第17話 21階層から配信再開
第17話
アイアンタイタンを倒してから数日が経った土曜日。
二十一階へ続く階段を下りた俺は、目の前に広がる巨大な湖を眺めながら一度足を止めた。
前回来たときと変わらず、天井から降り注ぐ淡い光が水面に反射している。遠くには湖の中から突き出すように小さな島がいくつも浮かび、地下にいることを忘れそうになる景色が広がっていた。
「……やっぱり難しいな」
誰に聞かせるでもなく呟く。
今日はここへ来るまでの間、協会で教えられた身体強化について何度か試していた。
といっても、魔力を無理に動かそうとしたわけではない。
戦闘中の自分と普段の自分では何が違うのか。
まずはそれを意識してみる。
一階からここまでに何度か魔物と遭遇したので、戦いながら自分の身体へ意識を向けてみたのだ。
最初は何も分からなかった。
普段通り魔物を見つけ、剣を抜き、襲ってきた相手を倒す。それだけで戦闘が終わってしまう。
ただ、何度か繰り返しているうちに、一つだけ気付いたことがあった。
魔物と戦っている間だけ、身体の奥に僅かな熱を感じる。
そして戦闘が終わってしばらくすると、それもいつの間にか消えている。
アイアンタイタンと戦ったときにも似たような感覚はあった。ただ、あのときは戦うことに集中していたから、それが何なのかまで考える余裕はなかった。
「これが魔力なのかな」
目を閉じ、さっき戦っていたときの感覚を思い出す。
身体の奥にあった熱と、普段より僅かに軽く感じた手足。その状態を再現しようと意識を集中させてみるが、身体には何の変化も起こらない。
もう一度試してみても結果は同じだった。
「……分からん」
七年間、無意識にやっていたことを急に意識しろと言われても、そんな簡単にはいかないらしい。
まあ、急ぐ必要もない。
今日は先へ進みながら試せばいい。
リュックを下ろし、中からドローンを取り出す。
今回の配信はここからだ。
一階から二十階までは前回の配信ですでに映しているし、俺自身も何度も通っている場所だ。同じところをまた一から見せるより、二十一階から始めた方がいいだろう。
ドローンの電源を入れると、四枚のプロペラが回転して機体が浮かび上がる。
スマホとの接続を確認し、配信画面を開いた。
タイトルは、
『ダンジョン探索 21階から』
そのままだ。
変に凝るより分かりやすい。
配信開始を押す。
「こんにちは」
ほとんど間を置かずにコメントが流れ始めた。
『きた!』
『待ってた』
『いきなり湖!?』
『21階からスタートか』
『今日は深層行く?』
『アイアンタイタンの人だ』
『人多すぎw』
『開始直後からこれかよ』
次々とコメントが流れていく。
前回もかなり速かったが、今日はそれ以上だ。
「今日、コメント速くないですか?」
『そりゃそうだろ』
『何人いると思ってんだ』
『本人だけ人数見えてないの草』
『まだ人数表示壊れたまま?』
「そこは壊れてるんですよ」
『知ってるw』
『直してないのかよ』
『もう買い替えろ』
『S級の魔石売ったんだろ?』
『金あるだろw』
「でも、まだ使えるので」
『人数見えないけどな』
『そこ壊れてて「まだ使える」は強い』
『物持ち良すぎだろ』
言われてみればそうなのかもしれない。
でも飛ぶし、映像も撮れる。
配信だって問題なくできている。
今のところ、買い替えるほど困ってはいなかった。
「今日は一階から二十階までは飛ばしました。前回も映したので、二十一階から始めます」
『助かる』
『判断が早い』
『タイタン復活してなかった?』
『38階行く?』
『四つ目の狼見たい』
『リベンジ期待』
やっぱり、その話になるか。
「どこまで行くかは決めてませんよ。危なそうなら帰ります」
そう答えながら湖沿いの道を歩き始める。
三十八階にいる四つ目の黒い狼。
俺が七年間、このダンジョンで探索を続けてきて、唯一死を覚悟させられた相手だ。
