第39話 深層の導きと、残された意志
意識の深淵、あるいは生死の狭間――。
冷たく果てしない暗闇の中で、ヘリオスは再びあの空間に立っていた。視界の先には、かつて己の血肉となり、この国と王家の礎を築いてきた偉大な先祖たちの幻影、そして圧倒的な威容を誇る古龍の姿が静かにたたずんでいる。
「……また、ここに来てしまった。俺は、負けたんだ……」
自分の胸を貫かれたあの瞬間の痛みが、まだ生々しく脳裏に残っている。ヘリオスが自嘲気味にうなだれると、静寂を破るように古龍の深く重低音な声が響き渡った。
『我が血を引く者よ、気を落とすのはまだ早い。お前が敗北した相手は、常軌を逸した理の外にいる存在だ。死してなお蘇り、痛覚さえ超越した怪物……。だが、絶望するにはまだ早い。生ある者には、必ず活路がある』
先祖の一人も、優しく、しかし力強い眼差しでヘリオスへと歩み寄り、諭すように告げた。
『よく聞きなさい、ヘリオス。あの男――「黄泉還りの剣聖」ゼノンのような、何度でも蘇る死なない敵の対処法。その唯一にして絶対の鍵は、お前の身体の奥底に眠る「龍の血」にある』
「龍の血……?」
ヘリオスが驚きに目を見開くと、古龍と先祖たちは厳かに頷いた。
ヘリオス自身は、エルミラの作った竜との戦いで、その「龍の血」の力をすでに完全に掌握し、自分のものにできていると信じ込んでいた。しかし、先祖はヘリオスの肩に静かに手を置き、冷徹かつ厳かな事実を突きつけた。
『――甘いな、ヘリオス。お前が今扱えている龍の血の力など、せいぜい全体の3割程度にすぎん。その程度の覚醒で、神敵の領域に踏み込んだ男を完全に滅ぼせると思うか?』
「3割……そんな……」
自分の甘さを痛感し、ヘリオスが息を呑む。
先祖たちの教えによれば、ゼノンのような異常な再生力を持つ不死の存在を永遠に葬り去るためには、龍の血の力をさらに深く引き出し、魂の根源ごと焼き尽くすほどの高位の炎を纏わなければならない。ただの正面突破では押し切られるが、龍の血の真髄に目覚めさえすれば、黄泉還りの理そのものを焼き切ることは可能だった。
『目を覚ませ、ヘリオス。お前にはまだ、果たすべき使命がある。真の力を解放し、あの不死の怪物を打ち破るのだ』
古龍の咆哮のような声とともに、ヘリオスの意識は一気に現実へと引き戻されていく。
ハッと息を呑み、ヘリオスが跳ね起きるように目を覚ました。
視界に飛び込んできたのは、崩れかけた魔導都市跡の冷たい石畳の天井だった。胸にあったはずの致命傷の痛みは、応急処置のおかげか不思議と和らいでいる。
「……ここは……?」
呟きながら上体を起こすと、すぐ傍らに一人の男が座っているのが目に入った。
誰もが重傷を負って倒れ伏している中、唯一、傷を負いながらも気丈に意識を保ち、周囲を警戒していたジンガーだった。
「気がついたか、ヘリオス。無茶をするな、まだ傷口が開くぞ」
ジンガーの落ち着いた、しかしどこか疲労の色を滲ませた声を聞き、ヘリオスは安堵の息を漏らす。その直後、呻き声を上げながら、近くに倒れていたヒューガやレオン、ガレオンたちが次々と目を覚まし始めた。
「いてて……っ! 肩が……いや、腕が……?」
ヒューガが慌てて自分の左腕を確認する。切断されていたはずの肩口は、シリルが命がけで展開した固有魔力の結界と治療のおかげで、何とか繋ぎ止められていた。
「おい、どうなってやがる……。俺たちは、あの化け物に全員叩きのめされたはずじゃ……」
ガレオンが頭を押さえながら起き上がり、レオンもまた険しい顔つきで周囲を見回す。
仲間たちが次々と混乱と焦燥に包まれる中、ジンガーは静かに立ち上がり、ヘリオスたちが気絶し、意識を失っていた間のことを淡々と語り始めた。
「お前たちが倒れた後、あの剣聖ゼノンはとどめを刺さなかった。奴の目的は、ヘリオスを最高の状態でロキに差し出すことだったからな。だが、シリルが身代わりとなった……」
ジンガーのその言葉に、場の空気が一気に凍りついた。
「なっ……! シリルが連れていかれたってのか!?」
ヒューガが負傷した身体を無理やり起こし、血走った目でジンガーに詰め寄る。レオンやガレオンも、信じられないという表情で息を呑んだ。
「ああ。ゼノンは、シリルを連れていく代わりに、俺たち全員の命を見逃すという条件を出した。俺たちは圧倒的な力の前になすすべもなく、シリルは自らその身を差し出すことで、俺たちの命を救ったんだ」
誰もが言葉を失い、悔しさと無力感が胸を締め付ける。仲間を守るために自ら敵の人質となったシリル。その絶望的な現実が、全員の心に重くのしかかった。
しかし、ジンガーはただうつむいていたわけではなかった。彼は、シリルがゼノンに連れ去られるまさにその直前、自分に向けて残した最後のアイコンタクトの意図を思い出す。
(シリル……お前は、あの時、確かに俺に伝えたな)
あの瞬間、シリルが瞳の奥に宿し、ジンガーだけに向けた強い眼差し。それは、ただの別れの挨拶などではなかった。
――『この機に乗じてロキの居場所を必ず炙り出し、すべての元凶を討ち取って』
という、命がけの不退転のメッセージだったのだ。
シリルが残したその固い意志とメッセージを噛みしめながら、ジンガーは険しい顔のまま仲間たちを見回し、低く、しかしはっきりと告げた。
「シリルはただ連れていかれたわけじゃない。あいつは……俺たちに希望を託してくれたんだ。ロキの居場所を必ず炙り出し、奴らを根絶やしにするために……!」
ジンガーの言葉を聞いたヘリオスは、先祖と古龍から授かった死なない敵への対処法――そして「龍の血」をさらに深く覚醒させる必要性を胸に秘め、ぎゅっと拳を握りしめた。恐怖や絶望に打ち震えていたかつての自分はもういない。
仲間を救い、世界を護るため、ヘリオスたちは再び立ち上がり、ロキとゼノンを討つための反撃の狼煙を上げるのだった。




