第30話 それが、俺の仕事だったんだよ
熱殻獣が、最後の突進に入った。
床が割れる。
赤い鉱脈が熱で膨らみ、通路全体が警告音に包まれる。
《危険》
《火力反響、臨界接近》
《退避推奨》
退避する道はなかった。
ユウマは通路中央の線を見た。
熱殻獣の前脚が沈む位置。
角の戻り。
殻の割れ目。
レイナの剣が通れる一拍。
レンの炎が、そこだけを押せる半拍。
「白銀さん、右前脚を踏んで抜ける。斬るのはまだ」
「分かった」
「獅堂、三つ数えたら床だけ焼け。壁に当てるな」
レンは唇を噛む。
「……分かってる」
熱殻獣が来る。
「一」
レイナが前へ出た。
怖さを消してはいない。
だから、足は止まらない。
「二」
レンの炎が剣先で震える。
撃ちたい形ではない。
映える炎ではない。
だが、通る炎だった。
熱殻獣の欠けた角が、床をこすった。
ユウマの見ていた線が、半拍だけずれる。
折れた角の重さが消えたせいで、巨体の傾きが変わった。
右じゃない。
ユウマが息を吸うより早く、レイナの足が止まった。
「違う」
レイナは低く言った。
「今は、左」
白い線が、ユウマの見ていた線のさらに内側を走る。
【今、黒瀬より先に見た?】
【レイナ様も線を見た?】
【これペアっていうか、同じもの見始めてない?】
ユウマは一瞬だけ目を見開いた。
レイナは剣を握り直す。
「あなたが見せてくれたから、私にも見える」
怖さを押し殺す声ではなかった。
怖いまま、選ぶ声だった。
ユウマはうなずく。
「獅堂、左前脚の影を焼け! 床だけだ!」
「三じゃないのかよ!」
「今だ!」
レンが吠えるように炎を落とした。
炎は壁に触れない。床を低く走り、熱殻獣の左前脚の影だけを焼く。
巨体の重心が崩れる。
レイナの靴底が、割れた床を踏んだ。
殻が一瞬、開いた。
「見えた」
白い剣閃が、赤い炎の上を走った。
剣は炎に呑まれない。
炎は剣路を塞がない。
ユウマの声が置いた一拍と、レイナ自身が選び直した一歩が、同じ場所へ重なった。
熱殻獣の胸が裂ける。
赤い鉱石が砕け、巨体が前のめりに崩れた。
《熱殻獣、討伐確認》
《負傷者:軽傷一名》
《攻略継続不能判定:解除》
通路に、火の粉だけが降った。
レイナは剣を下げた。
レンは肩で息をしている。
ユウマの左袖は焦げ、皮膚が赤くなっていた。だが、立っていた。
沈黙を破ったのは、レンだった。
「お前は何もしてない! 指示してるだけだろ!」
叫びは、通路に反響した。
ドローンが、レンの顔を真正面から拾う。
怒り。
屈辱。
震える拳。
ユウマは、少しだけ息を整えた。
昔から、何度も言われた。
後ろで見ているだけ。
荷物を持っているだけ。
指示しているだけ。
ユウマはレンを見た。
「それが、俺の仕事だったんだよ」
音が消えた。
炎のはぜる音まで、遠くなった。
【うわ】
【言った】
【それが仕事だった】
【荷物持ちじゃなくて戦術補助じゃん】
【レン、今ので終わった】
【過去ログ見直せ】
コメント欄が、遅れて爆発した。
《急上昇ワード》
《黒瀬の指示》
《指示してるだけ》
《獅堂レン 追放理由》
《一歩先の剣路》
過去攻略ログの切り抜きが、次々に流れ始める。
《過去ログ:紅蓮洞窟攻略》
《獅堂レン:前へ出る》
《黒瀬ユウマ:左壁、反響する。撃つな》
《直後、左壁反響》
《過去ログ:獅堂レン班》
《黒瀬ユウマ:後衛、二歩下がって》
《黒瀬ユウマ:一拍待て》
《黒瀬ユウマ:そこは炎を通す場所じゃない》
【黒瀬が止めてた】
【黒瀬が通してた】
【黒瀬がいたから怪我少なかった?】
【過去動画、声だけめちゃくちゃ入ってる】
【編集で切られてただけじゃん】
レンは画面を見た。
見てしまった。
自分の背後で、ユウマの声が何度も流れている。
「違う」
レンの声は、さっきより小さかった。
「違うんだよ。俺は……俺は強かった。俺が焼いて、俺が勝たせてた。なのに、お前が後ろにいると」
言葉が詰まる。
拳が震える。
「俺の強さが、俺のものじゃなくなる気がした」
マイクは拾った。
拾ってしまった。
「お前が嫌だった。お前が後ろで黙って見てるのが嫌だった。俺が勝ったあとに、全部分かってたみたいな顔をするのが――」
レンは歯を食いしばる。
「俺は、お前が怖かった。お前がいないと勝てない自分を認めたくなかった」
美談にはならなかった。
敗者の告白にも、格好いい懺悔にもならない。
全視聴者の前で、強い男が、見下した男を怖がっていたことを晒しただけだった。
《推しペア投票 変動中》
《黒瀬ユウマ × 白銀レイナ 急上昇》
《獅堂レン × 白銀レイナ 急落》
《黒瀬ユウマ × 久遠サヤ 微増》
《桃瀬ミナ × 黒瀬ユウマ 維持》
【ユウレイ戻ってきた】
【いやサヤユウも火傷見てたぞ】
【ミナがどう切るかでまた燃える】
【レンレイ派、解散です】
【これ恋リアとしても事件だろ】
久我山トオルは管制室で、静かに笑っていた。
画面には、まだレンの震える拳が映っている。
攻略ゲートが開いた。
白い廊下の光が差し込む。
レイナはユウマの前で止まった。
「あなたは、見るだけじゃなくて前に来た」
ユウマは、焦げた袖を握った。
勝った。
たぶん、勝ったのだと思う。
それでも、胸の奥に残っているものは消えない。
「でも、まだ選び切れてない」
レイナは目を逸らさなかった。
「なら、次は選んで。言い訳なしで」
ユウマは答えられなかった。
今度は、逃げるためではない。
その言葉を、持ち帰るためだった。
共同ハウスのモニターでは、ランキングが更新されていた。
《部門別ランキング》
《一番応援したいペア》
《一位 黒瀬ユウマ × 白銀レイナ》
《一番本音が見えない人》
《一位 神楽アリス》
《神楽アリスへの個別投票、急増中》
リビングの端で、アリスはその表示を見ていた。
カップを持つ指先は、少しも震えていない。
彼女は画面の中のユウマを見て、静かに微笑んだ。




