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私は馬車で揺られること数日、アトランデス侯爵領にたどり着いた。小休憩のため、馬車の外に出る。アトランデス侯爵領ではすでに雪が降り始めており、来た方角に目をやると、馬車の轍がくっきりと残っていた。
「アトランデス侯爵家は山の上に位置するデゲス。もうちょっと時間がかかるデゲス」
「……」
「最後まで、よろしくお願いいたします」
私は御者ゲデスに頭を下げると、彼は驚いたように手を振って頭を下げ返してきた。今回は、私と、少し語尾が特殊な御者ゲデスと、無口な侍女の三人で旅をしている。貴族の令嬢とは思えないほどの同行人数の少なさ。我がクロード家は、用無しの無能にお金なんて使いたくないのだろう。
本来なら侯爵家と結婚できるような家柄でもないのだ。「種なし」で、しかも隣国との関係性でいつでも戦争地帯となりうるアトランデス侯爵家だから、たまたま選んでいただくことが出来たのだ。なのに、その娘の送り出しがこの扱い。
「お前達もよく頑張ってるデゲス。帰ったら美味しい干し草を買ってやるデゲス」
ゲデスが馬車を引いている馬二頭を交互になでながら、そうつぶやく。かなりボロボロの服を着て、出っぱなゲデスは、その見た目とは裏腹にとても優しい人間だ。商いをしていたが、悪い業者に騙されてしまって一文無しになってしまったと、旅の途中で笑いながら言っていた。
侍女は……
「……」
旅が始まってから、一度もその口を開いたことがない。名前さえ知らない。色白の顔は陶器みたいに艶やかだけれど、どこか目つきが鋭い。彼女とは、これから行くアトランデス侯爵家でも関わりを持つはずだし、仲良くしたいのだけれど、話しかけても頷くことしかしなかった。
「ではそろそろ行くデゲスよ。遅くなると魔物が心配デゲスからね」
ゲデスがそう言って御者席に座ったので、私と侍女は馬車に乗り込む。ゲデスが口笛をピーッと吹き、馬車がゆっくりと進み始める。旅は順調そのものだった。それまでは……
「うわぁぁ!ゴブリンデゲス!」
ゲデスの叫び声。外に目をやると、十歳児ぐらいの体格をした緑の化物が、馬車の周りに集まり始めていた。彼らは手に棍棒やナイフ、弓矢を持っている。中には騎士の胸当てをつけている奴もいた。
「ちょっとスピード上げるデゲス!」
「……囲まれてる」
侍女が何かをつぶやいた気がした。馬がいななき、馬車が動きを早める。馬車の横に居たゴブリン達は視界の端に消えていった。
このままスピードで逃げ切れる、そう思った矢先、馬車がガタンと勢いよく止まる。
「さ、先回りされてたデゲス!」
数十体のゴブリンが馬車正面から押しかけてきた。馬車は直線は強いが、横方向の動きは得意ではない。何とか旋回しようと馬に指示を出すゲデスだったが、なかなか方向を変えられなかった。ゴブリンの一団が、すぐそこまで迫ってこようとしていた。
「ゲデスさんも馬車の中に入ってください!外にいたら死んでしまいます!」
私は馬車の扉を開けると、御者席に向かって叫んだ。
「ですが、待っていても全滅デゲスよ!平民一人死んだところでたいした事ないデゲス!」
「ゲデスさん……」
「そんなことより、扉を早く閉めるデゲス!もうすぐ弓矢の射程圏内に入ってしまうデゲスよ!」
ゲデスがそう言った瞬間、ビュッと風切り音。
「……危ない」
侍女が私のスカートの裾をつかむと、少し馬車の中へ引っ張る。その力で、私は馬車内に引き戻され尻もちを付いた。同時に弓矢が飛び込んでくる。先ほどまで私が立っていた位置を通過して、馬車内の壁に突き刺さる。
「キャ!――あ、ありがとうございます」
「……中で大人しくしてて」
私に向かってそう言うと、侍女は外に出ていった。初めて聞いた侍女の声は、低く落ち着いていた。馬車の扉が勢いよく閉まる。立ち上がり窓から外を見ると、ゲデスに飛んできた弓を侍女が素手ではたき落としていた。
すごい。踊るような素早い動きで、目で追えない程素早い矢を、いともたやすく叩き落とす。……いったいあの侍女は何者なのか。あんなに優秀な侍女だと知っていたら、私の両親が手放すとは思えないのだけれど。
グギャギャ!ギャギャズ!
ゴブリンが侍女とゲデスに向かって飛びかかる。
「ヒィ!お助けくださいデゲス!」
「……黙って、馬の制御に集中して」
侍女がスカートを翻し、ナイフや棍棒を躱しながら、足で的確にゴブリンの頭を蹴り飛ばす。ゴブリンの頭がもぎ飛び、首から青緑の液体が四方に飛び散る。おそらくあれがゴブリンの血なのだろう。ゴブリンの血がゲデスの顔に飛び散り、ゲデスが「ヒヨォィ!」と奇妙な悲鳴を上げる。
でも蹴り飛ばしても蹴り飛ばしても、無限かと思うほど、木陰からゴブリンが湧き出してくる。先ほど馬の足で引き離したゴブリン達も、追いついて来たみたいだ。
私は何をしているのだろう。ゲデスも侍女も、ゴブリンを目の前に、自分のやれることをやっている。でも私は馬車の中で一人、彼らの足を引っ張っている。――私は子供を産めない無能……でも本当の無能にはなりたくない。
私に何が出来る?特殊な能力は何一つないし、魔物についても子供と同じぐらいの知識しかない。諦めるな、考えるんだ。確か魔物は暗い夜に活発に動く。人を襲う理由は、人の血を浴びると進化する事が出来るから。彼らの体には、人間の血を欲する本能があるのだ。そのため、馬は一切襲われていない。
「こんなに群がられてたら出発できないデゲス!少しだけでも良いので気を逸らしてくださいデゲス!」
「……やれたらやってる」
ゲデスの悲痛な叫び声。でも、一瞬気を逸らすだけなら。
「二人とも、安全圏から偉そうにごめんなさい!――でも一つ、ゴブリン達の気をそらせるかも知れないアイデアがあるの!聞いてくださいますか!?」
短編には登場しなかった道中のお話です。
ゲデスの語尾がデゲス――自分で書いててなんですが、頭が混乱して来ました……




