変貌
漆黒の闇に包まれていた夜の野営地から、一匹のオーガをも残さず退治し、ケルオス大陸の険しい山道へと再び足を進めた一行。いつの間にか空は白み始め、肌寒い朝の光が大地を照らし出していた。
いつの間にか、聖都を出発してからかなりの日数が経過していた。
「……もう朝か」
馬の鞍に揺られながら、レイは小さく息を吐いた。初めて本格的な遠征任務に参加したレイの肉体には、連日の過酷な移動や戦闘の疲労が蓄積し、骨の髄まで重く響いていた。だが、弱音を吐いている余裕などない。歯を食いしばりながら前を見据えるレイの様子に気づいたのか、先頭を馬で進んでいたトリスタンが、後ろを振り返りながら声を張り上げた。
「おい、皆! そろそろこの辺りに、地図に記された小さな村があるはずだ。本日は長旅の疲れを癒やすため、その村の宿にしばらく滞在して態勢を立て直すぞ!」
その指示に、疲弊しきっていた一同は「了解!」と力強く声を揃えた。
そして、険しい森の抜け道を抜けた先、朝もやの中にひっそりと佇む目的の村へとたどり着いた。しかし、村の門をくぐった瞬間、同行していたアレキドロが眉をひそめ、不審そうに呟いた。
「……なんか、妙な場所ですね、ここは」
アレキドロの言う通りだった。村の中には確かに人々の気配や生活の営みがあるのだが、どこか異様なほど静まり返り、活気に溢れているとは到底言えない淀んだ空気が漂っていた。笑い声どころか、子どもの足音すら聞こえない。まるで、生きる気力を奪い取られたかのような陰鬱な雰囲気が村全体を支配していた。
「……警戒を怠るな。だが、まずは馬を休ませることが先決だ。とりあえずここに馬を繋ぎ、村の中へ入るぞ」
トリスタンが冷静に指示を出し、一行は馬を降りて村の中心へと歩みを進めた。道行く村人たちは、よそ者である彼らに目を向けることすらない。ただうつむき加減で、重い足取りを引きずるように通り過ぎていくだけだった。
トリスタンは近くでぼんやりと立ち尽くしていた一人の村人に歩み寄り、低いトーンで声をかけた。
「すまない。この辺りで、我々のような大人数を……ざっと7人ほど泊められる宿を知らないか?」
声をかけられた村人は、ゆっくりと顔を上げた。その目は生気を失い、ひどく落ちくぼんでいる。村人はかすれた、力のない声でぽつりと答えた。
「あぁ……それなら、あそこの突き当たりにある古い宿屋がいい。……勝手に泊まればいいさ……」
「あぁ……教えてくれてありがとう」
トリスタンはその村人に礼を言うと、暗く寂れた通りを進み、指し示された古びた宿屋へと足を踏み入らせた。
宿の扉を開けると、カウンターの奥にはこれまた覇気のない主人がふんぞり返るように座っていた。
「すまない、亭主。我々8人を泊めれるほどの部屋の余裕はあるか?」
亭主は面倒くさそうに顔を上げ、投げやりな口調で吐き捨てるように言った。
「……空きならあるから勝手にしていけ。鍵は勝手に開いてる部屋を使え」
「どうも、すまないな」
愛想のない対応にもトリスタンは動じず、手際よく部屋割りを決めていく。女性陣であるアリスとジオラがそれぞれ個別の部屋を使い、残りの5人は3人組と2人組に分かれて部屋割りとなった。結果、トリスタン、レイ、コルドレンの3人組と、ミカ、アレキドロ、シヴォンの3人組に分かれることになった。
荷物を置き、レイがトリスタンのいる部屋に集まると、耐えかねたように口を開いた。
「やっぱここ、なんか変な場所ですね……。空気が重すぎるというか、気味が悪いです」
トリスタンは腕を組み、窓の外の淀んだ景色を見据えながら重々しく頷いた。
「ああ。間違いない。……ルミナス王国をはじめ、大陸各地を蝕んできた『ロキ』の魔の手が、すでにこの村にも密かに迫っていたのだろうな」
そのトリスタンの推測に、室内の空気がさらにピリッと引き締まった。しかし、事態は「変な村」というレベルでは収まらないらしい。
「いや、トリスタン隊長。ここはただの『変な場所』では収まらない、もっとやばい何か隠されている場所かもしれない……。すまないが、窓の外をよく見てほしい」
部屋の隅から外を凝視していたコルドレンが、緊張を孕んだ低い声でそう言った。
言われるがままにレイが窓の外へと視線を向けた瞬間、背筋に冷たいものが走った。
村の薄暗い路地裏、そして建物と建物の間を縫うようにして、頭からつま先まで一様に真っ白な布――「白装束」を纏った異様な人物たちが、まるで意思を持たない人形のように不気味に徘徊していたのだ。その姿は、周囲の村人たちをどこか威圧するように、しかし無言で村中を巡回している。
「……おいおい、なんだあいつらは。ただの村人じゃないぞ」
