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「リリアさんが一人で生きていく力を身につけようとしていてな。そのためには護身の術を身につけてもらうべきだと思うのだ。だからブレイド、騎士団の訓練にリリアさんも参加させてくれないか?」
中央からやってきた、戦とは縁のないお嬢様の考えそうな事だ。ウブール様の話を聞いたとき、俺はそう思った。訓練の過酷さはウブール様も分かっているだろうに。意地悪で言われているのか、色恋でウブール様の目に陰りが生まれているのか、俺には判断が付かなかった。だけれど、ウブール様の目は真剣そのもので、俺はその仕事を引き受けざるを得なかった。
リリア様を迎えに行くときは、騎士団の中でも屈強な男を数名同伴した。これから道楽で行おうとしている訓練は、遊びではないのだと、彼らの体で示したかった。運が良ければひるんで申し出を下げるかもしれない。そんな淡い期待すらどこかにあった。
予定通りの時間に指示された場所へ向かうと、そこには二人の女性がいた。始めて見るが、あれがリリア様とその侍女のアーシャなのだろう。噂で聞いていた通り、アーシャの佇まいには隙がなかった。リリア様は、特に目を引かれるところはなかった。
「ウブール様よりお話を伺っております。騎士団長のブレイドと申します。リリア様、本日はどうぞよろしくお願いいたします」
リリア様との顔合わせの挨拶の際、少し圧を込めた。おびえてくれるならそれで良かったし、無礼だと言って処罰してくれるならそれはそれで良かった。
「あ、頭をお上げください!私はこれから教わる身ですし、むしろ、無理を言ってご迷惑をおかけし、大変申し訳ございません。本日は私の事を新兵だと思って接してください!」
……は?
頭を何の迷いもなく下げられた。貴族に頭を下げられるのはウブール様以来だ。無礼な俺の態度を全く意に介さず、それどころか自分の事を新兵同等に扱えと来た。
思わず口から漏れる笑いを、鉄の心でなんとか押し殺す。
「こちらこそ頭をお上げください、リリア様。――しかし心意気がすごいですね。お望み通り、訓練では新兵と同じ扱いをさせていただきますので。では参りましょうか」
俺はそう言って訓練場に足を向ける。
心意気は認めてやることにしよう。だが、実際の訓練を目の当たりにすればそんな生意気は言ってられなくなる。望み通り新兵のようにこき使って、二度と訓練場に来れないよう絶望を味わわせなければ。
「おい、お前ら!座り込むんじゃねぇ!そんなんじゃマンダリンの糞共に首を切られるぞ!」
「声を出せ!腹の底から!相手を蹴散らせ!お前らの力はそんなもんか!?」
いつもの訓練場の音。後ろのリリア様はさぞ怯えている事だろう。俺は振り返らずに叫ぶ。
「全体!一時訓練止め!十秒以内に集合!」
俺の声が訓練場にとどろく。騎士の動きが一瞬ピタッと止まり、すぐにいつもの隊列を組み始める。集合に十秒。理想とは言い難いが、及第点だろう。
「前から言っての通り、本日、リリア様が訓練に参加される!挨拶!」
「「「よろしくお願いいたします!リリア様!」」」
訓練場が揺れるほどの大きな音。リリア様は驚いたのか、彼らから少し目を逸らしている。
「リリア様は厳しい鍛錬をお望みだ!特別扱いはしない!一日数時間、貴様らと同じように扱うものとする!――ただし!リリア様に粗相を働く者は、即刻打ち首だ!それだけは肝に銘じておけ!」
「「「はっ!!!!」」」
「では持ち場に戻れ!新兵はその場に残れ!」
「「「はっ!!!!」」」
新兵が残ったのを確認すると、俺はリリア様に顔を向ける。
「ではリリア様、いえ、リリア!貴様はこれより新兵と同じメニューを一部こなしてもらう!教官は私だ!私の命令に対しての受け答えは『はい』か『Yes』だ!わかったか!」
「は、はい!」
「声が小さい!」
