禁忌の力
ガキィィィンッ!!
教会の冷たい石床に、激しい鉄のぶつかり合う甲高い音が鳴り響いた。かつての仲間であるシリルの裏切り、そして目の前で異形へと変えられた二人の少年との戦闘の火蓋が、今まさに切って落とされた。
「くっ……! こいつら、本当にさっきまで普通の子供たちだったのかよ……!」
レイは、目の前で信じられないほどの殺気を放つ少年――リノンの猛攻を聖剣で受け止めながら、冷や汗を流して小言を漏らした。刃を交わせば、子供の腕力とは思えないほどの重い衝撃がレイの全身を揺さぶる。
「余計な感傷に浸るな、レイ! 今は目の前の敵に集中しろ!」
コルドレンが低い、しかし力強い声でレイを叱責し、自身の巨盾を構え直した。
「あははははっ! お兄ちゃん、すっごく楽しいよ! 今の俺、世界中で一番最高の気分なんだ!」
魂の牢獄を取り込み、異形の力に酔いしれる弟・リノンが無邪気で残虐な笑い声を上げる。その背後で、兄であるギノンは冷ややかな瞳を光らせて周囲を警戒していた。
「リノン、そう調子に乗っていると足元をすくわれるぞ」
「わかってるって、お兄ちゃん!」
(――これ以上、こいつらに好き勝手やらせるわけにはいかない……!)
レイは歯を食いしばると、腰を落として全身の魔力を一気に沸騰させた。体内の龍の血が熱くたぎり、稲妻の奔流が聖剣アスカリオンを眩く包み込む。
「だったら……これならどうだっ!!」
「――『蒼雷の剛撃』ッ!」
渾身の力を込めた雷撃の斬撃が、一直線にリノンへと放たれた。空間を引き裂くほどの閃光がリノンの身体を完全に捉え、激しい爆発が巻き起こる――はずだった。
「……は?」
レイは自分の目を疑った。閃光が収まったとき、リノンはダメージを受けるどころか、なぜか数秒前と同じ、技を放つ直前の元の位置にケロッとした顔で立っていたのだ。
トリスタンやコルドレンも、その不可解すぎる現象にわずかに目を見張る。
「へぇー! これが僕の新しい力か! なるほどね、お兄ちゃん達のどんな攻撃も、僕には絶対に届かないし傷つかない! この『逆転の刻』がある限りね!」
「……なるほど、時間を巻き戻す能力か……ッ!」
レイは悔しそうに歯噛みしながら、リノンを睨みつけて問い質した。
「へぇー、お兄ちゃん、察しがいいねー! でも、能力のタネを知ったところで、攻略なんて絶対にできないよ。時間ごと巻き戻るんだからさ!」
調子に乗り続ける弟を横目に、兄のギノンは冷静に声をかけた。
「リノン、調子に乗るなと言ったはずだ。自分の能力を無闇にベラベラと口にするな。それが命取りになるぞ」
「いいじゃんお兄ちゃん! どうせ勝てないんだし!」
「……ならば、お前の相手は俺だ、ガキが!」
一歩前に踏み出したのはコルドレンだった。彼は背負っていた巨大な盾を豪快に引き抜き、ギノンへと真っ直ぐに突き立てた。
「盾をそんな鈍器のように振り回すなんて、戦い方として理解ができないね」
ギノンは冷ややかに鼻で笑うと、コルドレンから放たれた重い一撃を、まるで羽毛でも受け止めるかのようにヒラリとかわし、最小限の動きで受け止めてみせた。
「そんな小さな体で、よくそんな重い攻撃を受け止められるな……。なら、これはどうだ!」
コルドレンは怯むことなく、即座に魔力を解放する。
「――『グラント・ブレイク』ッ!」
大地を揺るがす岩の魔力を纏わせた重厚な盾を、容赦なく再びギノンへと叩きつけた。
しかし、ギノンは嘲笑うかのように呟く。
「……遅いね」
ガキィンッ! と音がした瞬間、コルドレンの目の前からギノンの姿が消えた。気づけば、ギノンはすでにコルドレンの背後にぴったりと回っていた。
「早いな……それが、お前の能力か」
コルドレンは焦ることなく、背後からの気配を感じ取りながら呟いた。
「さぁ、自分で考えてみろよ。お前のその分厚い盾で、俺のスピードにいつまでついてこられるかな?」
「……そうか。なら、この広範囲の攻撃なら避けることはできまい」
コルドレンは地面に盾を激しく叩きつけた。
「――『アース・クエイク』ッ!」
ゴゴゴゴゴ……ッと地鳴りが響き渡り、教会の固い地面から無数の鋭い尖った岩が突如として露出し、ギノンの周囲の退路を完全に塞ぐように覆い尽くした。
「くっ……!」
ギノンは初めてわずかに表情を歪め、岩の檻を躱そうと跳び退いたが、数本の鋭い岩が彼の衣類と皮膚をかすめた。
「……なかなかやるじゃん。かすり傷だけど、ちゃんと当たったよ」
ギノンは自らの頬についた小さな傷に触れ、冷ややかな笑みを浮かべながらコルドレンを見据えた。二人称の距離で、互いの実力が拮抗した緊張感ある睨み合いが続く。
「……そこまでだ。雑魚の相手はここまでにしておくか」
