第49話 歪んだ慈愛と、漆黒の牢獄
ロキの居城の複雑に入り組んだ回廊を駆け抜け、ジンガーは必死にシリルを探し求めていた。
城の深部へ、さらに奥へと進むうち、いつの間にか周囲の空気は重く冷たくなり、ジンガーは城の最下層へと足を踏み入れていた。そこは石造りの壁に囲まれた暗い空間であり、周囲には無数の鉄格子の牢屋がずらりと並んでいた。まるで希望の光さえ届かない、世界から切り離された地底の監獄のようだった。
「シリル……どこにいるんだ……!」
息を切らしながら廊下を進むジンガーの足が、ふと止まった。
ひんやりとした闇の中から、微かにひとつの「気配」を感じ取ったからだ。ジンガーは鋭く視線を向け、気配のする一角――最も奥にある頑丈な牢屋へと急ぎ足で近づいた。
薄暗い牢のなかに、ぼんやりと人影が立っていた。
鉄格子にしがみつくようにして外を見ていたその姿を認めた瞬間、ジンガーの胸が高鳴った。
「シリル……! よかった、無事だったんだな!」
安堵の声を漏らしながらジンガーが鉄格子に手をかけたが、その直後、彼の動きはピタリと凍りついた。
そこに立っていたのは、かつて聖都で共に戦い、凛とした強さと真面目さを湛えていたはずのシリルではなかった。彼女の纏う雰囲気は異質であり、瞳からはかつての温かみや光が失われ、どこか底知れない空虚さと、言い知れぬ狂気が宿っていた。
「シリル……? おい、どうしたんだその目は……」
戸惑うジンガーに対し、シリルは冷ややかな、それでいてどこか陶酔を含んだ微笑みを浮かべた。その口元から発せられた言葉は、ジンガーの予想を遥かに裏切るものだった。
「……ジンガー、どうしてここへ来たの? 私を探しになんて、来なくてよかったのに……」
「なにを言ってるんだ、お前を助けに来たんだろ! 早くここから出るぞ!」
ジンガーが腕を伸ばし、無理やり鉄格子の鍵を外そうとしたその時、シリルは静かに、しかしはっきりと首を横に振った。そして、自らの身に起こった恐ろしい経緯を、まるで他人事のように語り始めた。
「……私、ここに連れてこられたあと、『血塗れの遊戯者』ジークのあの暗い拷問部屋へ放り込まれたわ。そこからは……言い表せないほどの地獄だった。肉体の痛みなんて比じゃない。私の精神のすべてをすり減らし、正気を保てなくなるほどのえげつない拷問の数々……。死ぬことすら許されず、ただ『生かされたまま壊される』恐怖に、私の心はとっくに折れていたの」
シリルの淡々とした語り口に、ジンガーは背筋が凍るような戦慄を覚えた。
「死の恐怖と絶望の淵で、私がもう限界を迎えていたその時……ロキ様が、あの暗い部屋に来てくださったの」
シリルの表情に、ふっと熱を帯びたような、陶酔の光が差した。
「ロキ様は、ボロボロになって震えていた私を優しく抱きしめてくれた……。その温もりを感じた時、私の中で何かが変わったの。あぁ、私はこの人に必要とされているんだって……。誰にも求められず、ただ壊されるだけの私を、ロキ様だけが救ってくれたんだって……」
「ばっ……何を言ってるんだシリル! それは洗脳だ! あいつはお前を利用しようとして――」
「違うわ!」
ジンガーの言葉を遮るように、シリルの鋭い叫び声が牢獄の冷たい壁に反響した。その瞳には、ロキに対する絶対的な忠誠と狂おしいほどの心酔の色が浮かんでいた。
「ロキ様は私を必要としてくれた! 私の結界術も、私という存在も、すべてあの人のためにあるの! だから……私はもう二度と、あなたたちの元へは戻らない。私はロキ様についていくの……!」
シリルは鉄格子に手を添え、冷たく冷え切った目でジンガーを見据えた。
かつての仲間であり、守るべき少女だったはずの存在が、敵の首魁に心を奪われ、自ら進んでその歯車になろうとしている。その歪みきった現実を目の当たりにし、ジンガーは激しい怒りと耐えがたい絶望感に襲われた。
「そんなもの……認められるかよ……! お前がどう言おうと、俺は力ずくでもお前を連れ帰る!」
ジンガーは理性を失いかけ、頑丈な鉄格子の扉を力任せに引き剥がそうと叫んだ。
しかし、その彼の背後――暗い回廊の闇から、ねっとりと湿った、聞き覚えのある不気味な笑い声が響きわたってきた。
「ひゃはははっ! いいねぇ、実に素晴らしい愛憎劇だねぇ!」
闇の中から、あの歪んだ笑みを貼り付けた男が姿を現した。『血塗れの遊戯者』ジークだった。彼は手元で拷問具を遊ばせるように弄びながら、愉快そうに目を細めてジンガーに歩み寄る。
「おや、ネズミが一匹、勝手に最下層まで迷い込んできたと思ったら……。よりによって、一番大事なおもちゃを強奪しに来たってわけかい? 聖都の副聖騎士長さんよぉ」
ジークの登場により、冷え切った最下層の空気は一気に殺伐とした緊張感に包まれた。
正気を失い、ロキに心酔するシリル。そして、その背後で不気味に微笑む狂気の拷問者ジーク。
絶望的な状況のなか、ジンガーは怒りに震える拳を固く握り締め、目の前の敵へと立ち向かうべく身構えたのだった。




