第35話 全部、本当
鉄扉の向こうで、アリスの索敵光が暴れている。
白い糸は通路の壁を這い、床を裂き、天井の罠印まで伸びた。一本は退避扉へ。一本はユウマの足元へ。一本は、奥の落下床へ。
ユウマは、線を一本に決めつけるのをやめた。
「神楽さん、誰かに命令されてるだろ」
扉の向こうで、呼吸が止まった。
沈黙さえ、カメラは拾っている。
「……はい」
小さな声だった。
「私は、番組制作側の人間です。出演者として入ったんじゃありません。黒瀬さんを炎上させて、勘違いさせて、最後は脱落させるために入りました」
コメント欄が崩れた。
【は?】
【内通者!?】
【番組側って何】
【やっぱアリス黒じゃん】
【黒瀬を落とすため?】
ユウマは怒鳴らなかった。
足元では床が軋んでいる。霧の奥から、四足獣の爪音が近づく。時間はない。
それでも、怒りで線を一本にする方が危ないと分かった。
「それで、神楽さんは本当はどうしたいんだ」
「分かりません」
アリスの声が震えた。
初めて、綺麗な間が崩れていた。
「命令されたから近づきました。黒瀬さんが欲しい言葉を選べば、数字が動くって分かってました。契約に逆らえば、違約金は保証人にまで行く。だから落とせると思いました」
黒い線が、落下床へ伸びる。
床の留め具が、一つ外れた。
ユウマの足元が沈む。
「黒瀬さん!」
アリスが叫んだ。
助けたい声だった。
それでも、落とすルートは開いていた。
「なのに、怪我を見たら、放っておけなくて。医療キットを置いたのも、計算にできたら楽だったのに、違うんです」
白い糸が、廊下の棚をなぞるように震えた。
「助けたら駄目なのに、助けたい。騙したら嫌われるのに、騙したい。許されたいのに、許されたら駄目だと思う」
アリスの声がほどける。
「私は、あなたを騙したい。助けたい。落としたい。嫌われたくない。許されたい。許されたくない。全部、本当なんです」
枝分かれしていた線が、消えたわけではなかった。
一本にまとまったわけでもない。
ただ、それぞれの線に意味が戻った。
騙したい線。
助けたい線。
落としたい線。
嫌われたくない線。
許されたい線。
許されたくない線。
全部が、アリスから伸びていた。
ユウマはそれを否定しなかった。
「なら、今どれを選ぶかは、神楽さんが決めてください」
扉の向こうで、アリスが息を吸った。
黒いルートが、もう一度だけ光った。
ユウマを落とす道。
アリスはそれを見た。
見て、消した。
次に開いたのは、一本の白いルートだった。
「右壁の退避扉を開けます。黒瀬さんは奥へ二歩。落下床の手前で止まってください。魔物が跳んだ瞬間、床を沈めます」
「分かりました」
ユウマは走った。
四足獣が霧を裂いて壁から飛ぶ。逆向きに折れた脚が天井を蹴り、爪がユウマの肩先をかすめた。
足元の床石が沈む直前、ユウマはアリスの指示通り二歩で止まった。
四足獣だけが三歩目の空間へ飛び込む。
床が抜けた。
同時に、右壁の退避扉が開く。アリスが通路へ飛び込み、ユウマの腕をつかんだ。
強い力ではない。
けれど、自分で選んだ手だった。
《試練突破》
《黒瀬ユウマ × 神楽アリス》
《シンクロ率 五十九%》
《接続:多重安定》
《ペアスキル波形:未成立》
【多重安定って何】
【助かった】
【でも内通者告白したぞ】
【番組どうなってんだよ】
【救護待機って出てたよな?】
脱出ゲートの白い光の前で、アリスはまだユウマの袖をつかんでいた。
ユウマはそれを振りほどかなかった。
けれど、握り返しもしなかった。
アリスの指が、ゆっくりと離れる。
ドローンが寄る。
逃げる場所はいくらでもあった。
アリスは逃げなかった。
カメラに向かって、まっすぐ言った。
「私は、黒瀬さんを落とすために番組に入りました」
リビングの空気が凍った。
レイナは剣の柄を握ったまま、目を逸らさなかった。
けれど、その目はアリスではなく、管制室へ向いていた。
「黒瀬は、騙されたんじゃない」
低い声だった。
「選ばせたのよ」
ミナはすぐにタブレットを開き、配信ログの保存を始めた。
「これ、アリスちゃんの告白じゃない。番組の自白に切れる」
サヤは口元を押さえた。
「黒瀬さんも、神楽さんも、怪我してます」
カイトはモニターを睨む。
「番組側が出演者を混ぜていたのか」
ガクの拳がソファの肘掛けを鳴らした。
「恋リアじゃねえだろ、それ」
レンは控室のモニターを見ていた。何かを言いかけ、結局、何も言わなかった。
コメント欄は崩壊していた。
【番組説明しろ】
【アリス最低】
【いや命令した奴誰だよ】
【黒瀬かわいそうすぎる】
【久我山出てこい】
【ノアが言ってた通りじゃん】
【恋を撮る顔じゃないってこれか】
管制室で、久我山トオルは笑っていた。
画面には、炎上ワードが赤く並んでいる。
《内通者》
《神楽アリス》
《黒瀬を落とすため》
《救護待機》
《番組不信》
《久我山説明しろ》
スタッフの一人が青い顔で振り向く。
「久我山さん、これは中断を――」
「いい。裏切りも恋リアだ」
久我山は、アリスの震える顔ではなく、伸び続ける同接数を見ていた。
《緊急投票》
《神楽アリスの出演継続可否、視聴者投票へ》
《一番信じたい人》
《一位 黒瀬ユウマ》
《一番許せない人》
《一位 神楽アリス》
《一番説明してほしい人》
《一位 久我山トオル》
そして、最後の告知が消えずに残る。
《次回》
《最終ペア選択、予定通り実施》
誰も、その文字を恋の告知として見ていなかった。




