第38話 黄泉返りの代償と、身代わりの少女
冷徹な静寂が支配する廃墟の闘技場。レオンが崩れ落ち、仲間たちの多くが戦闘不能に陥った絶望的な状況の中で、最後に残されたのはジンガーとヘリオスの二人だけだった。
圧倒的な実力差の前に息を荒らげるヘリオスを見据えながら、ジンガーは一歩前に踏み出した。彼の瞳には恐怖の色はなく、むしろ研ぎ澄まれた闘志が宿っている。
「……ヘリオス。お前の炎を信じろ。隙を作る、この一瞬にすべてを賭けろッ!」
ジンガーの低い叫びと共に、彼の足元から無数の強靭な草の蔓が地面を割り、爆発的な勢いで伸びていく。それはただの植物ではない。ジンガーの魔力を極限まで圧縮して練り上げられた生体拘束魔術だった。
蔓は瞬く間にゼノンの両足、そして腕や胴体を絡め取り、ガッチリと地面へと縛り付ける。
「ぬっ……」
流石のゼノンも、その尋常ではない密度と靭性を持つ草の拘束にわずかに眉をひそめ、身動きを封じられた。
――今だッ!
「俺たちの仲間を……これ以上傷つけさせないっ!!」
ヘリオスは絶叫と共に、その身に宿るすべての魔力を解放した。彼の手にする剣『アスカリオン』が眩いばかりの紅蓮の炎を纏い、太陽の如き熱量を放つ。
ジンガーの草の力は、炎を浴びれば浴びるほど熱を吸収し、その結合力を何倍にも強固なものへと変貌させる。ジンガーの拘束とヘリオスの炎が完璧に噛み合った、
二人の命がけの合体技――『業火纏縛・紅蓮破』。
灼熱の炎の奔流が、拘束されたゼノンを完全に呑み込んだ。廃墟の石畳が溶け落ち、凄まじい爆風と熱波が周囲の空間を焼き尽くす。すべてを灰にするほどの直撃だった。
やがて、炎の煙がゆっくりと晴れていく。
直撃を受けたゼノンの姿がそこに立っていた。しかし、その光景を見て、ヘリオスもジンガーも息を呑み、絶望に似た戦慄が背筋を駆け抜けた。
全身の衣服が焦げ、皮膚が裂け、常人であれば一瞬で消し炭になっていてもおかしくない致命傷を負っているはずだった。だが、ゼノンの肉体は驚異的なスピードで再生し、その傷口が黒い霧のように収束していく。
――『黄泉返りの剣聖』。
その二つ名の本当の意味、そして恐るべき真相がそこにあった。ゼノンは即死級の致命的な攻撃を浴びようとも、肉体を無理やり蘇らせて復活することができる。しかし、それにはあまりにも残酷な代償が存在していた。
それは、黄泉返るたびに人間としての「感情」がすり減り、永遠に失われていくこと。
「……あ……がああああ……っ!」
ゼノンの喉から、人間のものではない獣のような濁ったうめき声が漏れる。理性の光が完全に消え去り、代わりに暴力的なまでの殺意と、凶暴化した野生の獣のような荒々しい気配だけが彼の全身を支配していた。
感情を失い、ただ破壊の衝動のみに従う怪物へと変貌したゼノンは、一足飛びに距離を詰め、凄まじい速度でヘリオスへと襲いかかった。
「っ……速い……!」
ヘリオスは咄嗟にアスカリオンを構え、必死にその猛攻に食らいつこうとする。何とか技を放とうと魔力を練り上げた、その刹那――。
『――ズボッ……!!』
凶暴化したゼノンの手刀が、すべての防御を紙細工のように貫通し、ヘリオスの胸元を深く、容赦なく貫き通した。
「がはっ……ぁ……」
鮮血が鮮烈に飛び散り、ヘリオスの瞳から光が急速に失われていく。力なく崩れ落ちるヘリオスを支える者もいなくなり、彼は冷たい石畳のうえに倒れ伏した。
仲間が全員倒れ、その場に立っているのはジンガーただ一人となった。
圧倒的な絶望のなかで、ジンガーは怒りに震えながらもゼノンを睨み据える。だが、凶暴化したゼノンはとどめを刺そうとせず、ただ冷徹に、しかしどこか計算されたような異様な落ち着きを取り戻したかのように、わずかに口を開いた。
ゼノンはかつてエルミラが去る時と同様に、首謀者であるロキに対して「最高の状態でヘリオスを召し上がらせる(捧げる)」ことを自身の目的として心に決めていた。そのためには、ここでヘリオスの命を完全に絶つのではなく、最良の状態で確保しておく必要があったのだ。
狂気を帯びた瞳を向けながら、ゼノンはジンガーに向かって低く、しかしはっきりとこう言い放った。
「……そこの結界を使う女をくれれば、これ以上お前たちを攻撃するつもりはない」
ゼノンの視線の先には、今も必死にヒューガの傷口を固有魔力の結界で繋ぎ止め、身動きが取れなくなっているシリルがいた。
仲間の命を盾に取られたようなものだった。ジンガーは怒りのあまり奥歯を鳴らし、その馬鹿げた提案を無視するかのように、愛用の武器を構えて再びゼノンへと襲いかかろうと踏み込んだ。
しかし――。
「待って……!」
背後から、静止の声が飛んだ。振り返ると、そこには血の気が引いた青白い顔をしながらも、強い決意を秘めたシリルの姿があった。シリルはヒューガの治療の手を緩め、ゆっくりと立ち上がると、ジンガーを真っ直ぐに見据えて首を横に振った。
「……私を連れて行って。その代わり、ここにいるみんなに……ヒューガやヘリオスたちに、ちゃんとした治療を施させて。それが条件なら、私は従うわ」
シリルの言葉に、ゼノンは無言のままわずかに頷いた。彼女の持つ固有魔力の価値、そしてこれ以上の無駄な戦闘を避けるという損得勘定が一致したのだろう。
ゼノンが攻撃の手を緩めたのを確認すると、シリルは連れ去られる直前、振り返ってジンガーの目をじっと見つめた。
言葉には出さない。しかし、その瞳と表情のわずかな動き、そして真剣な眼差しは、言葉以上に雄弁に何かをジンガーへと伝えようとしていた。
(ロキの居場所を絶対掴んでみせるわ――そして、みんなを頼むわ……)
そんな隠されたメッセージを瞳に宿し、シリルは抵抗することなく、不気味な魔導都市の闇の中へとゼノンに連れられて姿を消していった。
静まり返った廃墟に、仲間たちの荒い息遣いと、血の匂いだけが取り残されていく。
最悪の敗北と、仲間の拉致。崩れ去った日常の果てで、残された者たちは深い絶望の淵へと突き落とされるのだった。




