第33話 八方塞がりの森林と、魔導都市の怪火
凍てつく霜が徐々に朝の陽光によって溶かされ始め、冷たい泥濘へと変わりゆく森の中で、聖都の騎士団は沈痛な面持ちで作業を進めていた。
昨夜の奇襲劇――『血塗れの遊戯者』ジークと『虚飾の暗殺者』レイヴンによる狂気の襲撃は、聖都の精鋭たちにあまりにも大きすぎる爪痕を残していった。仲間たちの亡骸を回収し、簡易的な墓標を立てて弔う騎士たちの背中には、疲労の色と拭い去れない恐怖が重くのしかかっている。
そんな中、団長であるヴァルガスは厳しい表情のまま周囲を見渡し、集まった騎士たちに低い、しかしよく通る声で言い放った。
「ここを拠点に留まるのは悪手だ。これだけの惨劇を引き起こした連中が、再び同じ場所に潜んでいるとは限らない。それに、奴らは我々の動向を完全に把握していた。この森に長居するのは命取りになる。直ちに撤収の準備を進めろ!」
ヴァルガスの指示に、ヴァルキリーをはじめ、生き残った聖騎士たちは無言で頷き、テキパキと移動の準備を始めた。
しかし、状況は深刻極まりなかった。
騎士たちは仲間を失い、肝心の黒幕である「ロキ」が今どこに身を隠し、何を企んでいるのか――その居場所の手がかりすら掴めていなかった。情報網は寸断され、敵の足取りも掴めず、文字通り「八方塞がり」の状態だった。
(ロキめ……一体、どこに潜んでいるというのか。我々の目と鼻の先でこれほどの兵力を動かしながら、尻尾すら掴ませないとは……!)
ヴァルガスは歯噛みしながらも、一刻も早くこの危機をジンガーへ知らせなければならないと判断し、一羽の伝書鳩を呼び寄せた。小さな羊皮紙に、ここまでの被害状況、レイヴンの惨殺とジークの逃走、そしてロキの居場所が依然として割れていないという絶望的な現状を記し、はるか遠く離れた魔導都市跡へと飛ばしたのだった。
その頃、ヴァルガスのいる森林地帯から何日分の行程をも要するほど遠く離れた、かつて高度な魔術文明が栄え、今や廃墟と化した魔導都市跡では――。
ヘリオスが、仲間であるヒューガやレオン、そしてジンガー、シリル、ガレオンらと共に緊迫した面持ちで陣を構えていた。互いに背中を預け合う確かな絆で結ばれた仲間たち。
そこに、遠く離れた戦地から聖都の騎士団が放った一羽の伝書鳩が、長旅の疲れを滲ませながらもバサバサと激しい羽音を立てて舞い戻ってきたのである。
鳩の足元から巻物を取り出したレオンが素早く目を通し、その顔色をみるみるうちに青ざめさせていく。
「レオン、どうした? ヴァルガスさんからの報告か?」
ヘリオスが鋭い視線を向けると、レオンはゴクリと唾を飲み込み、その場にいる仲間全員に聞こえるよう重々しい声で告げた。
「……昨夜、ヴァルガス団長が率いる聖都の騎士団が、『六人の大罪人』であるジークとレイヴンの奇襲を受けたとのことです。……部隊は甚大な被害を受け、聖騎士たち多数が命を落としたと……」
「……!? おっさんたちがいるあの森で、それほどの規模の被害が出たというのか!」
ヒューガが眉間を寄せ、驚愕の声を漏らすと、傍らに控えていたジンガーが険しい顔つきで腕を組み、苦々しげに吐き捨てた。
「ふん、ヴァルガスをそこまで追い詰めるとはな……。六人の大罪人め、ただの狂人かと思っていたが、想像以上に厄介な一手に出てきたか。あの男が率いる精鋭をここまで蹂躙するとは、戦力の見積もりを誤っていたか」
ジンガーの鋭い指摘に、レオンはさらに報告書の続きを読み上げ、表情を歪める。