あいつはアイアンタイタンより明らかに強い。
そもそも三十八階までの道中には、アイアンタイタンと同等か、それ以上に厄介な魔物もいる。特に三十階を越えた辺りからは、S級指定種のアイアンタイタンと同程度の魔物が出てくることも珍しくない。
その中でも、あの黒い狼だけは別格だった。
初めて遭遇したときは、その動きを捉えるだけで精一杯だった。
今ならどこまで戦えるのか。
それを確かめたい気持ちはある。
しばらく湖沿いを進んでいると、前方の岩陰から青黒い鱗に覆われた魔物が飛び出してきた。
見た目はオオサンショウウオに似ている。
二十一階では何度も見ている魔物だ。
「ちょうどいいか」
剣を抜く。
オオサンショウウオもどきが四本の脚で地面を蹴り、一気に距離を詰めてくる。
その瞬間、身体の奥に熱が広がった。
「……!」
今なら分かる。
さっきまでとは明らかに違う。
オオサンショウウオもどきの爪を身体を横へずらして躱す。普段ならそのまま反撃するところだが、今日は意識の一部を自分の身体へ向けた。
脚が軽い。
腕にも自然と力が入っている。
身体全体が、自分の意思にいつもより素早く反応しているような感覚があった。
オオサンショウウオもどきが振り返り、太い尻尾を横薙ぎに振るう。
それを後ろへ下がって避けると、今度はこちらから踏み込んだ。
一瞬で距離を詰め、首へ向けて剣を振り下ろす。
刃が鱗を断ち切った。
オオサンショウウオもどきの身体が光の粒子へ変わり、あとには小さな魔石だけが残る。
それを拾いながら、自分の身体へ意識を向ける。
さっきまで感じていた熱が、少しずつ薄れていた。
「やっぱり……」
『何が?』
『どうした?』
『なんかあった?』
『今日ずっと自分の身体気にしてない?』
コメントを見て、そういえば配信中だったことを思い出す。
「ちょっと身体強化の練習してます」
『身体強化?』
『今さら?』
『アイアンタイタン戦で普通に使ってただろ』
『あの動きで使ってないは無理ある』
「使ってはいるみたいなんですけど、自分ではよく分かってなくて」
一瞬、コメントの流れが変わった。
『???』
『どういうこと?』
『使ってるのに分からない?』
『また変なこと言ってる』
「無意識に使ってるらしいです。俺も最近知りました」
『無意識!?』
『それでS級倒したの?』
『意味わからんw』
『C級が身体強化の練習してて草』
『この人の基準が分からない』
俺も分からない。
これまで七年間、普通に身体を動かしているだけだと思っていたのだ。
「協会の人から、まずは戦闘中と普段で身体がどう違うのか意識してみろって言われたので、今日はそれを試してます」
『なるほど』
『それでさっき動きが慎重だったのか』
『身体強化を使う練習じゃなくて自覚する練習なの草』
『でも無意識で使えるなら困らなくない?』
確かにその通りだ。
今まで困ったことはない。
必要になれば身体が勝手に反応してくれるのなら、わざわざ意識して使えるようになる必要もないように思える。
それでも、自分が何をしているのかくらいは知っておきたい。
それに、使っていることを自覚できれば、何か変わるかもしれない。
「まあ、出来るだけやってみます」
剣を鞘へ戻し、再び湖沿いを歩き始めた。
***
二十二階、二十三階と探索を進める。
この辺りは何度も来ているので道に迷うこともない。出てくる魔物も見慣れたものばかりだから、今日は戦うたびに身体の変化へ意識を向ける余裕があった。
何度か戦っているうちに、少しずつ分かってきたこともある。
魔物を見つけただけでは何も変わらない。
相手がこちらを敵として認識し、攻撃してくる。その危険を感じた瞬間に、身体の奥から熱が広がる。
「やっぱり勝手に使ってるんだな」
二十三階で二体のオオサンショウウオもどきと遭遇したときも同じだった。