「はいっ!!」
「全力で訓練を行わない場合は、即刻退場いただく!わかったな!」
「はいっ!!」
「よし!貴様ら!今日の初めのメニューは外周百周だ!いつも通り、歩くのは禁止!水分は走りながら取れ!倒れて動けなくなれば、笛をならすように!リリア!貴様にも笛を渡しておく!」
俺は魔道士に大金を払って特注で作ってもらった笛を渡す。銀色の笛が鈍く光っていた。どうせ今日でここを去るのだから無駄な配慮かも知れないが、念には念を入れてだ。
「タイム目標は前回よりも三十秒早いこと!目標をクリア出来なかった者は、罰として坂ダッシュを百本だ!分かったか!」
「「「はっ!!!!」」」
「リリアはタイム測定からだ!決して手を抜くことがないように!」
「はいっ!!」
「ではさっさと走りに行け!後ろからマンダリンの兵に追いかけられてると思って、死ぬ気で走れ!戦場ではまず脚力がないと生き残れん!走れ!死ぬ限界まで走れ!」
「「「はっ!!!!」」」
彼らは走り出した。リリア様も必死に後をついて行く。どうせすぐに戻ってくる。一周すら出来ないかもしれない。起伏が激しいだけでなく、周りに共に歩める同程度の実力の者はいないのだ。すぐに体も心も走るのを止めるだろう。走るのを止めればすぐに分かる。俺には全て見えているのだ。
新兵の先頭集団が二周目に入る。その後、だいぶ遅れてリリア様が来た。彼女の顔は苦悶に満ちており、汗がダラダラと噴き出していた。走るフォームはグチャグチャで、今にも溶けてなくなりそうだ。やはりその程度か。今すぐにでも止めたいと懇願し出すに違いない。リリア様と一瞬目があう。彼女は遠くにいる俺を見つけるなり、笑みを浮かべた。そしてそのまま止まることなく二周目に突入していった。
俺は声を出すことが出来ず、走る彼女を眺めることしか出来なかった。
二周目も三周目も、もういつ倒れてもおかしくない程だった。でも止まることはなかった。歩くこともなかった。まるでこんな苦痛はたいした事がないと言うかのように、彼女はたまに弱い笑みを浮かべた。
十周目も二十周目も変わることがなかった。もはや子供の早歩き程度のスピードだった。だけれど、苦悶の表情を浮かべることはあれど、絶望の表情を浮かべることはなかった。むしろ何故だか初めの頃よりも楽しそうにすら感じた。
彼女が六十周目にさしかかった時、新兵は皆百周を終えていた。本来なら一人遅れている者など放っていて、皆の指導を開始しなければならない。だけど、なぜか今も走っている彼女の事が頭から離れない。弱い弱い彼女に宿る強い意志が、俺を捉えて離さない。
「ブレイド騎士団長!剣の指導をお願いします!」
「……今日の剣術指南はロナン副団長に任せる。俺は――少しやることがあるからな」
俺は周回を数えに戻った。彼女は走り続けていた。九十周を過ぎた頃には、目から光が消え、先が見えているのかも怪しい。何度か転んだのだろう。体中に泥と少しの赤色が付着していた。それでも走り続けていた。
――そして次でとうとう百周を走りきることになる。
彼女が再び視界に姿を現した。あり得ないことだが、体力も何もない状態で、精神力だけで百周を走りきったのだ。
「おい、いったん水を飲みに行け――っておい!どこに行くんだ!もう終わりだぞ!」
彼女はうつろな目で外周をもう一周走ろうとする。俺の声も聞こえていない。俺は走って正面に回り込み、彼女の肩をつかんだ。上半身は俺の静止で動きを止めたが、まだ足踏みは続けていた。
「もう終わったんだ。百周走りきったんだ」
「――終わ、った?」
「そうだ、終わったんだ。やりきったんだ」
「――よ、かっ、た」
倒れ込む彼女を、俺は急いで支える。彼女の体は異常に軽くて、俺は触れるのが怖くなった。
「……変なやつだな」
彼女の顔をのぞき込む。目を閉じてゆっくり呼吸を繰り返す彼女は、どこか幸せそうに見えた。




