第36話 血塗られた記憶と、絶望の刃
「……なっ……!?」
『黄泉還りの剣聖』ゼノンが放った【無】の刃が周囲の空気を切り裂く中、ヒューガは突然、その場に釘付けになったように動きを止めた。
ゼノンの纏う独特の気配、そして冷徹に研ぎ澄まれたその佇まいを間近で見た瞬間、ヒューガの顔色がみるみるうちに血の気を失い、青ざめさせていく。
頭の奥底で、長年封印し続けていたはずの悪夢のような記憶が強制的に呼び覚まされていた。
――かつて、ヒューガの父親は世界に名を馳せる偉大なる冒険者だった。
強さを誇り、優しく、幼いヒューガにとってはまさに「最強の英雄」だった父親。ある日、その旅の休憩として、ヒューガが暮らしていた平和な村に父が立ち寄った時のことだ。
突如として村に現れた一人の剣士が、父に戦いを挑んだ。それが、若き日のゼノンだった。
ゼノンはただ己の限界の強さを追い求めるがゆえに、最強と謳われたヒューガの父親を標的に選んだのだ。
父は家族を、そして村を守るために剣を抜いた。だが、結果はあまりにも残酷だった。父親の渾身の一撃はゼノンの「無の境地」の前には一切通用せず、無惨にもヒューガの目の前で、父の身体は胴を真っ二つに両断され、血の海へと崩れ落ちたのだ。
幼いヒューガが泣き叫ぶ声を他所に、ゼノンはただ冷徹に返り血を拭い、満足することなくその場を去っていった。あの日の絶望が、父の断末魔が、今、目の前の光景と完璧に重なり合う。
(父さんを殺した……あの時の化け物が……目の前に……ッ!)
過去のトラウマと、消えない復讐の炎が一気に理性を焼き尽くす。
冷静さを保つことなど、できるはずもなかった。
「てめぇ……! ゼノン……ッ!!」
ヒューガは狂ったような絶叫を上げ、仲間の制止も聞かず、単騎でゼノンめがけて飛びかかった。
これまで過酷な訓練を重ね、己の【風】の魔力と技術を極限まで高めてきた。そのすべての成果、積み上げてきた努力を、父の仇である男の首へと叩きつけるために。
「死ねぇっ!!」
ヒューガの槍に宿る風の魔力が爆発し、周囲の瓦礫を吹き飛ばすほどの凄まじい軌跡を描いてゼノンを両断すべく振り下ろされる。それは確かに、今のヒューガが出せる最高の、そして最強の一撃だった。
だが――。
ゼノンは表情一つ変えず、ただ虚無的な瞳のまま、その場から一歩も動かなかった。
ただ、潜在意識で極限まで研ぎ澄ませた【無】の真空の刃を、片手で軽く払うように放っただけだった。
『――スパァンッ!!』
耳を疑うような軽やかな音と共に、世界がスローモーションに歪んだように見えた。
ヒューガが放った風の軌跡は一瞬でかき消され、次の瞬間、彼の左腕が肩口から綺麗に切り落とされ、鮮血の飛沫を上げて宙を舞った。
「がっ……あ……?」
自分の左腕が地面に落ちるのを見て、ヒューガはしばらく何が起きたのか理解できなかった。
圧倒的なまでの力の差。数年の歳月をかけて積み上げてきた鍛錬も、怒りに身を任せた復讐心も、ゼノンの前ではあまりにも無力な子供の戯れにすぎなかったのだ。
激痛が神経を焼き尽くすように遅れて襲いかかり、ヒューガは崩れ落ちるように地面に膝をついた。
血を流し、意識が遠ざかるヒューガの元へ、シリルが悲鳴のような息を呑みながら駆け寄る。
「ヒューガ……っ!」
シリルは震える両手をヒューガの切断された肩口にあてがい、自身の固有魔力による強力な結界を展開した。あふれ出る鮮血を止め、失われた神経と組織を繋ぎ止めようと必死に魔力を注ぎ込む。
「お願い……持って、耐えて……!」
シリルの額から大粒の汗が流れ落ち、必死の治療が続けられる中、仲間の危機を目の当たりにしたヘリオス、ジンガー、ガレオン、レオンの4人は、怒りと決意を宿した眼差しでゼノンへと向き直り、一斉に戦闘態勢に入った。




