がないらしい。
そうしている間にも、視聴者数が二人、三人と増えていく。
どうやら新着一覧から何人か入ってきたようだ。
『何この配信』
『新人?』
亮太はすぐにコメントを打ち込む。
『さっきこいつホーンラビット一撃で倒した』
『マジ?』
『D級だろ? 普通じゃね』
『いや装備見ろよ』
確かにD級魔物を一撃で倒す探索者なら、それほど珍しくはない。
問題はそこじゃない。
画面の中を歩いている男は、どう見ても探索者用の装備を身につけていない。
パーカー姿だ。
そんなことを考えていた、そのとき。
画面の中の男が足を止めた。
通路の先。
暗闇の中から、大きな影がゆっくりと姿を現す。
巨大なトカゲだった。
全長は三メートルほど。
全身を覆う黒い鱗。
太い四本の脚。
そして口の隙間から、赤い光が漏れている。
コメントが止まった。
数秒後。
『え?』
一人が書き込む。
『待て』
別の一人も続いた。
『これって……』
亮太は無意識に画面へ顔を近付けた。
間違いであってほしい。
しかし、何度見ても自分の知っている魔物の特徴と一致している。
「嘘だろ……」
画面の向こうでは、配信者が巨大なトカゲを見ながら、少し面倒そうに頭を掻いていた。
「こいつもまだいるのか」
その一言を聞いて、亮太は耳を疑った。
初めて遭遇した人間の反応ではない。
知っている。
この男は、この魔物を知っている。
しかも、まるで何度も遭遇したことがあるような口振りだった。
配信者が剣を構える。
亮太は震える指でコメントを打った。
『逃げろ』
送信。
続けて、
『それ、フレイムリザードだぞ』
B級指定魔物。
熟練探索者であっても、単独での戦闘は避けることが推奨されている危険な魔物だ。
そんなものを前にしているというのに、画面の中の男は逃げるどころか、普段と変わらない様子で剣を握っていた。
「こいつ倒したら、今日は下に行くか」
まるで近所で邪魔な野良猫でも見つけたような口調だった。
そして。
配信者の後ろを飛ぶ中古ドローン。
その本体に付いた壊れかけの液晶には、
『3』
という数字だけが表示されていた。




