第1話 俺の趣味はダンジョン攻略
世の中には、人に言いづらい趣味というものがある。
別に犯罪を犯しているわけでもなければ、後ろめたいことがあるわけでもない。ただ、他人に言ったところで理解されない。あるいは、説明するのが面倒くさい。
そういう類の趣味だ。
俺――相川湊にも、それがある。
「よっ……と」
右手に握った剣を振り下ろす。
ガキンッ!
金属同士を叩きつけたような音が洞窟に響いた。
剣を受け止めたのは、体長二メートルほどの黒い甲殻に覆われた蜘蛛。八本の脚を持ち、腹部には赤い斑点。ついでに口からは紫色の液体を垂らしている。
見るからに身体に悪そうだった。
「やっぱ硬いな、こいつ」
俺は一度、後ろへ跳んだ。
直後、さっきまで俺の立っていた場所を蜘蛛の前脚が薙ぎ払う。
ブォン!
耳元を通り過ぎた風切り音が頬を撫でた。
「おっと」
着地とほぼ同時に地面を蹴る。
蜘蛛の懐へ潜り込み、そのまま腹の下を滑り抜けた。
狙うのはいつも同じ場所だ。
腹部と胸部の継ぎ目。
全身を覆う黒い甲殻も、ここだけは少し薄い。
「ふっ!」
身体を捻りながら剣を突き上げる。
ザクッ。
狙い通り、切っ先が甲殻の隙間から深々と突き刺さった。
蜘蛛の巨体がビクリと震える。
すぐに剣を引き抜いて距離を取ると、蜘蛛はしばらく八本の脚を激しくばたつかせていたが、やがて力尽きたように動かなくなった。
「よし」
剣に付着した体液を振り落とす。
これで今日十二匹目。
中学生の頃はこいつを一匹倒すだけで十分くらいかかっていた。それを考えると、俺もずいぶん上達したものだ。
少しすると、蜘蛛の身体が淡い光に包まれ始めた。
その巨体が光の粒子となって消え、後には小さな紫色の石だけが残される。
俺はそれを拾い上げた。
魔石。
ダンジョンに出現する魔物を倒すと、たまに手に入る色の付いた石ころだ。
「ちっさ」
親指の爪くらいしかない。
ハズレだ。
当たりなら、もう一回りは大きい。
魔石をポケットへ突っ込み、スマートフォンを取り出す。
時刻は午後四時十二分。
「そろそろ帰るか」
今日は午後六時からバイトがある。
ここから家まで十五分くらい。帰ってシャワーを浴び、着替えてからバイト先へ向かうことを考えると、そろそろ戻った方がいい。
剣を鞘へ収め、俺は来た道を引き返した。
これが俺の趣味。
『ダンジョン攻略』だ。
ダンジョン。
それが世界各地に出現するようになったのは、今から三十年前らしい。
詳しいことは俺も知らない。大学の一般教養で聞いた話によると、最初に確認されたのは南米だったとか、アフリカだったとか、その辺も諸説あるようだ。
とにかく三十年ほど前、世界中に奇妙な空間が突如として出現した。
洞窟や塔、地下遺跡。
中には森林や砂漠が広がっている場所まである。
その見た目や内部の形状は様々だが、一つだけ共通していることがあった。
ダンジョンの中には、地球上に存在しない生物――魔物が生息している。
そして魔物から採取できる魔石や素材には、地上の物質にはない特殊な性質があった。
魔石は新たなエネルギー資源として利用され、魔物の素材は強靭でありながら加工しやすいものも多い。
医療、工業、軍事。
ダンジョンから得られる資源が世界中の様々な分野で利用されるようになり、人々の生活に欠かせないものとなるまで、そう長い時間は掛からなかった。
当然、それらを専門に採取する職業も生まれた。
俗に言う『探索者』だ。
ただし、俺は探索者ではない。
資格も持っていないし、探索者ギルドにも登録していない。
どこにでもいる普通の大学二年生だ。
じゃあ、なぜそんな俺がダンジョンに潜っているのか。
理由は簡単。
