第21話 挑戦者
『うおおおおおおお!!』
『勝った!!!』
『マジで倒した!?』
『最後速すぎて何も見えなかった』
『あの化け物倒したぞ』
『黒龍:……倒したか』
『黒龍でも知らない魔物なんだよな?』
『これ何級だよ』
『協会見てる!?』
『奥の扉!!』
『扉行ってくれ!』
戦闘中はほとんど止まっていたコメント欄が、堰を切ったような勢いで流れていく。
しかし、その中心にいる本人はというと、剣を握ったまま何もいなくなった広間を眺めていた。
「……やっと倒した」
大きく息を吐く。
身体は重く、立っているだけでも普段とは違う疲労を感じる。それでも嫌な感覚ではなかった。
ここ数ヶ月、何度挑んでも勝てなかった相手だった。
攻撃を当てることすらできず、危なくなれば逃げ帰る。身体を休めて、また挑んで、それでも結果は変わらなかった。
そんな相手を、今日は初めて倒した。
疲労以上に大きな達成感が身体を満たしていて、このときの俺の頭からは配信のことなどすっかり抜け落ちていた。
しばらく余韻に浸ったあと、地面に落ちている大きな魔石へ近づく。
「でかいな……」
拾い上げてみると、これまで手に入れてきたどの魔石よりも大きかった。色も濃く、手に持っただけでも何となく今までのものとは違うように感じる。
詳しいことは分からないが、あれだけ強かった魔物の魔石なのだから、何か違いがあるのかもしれない。
魔石を鞄へしまい、改めて広間の奥を見る。
そこには巨大な扉がある。
ここ数ヶ月、何度も見てきた扉だ。
ただし、近くから見るのは初めてだった。
いつもその前には、あの四つ目の狼がいた。近づこうとすれば襲われ、戦っても勝てず、結局は撤退するしかなかった。
その狼は、もういない。
「……行くか」
剣を鞘へ戻し、扉へ向かって歩く。
近づいてみると、想像していた以上に大きい。俺の身長の何倍もある石造りの扉で、表面には見たことのない模様がいくつも刻まれていた。
取っ手らしいものはない。
どうやって開けるんだ?
そう思いながら目の前まで近づいた、そのときだった。
ゴゴゴゴゴ……。
何もしていないのに、巨大な扉が左右へゆっくりと開き始めた。
「おお……」
長い間閉ざされていたような重い音を響かせながら、扉が完全に開く。
その先にあったのは、下へと続く石造りの階段だった。
壁には淡い光を放つ石が一定の間隔で埋め込まれ、階段の先まで照らしている。
俺はすぐには進まず、しばらくその場から奥を窺った。
何か出てくるかもしれない。
剣の柄へ手を添えたまま待ってみるが、魔物が上がってくる様子はない。耳を澄ませても、何かが動いているような音は聞こえなかった。
「……行くか」
警戒しながら、一段ずつ階段を下りていく。
それほど長い階段ではなかった。
やがて一番下まで辿り着き、その先へ足を踏み出す。
三十九階。
初めて足を踏み入れる場所だ。
「……なんだ、ここ」
目の前に広がっていたのは、これまでの階層とは明らかに違う空間だった。
かなり広い。
それなのに木もなければ岩山もない。魔物の姿も見当たらず、自然にできた洞窟というより、誰かが意図的に造った巨大な部屋のように見える。
そして何より目を引いたのが、壁だった。
「……なんだこれ」
壁一面に巨大な壁画が描かれている。
かなり古いものなのか、一部は掠れていた。それでも、そこに人のようなものが描かれていることくらいは分かる。
何人もの人影。
その前に立ちはだかる、巨大な何か。
別の場所には、空を飛んでいるようにも見える生き物が描かれていて、さらに視線を動かすと、巨大な扉のようなものまである。
「昔の人が描いたのか?」
壁へ近づいてみる。
絵なのか、それとも何か意味のある記録なのか。
そもそも、これを描いたのが人間なのかすら分からない。
しばらく眺めてみたものの、俺に分かりそうなことは何もなかった。
壁画に沿って歩いていると、やがて空間の中央にあるものへ目が向いた。
一つの石碑。
高さは俺の胸くらいだろうか。
これだけ広い空間なのに、その周囲には何もない。まるで最初からそこへ人を誘導するために置かれているようだった。
「……触るやつだよな、これ」
ゲームだったら間違いなく何かが起こる。
とはいえ、ここはゲームじゃない。
すぐには触れず、一度周囲を確認してから石碑自体もぐるりと一周してみる。
罠らしいものは見当たらない。
表面には、さっきの扉にあったものと似た模様が刻まれているだけだった。
「まあ、ここまで来て何もしないのもな」
右手を伸ばす。
指先が石碑へ触れた瞬間、表面に刻まれていた模様が淡い光を放った。
「うわっ」
反射的に手を離す。
しかし、それ以上は何も起こらない。
そう思った直後だった。
『――第八門番、《深淵の四眼》の単独討伐を確認』
「……え?」
突然、声が響いた。
男なのか女なのかも分からない、妙に平坦な声だった。
反射的に周囲を見回すが、当然誰もいない。
『規定条件を達成しました。挑戦者として、試練への参加を認めます』
「ちょ、ちょっと待って」
声は俺の言葉など聞こえていないかのように続く。
『転移機能を解放します。転移先を選択してください』
石碑の光が強くなり、その表面に二つの数字が浮かび上がった。
一。
そして、四十。
『第一階層』
『第四十階層』
「……」
言っている意味が分からない。
いや、転移という言葉の意味くらいは分かる。
一階か四十階へ移動できるということだろう。
問題はその前だ。
「第八門番……?」
さっき倒した狼のことだろうか。
《深淵の四眼》。
四つの目があったし、他に該当しそうな魔物はいない。それに、単独討伐と言っていた。
ということは、あいつを一人で倒すことが何かの条件だった?
