第61話 絶望の影と来光
天井は大きく砕け散り、その中心で、亡国の王子ヘリオスと、世界のすべてを我が物にしようとするロキの激突が始まっていた。
「はぁあっ――!!」
ヘリオスは額に純白の炎の角を輝かせ、全身から神話の龍を思わせる凄まじいオーラを噴き出させていた。それは先ほどの戦いをも凌駕する完全覚醒した龍の血の力。さらに、彼の纏う炎はただ熱を放つだけでなく、あらゆる理や魔力を無へと還す『無の力』に由来する神秘的な業火であった。
ヘリオスが神剣アスカリオンを振ルうたび、その一撃は空間そのものを削り取り、ロキの周りを包む堅固な魔力障壁を容赦なく蝕んでいく。
それに対し、ロキは冷徹な笑みを浮かべたまま、片手を軽くかざした。
「ふむ、いい動きだね、ヘリオス。だが、僕の力の深淵には到底届かない」
ロキの身体から溢れ出していたのは、この世界に比類なき禁忌の力――「魂の牢獄」である。
元来、「魂の牢獄」とは、かつて神々の秩序に背いて堕天した天界の者の絶大な魔力そのものを封じ込めた禁断の遺物であった。その深淵なる死の波動と圧倒的な呪詛は、ロキの肉体に完全に馴染みきっており、彼の魔力と不可分の一体となっていた。
ロキが指先をわずかに動かすだけで、何もない空間から漆黒の棘や、鋭利な魔力の刃、さらには重力すら歪める異形の質量体が次々と生み出され、容赦なくヘリオスへと襲いかかる。
「くっ……!?」
ヘリオスは無の炎を纏わせた剣で無数の攻撃を叩き斬っていくが、そのたびに奇妙な違和感に包まれていた。ロキが繰り出す創造物は、通常の魔法や物質の概念を超越している。生み出される直前まで何の気配もなく、突如として現実世界に顕現するその技は、どこか現実離れした歪さを孕んでいた。
攻撃すればするほど、その底知れない不気味さと、魂をすり潰されるような重圧がヘリオスの皮膚をピリピリと逆立たせる。
激しい攻防の合間、ヘリオスが鋭い眼光を向けて問うた。
「なんだこの力は……! 今までの魔法とも、俺たちが知るどんな技とも違う……! この歪な創造の力はいったい何なんだ、ロキ!」
ヘリオスの戸惑いを嘲笑うかのように、ロキはふっと優雅に微笑み、攻撃の手を緩めないまま淡々と種明かしを始めた。
「フッ、気づかないかい? まあ、無理もないさ。僕がかつて取り込んだ『魂の牢獄』――あれはね、ただの囚獄ではない。僕の肉体とは別に稼働する、いわば外付けの超絶な『魔力機関』なのさ」
ロキの言葉に、ヘリオスは息を呑む。
「外付けの……魔力機関……!?」
「そうだ。そこに、この底知れぬ『創造の力』が宿っていたんだよ。この創造の力はね、本当に素晴らしい。自分が思い描いたもの、形にしたいと願ったすべてを、この手で無限に、そして瞬時に作り出すことができるんだよ。神の御業そのものさね」
ロキが両手を広げると、その背後から無数の漆黒の翼が形作られ、空間を黒く染め上げていく。
その言葉を聞いた瞬間、ヘリオスの脳裏で点と点が鮮烈に繋がった。
「っ……! まさか……! それで『神の釘』を作ったのか!?」
ヘリオスが怒気を含んだ声で叫ぶと、ロキは楽しげに目を細め、一片の迷いもなく頷いた。
「――そうだとも。あれも、この創造の力を使って僕が思い描き、形にした最高傑作さ。大陸全体の魔力を吸い上げ、僕の完全なる糧とするためのね。どういえば、少しは僕の絶望の深さが分かったかい?」
「ふざけるな……! そんな個人の欲望のために、どれだけの命と世界を犠牲にする気だ!!」
ヘリオスの怒りが最高潮に達し、彼の全身から噴き出る純白の無の炎が爆発的に膨れ上がった。
レオンとの絆、ゼノンとの戦いで得た覚悟、そして滅びゆく故郷と人々の想いを背負い、ヘリオスは再び大地を蹴ってロキへと肉薄する。
「その歪な力ごと、僕のすべてをかけて君を止める……!!」
「来い、ヘリオス! 君のその炎が、僕の創造の極致をどこまで焼き尽くせるか見せてみろ!」
叫び声とともに、龍の血を継ぐ者の『無の炎』と、魂の牢獄を宿す神の化身の『創造の力』が再び激しくぶつかり合った。
二大極限のエネルギーが衝突した瞬間、玉座の間の空間は完全に引き裂かれ、世界を揺るがす眩い光の奔流が周囲のすべてを激しく飲み込んでいったのだった。
ぶつかり合う二つの圧倒的なエネルギーは空間そのものを歪ませ、周囲の瓦礫を原子レベルで消し去っていく。ヘリオスは額の純白の炎の角を輝かせ、アスカリオンに全霊の力を込めてロキの魔力障壁を押し返そうとした。
しかし、ロキの表情に焦りの色は一切なかった。それどころか、彼は不敵な笑みを浮かべたまま、ふっと余裕の息をつく。