実家の裏山に、そのダンジョンがあるからだ。
誰も知らない、俺だけの秘密基地。
俺にとってダンジョンは、昔からただの遊び場だった。
山を下りると、木々の隙間から見慣れた瓦屋根が見えてきた。
裏口から庭へ入り、そのまま玄関を開ける。
「ただいまー」
中から返事はない。
俺の両親は共働きだ。
父さんは市役所に勤めていて、母さんは近所の病院で看護師をしている。この時間なら、まだ二人とも仕事中だろう。
靴を脱いで自分の部屋へ向かう。
背負っていたリュックを床に置き、剣をいつものように壁へ立て掛けた。
この剣もダンジョンで拾ったものだ。
高校一年生の頃だったと思う。
地下二十階くらいにいた骸骨が持っていた。
当時使っていたホームセンターで買った鉈より遥かに切れ味が良く、何度使ってもほとんど刃こぼれしないので、それ以来ずっと愛用している。
ちなみに両親は、この剣をおもちゃだと信じている。
俺もわざわざ訂正していない。
着替えを持って風呂場へ向かい、シャワーで汗を流す。
温かい湯を頭から浴びながら、今日の探索を思い返した。
「やっぱ三十八階の奥がなぁ」
最近、少し行き詰まっている。
ダンジョンに潜り始めて七年。
現在、俺が到達しているのは地下三十八階だ。
三十八階も途中までなら問題なく進める。
問題はその先。
地下三十九階へ続く扉の前に、やたらとデカい狼が居座っている。
全身を覆う黒い毛。
四つの目。
体長は、たぶん五メートルくらい。
初めて遭遇したときは普通に殺されかけた。
運良く少し手前で拾っていたポーションがなければ、本当に危なかったと思う。
それ以来、何度か様子を見には行っているが、まだ本格的には挑んでいない。
俺は慎重派なのだ。
ゲームだって、ボス戦の前にはしっかりレベルを上げる。準備不足のまま突っ込んで、それまで積み上げてきたものを全部失うなんて馬鹿らしい。
「もうちょい鍛えてからだな」
シャワーを止める。
風呂場の時計を見ると、時刻は午後五時を回っていた。
「やば」
少しのんびりしすぎた。
急いで身体を拭いて着替え、バイト先の制服を鞄へ突っ込んだ。
午後七時。
俺は大学近くのコンビニでレジを打っていた。
夕食時ということもあって、それなりに客が多い。
弁当やお茶、カップ麺にビール。
見慣れた商品が次々とレジの上を流れていく。
「七百四十二円です」
客がスマートフォンを端末へかざす。
ピッ、と電子音が鳴った。
「ありがとうございましたー」
客が離れれば、すぐに次の客が来る。
そんな時間が一時間ほど続き、午後八時を過ぎた頃になってようやく店内が落ち着き始めた。
「相川」
隣のレジから声を掛けられる。
「ん?」
声の主は三浦健太。
俺と同じ大学に通っている学生で、学部こそ違うものの、このコンビニでは一年以上一緒に働いている。
「昨日の黒龍見た?」
「何それ」
「マジかよ」
健太が信じられないものを見るような顔をした。
「黒龍だよ。黒龍」
「だから何なんだよ」
「ダンジョン配信者」
「ああ」
それなら聞いたことくらいはある。
最近、ダンジョン内部を撮影して配信するのが流行っているらしい。
「登録者二百万人いるぞ」
「へえ」
「反応薄っ」
「興味ないし」
「お前、本当に二十歳?」
「どういう意味だよ」
「流行りに疎すぎる」
失礼な。
俺だってSNSくらい見るし、大学の友達とメッセージもする。動画サイトだって普通に使っている。
ただ、人がダンジョンに潜っている映像を見たいと思わないだけだ。
絶対に自分で潜った方が楽しい。
「昨日、黒龍がA級ダンジョンの二十一層をソロで突破したんだよ」
「ふーん」
「同接十二万」
「多いな」