それに。
「試練ってなんだよ……」
分からないことが一気に増えた。
そして、その声を聞いて混乱していたのは俺だけではない。
少し離れた場所を飛んでいるドローンは、石碑から流れた音声を最初から最後まで拾っていた。
当然、その映像の向こうでは。
『!?!?!?』
『ちょっと待て』
『第八門番!?』
『門番って言ったよな!?』
『深淵の四眼ってあいつの名前か!?』
『そんな魔物聞いたことないぞ』
『単独討伐が条件!?』
『試練って何だよ』
『挑戦者???』
『情報量多すぎる』
『第四十階層!?』
『第八ってことは他にもいるのか?』
『黒龍:第八門番……?』
『黒龍も知らないのか』
『協会!!!!』
『誰か協会呼んでこい!!』
コメント欄は、これまでとは比較にならない勢いで流れていた。
しかし俺は、そんなことには気付かないまま石碑の前で考え込んでいた。
第一階層。
第四十階層。
一階を選べば、おそらく入口付近まで戻れる。
四十階を選べば、この先へ進める。
「……四十階」
気になる。
ここ数ヶ月、ずっと三十八階で止まっていた。
ようやくその先へ進めるようになったのだから、今すぐ見てみたい気持ちはある。
しかも、試練という言葉まで出てきた。
四十階に何があるのか。
この壁画に何か関係があるのか。
そもそも、なぜ三十九階だけこんな場所になっているのか。
考えれば考えるほど、先へ進みたくなる。
そのとき。
ピッ、ピッ。
静かな空間に、小さな電子音が響いた。
「ん?」
振り返る。
少し離れた場所に浮いているドローンのランプが、赤く点滅していた。
何度か見たことのある表示だ。
バッテリー残量の警告。
そして今使っているのは、休憩中に交換した最後のバッテリーだった。
「……あ」
そこでようやく思い出した。
「配信してた」
ポケットへ手を入れ、スマホを取り出す。
画面を確認した瞬間、思わず眉を寄せた。
「……は?」
一瞬、表示がおかしくなったのかと思った。
コメントが速すぎて読めない。
次から次へと文字が流れていき、何を書かれているのか確認することすら難しかった。
『気付いたwww』
『忘れてただろ』
『絶対忘れてた』
『おかえり』
『説明してくれ!!』
『第八門番って何!?』
『試練って何!?』
『40階行くの!?』
『行ってくれ!』
『頼む40階見せてくれ』
『黒龍:今日は戻れ』
流れていくコメントの中で、たまたま最後の一つが目に入った。
「戻れって……」
改めて自分の身体を見る。
服は何ヶ所も裂け、左腕にも傷がある。
魔力にはまだ余裕があるように感じるが、身体は重い。慣れない魔力の使い方を長時間続けた影響なのか、普段の探索とは違う疲れもあった。
それにドローンのバッテリーも、もうほとんど残っていない。
四十階。
正直、かなり気になる。
少しくらいなら見てもいいんじゃないか。
そんな考えも浮かんだ。
それでも、すぐに首を横へ振る。
「……いや、今日はやめとくか」
初めて入る場所に、疲れた状態で進む必要はない。
四十階に何がいるのかも分からない。さっきの《深淵の四眼》より強い魔物が、転移した瞬間に目の前にいる可能性だってある。
七年間、一人でここへ潜ってきた。
危ないと思ったら戻る。
それだけはずっと守ってきた。
今日だけ、それを破る理由はない。
俺は近くを飛んでいるドローンへ顔を向けた。
「えっと……よく分からないですけど、とりあえず門番? は倒せました」
『そこは分かってるwww』
『見てたからな』
『問題はその後だよ!』
『第八門番について聞いてるんだよ!』
『本人も分かってないの草』
『試練は!?』
「試練は……俺も分からないです」
石碑を見る。
相変わらず、一と四十の数字が淡く光っている。
「四十階も気になるんですけど、今日は結構疲れたので帰ります。ドローンのバッテリーも切れそうですし」
『えええええええ』
『行かないの!?』
『気になる!!』
『でも正解』
『初見の階層に疲労状態で行くのは危ない』
『黒龍:それでいい』
『黒龍が同意してる』
『次いつ行く!?』
『次回40階!?』
流れていくコメントを眺めながら、少し考える。