静かに、しかし圧倒的な存在感を放ちながら前に歩み出たのは、隊長のトリスタンだった。彼は愛用の剣を軽く払い、二人の異形の兄弟を見据える。
「そこの双子。お前たちのその小賢しい時間操作の厄介な遊びは終わりだ。……俺が、まとめて相手をしてやるよ」
「へぇ……! 僕のこの『逆転の刻』の魔力を、その剣で本当に突破できるかな?」
リノンは不気味な笑みを浮かべ、再び自信満々に目を見開き、全身の魔力を限界まで解放した。空間が歪み、時間の流れをねじ曲げる準備を整える。
――だが。
どれだけ待っても、リノンの周りで発動するはずの時間逆行の現象が起きない。トリスタンには、いつまで経っても何の術も、呪いも、影響かすらかかる様子がなかった。
「なんで……っ!? なんでだ、僕の力が効かないんだよ……!?」
リノンは自分の両手を見つめながら、信じられないものを見る目でパニックに陥り、情けない声を漏らした。時間の支配者が、絶対的な存在の前にただの無力な子供へと引き戻された瞬間だった。
そのリノンの怯えた目の前に、音もなくトリスタンの影が立ちはだかった。
「うわぁっ……! 来るな、来るなっ……!!」
恐怖に顔を歪めるリノンに対し、トリスタンは冷徹な、しかしどこか哀悼の色を宿した静かな声で告げた。
「……すまないな」
トリスタンが振るった一閃の剣が、禁忌の力を宿したリノンの身体を深く、そして容赦なく切り裂いた。教会の薄暗い空間に、少年の悲鳴と、暗い決別の音が重なり合うのだった。
「あぁっ……! お兄ちゃんッ!!」
リノンが断末魔に近い叫び声を上げ、トリスタンの剣先から鮮血が舞ったその刹那だった。教会の空気が、紙が裂けるような耳障りな音と共にひび割れた。
空間そのものが歪み、まるで巨大な獣が顎を開いたかのように、暗黒の裂け目が教会の中心に出現した。
「あらあら……。もうおしまいなのね。せっかく面白いものが見られると思ったのに、残念だわ」
背後から呆れたようなシリルの声が響く。彼女は傷ついた双子を気にかける様子もなく、その歪んだ空間の裂け目を見つめていた。
「リノン、ギノン。こちらへ来なさい。……お迎えの時間よ」
シリルの呼びかけに応じるように、裂け目の向こう側から影がせり出してきた。漆黒の衣を纏った男――ゼルが、不敵な笑みを浮かべて現れたのだ。彼は戦いの行方を愉しむかのように、教会の惨状をじろりと見渡す。
「ふふ、まあいい。少しは楽しめたわ」
シリルは優雅に歩み寄ると、半ば呆然としていた双子の少年たちの肩を抱き寄せた。傷ついた二人を、まるで人形を扱うかのように引きずる。
「さようなら、トリスタン。また近いうちに、地獄の底でお会いしましょう」
シリルはそう言い残すと、ゼルと共にゆっくりと空間の裂け目へと足を踏み入れた。トリスタンが剣を構え直して追おうとしたが、彼らが裂け目に消えた直後、亀裂はまるで最初から何もなかったかのように音もなく閉じ、教会の壁には静寂だけが戻った。
追いすがる術はない。強烈な瘴気が立ち込める中、先ほどまでの激しい金属音も、異形たちの咆哮も、すべてが嘘だったかのように消え失せていた。
教会の祭壇前には、粉々になった水晶の破片と、無機質な静けさだけが残されていた。
「……逃げられたか」
トリスタンは剣を鞘に収め、低く呟く。その声には、怒りよりも深い無力感と、かつての仲間を救えなかったという苦渋が滲んでいた。
「くそっ……!」
レイはアスカリオンを床に突き立て、歯を食いしばる。ノイを苦しめる謎の存在、聖騎士の裏切り、そして禁忌の力。すべてが繋がっていることは理解できたが、目の前で姉シリルに弄ばれ、異形と化した子供たちを見捨てざるを得なかった事実は、レイの胸を鋭くえぐった。
コルドレンは、まだ煙を上げている床を見つめながら、重い足取りで歩み寄った。
「……今の連中、間違いなく『ロキ』の配下だ。しかも、シリルという女は……今の俺たち以上に、この大陸の歪みを知り尽くしている」
教会のステンドグラスから差し込む月光が、三人だけをぽつりと照らしている。
村の徘徊者たちも、この教会の異変に気づいたのか、あるいは最初から支配されていたのか――外からは一切の物音が聞こえない。
広い教会に、三人の荒い吐息と、かすかな風の音だけが響く。
ケルオス大陸への旅は、まだ序章に過ぎない。しかし、その一歩目はあまりにも重く、レイたちの心に大きな爪痕を残していた。
「……一旦、宿に戻るぞ。……ミカやアリスたちにも、この状況を伝えねばならん」
トリスタンの背中は、どこか寂しげに小さく見えた。伝説の英雄たちと共に戦った男が背負う影の深さを、レイはまだ、本当の意味では理解できていなかった。