「ふむ……なかなかの熱量だね、ヘリオス。だが、思い知るがいい。僕の持つこの創造の力は、ただの攻撃を生み出すだけのものじゃない」
ロキがスッと片手を空へと大きくかざした。
その指先の虚空から、吸い寄せられるように無数の漆黒の魔力が集まり、激しく渦巻いていく。
「僕の創造物は、あらゆるものを思い通りに生み出せる。そして、こんなこともできるのさ」
ロキが冷徹に告げた瞬間、空間の歪みからドス黒い影が這い出し、みるみるうちに確固たる「形」をとり始めた。
それは、紛れもなく人間の姿を模した異形の存在だった。全身が魂の牢獄の呪詛と黒い泥のような魔力で構成され、その瞳には冷酷な殺意だけが宿っている。ロキの創造の力が、自らの意思を持つ戦闘人形――いや、精巧な「人型の人造兵器」をその場で瞬時に作り上げたのだ。
「いけ……。外で退屈している虫けらどもを、その手で絶望の淵へと叩き落としてこい」
ロキが命じると、生み出された人型の影は不気味なうなり声を上げ、空間の裂け目に身を滑り込ませた。それはまるで転移の術のように、城の最上階から一瞬にして姿を消した。
――その頃、城の外に広がる荒涼とした中庭では。
『呪術の魔女』エルミラが放つ幾重もの呪詛の鎖を、レオンの絶対零度の氷壁とガレオンの双剣、そしてヒューガの風の刃が激しく弾き飛ばしていた。三人の息の合った連携の前に、エルミラの呪術も徐々に追い詰められつつあった。
「よし、このまま一気に押し切るぞ!」
ヒューガが鋭い踏み込みを見せたその瞬間だった。
三人の頭上の空間がぐにゃりと歪み、突如としてドス黒い亀裂が走った。
「……なっ、なんだ……!?」
ガレオンが足を止め、上空を睨みつける。
亀裂から音もなく落下してきたのは、ロキが創造し、最上階から送り込んだばかりの人型の影だった。それは着地と同時に強烈な呪詛と死の波動を周囲に撒き散らし、地面を大きくひび割れさせる。
城の内部でロキと戦うヘリオスの背中に思いを馳せる間もなく、最悪の脅威がさらなる絶望を纏ってレオンたちの前に降臨したのだった。
上空の亀裂から降り立ったその異形の存在は、先ほどエルミラが放った実験の産物などとは、次元が違っていた。
全身が「魂の牢獄」の呪詛と硬質な黒曜石のような魔力装甲に包まれ、その姿はまるで戦いのためにのみ最適化された完璧な戦闘人形。禍々しい威圧感が周囲の空気を凍りつかせ、ただそこに立っているだけで肌がヒリヒリと痛むほどのプレッシャーを放っている。
「なんだこいつは……! エルミラの作った泥人形とは気配の格が違うぞ……!」
ガレオンが双剣を構え直しながら、冷や汗を拭う。
ヒューガは風の魔力を纏わせた剣を握り締め、レオンは素早く魔導書を開いて分厚い氷の障壁を幾重にも展開した。
「油断するな……! あれから感じる魔力はまるで桁が違う!!」
レオンが叫ぶのと同時に、異形の怪物が突如として凄まじい速度で間合いを詰めてきた。
ヒューガが風を纏って放った渾身の斬撃が怪物の肩を捉えるが、金属音のような乾いた響きと共に、かすかな浅い傷が走るのみだった。レオンの氷魔導やガレオンの紫電の双剣が代わる代わる打ち込むが、三人の全力を合わせた猛撃を以てしてようやく、硬い装甲にわずかな亀裂が走る程度。その異常なまでの防御力に、三人は歯噛みした。
「固すぎる……! こいつの装甲はどうなっているんだ!」
怪物は三人の驚愕などお構いなしに、巨大な両腕を大きく振りかぶる。
ゴウッ、と風切音が鳴り響き、放たれた強烈な横薙ぎの一撃が、レオンたちの展開していた氷の障壁ごと凄まじい衝撃波となって直撃した。
「ぐわぁぁっ――!!」
「っ……! くそっ……!」
三人まとめて強烈な衝撃に弾き飛ばされ、地面を激しく転がりながら瓦礫のなかに叩きつけられる。起き上がろうとするも、全身の骨がきしむような激痛と、流れ込む呪詛の重圧が彼らの自由を奪っていく。
圧倒的な力の差の前に、レオン、ガレオン、ヒューガの三人は膝をつき、呼吸を乱した。絶体絶命の窮地が、冷酷に彼らを包み込む。
――もう、耐えきれないのか。
そう絶望が頭をよぎった刹那、中庭を切り裂くような凛々しい声が響き渡った。
「そこまでだ、総員突撃――ッ!!」
轟音と共に、城の正門を打ち破って雪崩れ込んできたのは、聖なる気高き光を纏った大勢の戦士たちだった。
先頭に立ち、巨大な聖剣を掲げて猛然と疾走してきたのは、他でもない聖都の騎士団を率いるヴァルガスその人だった。その後方には、無数の精鋭騎士たちが一糸乱れぬ陣形を組み、一斉に魔法を放ちながら突入してくる。
「みんな、遅くなってすまない……! ここからは俺たちが加勢する!」
ヴァルガスの力強い叫びが、絶望に染まりかけていた戦場に新たな希望の火を灯したのだった。