さすがに十二万人と言われれば、その凄さくらいは俺にも分かる。
東京ドーム二個分くらいだろうか。
いや、よく分からない。
「投げ銭だけで百万円超えてたらしいぞ」
「は?」
思わず健太を見る。
「百万円?」
「そこ食いつくのかよ」
「いや、百万円だぞ?」
俺の時給は千百二十円。
深夜帯なら多少上がるが、それでも千四百円には届かない。
「一日で?」
「一日っていうか、二時間くらいじゃね?」
「……マジ?」
「トップ層だからな」
二時間で百万円。
俺はレジの画面を見つめながら、自分の時給に換算しようとする。
途中でやめた。
虚しくなってきた。
「ダンジョン配信ってそんな儲かるの?」
「儲かる奴はな」
健太が笑う。
「相川もやれば?」
「俺が?」
「ゲーム配信とか」
「ゲームかよ」
少しだけ期待した自分が馬鹿だった。
「でも最近は素人でもダンジョン配信してるぞ」
「危ないだろ」
「低級ならそうでもないらしい。もちろん資格とか許可はいるけど」
「へえ」
「機材も今はドローンが勝手についてくるし」
健太はそう言ってスマートフォンを取り出すと、一本の動画を見せてきた。
画面に映っているのは、鎧を身につけた一人の男。
その周囲を小型のドローンが飛んでいる。
男が歩けば一定の距離を保って後を追い、戦闘が始まると自動で離れて撮影角度まで変えていた。
「便利だな」
「だろ?」
少しだけ感心する。
俺が山で自分の写真を撮るときなんて、スマホを岩に立て掛けてセルフタイマーを使っている。
知らない間に世の中は随分進歩しているらしい。
「でも高そうだな」
「新品はな」
健太がそう言ったところで、店内に客が入ってきた。
「いらっしゃいませー」
話はそこで終わった。
そのときの俺は、本当にその程度にしか考えていなかった。
ダンジョン配信。
そんな世界があるんだな。
それだけだった。
バイトが終わったのは、午後十一時を少し過ぎた頃だった。
「お疲れー」
「お疲れ」
健太と別れて駐輪場へ向かう。
自転車の鍵を開けていると、背後から俺を呼ぶ声が聞こえた。
「あ、相川!」
「ん?」
振り返ると、健太がコンビニの袋を片手に走ってきた。
「そういやさ」
「何?」
「やっぱりお前、配信とか興味ない?」
「別に」
「即答すんなよ」
健太は苦笑しながらスマートフォンを操作する。
「兄貴が引っ越すんだけど、いらない物を処分しててさ」
そう言って見せられた画面には、黒い円盤のような機械が映っていた。
「これ何?」
「配信用ドローン」
さっき動画で見せてもらったものと似ている。
ただし、こちらはかなり古そうだ。
本体には細かな傷がいくつも付いている。
「五年くらい前のモデルらしい。バッテリーもへたってるし、売っても大した金にならないから捨てるって」
「ふーん」
「いる?」
「なんで俺」
「さっきちょっと興味ありそうだったから」
「百万円に興味があっただけだよ」
「同じだろ」
全然違う。
でも、タダで貰えるというのなら話は別だ。
自分で買ってまで配信したいとは思わないが、ダンジョンへ持っていって遊んでみるくらいなら面白いかもしれない。
「まあ、タダなら」
「お、じゃあ持ってくるわ」
「本当にいいの?」
「いいって。どうせこのままだと粗大ゴミ行きだ」
こうして、俺は一台の配信用ドローンを手に入れることになった。
このときの俺は、まだ知らなかった。
その中古ドローンがきっかけで、七年間ただの遊び場だと思っていた実家の裏山が、日本どころか世界でも確認例のない超級ダンジョンだと判明することを。
そして、そこで遊ぶ俺の姿が配信され、世界中の探索者たちを震撼させることになるなんて。
このときの俺が、知るはずもなかった。




