第45話 追憶の剣
激しい稲妻と黒曜石の破片が乱れ飛ぶ黒曜の谷の入口。極限の緊張感に包まれた戦場の只中で、ガレオンの脳裏には、遠い日の温かな、しかし今は遥か遠くになってしまった記憶が鮮やかに蘇っていた。
それは、まだ世界が今ほど残酷に歪んでいなかった頃の思い出――。
当時、まだ十歳にも満たなかった幼いガレオンは、誰よりも強くて眩しい自慢の兄――十八歳を迎えていたガレオスにべったりだった。聖都オクヘイムの穏やかな陽光の下、ガレオンは兄の裾を引っ張り、何度もこうねだっていたものだった。
「ねえ、兄貴! 僕にも剣を教えてよ! 兄貴みたいに強くなって、一緒に聖都を守る騎士になるんだ!」
しかし、当時のガレオスはそんな幼い弟を優しく、しかし真剣な眼差しで諭すように首を横に振った。
「ダメだ、ガレオン。お前はまだ小さすぎる。剣を振るうには早すぎるんだ。もう少し大きくなってからだ、な?」
兄にそう言われるたび、ガレオンは悔しそうな顔をしてほっぺたを膨らませた。しかし、兄への憧れと強くなりたいという一途な思いを抑えきれなかった幼いガレオンは、兄の言うことなど素直に聞くはずもなかった。
ある日、ガレオスが厳しい訓練に励む聖都の騎士団訓練場の片隅に、ガレオンはこっそりと忍び込み、息を潜めてその背中を追いかけていた。団員たちの怒号が飛び交う殺伐とした空間に、まだ幼い子供が紛れ込んでいると気づいた周囲が騒然とする中、ガレオンはただひたすら兄の真似をして木刀を振ろうとした。
訓練を中断して駆けつけたガレオスは、泥だらけになりながらも必死に剣を握る弟の姿を目の当たりにし、さすがにあきれ果て、そしてどこか根負けしたように深く息をついた。
(まったく……こいつには敵わないな)
そう苦笑いしながらも、ガレオスは根気よく、剣の握り方から足の運び方まで、基礎の基礎から丁寧に教えてくれた。幼いガレオンにとって、兄と一緒に汗を流したその時間は、何ものにも代えがたい誇らしくて幸せな思い出だった。
――だが、その平穏は唐突に終わりを告げた。
ある日を境に、ガレオスは聖都オクヘイムから忽然と姿を消した。置き手紙一つなく、家族にも一切の行方を告げぬまま、彼は消息を絶った。
幼かったガレオンにとって、それは耐え難い喪失だった。どれほど探しても手がかりは掴めず、生きているのか、あるいはどこかで野垂れ死にしているのかさえ分からない。ただ「兄はいなくなった」という事実だけが、重く冷たく少年の胸に残り続けた。
あれから長い年月が流れ、ガレオンは自らも剣を極め、いつしかヘリオスたちと共に世界を救うための旅路に立っていた。
そして今、目の前にいる。
確かにあの日の面影を残したまま、しかし狂気に身を染めた実の兄――ガレオスが。
(生きていた……。兄貴は、ずっと生き延びていたんだ……!)
胸の奥底からこみ上げてきたのは、紛れもない純粋な歓喜だった。どれほど消息を求めて絶望しかけたか知れない。この残酷な世界の中で、血を分けた肉親がまだこの世に生きていると知ったその事実だけで、胸が熱くなり、目頭が熱く潤むのを抑えられなかった。
しかし、その再会の喜びは、あまりにも残酷な現実によって一瞬で打ち砕かれた。
久しぶりに再会を果たしたというのに、兄は故郷の誇り高き騎士ではなく、世界を滅ぼそうとする『六人の大罪人』の一人として、こともあろうにあのロキの配下に加わっていた。
なぜ、あの優しかった兄がこんな姿になってしまったのか。どうして血塗られた修羅の道を歩むことになったのか。その絶望的な現実が、ガレオンの心を激しく揺さぶる。
だが、ここで立ち止まっている暇はない。狂気に囚われ、悪の道へと堕ちてしまった兄を救い出せるのは、他人でも王様でもない。かつてあの訓練場で剣の基礎を教えてもらい、その背中を追いかけ続けた――この俺しかいないんだ。
「兄貴……目を覚ましてくれ……!」
ガレオンは脳裏に焼きついた幼い日の記憶を振り払い、今の自分にできるすべての覚悟をその小さな体に結集させた。
過去の思い出と、現在の残酷な現実。そのすべてを背負い込み、ガレオンは全身の全霊を込めた渾身の一撃を放つべく、再び愛用の双剣を力強く構え直したのだった。




