第30話 風の刃と、影を捉える一撃
冷徹な霜が足元を這いずる闇夜の森で、死闘の気配は最高潮に達していた。
『血塗れの遊戯者』ジークと『虚飾の暗殺者』レイヴン。聖都の精鋭たちを瞬く間に蹂躙した二人の大罪人を前に、ヴァルガスは単騎でその凶刃を受け止めていた。
ジークが放つ【氷】の属性魔力は、周囲の空間そのものを凍りつかせていく。ヴァルガスを取り囲むようにして、目に見えないほどの極寒の空気が澱み、彼の呼吸するたびに肺の奥が冷気に刺されるような痛みを伴った。ジークはこの冷気を敵の体内に侵入させ、呼吸器ごと内側から凍結させて肺の機能を停止させようとしていたのだ。
(くっ……呼吸が……肺が凍っていくだと……!)
息苦しさに顔を歪めながらも、ヴァルガスは長剣を地面に突き立て、全身の魔力を一気に解放する。彼の纏う属性は、すべてを切り裂き吹き飛ばす【風】。
「甘いわっ……!!」
ヴァルガスの咆哮とともに、彼の肉体から爆発的な疾風が巻き起こった。纏わりついていた極寒の冷気と淀んだ空気は、荒れ狂う風の刃によって一瞬にして四散し、吹き払われる。
だが、視界が開けたその瞬間――目の前にいたはずのジークの姿は、すでに跡形もなく消え失せていた。
「消えた……だと……?」
気配すら残さない。冷や汗がヴァルガスのこめかみを伝う。
ジークの【氷】による隠密か、それともレイヴンの【光】の特異属性による錯乱か。どちらにせよ、まともに視覚頼みでは一瞬で命を奪われる。ヴァルガスは微動だにせず、五感を極限まで研ぎ澄ました。肌を撫でるわずかな空気の揺らぎ、草木が擦れる微かな音、気配の残滓――すべてを脳内で構築し、二人の位置を探る。
――背後と、正面。同時の殺気。
「そこかっ!!」
突如として、死角を完全に突く形でヴァルガスを挟み撃ちにするように、ジークとレイヴンの影が飛び出した。
ジークは巨大な大鎌を振り下ろし、同時にレイヴンは光の乱反射を利用して死角から致命の短剣を突き立てようとする。
しかし、歴戦の聖都騎士団長たるヴァルガスの戦闘勘は伊達ではなかった。気配の波長を読み切り、身体を捻りながら大剣でジークの鎌を力任せに受け流す。
『――ガァァンッ!!』
凄まじい衝撃波が周囲の木々をへし折り、吹き荒れる風圧がジークの巨体をそのまま後方へと押し返した。ジークを吹き飛ばすことには見事に成功した。
だが、その直後。光の屈折を纏って完璧に気配を消し去っていたレイヴンの追撃は、完全にはかわしきれなかった。
「ぬっ……!」
背中を走る激痛。レイヴンの放った鋭利な刃が、ヴァルガスの頑丈な鎧と皮膚を浅く切り裂いた。鮮血が夜の闇に飛び散る。
「ほう……今の夾撃を躱して、片方を弾き飛ばすとはねぇ。流石は聖都の隊長さんだ。でも、次の一撃でその心臓も凍てつかせてあげるよぉ!」
ジークが不気味に笑い声を上げる。背中から血を流し、息を荒らげるヴァルガスを、二人の大罪人が再び挟み込むようにじりじりと間合いを詰めてきた。
もはや防戦一方ではジリ貧だった。ここで勝負を決めなければ、聖都の騎士団の仇を取るどころか、自分もこの場で犬死にすることになる。
ヴァルガスは血走った瞳を鋭く光らせ、低く唸るような声を絞り出した。
「ふざけるな……。ここから先は、貴様らの思い通りにはさせん。……本気を見せてやるよ」
ヴァルガスの全身から、これまでとは比較にならないほどの暴風が吹き荒れ始めた。彼が纏う風のソルシュが臨界点を超え、周囲の空間を激しく震わせる。
奥義――『風刃・烈風天翔』。
彼の身体が光の残像を残すほどの超加速を得て弾き出される。目にも留まらぬ神速の突撃。狙うは、光の屈折で姿を消し、再び奇襲の機会を伺っていたレイヴンだ。
「なっ……!?」
初めて余裕の表情を崩したレイヴンが、その圧倒的な速度と風圧の奔流に気づいて身構えた瞬間、すでにヴァルガスの間合いに入り込んでいた。
光の乱反射も、気配の消去も、すべてを吹き飛ばすほどの純粋な暴風の刃がレイヴンの視界を奪う。
「捉えたぞ、暗殺者……っ!!」
ヴァルガスは大剣を振るうのではなく、纏った風の圧力を一点に集中させ、レイヴンの退路を完全に断つ不可避の衝撃波を放った。
直撃を受けたレイヴンはバランスを崩し、光の隠蔽術が完全に剥ぎ取られて地面へと叩きつけられる。追撃を恐れたレイヴンが隙を見せたその一瞬の隙を逃さず、ヴァルガスは手元にあった拘束用の魔導鎖を迷いなく投げ打ち、レイヴンの四肢をガッチリと地面へと縫い付けた。
『――グッ……!』
レイヴンが苦悶の声を漏らし、完全に身動きが取れなくなる。
「『六人の大罪人』の一人、その身柄……確実に捕らえたぞ!」
仲間たちの血を吸った冷酷な暗殺者に対し、ヴァルガスは血を流す背を正し、鋭く切っ先を突きつけたのだった。