「次は……また準備してから来ます」
今日掴んだ身体強化の感覚も、一度ちゃんと整理したい。
「じゃあ、今日はこれで終わります。見てくれてありがとうございました」
配信終了のボタンを押す。
画面が切り替わったところでスマホをポケットへ戻し、改めて石碑へ向き直る。
表面へ手を置くと、再び淡い光が広がった。
『転移先を選択してください』
『第一階層』
『第四十階層』
一瞬だけ迷う。
やっぱり四十階は気になる。
それでも。
「一階で」
『第一階層への転移を開始します』
石碑の光が一気に強くなり、同時に足元にも同じような模様が浮かび上がった。
次の瞬間、視界が白い光で埋め尽くされる。
身体が僅かに浮くような、不思議な感覚。
それはほんの一瞬だった。
光が消える。
「……ここは?」
目の前にあったのは、見覚えのない小さな石造りの部屋だった。
正面には一枚の石扉があり、その横には三十九階で見たものとよく似た石碑が置かれている。
「また石碑か」
近づいてみると、その表面には一つだけ淡い光が浮かんでいた。
三十九。
「……なるほど」
試しに石碑へ触れる。
『第三十九階層へ転移しますか?』
どうやら、この部屋からさっきの場所へ戻れるらしい。
「めちゃくちゃ便利じゃん」
今までなら三十八階まで潜るだけでもかなり時間が掛かっていた。
これなら次からは、ここを使って一気に三十九階まで戻れる。
今日はもう帰ることにして、石碑から手を離す。
正面の扉へ近づいて触れてみると、重そうな見た目に反して簡単に開いた。
その先にあったのは、見慣れた一階層だった。
「ここに繋がってたのか」
扉を抜けて振り返る。
すると、さっきまで確かにあった入口が音もなく閉じていき、完全に閉まった頃には一階層の岩壁しか残っていなかった。
「……え?」
近づいて触れてみる。
見た目はただの岩壁だ。
しかし手を触れた瞬間、その一部に淡い光で模様が浮かび上がり、岩壁の中から再び石扉がゆっくりと姿を現した。
「おお……」
これなら次からも使えそうだ。
場所を忘れないよう周囲を確認してから、もう一度扉を閉じる。
あとはいつもの道を通って、ダンジョンの外へ出た。
外の空気が、妙に冷たく感じる。
いつの間にか、かなり時間が経っていたらしい。木々の隙間から差し込む光も、潜り始めた頃より随分と傾いていた。
「思ったより長くいたな」
背負っていた鞄の位置を直し、慣れた山道を下り始める。
何年も通っている裏山だ。
足元には木の根が張り出し、少し先には何度も跨いだ倒木がある。ついさっきまでいたダンジョンとは違い、聞こえてくるのは風で揺れる木々の音と鳥の声くらいだった。
そんな見慣れた景色の中を歩きながら、自然と今日の戦いを思い返す。
「魔力、か……」
右手を開き、軽く握ってみる。
今はもう戦っていない。
それでも意識を向ければ、身体の中にある魔力を何となく感じることができた。
今まで七年間、ずっと使っていた力だ。
走るときも、剣を振るときも、魔物と戦うときも、身体が勝手にやってくれていた。
それが今日、初めて自分の意思で動かせた。
最初は腕や脚へ流すだけだった。
そこから身体全体へ広げ、上手くいかなくて、何度も試しているうちに全身へ巡らせる感覚を掴んだ。
さらに最後には、腕や脚を一つの塊として考えるのではなく、もっと細かいところまで意識することで身体の動きが変わった。
戦っている最中は必死だったから、ゆっくり考える余裕なんてなかった。
でも、こうして改めて思い返すと。
「まだ全然上手くできてないよな」
全身に魔力を巡らせるだけでも、何度も感覚が乱れた。
身体の細かい部分まで意識しようとすれば、さらに難しい。最後まで完璧にできていたわけでもない。
それでも、今までは無意識に任せるしかなかった力を、自分で意識して使えるようになった。
その違いは大きい。
「練習すれば、もっと上手くできそうだな」
そう考えると、少し楽しみになってくる。
俺が特別に器用なわけじゃない。
今日だって何度も失敗したし、戦いながら少しずつ感覚を掴んだだけだ。
でも、練習する方法が分かった。
これから潜るたびに意識して使っていけば、もっと自然にできるようになるかもしれない。