「それに報告はそれだけではない……。敵の襲撃自体は退けたものの、相棒であるレイヴンはジーク自身の手によって惨殺され、その肉体は回収された模様だ。さらに……『六人の大罪人』を束ねる首謀者・ロキの居場所については、依然として一切の手がかりがつかめていないとのこと。ヴァルガス殿たちは情報の糸口を断たれ、現在も遠く離れた場所で八方塞ガリの状態で捜索を続けているそうだ」
レオンの言葉を引き継ぐように、ジンガーはさらに冷徹な瞳を細め、懐疑的な声を重ねた。
「仲間同の首を狩り、それを自分のコレクションにするなど、正気の沙汰ではない。だが、それ以上に警戒すべきはロキの行方だ。行動原理が全く読めない。どこに潜み、何を狙っているのか……このままでは我々の足元さえすくわれかねんぞ」
ジンガーの危機感に満ちた言葉のあと、シリルはそっと冷や汗を拭いながら、憂いを含んだ優しい声でそっと呟いた。
「ジンガーの言う通りね……。あんな恐ろしい人たちが野放しにされているなんて、想像するだけで胸が締め付けられるわ。ヴァルガス団長たちの無事が、本当に心配ね……」
さらに、ガレオンが腰に携えた愛用の双剣の柄に手を掛け、ギリッと歯を鳴らして怒りを露わにした。
「チッ、あの野郎め……! どこに隠れやがっている。姿を見せねぇどころか、俺たちの足元をこうもかき乱しやがって……! 見つけ出し次第、この双剣でずたずたにしてやるよ!」
ガレオンの荒々しい声に続き、ヘリオスはぐっと拳を握りしめた。
力を覚醒させ護る力がやっと手に入ったというのに、見えない敵の影は着実に世界の喉元へと迫りつつある。ロキという男の真意がどこにあるのか、なぜここまで周到に動けるのか。怒りと焦燥がヘリオスの胸の内で渦巻いていた。
「ロキめ……どこまで僕たちを嘲笑えば気がすむんだ……!」
ヘリオスの低い呟きが、この魔導都市跡の冷たい空気を凍りつかせる。誰もが言葉を失い、重苦しい沈黙が支配した。
ヘリオスたちが少しの間拠点としていた魔導都市跡には、自分たちの他に人間など誰もいない――そう信じ切っていた。しかし、その常識は静かに覆されつつあった。
灰色の崩れかけた巨大な大聖堂跡。その中心部へと単騎で周囲を偵察に出ていたジンガーは、冷たい夜気とは違う、異様な熱気が肌を撫でるのを感じて足を止めた。
揺らめく赤橙色の光が、黒々とそびえ立つ瓦礫の隙間から幾筋も漏れ出している。
(……この気配は)
ジンガーは足音を完全に消し、冷徹な目を細めながら瓦礫の陰へと身を滑り込ませた。
そこにあったのは、信じがたい光景だった。
誰もいないはずの廃墟の中で、おびただしい数の人間たちが、まるで何かに取り憑かれたかのように整然とひざまずいていたのだ。彼らは一様に奇妙な紋様が刺繍された黒いローブを纏い、中央に掲げられた巨大な祭壇に向かって、狂信的な祈りの言葉を捧げ続けていた。
その中央の祭壇を囲むようにして、幾つもの巨大な焚き火が不気味に燃え盛っている。炎の粉が夜空へと舞い上がり、まるで魔導都市そのものが巨大な呪術のいけにえの炉と化しているかのような錯覚を覚えさせた。
(ふん……話に聞いていたロキを崇める狂信者どもの集まりか。まさか、こんな灯台下暗しな場所に巣くっていやがったとはな)
ジンガーは冷ややかな笑みを浮かべ、その場を目に焼き付けると、仲間たちへ報告するために音もなく闇夜へと身を翻した。
それは、ロキを絶対の神と崇める謎の「宗教団体」の信者たちだった。彼らは魔導都市跡の深部にひそかに集結し、世界の崩壊と新たな世界の到来を祈る儀式を執り行っていたのである。
誰もいないはずの場所に潜む、狂気に満ちた信仰の炎。
皆が知らぬところで、ロキの手によって張りめぐらされた蜘蛛の巣は、すでに音もなく、しかし確実に牙を研ぎ澄ませていたのだった。