左右に分かれた二体のうち、右側が先に飛び掛かってくる。
身体を沈めて爪を躱すと、ほぼ同時に左から尻尾が迫った。一歩前へ出ることでそれを避け、その勢いのまま地面を蹴る。
一体目との距離を一気に詰め、横薙ぎに振るった剣で首を断つ。
光へ変わる身体を横目に振り返ると、二体目がすでにこちらへ飛び掛かっていた。
振り下ろされた爪を剣で逸らし、崩れた体勢へ一撃を叩き込む。
二体目も光の粒子へ変わった。
地面に落ちた二つの魔石を拾いながら、身体の変化を追う。
戦闘が終わると、それまで身体の奥にあった熱がゆっくりと引いていく。この感覚も、何度か意識したことでかなり分かるようになってきた。
「危険を感じると身体が勝手に反応してるのかな」
『身体強化?』
「多分」
試しに、その場で軽く跳んでみる。
特にいつもと変わらない。
次に、さっき戦っていたときの感覚を思い出しながらもう一度跳んでみるが、やっぱり同じだ。
「難しいな」
『戦闘中だけ勝手に発動する感じ?』
『それ普通に便利じゃない?』
『もうそのままでいいだろw』
『むしろ意識したら弱くなりそう』
「それはちょっと嫌だな」
思わず笑う。
実際、今まで意識せずにやってこられた。
変に考え始めたせいで戦えなくなったら本末転倒だ。
とはいえ、身体強化が消えていく瞬間まで分かるようになった。最初に比べればかなり進歩している。
焦らず続けてみよう。
***
二十四階。
少し開けた場所へ出たところで、進行方向に大きな影を見つけた。
岩のような甲羅を背負った六本脚の魔物。
身体の前方には、人間の胴体ほどもある巨大な鋏が二本伸びている。
でかい蟹だ。
俺に気付いた蟹が身体をこちらへ向け、二本の鋏を持ち上げる。
「もう一回試してみるか」
剣を抜きながら、自分の身体へ意識を向ける。
まだ何も変わらない。
蟹が六本の脚を動かして近づいてくる。
距離が縮まり、巨大な鋏が振り上げられた。
来る。
そう思った瞬間、身体の奥に熱が生まれた。
今度ははっきり分かった。
身体の中心から広がった何かが、腕や脚へ流れていく。
「これだ」
振り下ろされた鋏を横へ跳んで躱す。
直後、さっきまで立っていた地面に巨大な鋏が叩きつけられ、硬い床が僅かに砕けた。
蟹はもう一方の鋏を振るってくるが、身体を低くしてその下へ潜り込み、甲羅の横へ回り込む。
剣を振る。
硬い甲羅に弾かれ、浅い傷しか付かない。
なら狙う場所を変える。
蟹が身体を回転させてこちらを追おうとするより早く、六本ある脚の一本へ剣を叩き込んだ。
硬い外殻の隙間を刃が捉える。
続けてもう一本。
脚を失った蟹の巨体が傾いた。
その隙を逃さず懐へ入り込み、露出した外殻の隙間へ剣を突き込む。
数秒後、蟹の巨体が光へ変わった。
魔石が床へ落ちる。
いつもなら拾って終わりだ。
今日は違う。
剣を下ろした俺は、戦闘が終わっても身体の奥に残っている熱へ意識を集中させた。
少しずつ薄くなっている。
身体の中心から手足へ広がっていた何かが、ゆっくりと消えていく。
目を閉じ、消えていく感覚を追いかける。
完全になくなる前に、さっきまでの状態を思い出した。
身体の中心にあった熱。
そこから腕や脚へ広がっていく感覚。
それを頭の中でなぞる。
その瞬間、身体の奥でほんの僅かに何かが動いた。
「……今」
目を開ける。
拳を握ってみる。
特別力が強くなった感じはしないし、身体が軽くなったわけでもない。
気のせいと言われれば、そうなのかもしれない。
それでも、今までとは違った。
『どうした?』
『何かあった?』
『また止まった』
『分かった?』
流れていくコメントを見る。
「……ちょっとだけ」
もう一度やれと言われても、多分できない。
けれど。
「分かったかもしれない」
七年間、何も考えずに使っていたもの。
その正体に、ようやく指先が触れたような気がした。




