第12話 本音
騎士団での地獄のような特訓が始まってから、早くも一ヶ月が経過していた。
連日の激しいしごきにより、訓練場の隅で休憩を取るヘリオスたちの体つきは、以前よりも引き締まり、纏う気配すらも一変していた。かつてないほどの過酷な環境が、彼らの肉体と精神を確実に削り上げ、強靭な鋼へと変えていこうとしていた。
遠くからその様子を眺めていた聖騎士長ヴァルガスは、満足げに腕を組みながら小さくうなずいた。
「ほう……たったの一ヶ月で、ここまで動けるようになるとはな。ヒューガの槍のキレは増し、レオンの魔力効率の計算も洗練されてきている。みんな、確実に成長しているな」
歴戦の猛者?であるヒューガや頭脳派のレオンはもちろんのこと、彼らの成長に目を細めていたヴァルガスだったが、やがてその鋭い視線が一人の少年へと向けられた。
――ヘリオスだ。
懸命に木刀を振り、汗を流しているヘリオスの姿を見つめながら、ヴァルガスの表情にわずかな懸念の色が混じる。
「だが……ヘリオス、お前だけはまだ他の面々に比べて基礎的な部分が劣っているな。いくら熱意があっても、土台の脆さが足を引っなっている。このままだと、決定的な壁を前にして息切れを起こすだろう」
それは、他ならぬヘリオス自身が一番痛感している現実だった。
周囲が確実に結果を出していく中で、自分だけが基礎の壁に阻まれ、思い描くような飛躍ができていない。他のメンバーが去った後の夕暮れの訓練場で、ヘリオスは震える手で木刀を握りしめ、悔しさに歯噛みしていた。
(分かってる……分かってるんだ。もっと速く、もっと正確に動けなきゃ、あいつには届かないのに……っ! みんなはどんどん先に進んでいくのに、俺だけがずっと足踏みしてる……!)
その背中に、ミーナがそっと歩み寄ってきた。
「ヘリオス……。まだそんなに無理をして……」
「ミーナ……」
振り返ったヘリオスの顔を見て、ミーナはハッと息を呑んだ。汗にまみれたその顔は、ただ疲れているだけではない。込み上げる悔しさと情けなさに耐え切れず、ヘリオスの瞳からは大粒の涙がとめどなく溢れ落ちていた。ずっと強がって、周囲の前では気丈に振る舞っていた少年の心が、初めて限界を迎え、崩れそうになっていたのだ。
「……悔しいよ。みんなはあんなに必死に食らいついて、前に進んでるのに、俺は……! 基礎すらままならなくて、足手まといになって……このままじゃ、ロキになんて勝てない。大切なやつらも、何も守れなくて……っ!」
言葉を詰まらせ、こらえきれずに震え声を漏らすヘリオス。そんな彼の痛みを少しでも分かち合おうと、ミーナは迷うことなく一歩を踏み出し、その細い腕でヘリオスを強く抱きしめた。
「っ……ミーナ?」
「ずっと、一人で抱え込んで頑張ってきたんだね……。泣いてもいいんだよ、ヘリオス」
温かくて優しい、けれど確かな強さを持ったミーナの抱擁。彼女の胸に顔をうずめた瞬間、ヘリオスの張り詰めていた糸がプツリと切れ、彼は子供のように声を上げて涙を流した。
抱きしめられ、温もりを感じながら、ヘリオスは震える声で誰にも言えなかった本当の恐怖をこぼす。
(――本当は、怖くてしょうがないんだ……。あの日みたいに、また大切な人を目の前で奪われるのが怖くて、あの化け物と戦うのが、心の底から恐ろしくてたまらない……っ)
頭の中で蘇る絶望の記憶と恐怖に、ヘリオスの体が小さく震える。その脳裏に、あの日の記憶がフラッシュバックする。
かつて街の裏通りで男の子たちに絡まれ、怯えていたミーナを助けに入ったときのこと。あの時、戦いの行方がどうなったかは定かではないが――全身をボロボロに傷つけながらも、ヘリオスは必死に痛みを堪え、怯えるミーナに優しく笑いかけながらその小さな手を差し伸べてくれたのだ。
今度は自分が支えられる番だとでも言うように、ミーナはさらに強く彼を抱きしめ直すと、優しく、けれど力強く言った。
「怖くてもいいんだよ。逃げ出したいって思っても、それはヘリオスが弱いからじゃない。大切なものをちゃんと大切に思っているから、怖いんだもんね」
ミーナはヘリオスの髪を優しく撫でながら、まっすぐな瞳で彼の目を見つめた。自分には戦うための力なんて何もない。だからこそ彼女自身が前線に立つつもりは毛頭なかったが、それでも心の支えになることはできると信じていた。
「でもね、一人で抱え込まなくていいの。昔、あんな風に助けてもらったときも、ヘリオスはずっと私を守ろうとしてボロボロになりながらも手を差し伸べてくれた。……今度は、私がヘリオスの傍にいる。私には戦う力なんてないけれど、ずっと応援しているし、支えてあげる。だから、一人になんてさせないから」
その温かい言葉と揺るぎない覚悟が、ヘリオスの凍りついていた心を優しく溶かしていく。溢れていた涙が少しずつ収まり、彼の胸の奥には再び確かな光が灯りはじめていた。
少し離れた影から、その様子をじっと見守っていた聖騎士長ヴァルガスは、声をかけようとして足を止めていた。そして、二人の間に流れる温かな絆と、少年の流した涙の意味を静かに察し、ふっと相好を崩して柔らかな笑みを浮かべた。
「……まぁ、焦る必要はないか。あいつには、あいつなりのペースで支えてくれる存在がいる。それに、恐怖を知ってなお立ち上がる男は、ここからもっと強くなる」
声をかけるのをやめ、ヴァルガスは静かに踵を返した。
若者たちの青春と、それぞれの葛藤をそっと見守るように、聖騎士長は夕日に背を向けながら穏やかな笑みを浮かべたままその場を立ち去っていくのだった。
――その頃、王城の最奥に位置する王の間にあっては、全く異なる緊張感が漂っていた。
国王は、ふっと小さく息を吐き出し、静かに目を閉じる。彼の瞳の奥で魔力が淡く明滅し、固有の未来視能力――『神覧未来』が紡ぎ出した残酷なビジョンが脳裏をよぎった。
視界の端に映し出されたのは、王国のすぐ足元まで迫り来る、漆黒の不気味な影の群れだった。
「……来るか。ロキの放った『影の使徒』たちが、もうすぐそこまで迫りきている……」
若者たちが必死に未来への足がかりを掴もうともがく一方で、世界を呑み込む破滅の足音は、もはや猶予を与えないほどの至近距離まで確実に忍び寄っていたのだった。