そんなことを考えながら山道を下っていると、やがて木々の隙間から見慣れた屋根が見えてきた。
俺の家だ。
家の裏手まで続く道を下りていく。
子供の頃から何度も通っている道なので、疲れていても足は自然と進んだ。
庭まで下りてくると、ようやく緊張が抜けたのか、急に身体の重さを強く感じる。
「疲れた……」
家の脇を通って玄関へ回る。
見慣れた自宅を前にすると、ついさっきまで巨大な狼と命懸けで戦っていたことが、少し遠い出来事のようにも感じられた。
今日は腕の傷を洗って、風呂に入って、早めに寝よう。
そんなことを考えながら玄関のドアを開ける。
「ただいま」
いつもの癖で声を掛けながら、靴を脱ごうとする。
「おかえり」
「……え?」
思わず顔を上げた。
聞こえてきたのは母さんの声だった。
今日はまだ仕事のはずだ。
この時間なら、父さんも母さんも家にはいない。
何気なく視線を落とすと、玄関には見慣れた靴が二足並んでいた。
母さんの靴。
そして、その隣には父さんの靴もある。
「……父さんも?」
どうして二人ともいるんだ?
顔を上げると、廊下の先には母さんが立っていた。
「母さん、今日仕事じゃなかった?」
「……湊」
質問には答えず、母さんがこちらへ歩いてくる。
その視線が俺の身体へ向いた。
「あ」
まずい。
反射的に左腕を身体の後ろへ隠す。
今さら遅い。
服は何ヶ所も裂けているし、左腕にはさっき付けられた三本の傷が残っている。
母さんの表情が変わった。
「その腕……」
「ああ、これは大丈夫。そんなに深くないから」
「見せて」
「いや、本当に大丈夫だって」
隠した腕を母さんが覗き込む。
傷を見た瞬間、眉間に皺が寄った。
怒っているというより、心配しているように見える。
「……あとでちゃんと手当てするから」
「うん」
「とりあえず、こっち来て」
「え?」
母さんはそれ以上何も聞かず、リビングへ向かって歩き出した。
何かがおかしい。
そもそも、どうして母さんがこの時間にいるんだ?
それに父さんまで。
嫌な予感を覚えながら、その後をついていく。
リビングへ入る。
「……父さん?」
父さんがいた。
やっぱり、こっちもまだ帰ってくる時間じゃない。
父さんはソファに座ったまま俺を見ると、いつもと変わらない声で言った。
「おかえり、湊」
「あ、うん……ただいま」
何なんだ?
二人とも仕事は?
そう聞こうとして、テーブルの上に置かれているものが目に入った。
タブレット。
画面では動画が再生されている。
黒い地面に、いくつもの巨大な結晶。
そして、その中を剣を持った男が歩いていた。
「……」
見覚えがある。
ありすぎる。
というか。
俺だ。
画面には、見慣れた文字が表示されている。
『裏山探索』
今日の俺の配信だった。
母さんを見る。
父さんを見る。
もう一度、タブレットを見る。
「……あー」
ようやく状況を理解した。
どうして二人がこの時間に家にいるのか。
どうして母さんが俺の怪我を見ても、どこで何をしてきたのか聞かなかったのか。
たぶん。
全部、知っている。
母さんが椅子を引いた。
「湊」
「……はい」
「座って」
「……はい」
大人しく椅子へ座る。
タブレットの画面では、さっきまで俺が戦っていた相手が映っている。
第八門番、《深淵の四眼》。
ここ数ヶ月、一度も勝てなかった相手を、今日ようやく倒すことができた。
その先には四十階があって、試練とかいうよく分からないものまで待っているらしい。
それでも。
目の前に座る父さんと母さんを見て、俺は思った。
――これなら、あの狼ともう一回戦った方が楽かもしれない。
――第一章 完
ひとまず、ここでこの物語の序章が終了です。
思ったより長くなりましたが、お付き合いいただきありがとうございました。
明日は2章に入る前の幕間の話を2話投稿予定です。
本格的な2章は土曜日の20時頃から投稿して、
そこからは基本的に1日1投稿のペースで書けたらと思います。
今後、湊はそして世界が、どう変わっていくのか。
乞うご期待ください。
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