第50話 草木の茨と、氷獄の遊戯
最下層の冷徹な空気は、一瞬にして殺伐とした闘気へと塗り替えられた。
鉄格子の向こうでロキに心酔するシリルを背に、ジンガーは怒りに燃える瞳で目の前の男を睨みつける。その手には、自然の命を宿した緑の魔力が鋭く渦巻いていた。
「……よくも、シリルにあんな真似をしてくれたな、ジーク……!」
ジンガーの低い怒号に対し、『血塗れの遊戯者』ジークは歪んだ笑みを崩さず、白く冷たい冷気を両手に纏わせながら肩をすくめた。
「ひゃはは、怒鳴るなよ副聖騎士長さんよ。俺がやったのは、あの娘の心を正しく導くための『調教』さ。すべてはロキ様の御命令通りにねぇ……!」
「ふざふざけやがって……! そんな身勝手な理由で人の心を壊したこと、絶対に許さねぇ!」
ジンガーの怒りは限界を超えて爆発した。彼は大地を踏み鳴らし、草木の魔力を一気に解放する。
生い茂る蔓や巨大な棘の鞭が地面から無数に突き出し、猛烈な勢いでジークへと襲いかかった。
「――草木蔓生・荊棘の獄っ!」
無数の緑の棘が空間を埋め尽くし、ジークを四方八方から串刺しにしようと殺到する。しかし、ジークは不気味な笑みを浮かべたまま一歩も引かない。彼は凍てつく魔力を込めた双掌を地面に叩きつけた。
「――氷獄乱舞・霜柱の刃っ!」
ガキィィンッ!!
ジークの周囲から爆発的に噴き出した絶対零度の氷柱が、ジンガーの放った茨の獄を次々と凍結させ、粉々に砕き散らす。緑の魔力と氷の魔力が激しく衝突し、周囲の空間が一瞬で凍てつき、そして熱を帯びて爆ぜた。
互いの魔力がぶつかり合う凄まじい衝撃で、最下層の頑丈な地下牢の石壁がミシミシと音を立ててひび割れ、天井からは無数の小石がパラパラと降り注ぐ。まさに互角、一歩も譲らない激しい攻防が展開されていた。
(このままじゃらちが明かない……! 一瞬の隙をついて、あの男の急所を断つ!)
ジンガーは鋭い眼光を放ち、ジークの繰り出す氷の刃の隙間を縫うようにして、身体を極限まで低くして肉薄した。狙うは一撃必殺、ジークの首元――。
「もらった……!」
ジンガーの剣が、鋭い風圧を纏いながらジークの喉元へと直撃せんとする。しかし、数々の修羅場を潜り抜けてきたジークの反応速度は、ジンガーの想像をわずかに上回っていた。
パァンッ!!
「おっと、危ない危ない……! いい殺気だねぇ!」
ジークは紙一重で首を傾げ、氷の装甲を纏った左腕でジンガーの致命の一撃をしっかりと受け止めてみせた。衝撃波が周囲の鉄格子をねじ曲げ、地下牢の崩壊がいよいよ加速していく。
激しい戦闘の音と崩落の轟音が響き渡る中、牢の奥にいたシリルは、冷めた、しかしどこか陶酔を含んだ目でその戦いを見つめていた。
そんな彼女の背後の空間が、突然、ガラスが割れるような奇妙な音を立てて歪み始めた。
「……おや、そろそろお迎えの時間のようですね」
その場にふっと現れたのは、ロキの従者であるゼルだった。彼は空間を自在に操る固有能力――量子空間「ワームホール」の術式を展開し、周囲に青白い光の渦を発生させていた。
「シリル様、こちらへ。ここはもうすぐ潰れます」
ゼルが静かに促すと、シリルは一切の迷いを見せることなく、その光の渦へと足を踏み入れた。
「シリル……っ! どこへ行くんだ!」
戦闘の合間にその異変に気づいたジンガーが、ジークを振り切って叫び声をあげる。シリルを引き戻そうと必死に手を伸ばしたが、わずかに届かない。
「ジンガー……私を追わないで。私は、ロキ様の元へ着いてくの……」
シリルは最後に冷ややかな一瞥をくれた直後、その身体はワームホールの光の中に完全に飲み込まれ、まるで最初からいなかったかのように、その場から綺麗に姿を消してしまった。
「くそっ……シリル――!!」
目の前で再び仲間を連れ去られたジンガーの絶叫が、崩れゆく地下牢の闇の中に虚しく響き渡るのだった。