レイが息をのんで呟く。
トリスタンは鋭い目を細め、白装束の一団が移動していく背中をじっと見据えた。
「よし……。下手に動いて村人たちを刺激する前に、まずはあいつらの正体と目的を探る。こっそり後をつけるぞ」
トリスタンの合図のもと、レイとコルドレンの3人は、足音を完全に殺しながら、白装束の者たちの後を悟られないようにそっと追跡を開始したのだった。霧深い村の裏路地で、新たな陰謀の糸が静かに絡み合い始めていた。
白装束の影を追い、村外れの鬱蒼とした森を抜けた先に、それはあった。長年放置されていたかのように古び、異様な瘴気を放つ朽ちた教会。白装束の一団は、迷いなくその重い扉を押し開いて中へと消えていった。
「入るぞ」
トリスタンの短く鋭い合図を皮切りに、レイとコルドレンは音もなく教会へと足を踏み入れた。
内部は、外観以上に異様な空間だった。至る所に刻まれた禍々しい紋章と、空間そのものが歪んでいるかのような重苦しい重圧。そして教会の祭壇に鎮座していたのは、村の村人たちが拝んでいたであろう「何か」だった。
一同は、目の前の光景に絶句した。祭壇には、黒い瘴気を放つ二つの巨大な水晶――『魂の牢獄』が祀られていたからだ。
「あら、ネズミ共が迷い込んだのかしら?」
暗闇から妖艶な女性の声が響き渡る。声の主は教会の祭壇の奥、影からゆっくりと歩み出てきた。
「この人たちが祀っているのは『魂の牢獄』よ。かつて大罪を犯し、天界を追放された古の者たちの魂が封じ込まれている……いわば、絶望の器ね」
「魂の牢獄……」
トリスタンの表情が凍りつく。彼は元副聖騎士長ジンガーから、その禁忌の存在について聞かされていた。それは、決して触れてはならない、この世の理から外れた封印だ。
「あら……知っているのね。あなたたち、聖都の人間なのね」
暗闇から完全に姿を現したその女性を見て、トリスタンは目を見開いた。レイは彼女を知らない。だが、トリスタンにとってその顔は、かつて共に戦場を駆け抜けた記憶そのものだった。
「……シリル! なぜ、お前がこんなところにいる!」
かつて魔王ロキを倒すためにヘリオスたちと共に戦った、聖騎士シリル。聖都の誇りであり、誰からも慕われていたはずの彼女が、なぜ敵の懐にいるのか。
「あらトリスタン、久しぶりね。……ところで、私の弟は元気でやっているかしら?」
「っ……!」
レイは息をのんだ。目の前にいるこの狂気じみた女が、あのノイの姉だというのか。レイの知らない、ノイの過去。
「シリル、なぜだ……! なぜ聖都を裏切った! お前ほど清廉な騎士が、なぜロキの側に!」
トリスタンの問いかけに対し、シリルは悲しげに、しかし狂気を孕んだ笑みを浮かべた。
「裏切り? あら、勘違いしないで。私はロキ様に必要とされているの。……長きにわたる拷問で希望を失っていた私に、一筋の光を示してくださったのはロキ様よ」
「ふざけるな!」
トリスタンが叫ぶ。
「そんなことで、我々を裏切ったのか! 多くの仲間を殺し、聖都を危機に陥れた理由がそれか!」
「裏切ってなんていないよ。あの方は私に、この世界に欠けていた『本当の道』を示してくださったの」
「それが裏切りだと言っているんだ!」
トリスタンは拳を震わせた。
「まだ幼かったノイが、姉を失った絶望の中でどれほど苦しんでいたのか、お前は知っているのか!!」
シリルの眉がピクリと動いた。彼女は冷笑を浮かべ、肩をすくめる。
「あなたって、本当に昔から堅物ね。いいわ……言葉で分からないなら、面白いものを見せてあげる」
シリルが祭壇に向かって手をかざすと、邪悪な魔力が渦巻いた。彼女は、祀られていた二つの『魂の牢獄』を、傍らに控えていた双子の幼い兄弟へと強引に押し込んだ。
「あぁぁぁぁぁッ!!」
水晶が肉体に埋め込まれるという冒涜的な光景。双子の幼い兄弟は、身を裂かれるような悲鳴を上げて床を転げ回った。
「何をやっているんだ! やめろッ!」
トリスタンが剣を抜き放ち駆け寄ろうとするが、シリルは冷徹にそれを遮る。次第に、双子の絶叫は途絶えた。彼らは何かに解放されたかのように、ゆらりと立ち上がる。その姿は、確かに人の形を保ってはいるものの、全身から異形の瘴気が噴き出し、瞳は虚無の黒に染まっていた。
「さぁ、私の可愛い人形たち。邪魔者を排除しなさい」
シリルの冷酷な命令を皮切りに、魂の牢獄を埋め込まれた双子が、信じられない速度でレイたちに向かって襲いかかってきた。
盾を構えるコルドレン、剣を握りしめるレイ。教会の静寂は、かつての仲間の裏切りと、二人の子供を犠牲にした冒涜的な戦いの開始によって、一瞬にして修羅場へと変わった。




